第4章 誘い水 -8-
ホワイトヘッド、フォックスバットの両名と相対した東城は、決して隙を作らぬまま、背後の七瀬へ声をかける。
「……しっかり下がってろよ、七瀬」
「えぇ。承知しておりますわ。――それに、こちらには林道愛弥がおりますから。守り抜かねばならないもので」
「――っ! そうか。そいつが林道か。悪い、気付かなかった」
白いニットに身を包んだ黒髪の少女は、七瀬の横で小さくその肩を震わせた。
「……やっぱり、本当に記憶が……」
それは、彼女にとって少なくないショックだろう。
かつては交際していた相手が、一方的に全ての思い出を失っているのだ。話では聞いていたとしても、いざ目の前で『赤の他人』だと見せつけられれば、動揺を隠せないに違いない。
「……あぁ。積もる話はあるだろうけど、とにかく待っててくれ。今はお前が必要なんだ、林道。だから是が非でも連れて帰る」
そう宣言して、東城は業火の剣の切先をフォックスバットへ向ける。
「まずはテメェから焼き尽くすぜ」
「……ほう。これは期待できそうだ」
何もない空間に手を差し出し黄金の剣を取り出した男――ジークフリート・フォックスバットは、歓喜に目を輝かせていた。
「何せ超能力者の頂点で、あのフェニックスに傷を負わせたと聞くじゃないか。胸が高鳴るというものだ」
「……テメェがどれだけ強いのかなんて知らねぇ。まぁ七瀬が勝てなかったって時点で、生半可なものじゃないってことは分かるか」
だけどな、と東城は続ける。
「余裕かましてんじゃねぇぞ」
瞬間。
誰の視界からも一瞬だけ姿を消した東城は、フォックスバットの背中で業火の剣を振りかぶっていた。
爆発による加速と、コートによる肉体の操作によって生み出される超加速だ。これに対抗できるものなど、神戸や柊――そして、グレンフェルくらいのものだろう。
だが。
「甘いな!」
喜びと共に振り向いたフォックスバットは、既にその手に構えた剣で受け止める姿勢を見せていた。タイミングすら見抜いた、完璧な防御だ。
「――それが、俺相手じゃなかったらな」
それでも、東城は構わず振り抜いた。
業火の剣は空気を引き裂き、一文字にフォックスバットへと迫る。
それを阻む黄金の剣は、その業火の剣を前に紙屑のように焼き切られて終わった。
「――ッ!?」
咄嗟に回避に転じようとしたフォックスバットだが、もう遅い。
バックステップで致命傷は裂けたようだが、彼の胸は東城の炎によって炭化するほどに焼き切られていた。
「――っご、ぁ……ッ!?」
「血は出させないほどの高温だ。その上高速回転させているから、単純な熱量で焼き切る以上の切断力がある。防御なんて出来る訳がないだろ」
その剣は、圧倒的破壊の象徴だ。
最強の超能力者が一切の加減を捨て、持てる力全てを注ぎ込んだ結晶が、ただの雑兵如きに防げる道理などない。
「今の俺を止めたいなら、フェニックス・グレンフェルが要るぞ」
「――ふっ。こんな素晴らしい獲物を、みすみす彼に譲ってなるものか……っ!」
胸に相当の深手を負っているにもかかわらず、フォックスバットは地面を駆け抜けるように突撃する。
だがその判断は、何も間違ってはいない。
業火の剣は決して止められない斬撃だ。そう分かっているのなら、取るべき選択は受動的な戦いではなく、能動的な戦いだ。
そうすれば、少なくともフォックスバット自身がダメージを負う道理はなくなる。
「――でもそれじゃあ、俺を攻略したことにはならない」
炎のコートの裾を掴み、東城は護るようにそれで全身を包む。
同時、繰り出されたフォックスバットの剣は、そのコートに阻まれ、東城の身を裂くには至らない。
「防御にも余念がないと言う訳か……っ! だが、力技で押し切れば――っ!」
「――ッ! 馬鹿野郎! 早く離れろ!」
炎のコートに刃を押しつけたまま、更に押し進もうとするフォックスバットの腹へ蹴りを入れて、東城は弾き飛ばす。
ごろごろと転がったフォックスバットの掌からは、しゅうしゅうと白く細い煙が立ち上っていた。
「俺の炎に熱伝導の良い金属製の武器で触れ続けようなんて、自殺行為だぞ……っ」
「敵にまで同情し、あまつさえ安否を心配するか。なるほど、君は優しいな。――だが、それでは興が冷めるというものだ!」
掌の火傷などなかったかのように、フォックスバットは東城へ突撃する。その瞳には、強者を前にした恐怖など微塵も感じられない。
勝負を愉しんでいる。
それも己の命が危機に晒されるその瞬間でさえ、むしろ、一層の狂喜を滾らせている。
フォックスバットは黄金の剣を使い捨てるように、一閃打つ度に新たな剣を虚空から取り出し続けている。これでは、確かに熱伝導など気にする必要などない。
だがそれでも、あれだけの熱量の塊を纏った東城に接近戦を仕掛けるという時点で、凄まじい定量的な痛みが生じているはずだ。現に、彼の皮膚は所々焼け爛れ始めている。
(痛みでも心が折れねぇタイプかよ……っ! クソ、加減してる場合じゃねぇ!)
