第4章 誘い水 -3-
「もう夕暮だし帰るか……」
地上の繁華街を延々と歩き回っていた東城と美桜だったが、異能力者側からの接触はついぞなかった。
異能力者側から何らかの接触がなければ手の打ちようのない東城からすれば、また焦りが湧き出てくる。
「まぁ私は楽しかったから満足だが。――それにしたって、妙な話ではあるな」
「どういうことだよ?」
「異能力者側が接触を躊躇う理由が分からないという話だ。柊が倒れた原因はほぼ間違いなく異能力だろう。なら、それは何の為だ? 命を奪うのならこんな回りくどい方法を取る理由がない。やはりそれは、交渉を持ちかける為だと思うのだが」
顎に手を当てて唸る美桜に、東城は適当に思いついたことを話してみる。
「俺たちが気付いていないだけで、別の理由があるとか?」
「確かに、それも考えられるが……」
「もしくは、接触するつもりだったけれど、それを中止にしたか」
そう言って、東城も自分でどこかそれに納得した。
「第三者からの横やりが入ったのか、交渉の為の手段を失ったのか。そういう方向かもしれないし、可能性はもう一つあるな」
「何だ?」
「突発的な別のことに時間を割いているか、だ」
その可能性に、美桜も頷いていた。
そう仮定すれば、確かに合点がいく。まだ単純に時期を見計らっているだけとも考えられるが、フェニックス・グレンフェルと戦わせた時点で、向こうが大きく動き出していることは確定だ。ここに来てペースを落とすとは考えられない。
「東城よ。その、別のこととは何だ?」
「分からねぇ。けど、少し嫌な予感が――っと、うお!?」
そう言った東城は、ずどんと背中に衝撃を喰らった。危うく前へすっ転びかけたほどだ。
「何だ、ん……?」
振り向けば、一人のセーラー服の少女が東城の背中に抱きついていた。切れ切れの息に合わせて短めの髪は大きく揺れて、もう既に寒くなって来たこの十一月に汗だくになっていた。
「東城よ、またしても女に手を出したのか……?」
「酷い誤解を受けている!? 全く身に覚えがねぇよ!」
美桜からの冷たい視線に涙目で反論しつつ、東城は背中に張り付いた少女を引き剥がす。まだ息が整えられないのか、ずっと荒い呼吸のまま、その活発そうな少女は顔を伏せていた。
「そんで、お前は誰だよ?」
「夕凪、夕凪聖です。……あなたが、燼滅ノ王なんですよね? お姉さまが言っていた通り、ゴスロリの女の子とイチャイチャしてるって、そんなの、あなたしかいなかったから」
「誰だ、そんなことを言いふらしているやつは。今すぐぶん殴ってやる」
言いふらされた結果、柊たちの耳に届いたら酷いそしりを受けるのが目に見えている東城は、本気のトーンでそう言い返す。
だが、そんなことを続けている場合ではなかった。
「……けて、下さい……」
小さく、掠れるような声だった。
その夕凪聖という少女が、涙目になっていた。息切れではない何かで、肩を震わせている。
「お姉さまを、助けて下さい……っ」
意味は、まるで東城には分からない。何が起きているのかなど、分かり得るはずがない。
それでも。
彼女の想いが、どれほどに真剣なのかということは馬鹿でも分かる。
「……何が、あった。お姉さまって、お前の姉か?」
「い、いえ……。お姉さまって聖が勝手に呼んでるだけです。お姉さまの名前は、えっと、七瀬七海でした」
「――ッ」
その名前が出た、その時点で。
もはや東城は第三者でいることは出来なくなった。
「七瀬がどうした。あいつに何かあったのか? 確か、黒羽根美桜狩りがどうとかで地下都市で頑張ってるって連絡が……」
「さらわれたんです……。黒羽根美桜狩りの犯人を倒した後、おかしなスーツの男に」
「おかしなスーツ……?」
「それはもしや、色を逆転させたようなものか? 黒いシャツに白いスーツといった風な」
美桜の問いかけに、夕凪はこくりと頷く。
それで、確信に変わる。七瀬をさらったのは、異能力者側の人間だ。それも、かつて黒羽根美桜を焚きつけて地下都市に災厄をもたらした、あの男だ。
