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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第7部 オーシャン・ラビリンス
181/419

第3章 渦巻く流れ -5-


 未だ不安げな顔でいる夕凪聖を背に、七瀬七海はある商店街へ一歩を踏み出した。


 その瞬間、七瀬七海の本能がけたたましいほどにアラームを鳴らした。

 ここは既に、敵の領域(テリトリー)だと。


「――夕凪聖。気を引き締めなさい」


「え?」


 夕凪が首を傾げ訊き返そうとした、その寸前。


 真っ黒い影が駆け抜けた。


 だがそれは七瀬の手から伸びた何かに弾かれ、澄んだ金属音を響かせた。

 カラカラと、路上にその影――金属の簡素な矢が転がる。

 七瀬の手には、既に透明な水のランスが生成されていた。殺気を感じ取った瞬間に、既に攻撃への対処は済んでいたのだ。


「――なるほど。奇襲作戦としては悪くはありませんわね。次は、殺気を隠す努力をした方がいいですわよ」


 自身が弾き飛ばしたその矢を踏み潰して、七瀬はその射線上に立つ一人の少年を睨みつけた。

 それは、眼鏡をかけた大人しそうな少年だ。チノパンに白シャツという真面目な格好だけを見れば、彼に対し敵愾心を抱くことは難しそうだ。


 だが。

 いくつも指輪を付けたその手に握り締めた弓が、七瀬に警戒心を解くことを許さない。


 まるで梓弓が放つ神聖で重苦しい気配にも似た、だがしかし全く逆の、負の感情に押し固められたような嫌な重圧がその弓一つには込められていた。


「いきなり婦女子へ暴力を振るうとは、それでも男でしょうか?」


「……何とでも言え、波涛ノ監視者。君が世界ノ支配者狩りに関する情報を嗅ぎ回っていることはもう知っている」


 低く、唸るような声で少年は言った。


「あら。商店街のコミュニティとやらでしょうか。些か聞き込み調査に時間をかけすぎてしまったようですわね」


「燼滅ノ王が世界ノ支配者を匿っているという情報も得ている。なら、燼滅ノ王一派の君が連れ回しているその少女こそ、黒羽根美桜当人だろう?」


「そこまで看破するのであれば、もう一つの可能性も考慮するべきですわね」


 そう言いながら、七瀬は腕で夕凪を後ろへ下がらせた。夕凪はまだ何かを言いたげに口を開くが、声には出来ず、黙ってうつむいて下がっていた。


「残念ながら、彼女はただの囮ですわ。馬鹿な貴方を誘き寄せる為の、ね」


 おかげで見事に釣れましたわ、と七瀬は続け、その手に生み出した水のランスの切先を、真っ直ぐに眼前の敵へ向けた。

 ここからは、波涛ノ監視者としての七瀬七海の見せ場だ。


「さぁ。名乗りを上げましょうか、卑劣漢。わたくしの名は七瀬七海。レベルAの液体操作能力者のアルカナ、波涛ノ監視者です」


「……立里健悟(たてさとけんご)だよ。レベルBの金属操作能力者、夢ノ番人(アイディールガーダー)だ」


 そう言って、彼は弓を構えた。

 そこには既に、どこにもなかったはずの矢が番えられていた。


「黒羽根美桜はどこだ」


「貴方に教えるとでも?」


「力づくでも聞き出すさ」


 言葉の直後。

 弾丸の如き速度で放たれた矢が、水のランスで弾かれた。


「――ッ!」


「驚くことではないでしょう? 細いワイヤーを生み出して作ったその張力は凄まじいようですが、どう足掻いたところで雷光の速度には劣る」


「そうか。君はレベルS相手に戦いを挑んだこともあったね」


「えぇ。貴方程度では挑むことさえ許されない領域で、わたくしは戦ってきたのですわよ? 今さら貴方如きの格下に、敗北する道理などありませんわ」


 幾度となく放たれ続ける矢に対し、七瀬は水のランスで一つ一つ叩き伏せていく。彼女の身を裂くに足るだけの攻撃とは、到底思えない。


「無駄と知りながら、何故挑むのですか?」


「譲れないものがあるからだ」


「それは、無関係な少女たちを危険に晒してまで、護り通さなければならないものだと?」


「――ッ」


 その言葉に、一瞬だけ少年――立里の表情が崩れた。その時に放たれた矢は、七瀬が弾くまでもなく彼女の横を素通りしていく。

 だが、彼はすぐにその顔を立て直した。

 もう一度、自身の覚悟を確かめるようにゆっくりと矢を番え、弓を引く。


「……あぁ、そうだ。どんな手を使おうと、黒羽根美桜を炙り出さなければいけない」


「いったい、何の為に?」


「言う必要があるか?」


 言葉と同時に、矢が放たれる。

 それを首の動きだけで七瀬は躱す。彼女の頬に一筋の赤いラインが浮かぶが、気にする様子もなく七瀬は立里を見据え続けた。


(攻撃は、弓矢の一辺倒。レベルBというからには、もう一段階は技を隠していると見た方がいいのでしょうが……。余り集中し過ぎると、今度は夕凪聖への注意に隙が生じてしまう)