普通、傷を負えば相手の戦意は削がれる。
痛みでまともな思考は阻害されるし、敗北への焦りがちらつき、余裕ぶった笑みは次第に消えていく。少なくとも、今まで東城が相対してきた敵は、どんな強者であろうとそうだった。
だが、このジークフリート・フォックスバットは違う。
ダメージを負うことなど微塵も恐れていない。敗北し、命が尽き果てることにさえきっと何の執着もない。だからこそ、まともな思考など初めからなく、焦燥など生じる余地もない。
その四肢を全てもいだところで歯だけで勝負を挑んでくるような、そんな常軌を逸した戦闘への渇望が、剣を打ち合う度垣間見える。
「どうした、燼滅ノ王! 君の力はその程度か!?」
「この戦闘狂が……っ! 騎士なんて崇高なもん、テメェには似合ってねぇよ!」
反撃の為に東城の業火の剣を振るが、しかし、高身長のフォックスバットの方が間合いは長い。その分だけ、東城の攻撃よりフォックスバットが躱す初動の方が僅かに早い。
消耗戦になれば不利なのは、目に見えている。
(おまけに、あの白スーツの男の能力がまるで掴めない。今は何もして来てないようだけど、それが何らかの能力の発動条件に関わっているとしたら、早くここを離脱しねぇと)
「この私と打ち合っている間に、他のことにかまけている余裕があるか!」
僅かに東城の集中が途切れた隙を見逃さず、フォックスバットは黄金の剣を東城の額へと向かって突き出す。
紙一重でどうにか躱し、そのまま転がるように間合いを取り直した東城の額から、どろりと赤黒い血が垂れる。
心臓が早鐘のように打つ。
今の一撃は、もし東城が反応するのがあとコンマ数秒でも遅れていれば、命を奪われていたと断言できる。そんな致命的な一撃だった。
炎のコートは東城の身体の大半を覆っているが、陽炎で視界を歪めてしまうのを防ぐ為に、首より上には基本的には纏えない。だからこそ、頭蓋という急所へ目がけて繰り出すその読みと、それを成す正確な剣の腕前は東城も認めねばならなかった。
「……どうした、燼滅ノ王。まさか本気すら出せないと言うのではないだろうな?」
「うるせぇ……っ」
「あのフェニックスに手傷を負わせたその腕前は、その程度ではないはずだがな」
残念そうに、そしてどこか呆れたように、フォックスバットは言う。
そして。
酷く冷徹な戦意だけを瞳に乗せて、彼は剣を握り締める。
「本気を出さないと言うのなら、その背後の少女から始末するが」
その言葉で、東城の顔色が揺らぐ。
同時、フォックスバットは地面を蹴りつけ、真っ直ぐに七瀬の元へと迫った。
今の彼女はどういう訳か能力が使えない。高圧水流で迎撃することはおろか、水のランスで防ぐことすら出来ないのだ。あのただの剣でさえ、七瀬の命を奪うには十分すぎる威力を持っている。
その彼女が。
林道を護るように、己の背を盾にした。
それが視界の端に映ると同時、東城の身体は動いていた。
爆発があった。
自らの視界すら封殺する速度で、東城はフォックスバットの眼前に立ち塞がった。
「ようやく本気になったか!? だがその速度ではブラックアウト――」
言葉はそれ以上続かなかった。否、続けさせなかった。
東城の握り締めた業火の剣が、いつの間にか振り抜かれていた。
くるくると、何かがフォックスバットの視界の端で舞う。
真っ黒い煙を漂わせたそれは――
「この一瞬で、俺の左腕を斬り落としただと……ッ!?」
驚愕に顔を染めるフォックスバットが、痛みを堪えるより先に、東城の間合いから離れようと距離を取る。
だが、それを許すような東城大輝ではない。
「ブラックアウトなんか関係ねぇよ。熱にまで能力を拡張させている今の俺は、テメェらの動きは温度で視える」
蛇のピット器官のように、それは目の役割を補う程度には精度の高い知覚だ。――だが、そこにまで手を伸ばせば、いよいよ東城の能力の拡張は見過ごせない領域にまで広がってしまう。
だが、そんなことはどうでもいい、と東城は吐き捨てる。
