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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第1部 アーダー・ティアーズ
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第1章 焼失の先へ -1-


 日が傾き始めたからか、昼間とは違い湿り気を帯びた風が肌を撫でる。


 東城大輝はそこにあった光景を、数瞬だが理解できなかった。


 目の前にいるのは、一人の少女だ。

 三つ編みの髪で後ろの部分をまとめている、凝ったセットの綺麗なブランの髪。身を包む淡いピンクと黒のフリルワンピースは、少し小柄で華奢な体にとても似合っている。

 可愛いか可愛くないかで言えば、間違いなく十人が十人、可愛いに票を入れるだろう。それくらい、非の打ちどころの無い美少女だった。


 ただ、一つ。


 その手に、半透明の西洋のランスを握ってさえいなければ。


「あら。まさか、今の不意打ちを躱してしまわれるとは。わたくしの能力は速度に特化していないとはいえ、生身で避けられるというのはいささかショックですわね」


 そんな事を言う彼女の眼前のアスファルトが、正確には、ほんの数秒前まで東城が立っていたその場所が、まるで豆腐でも切ったかのようにばっさりと切断されていた。コンビニで買ったアイスも巻き添えになって、中身がアスファルトに溶けて染みている。


 何が起きたのか。それさえもが、もはや理解の外にあった。


 彼女が握る透き通った一メートル近い長さのランスは、中世ヨーロッパの甲冑に似合うような図太い円錐型のそれで、しかしただのランスとは決定的に違い、いやに高い音を立ててドリルのように回転している。

 その様はまるで水が流れているようで――否、どこからどう見ても、渦が彼女の手によってランスとして形作られているようにしか見えない。


 現実離れしていた。


 彼女の背に、何かの装置があるわけでもない。彼女はその身一つで数十リットルの水をどこからともなく生み出し、ランスとして認識できるようなレベルに成形したのだ。


「……はは」


 夢だと思って笑おうとした東城だったが、乾き震えた笑いしか出なかった。

 映画の撮影、VFX、テレビ番組の企画。さまざまな案が浮かび、それらの方がどう考えても現実的だというのに、東城の脳はそれらを尽く否定していた。

 脳の奥で、けたたましい程にアラートが鳴り響く。

 明確な死のイメージが、焼きつくように鮮明に映った。


「あら。呆けている場合ですか?」


 彼女がそのランスを高く掲げた。


「次は、確実に殺しますわよ」


 その言葉と同時、警告は避難へと変わる。

 彼女がその水でできたランスを振り下ろすよりも先に、東城は跳び退っていた。

 水のランスが、アスファルトに深々と突き刺さる。


「あら。また躱してしまわれるのですね。――ですが、まぐれは何度も続かないからまぐれと呼ぶのですわ」


 彼女はどこまでも静かに、言い換えれば酷く冷たい声で言った。

 何がどうして、などと考えている場合ではない。

 眼前には死がある。ただそれだけの話だ。


「さようなら」


 その言葉と共に、彼女がまたランスを振り翳した。


「――ふざけんなよ!」


 東城は吐き捨てながら、ばっと身を翻してアスファルトを蹴りつけた。

 背中を冷たい風が掠める。だが、幸いにも痛みは感じられない。またしてもあのランスによる一撃を躱すことが出来たのだろう。


 そのまま東城は風を切って街を駆け抜けていく。夏らしく熱せられた生ぬるい風が、いやにまとわりついていた。


「この歳で鬼ごっことはわたくしも趣味ではありませんが。貴方がそれを望むのならしばしお付き合いいたしましょうか」


 ゆっくりと彼女の声が近づいてくる。

 だが、振り向いて確認するには精神的にも距離としても余裕が無かった。


「……何が、どうなってんだよ……ッ!」


 歯を食いしばりながらも、東城は呟かずにはいられなかった。

 とても現実とは思えなかった。疑問はいくつもある。


 まず、彼女が振るう水で形作られたランス。そんなフィクションにしか見えないものが実在した時点で、現実味など崩壊しているも同然だ。

 そして最も重要な疑問。――なぜ自分が追われているのか。

 襲われるようないわれは東城には無い。三か月前に入学したばかりの、何の変哲もないただの高校生でしかないのだ。今日の行動にしたって、期末考査も後半に入り、あと一日のテスト勉強を昼から頑張っていたところ、甘いもの欲しさにコンビニにアイスを買いに行っただけだ。


