第4章 誘い水 -1-
あぁ、と。
夕凪聖は自分の無力を嘆いていた。
その場で崩れ落ちて、どうすることも出来ずにただ涙を流し続けた。
未来は見えていた。変えようと思えば、どこでだって変えられたはずだ。なのに、夕凪は何も出来なかった。ただ見えた未来を漫然と受け入れて、そのときになっても指を咥えている他に、彼女がしたことなどない。
二年も前から変わりはしない。
大事な親友が、その能力を失い絶望したときも。
その親友が、研究所によって摘み取られていったときも。
自らの能力――直感ノ乙女によってあらかじめ見えていたというのに、何も現実を変えられなかった。
彼女の命を奪ったのは、研究所で間違いない。その原因は能力を失ったことだ。
だが。
どこかに、夕凪聖の『未来を知っていながら何もしなかった』という罪は存在している。
黒羽根美桜狩りの犯人――立里健悟の言葉を聞いて思ったのは、そういうことだ。原因なんて溯れない。被害に遭った誰かが、ここが原因だと決めるのだ。
だから、夕凪聖は思ってしまったのだ。
あの親友は、自分を恨んではいなかっただろうか、と。
夕凪には未来が見えたのだから。彼女がどうにか頑張れば、未来は変えられたのかもしれないのだから。
――そうすれば。
親友が命を落とすことだけは、避けられたかもしれないのだから。
「う、あ……」
途端に、恐ろしくなる。
過去の自分の愚かさが。
そして。
今なお愚かであり続ける自分の醜さが。
所詮は、未来を見る力でしかない。未来を変えるだけの力など、この能力に与えられてはいない。
そうやって、自分を正当化して、必死に笑おうとする。
けれど笑顔は引き攣って、乾き切った喉から漏れた声は短い悲鳴の連続のようだった。
――どうすればいい?
その答えを、ずっと、彼女は探し続けていた。
けれど答えなど見つかりはしない。自分はあの七瀬七海のような、たった一人で何でもやってしまうような強い能力者ではないのだ。
力もなくて、頭も足りない。そんな自分に出来ることなどありはしない。
そう閉じ籠ろうとしてしまう。
見なかったことにして、七瀬と出会ったことすら夢だったと、そんな風に思いこんでしまえば、全てが終わる。今まで通りの平穏な日常が戻ってくるに違いない。
けれど。
まるでノイズが走るように、去り際の七瀬の姿が思い出される。
小さく手を振って笑みを向ける、彼女の姿が。
何かを忘れていると、そう訴えかけてくる。
「……このままじゃ、あのときの二の舞なんだ……」
それが嫌なのだ。だから、無力な己と向き合わなければいけない。
七瀬は言った。
足りないと思うのなら、努力をしろと。
ならばここで夕凪聖に出来る最大の努力とは何だ?
「分からない。何にも……っ」
挫けそうになる心を、それでも必死に奮い立たせる。
彼女が言ったのだ。夕凪聖には、未来を変える力があると。
そんなものがあるなどとは自分では思えない。だけれど、黒羽根美桜狩りという恐怖を自らから取り除いてくれた彼女の言葉なら、信じられる。
「……そう、だ。お姉さまは、伝えたって、言っていた」
未来を変える為の何かを、既に七瀬から受け取っているはずなのだ。
思い出せ。
彼女の言葉の端々を。
臆病な自らを、挫折し目を伏せてしまう哀れな自分を、打ち砕く為に。
「――能力なんて、所詮は道具なんだ」
彼女は確かに、そう言った。
能力を使うのは、能力者自身だ。だからこそ能力者の機転次第で、出来ないと思っていたことだって出来るようになると、そう思っていた。定規でも紙が切れるような、発想の転換次第でモノは化けると、そういう意味だと。
だが、もしも、違う意味があるとすれば?
例えば。
定規はどう足掻いても書いた文字を消せないように。
使うべき道具は、他にもあると。
「――ッ」
そして、彼女はこうも言った。
――それでもわたくしを止めたいと言うのでしたら、そうですわね。大輝様でも連れて来てはいかがですか?
七瀬の意志を捻じ曲げたいと言うのなら、あの伝説の燼滅ノ王クラスの力が必要だと、そういう意味だと思っていた。
だが、違う。
夕凪聖に力はない。
けれど。
こと力という面に関して言えば、あの燼滅ノ王が適任なのだ。
気付けば、あとは簡単だ。
自らの能力など縛られる必要はない。恥も外聞も知ったことではない。
欲しいのは、大切な誰かが死なないで済む未来だけ。この手で護りたいなどと、そんな高慢なことを言う資格は自分にはないし、そんなものを求めもしない。
ここで、もう一度、問いかけるとしよう。
夕凪聖に出来ることは何だ?
その答えを得た少女は、自らの足で地面を蹴った。
もう二度と、大事な者を失いたくないから。
たった一人の最強の元へ、一秒でも早く駆けつける為に。