 現状では、黒羽根美桜狩りの犯人がまだ一人だと特定できた訳ではない。だからこそ、必要以上に目の前の立里にだけ警戒し過ぎる訳にはいかないし、迂闊に攻め込むことも出来ない。

 だが、このままではジリ貧だ。どこへ当てても構わない立里健悟と、放たれた矢という一点のみを弾き続けている七瀬とでは、消費する精神力の桁が違う。


 全方位に水の渦の盾を展開するという手段がない訳でもない。だがそんな真似をすれば、向こうに『撤退』という選択を取らせるリスクが高まる。


 七瀬たちは奇襲を受けたが、基本的には襲撃者や挑戦者の立場にいる。彼をねじ伏せ、その目的を聞き出すことがまず最低限の勝利項目だ。

 一方で、立里健悟の最終目標は変わらず『黒羽根美桜へ復讐すること』のただ一点。七瀬たちから情報を取れるのならそれに越したことはないし、無理だと判断すれば、撤退し形勢を立て直すだけだ。


 だからこそ、七瀬はあえて隙の多い防御を取らざるを得ない。

 あと僅かで倒せるのではないかという期待を抱かせ続け、まずはこの戦場に引き留めなければならないのだ。


「……埒が明かないな」


 そう言って、立里は弓を降ろした。


「あら。もう諦めると?」


「まさか。格上相手に出し惜しんではいられないと理解しただけだ」


 弓を手放したその手に、金属の棒が形成されていく。

 それは、巨大な槍だった。

 銀色に輝く、全長二メートルを超える槍。デザインは簡素で、鍛造して生み出されるような独特の輝きもない。ただの鉄か何かの金属をその形に生成したに過ぎないのだろう。――レベルBなら、その程度が限界だ。


 それをぐるぐると振り回し、立里は構える。


「遠距離からの攻撃は捨てて、近距離に特化させたというところでしょうか。――まさか、それでこのわたくしに届くとでも?」


「届かせる。俺は、黒羽根美桜に復讐しないといけないんだ」


 大地を蹴って、立里が突進してくる。

 七瀬は水のランスを左手にも生み出し、二本でその槍を受け止める。

 鈍い音が響く。


(流石に、鍔迫り合いは不利でしょう。至近距離で懐から矢でも放たれればその時点でお終いですわ……っ)


 即座に判断した七瀬は、それ以上こちらの余裕が奪われる前にと、立里の腹へ蹴りを入れて弾き飛ばした。


 だが、その程度で彼は止まらない。

 がりがりと靴底をアスファルトに擦らせながら無理やりに体勢を整えて、間髪入れずに七瀬へ再度突撃してきたのだ。


「――ッ!?」


 愚直なまでの攻撃に、しかし、七瀬の反応が遅れた。

 咄嗟に横へ跳んで躱そうとした七瀬の左の二の腕を、その槍は浅く引き裂く。

 鮮血が舞った。


「調子に乗らないで下さいな」


 横へ跳んだ反動を利用し、そのまま回し蹴りの要領で立里の脇腹に蹴撃を叩き込む。

 今度こそ完璧に体勢を崩された立里は、そのまま数メートルも転がって地面に突っ伏していた。

 流石に、脇腹へ蹴りがクリーンヒットしているのだ。戦闘ばかりをやって来た能力者ならいざ知らず、一般人とさして変わらない暮らしをしてきた彼には、相当なダメージのはずだ。


 だと、言うのに。

 彼は槍を握り締めたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 その瞳を復讐の業火に焼いたまま、ゆらゆらと、まるで亡霊のように。