「聖が……。聖が、いたせいなんです……っ。お姉さま一人だったら、きっと、あんな男についていくこともなかったんです。聖がお姉さまの足を引っ張って、だから、お姉さまは……っ」
ぼろぼろと、大粒の涙をこぼして、夕凪は崩れ落ちる。
自分の無力さが、余りに恨めしくて。
ただ誰かにすがるしかない自分が、情けなくて。
「――お前のせいじゃねぇよ」
そう言って、東城は夕凪の頭を撫でた。その粗雑な手つきに、しかし、彼女の涙は徐々に止まっていく。
「だってお前は、きっちり俺を呼べたんだ。お前のおかげで、あいつは絶対に救われる」
そう、東城は宣言する。
夕凪の瞳から溢れる滴の色が、僅かに変わる。それはどこか安堵に満ちていた。
「……まさか、七瀬の方に交渉を仕掛けるなんてな」
「感情的になりやすい東城に直接交渉を持ちかけるよりも、賢い七瀬と交渉した方が有利だと考えたのかもしれんな。――だが忘れるなよ、東城」
そう言って、美桜は東城を見つめる。その瞳はほんの少しだけ、不安の色がちらついていた。
「これは、罠かもしれん。七瀬を囮にお前をおびき寄せ、お前を鹵獲する為のな」
ごくりと、喉が鳴った。
分かってはいる。元々、異能力者側は東城を引き込むことを目的にしている節が合った。その目的が変わっていないとすれば、十中八九これは東城を誘い出す為の作戦だろう。
だが。
「そんなの関係ねぇよ。俺は七瀬を助ける」
それでも、東城はもう一度、迷いなくそう宣言する。
罠に怯えて七瀬を見捨てるなどという選択肢など、初めからありはしないのだ。一分一秒でも早く、彼女に危害が加わる前に助けに行かなければいけないのだ。
「……言うと思ったよ、東城」
ふっ、と美桜は小さく笑う。呆れたようでありながら、どこか、嬉しそうでもあった。
「この私でさえ助けたお前が、罠に怯えて七瀬を見捨てるはずがなかったな」
「誉めてんのか?」
「半分以上は馬鹿にしている。まともな思考回路ではないからな」
そう言って、美桜はケータイを取り出してカチカチとメールを打ち始めた。
「西條には今の要点をまとめてメールにして伝えておいたぞ。直に応援に駆けつけてくれるだろう」
「助かる。――ところで、夕凪だったか?」
「はい、何です?」
「七瀬が連れ去られた方角とかは分かるか? 何か、ヒントになるようなことでもいいんだが」
そう問いかけて、少し思い出そうとした様子の夕凪だったが、すぐに首を振った。
「あの男が来たのは地下都市で、地上で落ち合おうと言っていたので、その行き先は聖には分かりません。お姉さまも、それらしいことは言っていなかったと思います」
「……不味いな」
そう言って、東城は思わず小さな舌打ちをしてしまった。
一刻も早く駆けつけなければならないこの現状で、七瀬の居場所が分からないのは致命的だ。
「GPSはどうだ?」
「勝手にこっちから照会できるサービスなんか普通はねぇよ。仮に出来たとしても、場合によっては、ケータイとかに入っているレベルのGPSじゃ誤差が大きすぎて、当てにならないことだってある」
そもそも、異能力者側の意思次第ではケータイを破壊されたり、あるいは何かしらの遮蔽空間に連れて行かれることも考えられる。
「こんな初手で手詰まりかよ……っ」
何かヒントはないかと思考を張り巡らせる東城だが、元々、東城はそういう思考が得意な法ではない。
それが得意なのは、七瀬七海だ。囚われの身だった頃に、研究所からたった数度与えられた月に一度の自由の日だけで、東城の居場所を突き止めたほどだ。彼女ならいとも容易く、どこにいるかを推理してのけただろう。
「何か、何でも良いんだ。手がかりになるような……」
そう言って辺りを見渡した東城の視線の先で。
それは、微かに動き始めていた。
「な、んだ……?」
その様子を見た東城は、ただ驚きの声を上げていた。美桜も、夕凪も同様にぽかんとそれを見つめている。それほどに不可解な現象だった。だが東城はすぐに直感した。
いったいそれが何の為に動いているのか。
それを理解して、東城はうっすらと笑うのだった。