仲間を護る為ならば、一度や二度の無茶は乗り越えねばならない。自らの危険に臆して、何か一つでも取り溢してしまえば、東城は東城大輝でなくなってしまう。
「終わりにしようぜ、ジークフリート・フォックスバット。テメェの大好きな戦闘の中で、歓喜と共に死んでいけ」
業火の剣を握り締め、東城大輝は最後の一撃をフォックスバットの喉元へ突き立てんと迫る。
――だが。
「人の城で好き勝手暴れてんじゃねェよ、愚民が」
世界をぶち破るほどの轟音と共に、その炎は姿を現した。
フォックスバットの眼前の剣を、真正面から受け止める形で。
翼のようにはためく、業火の塊。――否、それは間違いなく、人の背から生えた炎の翼だ。現れたその男の手には、同様に業火の短剣が二本握り締められている。
そして。
猛禽類のように鋭く射抜くような瞳で、彼は東城を睨み据えていた。
「――よぉ、燼滅ノ王」
その男の名は、フェニックス・グレンフェル。
最強の名を冠した東城大輝に土を付けた異能力者だ。
「ここに来て選手交代かよ……っ。随分セコイ真似するじゃねぇか」
「今のテメェに興味はねェ。失せろ」
そう言って、グレンフェルは転がっているフォックスバットの左腕を拾い上げる。
「悪いが、これ以上はテメェの相手をしてらンねェンだ」
「……また逃げ帰るってのかよ」
「強がってンじゃねェぞ。――オレの“王”は全能力に割り込める。肉体操作能力者の治療がどういうものか、オレはテメェら以上に知ってンだよ」
そう言って、グレンフェルは東城の左腕を指差した。
攻撃を受けてもいないのに、真っ赤な血が左の指先にまで垂れていた。
「あの治療には、一定期間かけて肉体へ再生した部分を馴染ませる工程が必須だ。二日やそこらで完治する訳ねェだろォが」
だから、今の攻防ですら東城の傷口は開いてしまっている。元々受けた傷が深い以上、既に左腕は使えないも同然だ。
「……手負いの俺に興味はないってか?」
「テメェを叩き伏せるのに、中途半端な状況じゃオレの王の座を誰が認めるって言うンだよ。テメェは完膚なきまでにオレが叩き伏せる。その為ならいくらでも待ってやる」
そう言って、グレンフェルはくるりと東城に背を向ける。
待てよ、とそう東城は引き留めたかった。
他の誰よりもあのフェニックス・グレンフェルに情けをかけられることが、東城にはどうしても我慢ならない。
だがそれでも、そんなことをすれば命を落とすのは自分だと理解している。
だから、その優しく甘い言葉を、東城は歯を食いしばって受け入れるしかなかった。その惨めさを噛み締めて、ただグレンフェルへの戦意を胸の中で燃やし続ける。
「――話は終わりだ、ウルフ。ここはもォ引き下がれ」
「貴様が俺に指図をするな……っ」
「どの道、異能力の時間制限も近ェだろォが。初めから俺に介入させねェように制限かけてたテメェのミスだ。――これ以上“女王”たちを無駄に消耗させンじゃねェよ。駒を失う気か」
グレンフェルの言葉に、ホワイトヘッドは苦虫を噛み潰したような顔で彼を睨む。だがやがて、自らが感情的になっているだけだと理解したか、無理やりに冷静さを取り繕った様子で、声音を冷ましていた。
「……いいだろう。どちらにせよ、計画に支障はない。下がるぞ“騎士”」
「仰せのままに」
ふざけているのか仰々しく跪いたかと思えば、フォックスバットはけろりとして立ち上がる。左腕を失ったというのに、それに対する痛みや、恨みのようなものが微塵も存在しない。
その狂った彼の精神に、東城は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……しばらく、全知ノ隠者は預けておく。手荒に扱うなよ。それは俺の機材だからな」
そう言って、ウルフ・ホワイトヘッドは空間に突如現れた謎の穴へと姿を消した。
グレンフェルもフォックスバットも、それぞれ東城との戦闘を名残惜しそうに彼を見やって、その後ろへ続いた。