「あら。考えるあまり足が遅くなってはいませんか?」


 その声が、やけに近くから聞こえた。

 その時間すら惜しいと知りながら、本能から東城は振り返ってしまった。

 先に走っていたはずなのに、既に彼女は東城の後ろ二メートルよりも近くまで迫っていた。


 それはつまり。


 彼女の間合いに入っているという事に他ならない。


「――ッ!?」


「鬼ごっこはもう終わりですか?」


 彼女の右手が動く。

 ゆっくりとした動作で、その水のランスが振り下ろされ――


「て、堪るか!」


 足元の小石を彼女の顔面へ向かって蹴飛ばした。と言ってもとっさに彼女はそれをランスで弾いていたのだが、傷を付けられずともそのおかげで出来た隙にまた引き離す。


 ただ立ちつくす彼女からは反撃された怒りや悔しさは感じられず、単に驚愕しているようだった。


「……追い詰められているという状況ですのに、やけに冷静ですわね。普通、反撃などという思考には至らないと思うのですが」


「分かってんじゃねぇか。そうだよ、自棄に冷静なんだよ。こんな状況、平常心でやってられるかちくしょう!」


 もはや普段の学校生活のノリと変わらない口調で吐き捨てて、東城はひたすらに地面を蹴り続けた。

 現状では普通なら色々考えるべき事もあるだろう。――いや、むしろ考えられずに終わってしまうのが普通というものなのかもしれない。

 だが現に東城は状況を冷静に見えてしまっている。いやに冷静すぎるほど自分が次にどう動くべきなのかを考えるだけの余裕があり、それ以外の疑問や思考は起こらない。


(どうなってんだよ、この状況と俺の頭!)


