第4章 慟哭の果て -4-
東城たちの暮らす街から電車で数駅離れた工業地帯。
そこに千七百の能力者を収める研究所があった。
そう、あった。
「な、んで……っ!」
「愚問ですわね。わたくし達がこの研究所に加担する義理はもう無くなった。ただそれだけの事ですわ」
高圧水流を振り回し、七瀬は研究所としての機能を全て破壊し制圧していた。
研究所が対応しているのは中の能力者の脱走に関してのみ。外から襲撃し他の能力者を人質に取られる前に全ての機能を奪い去れば、能力者の奪還など不可能な事ではない。
「違う……ッ! なぜここにいる!?」
当然の問いだった。
研究所の弱点など当人たちが一番分かっている。だからこそ、研究所はその位置を徹底的に隠し続け、能力者の移動ですら瞬間移動能力者を使っているのだ。だからこの研究所に能力者が外から入る事などあり得ない。
「死にたがりの後輩が、親切にも教えて下さったものですから」
七瀬は答えながら、嵐のように水を操り研究員を軽々と吹き飛ばす。
あの時。神戸が正体を現し、七瀬の横を過ぎていくとき、密かに彼はこう耳打ちしていた。
『街外れの森の中心部から研究所に入れます。そこから研究所を潰してください。もう七瀬先輩にしか、頼めませんからね』
何故そんな事を言うのかと、七瀬は言葉を失っていた。
そして、ポケットにそっと入れられた紙切れに、彼の真実が全て記されていた。
神戸は死を望んでいる。そしてその為に、東城と柊が必要なのだと。
この事実を伝えて、それがすぐに東城たちに知らされるリスクもあった。だが、彼は七瀬がそうしないことを確信していたのだろう。
(……わたくしには、彼の考えが共感できてしまいますから……)
誰かのために自分一人を犠牲にする。
そんな思考を彼女も持っている。もはやそれは彼女の根幹の思考回路だ。東城にいくら感銘を受けようと、そう容易く動くものではない。
だから七瀬は悩み、そして神戸の作戦に乗ることにしたのだ。理屈や理論ではなく、もっと根本的なところで、神戸の想いに賛同したかったのかもしれない。
ただし、神戸が死ぬことを認めるわけでは絶対にない。
(彼もわたくしが救って差し上げたいのですが、わたくしに出来るのはこの程度でしょう……。その役目は、大輝様ですわ)
きっと彼は東城が救う。
ただただそう信じて、高価なスーパーコンピュータに水のランスを突き刺し七瀬は更に奥へと進み続ける。
ばらばらに逃げようとする研究員を波や水流で吹き飛ばし、意識だけを奪っていく。
「ここに千七百人がいるはずなのですが……」
階段で地下に降りると、そこにはホテルのように扉が並べられた廊下が広がっていた。他に何も無く、故に七瀬は警戒する。
(何かの罠なのか、それとも単純に外からの襲撃を想定していないのか……)
七瀬は考えながら周囲に霧を生み出す。
(赤外線は無さそうですわね……。その他の罠も感じられませんわね)
霧による接触で辺りの物を知覚した七瀬は、ほっと安堵する。
逃げてはいけない。
行動すればここまで変えられる。
それは、あの少年が見せてくれたものだった。
(内側から扉を破壊できないように細工はありますが、それは外からの破壊には対応していなかったはず……)
もし火災などがあったときに彼らを逃がす為、研究所はそう設計しているという話をここで暮らしている間に耳に挟んでいた。
能力者が逃げられない理由は、部屋の中に充満する弱い催眠ガスのせいで演算が阻害されるから。つまり、七瀬が外からこの研究所を破壊するのを妨げるものは存在しない。
七瀬は深く息を吸い、そして最後を締め括る。
大量の高圧水流の刃が駆け抜け、辺りの扉を全て切り刻んだ。
外での異変には勘づいていたがそれが何なのか理解できていなかった能力者たちが、その光景を見て理解し歓喜を見せる。
(良かった。これで無事に終わったのですね)
安堵に包まれた七瀬はこれ以上大声を出す気力も無く、近くの能力者に地下都市へ行くように伝えた。当然、ここに来る前に向こうの瞬間移動能力者には伝達している。
その時だった。
最悪の可能性が、彼女の脳裏を過る。
(ここまで容易なはずが無い……ッ! だってここは、あの大輝様ですら全員の脱出に失敗した研究所ですわよ)
それなのに今さら何の対策も講じていないはずが無い。そんなに甘い研究所なら、一年前に全ては解決していたはずなのだ。
(そもそも何故、研究員はばらばらに逃げていたのですか……?)
組織である以上は統率者が居る。つまり脱走や逃亡の際には、その統率者が指揮を執らないはずが無い。
現に一年前に東城の計画が頓挫したのは、その統率者のせいだ。研究として最悪な結末だけは彼は回避した。
なぜこの状況で姿を現さないのか。
それは現せない理由があるから。あるいは、現す必要が無いからか。
「ま、さか……ッ!」
彼はここにはいない。
彼が向かうべき場所はただ一つだ。
全ての能力者の集う、唯一の都市。
まだ、何も終わらない。