「……黒羽根美桜は、どこだ……っ!」


 その声は、獣の唸り声にも似ていた。

 相手を威圧する為に放たれた、理性とはほど遠い原始的な音だ。


「……そんなに、あのお店は重要でしたか?」


「――ッ」


 七瀬の言葉に、立里の表情が傾いだ。だが、七瀬はそこで止めはしない。


「貴方が金属操作能力者であることも、貴方の交際相手も同様であることも、既に掴んでいます。そして、貴方がた二人がどのようなお店を経営しているのかも」


「……それがどうした」


「アクセサリーショップでしょう? ワゴン販売をしていた頃は、貴方のお店の商品を、わたくしもプレゼントしていただいた覚えがありますから。えぇ、思い出の品ですわ」


 そう言って、七瀬は耳たぶの辺りを触ってみせた。

 そこには、銀色のイヤリングがあった。彼女が何よりも大切にしている、チタンの安いイヤリング。それは、東城に贈ってもらったものだ。


「良い品ですわ。――これほどのものを作れる貴方が、どうしてこのような真似を?」


「……どうせ、分かっている癖に」


 小さく、息を吐くように立里は笑い飛ばした。


「あぁ、そうだよ。俺と彼女は、二人でアクセサリーショップを開くことが夢だった。何せ、研究所にいた頃はそんな夢も抱けなかったんだ。生きる目的を見つけたようで、楽しくて仕方がなかった」


 ぎゅっと、槍を握り締める手に力がこもる。


「ただ周りからは出遅れたから、店を開くだけのスペースが持てなかった。だから始めはワゴンを引いて少しずつお金を貯めて、新しく出来る商店街の一角のテナントを借りられるように頑張っていた。それが、ほんの数ヶ月前の話だ」


 そして。

 そのタイミングで、暴動が起きたのだ。


「新しい店の為にと作ったアクセサリーは、あの暴動で全て砕け散った。それにショックを受けて、彼女は寝込んでしまった。――全部、黒羽根美桜のせいだ」


「……、」


「俺たちの夢を、俺の大切なものを、残さず踏み躙った人間が、のうのうと暮らしているだと? ふざけるなよ! そんなことに納得できるか!!」


 だから。

 立里健悟は拳を振り上げた。


「――それが、彼女の望みだと?」


「彼女が望んでいないことなど百も承知だ。望んでいるのはこの俺だけだよ。俺が、この不条理に納得が出来ない。だから黒羽根美桜を糾弾する」


「……そんな、の……」


 その言葉を聞いて、夕凪が口を挟んだ。挟んでしまった。


「そんなの、時間操作能力者の力で直せるじゃないですか……? そんなことの為に、聖たち無関係な人間に危害を加えようとしたんですか……っ!? その結果、エスカレートすれば怪我を負ったっておかしくなかったのに!?」


「――囮の女の子。口には気を付けろよ」


 ぞくりと。

 百戦錬磨の七瀬七海ですら背筋が震えるほどの、憎悪の声があった。


「アクセサリーは、大事な贈り物だ。作る側が丹精込めて、買った人の永遠の幸せを願って生まれるんだ。例え直ったとしても半ばで断ち切られたんだぞ。そんなものが売れるものか」


 だから、彼らの夢は頓挫してしまった。

 本来なら一度だって壊れてはいけないものが壊れてしまったのだ。


「俺と彼女が命よりも大切にしていた夢を、『そんなもの』の一言で片付けてくれるなよ。君から叩き潰したっていいんだぞ」


「――それは穏やかではありませんわね」


 そう言って、七瀬はもう一度水のランスを構えた。


「貴方の言い分は理解しました。けれど、夕凪聖の発言ももっともでしょう? 貴方のやろうとしていることは、自身の復讐の為に無意味に他者を傷つけるということ。――全くもって黒羽根美桜と同質ではありませんか」



「俺とあいつを一緒にするな!!」


 激昂した立里に振りかざされた、鉄の槍。

 だがそれは、振り下ろされるよりも早く、中腹から断ち切られて宙を舞った。


「同じですわよ。貴方がやってきたことは、こうして夕凪聖に糾弾されるようなこと。今まで黒羽根美桜狩りの対象にされた幼い女子たちが、憎悪を向けるに足る行為ですわ」


「……っ」


 折れた槍を握り締めたまま、立里は何も言い返せずにいた。

 どこかできっと、理解はしていたのだ。

 だが彼は、それから必死に目を逸らした。気付かないふりをして、自分を正当化しようとした。黒羽根美桜へ復讐する。ただそれだけの為に、自身の善悪の観念にヒビを入れてしまったのだ。


「黙れよ、波涛ノ監視者……っ! あぁ、確かに俺は害悪だ。彼女の想いも気に留めず、ただ俺は復讐の為に彼女たちを傷つけている。――だが! その原因は、黒羽根美桜が作ったものだろう! 俺一人が泣き寝入りしなければならない道理はないぞ!!」