 行き場の無い不安やら怒りやらを脚力に変えて東城は走る。

 おかしいと、自分でも思う。

 こんな状況になって足が竦むことさえなく、ただ逃げるという選択を躊躇なく行えている。その為に必要な手として、多少の反撃にすら打って出た。

 そして何より、心臓の鼓動がまるで早くならない。

 まともな状態とは自分でも思えない。気が動転するでもパニックになるでもなく、まるでこんな事が日常茶飯事だとでも言うように、東城の身体だけは至極平常を保っていた。



 だが。



「――流石は燼滅ノ王(イクセプション)と言ったところでしょうか」


 その言葉に、東城の心臓が高鳴った。


 どこまでも常の冷静さを保ち続けていたはずの心が、そのたった一言で揺さぶられた。

 聞いた事も無いその言葉は、まるで、東城の全てを壊すような衝撃を秘めていた。


「イク、セプション……?」


 思わず、その言葉を繰り返していた。

 自分の芯を破壊され尽くすような――否、自分の中心に舞い戻ってくるかのような、そんな不思議な感覚があった。


「あら。その言葉を気にする余裕があるのですか?」


 振り返る事は出来なかった。

 だがそう言った彼女がその可憐な顔を醜く歪めて笑っている事は、想像に難くない。


「今この瞬間に、貴方を殺せてしまいますわよ」


 その言葉に含まれたおぞましい気配――殺気を感じて、東城は急ブレーキをかける。

 靴底がアスファルトに削られる耳障りな音がするが、それをかき消す程の現象が起きた。

 東城の眼前のアスファルトが、ひとりでに裂けたのだ。

 ぞっと背筋が凍る。

 もしここで立ち止まれなければ、裂けていたのは自分の身体に他ならなかっただろう。


「――ッ!」


「相変わらず危機感知能力が高いですわね。まさかただの気配だけで、わたくしの攻撃を察知していらっしゃるのですか?」


 そして、その声は東城のすぐ後ろから聞こえた。

 慌てて東城は振り返る。

 既に彼女は追いついて、ランスの間合いである一メートルにまで迫っていた。


「チッ!」


 舌打ちと共に反撃に出ようとする東城。

 だが彼女はそれをひらりと躱して、東城の足を蹴飛ばすように軽く払った。簡単に転ばされて、東城は回避も防御も出来なくなる。


「ですが、ここでチェックメイトですわね」


 水のランスが、東城の喉笛に突き付けられる。ほんの僅かでも動けば、その切っ先が東城の喉を容赦なく貫くだろう。

 身体の内で、鼓動が焦燥に合わせてようやく早鐘のように鳴り始める。


「では……」


 彼女はどこまでも静かに、そして酷く冷たい声で言った。

 何がどうして、などと考えている場合ではない。

 ただ眼前には死がある。それだけの話だ。

 しかしその程度の冷静さを取り戻したところで、どうにかなる事ではなかったが。


「さようなら」


 そこで、東城の感覚は途絶えた。


 視界は白一色。

 音は消失した。

 ただ烈しい衝撃波のような何かが、東城に叩きつけられた。


 死んだのかと、一瞬だけ思った。

 だが、ならばこうしてそれを感じた自分は誰だというのか。

 痛みは無い。死んでもいない。


(何が、起きた……?)


 反射的に閉じていた目を、ゆっくりと開いた。

 そこではアスファルトが砕け、茶髪の少女が静かにおののいていた。


「レベルSの私がいるのに、アンタにそんな真似させるわけないでしょ」


 背後から聞こえたその言葉に、東城は振り向いた。


 目に飛び込んだのは、燦然と輝く黄金色だった。

 日の光に照らされてきらきらと輝き、見る者全てを圧倒する凄絶なまでに美しい髪。それはまるで金の糸のように繊細で美しく、それでいてふわりと柔らかな長い髪だった。


 その他を突き放す様な隔絶した美しさは、しかしどんな状況であれ周囲の全てを巻き込んで一つの画にしてしまうような、そんな力があった。


「あ、……」


 何か声をかけようとして、それでも東城の喉からは言葉が出て来なかった。


 目を、奪われたのだ。その少女の姿に。


 圧倒的な髪の存在感のせいか、どこかの制服に身を包んだその体は随分と華奢に思えた。顔立ちもほっそりとしていて、対するように少し青みがかった黒の瞳は大きく丸く、陽の光を受けて輝いている。

 美人という表現とは少し違い冷たい印象はまるで無く、ただ少女らしい優しさと温かさだけが彼女からは感じられた。


 可憐だった。


 こんな状況に立たされた東城でさえ、思わず見惚れるほどに。


「――大丈夫よ」


 優しく、その金髪の少女に声をかけられる。彼女に目を奪われていた時間を、彼女は東城が恐怖していたとでも思ったのだろう。

 そっと東城に手を差し伸べて、彼女は東城の前に出て襲撃者と対峙した。


「アンタは、私が護るから」


 背中から覗くその柔らかな微笑みに、命の危機に晒されていたはずの東城の心が緩む。

 あまりに突飛な出来事に心がおかしくなったかとも思ったが、それは少し違った。

 彼女は絶対に信頼できると、本能にも似た部分で東城は感じていたのだ。


「……あら。随分とお早い到着ですわね」


「そう? これでも本人の行動が無かったら間に合わなかったし、私としては落第点なんだけど。これで早いって言う時点で、アンタの計画の甘さが駄々漏れね」


「あら。間に合わなかったくせに偉そうですわね。貴女如きに『アンタ』などと呼ばれる筋合いはありませんが」


 金髪の少女は不敵な笑みを浮かべ、茶髪の襲撃者も返事の代わりに笑っていた。

 思わず痛いと錯覚してしまいそうになる程ぴりぴりとした空気が、辺りに漂い始める。


「アンタの名前なんか知らないのに、どうやって呼べって言うのよ」


「あら。それもそうですわね。では今から殺し合うのですから名乗っておくとしましょうか。わたくしはレベルAの液体操作能力者(リキッドキノ)七瀬七海(ななせななみ)。能力名はアルカナの波涛ノ監視者(ザ・タワー)ですわ」


「オーケー。礼儀として私も名乗るわ。レベルSの発電能力者(エレキノ)、アルカナでもある霹靂ノ女帝(エンプレス)柊美里(ひいらぎみさと)よ」


 二人が名乗った後、東城には空気が歪んでいるかのように見えた。それほどに二人から湧き出る威圧感、いや殺気は、この場を呑み込んでいた。


「さて。大輝に手を出した以上は、覚悟してもらうわよ」


 金髪の少女――柊の全身から、青白いスパーク――紫電が迸った。

 それは静電気なんて生易しいものではない。まるで落雷のような、そんな膨大な電圧を思わせる力があった。


「アンタから大輝を襲おうとか思う気力すら奪うから」


 バチッと一際大きく火花が散る。それを開戦ののろしと受け取ったのか、七瀬と名乗った茶髪の少女が身構える。


 じりっ、と焼きつくような緊張感が生まれる。


「ちゃんと、防ぎなさいよ」


 わざわざ告げて、柊がその緊張を破った。

 柊が右手を、空気をかき分けるように振るった。それと同時、その軌跡から真っ白な閃光が七瀬へと襲い掛かる。

 だが七瀬はその攻撃をあらかじめ察知していたかのように、ひらりと躱した。

 その光景は、とても現実とは思えない。だが身に刺さる衝撃波や耳に届く彼女たちの呼吸は、それを夢だとするにはあまりにリアリティがあった。


「あら。その程度の電撃でわたくしを――」


「囮よ、それは」


 柊は人間とは思えない跳躍を見せると、そのまま七瀬めがけてすらりとした美しい脚を振り下ろす。鞭のようにしなったそれは、腕を交差させて完全に防いだはずの七瀬を僅かばかり後退させる程の威力があった。


「っ。ただの蹴りでこれほどの威力とは、流石はレベルSというところでしょうか。女を捨てていますわね」


「……人を筋力バカみたいな言い方しないでくれる?」


「違うのですか?」


「喧嘩売るのは勝手だけどさ、私の能力を見定めない内は自分のバカを晒してるだけよ?」


「あら。莫迦は貴女でしょう?」


 七瀬がにやりと笑う。その笑みには殺意や敵意とは違う、別種の恐ろしさがあった。


「わたくしの目的は東城大輝を殺すこと。ですが、予想外の乱入があった。ならば、わたくしがとる行動は戦闘ではなく、ただ一つですわ」


 七瀬が右手を天にかざした。


「一撃でわたくしを殺さなかった事は、貴女の失敗ですわ。でなければ、わたくしに逃げられる恐れも無かったものを」


 ざぁっと風が吹き、東城の視界は真っ白な何かに覆われた、五十センチほどの距離ならどうにか見えるが、もう自分の足元すら目視できない。


「これ、霧か……?」


 ひやりとしたそれは、自然の物と言うよりもテーマパークなどにあるミストシャワーなどを想起させる。それでも、あまりの量と密度に霧だと断定しづらい状態だ。


「これでは貴女がいくら電場を操作しようと、レーダーの役割を果たす事は出来ないでしょう? もちろん目視は不可能、わたくしは悠々と逃げると致しますわね」


 霧の向こうで七瀬の声がした。既に随分と離れている様子だった。


「一時退却の後、作戦を立ててまた相見えると致しましょう」


「待ちなさ――ッ!」


「では、ごきげんよう」


 その声を最後に、七瀬の気配が消えた。眼は役に立たないが、おそらくもう既に七瀬はこの場から去っているだろう。

 七瀬が姿を消し、彼女の不思議な力が働かなくなったからだろうか。徐々に霧は晴れていき、元の夏の日差しが肌をじりじりと照らす。


「……はぁ。本当に私の索敵の範囲の外に逃げられたみたいね」


 柊は深いため息をついて、その長い髪の毛を少し悔しげに指先でいじっていた。その動作一つに目を奪われそうになるが、そういう場合ではないと思いなおして、東城は咳払いしてから声をかけた。


「なぁ、今のは一体……」


「言いたいことは分かってるわよ。ちゃんと今から説明するわ」


 柊はそう言って、東城に微笑みかけた。


 その微笑みがやはり可憐であったが、どこかガラス細工のように脆く儚げに映ったのは、おそらく東城の気のせいではないのだろう。



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