 折れた槍を再生させながら、彼はそれを振り回す。

 だが七瀬はその槍の軌道を見極め、ランスで弾くことすらせず、ただの足捌きだけで回避し続けて見せる。


「分かっているのではありませんか。あなたよりも、原因を作った黒羽根美桜が悪い。――では。果たして黒羽根美桜が暴動を起こした理由は?」


「……は?」


 随分と間抜けな声が漏れ出る。同時、七瀬の水のランスがもう一度彼の槍を叩き折った。


「第3階層で情報を見た貴方なら、彼女が所長の娘であることは知っているでしょう。大方、その負の側面だけを見て、彼女がどうして暴動を起こしたのかなど考えもしなかった」


「何を、言っている……っ」


「彼女が暴動を起こしたことにも、原因がある。――その原因を作ったのは大輝様――この地下都市を作り上げた英雄、燼滅ノ王ですわ」


「――ッ!?」


 驚愕し、戦意が揺らぎ始めた彼に、七瀬は未だ突き刺すように言葉を繋ぐ。


「更に言えば、燼滅ノ王にそのような行為をさせたのは所長が原因だと聞いています。――では、そもそもの根源はどこまで遡ればいいのでしょうね?」


「……っ、違う。どんな詭弁を振りかざそうと、悪いのは黒羽根美桜だ!」


「貴方がそう思いたいからでしょう? だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 その言葉に、完全に立里の気持ちが折れた。


 当たり前だ。彼の店を砕いたのは、黒羽根美桜ではなく暴動に参加した能力者だ。だが余りに大勢が破壊活動に参加した為に、犯人が特定できなかった。だから立里健悟は、その首謀者を諸悪の根源だと仮定したに過ぎない。


 だが、それは決して根ではなかった。自分を正当化しようとしていたのに、それを真正面から打ち砕かれたのだ。それでもなお憎悪を向け続けるだけの悪意が、彼には足りていない。


「……なら」


 けれど。

 それでも立里健悟の瞳に滾る炎が、消えることはない。


「俺の怒りは、砕かれた夢は、どうすればいい……っ? 未だ涙で枕を濡らす彼女を、俺はどうすれば慰められる!?」


 結局。

 言葉だけで折り合いなどつかないのだ。


 分かっていて、それでも知らないふりをして、気付かないふりをしていただけだ。それを見せつけたところで、彼が止まることなどあり得ない。


「――ならば、立ち向かいなさいな。貴方程度では黒羽根美桜に辿り着くことは出来ないと、このわたくしが証明して差し上げますから」


 だから、七瀬七海は受けて立とうというのだ。

 その憎悪を、自らが代わりに受けるという形で。


「――っうぉぉおお!!」


 そして、彼は吠える。自らの想いに区切りをつける戦いへと、足を進める為に。

 折れた槍を捨てた彼の手に、再度弓矢が生み出される。この至近距離で矢を放たれれば、七瀬には躱す余裕はない。


 だが。

 七瀬はその矢が放たれるよりも先に、弓を真っ二つに断ち切っていた。


 高圧水流による破断。鋼すら切り裂くその絶対の刃を前に、ただの金属の塊を捻じ曲げただけの弓矢が耐えられる道理はない。

 弦がたわみ、矢はそのままぽとりと落ちる。


 既に勝敗は決していた。


「……あぁ、くそ、悪いのは黒羽根美桜だけじゃない。分かっている。俺が勝手に自分の都合で、彼女を諸悪の根源に仕立て上げた」


「……そうですわね」


 その言葉に。

 七瀬七海の胸の内がざわついた。

 彼女だけが悪いのではない。その通りだ。物事は複雑に絡み合っていて、そんな単純に推し測っていいことなど一つもない。


 たとえば。



 柊美里が過去の東城への気持ちを忘れられないのは、本当に彼女だけの責任か?



「――ッ」


 気付かないふりをしていて、それをいら立ちだと片付けようとしていた真実に気付いてしまったから。

 だから、七瀬はそれ以上、立里健悟を指弾できなかった。


 東城が記憶を失ったのは、そもそも神戸のせいだ。

 彼に記憶を奪わせてまで死にたがるほど追い詰めたのは、研究所だ。


 だから、柊美里一人を悪者にして勝手気ままに怒りを撒き散らすのは、あまりに醜い行為ではないか。

 目の前の少年こそが自らを写す鏡だと、そう突き付けられた。


「……それでも」


 少年は唸る。

 今にも泣きそうに崩れた顔で、それでも瞳の奥に、未だに炎をちらつかせて。


「やっぱり俺は、黒羽根美桜が憎いんだと思う」


 その言葉を聞いて、七瀬は小さく、息を吐いた。

 その言葉は、その言葉だけは否定しなければ、と七瀬は思った。

 理由は自分にだって分からない。だけれど、それまでもが自身と同一だと認める訳には、どうしてもいかなかった。


「かかってきなさい。あなたのその憎悪は、わたくしが真正面から沈めて差し上げましょう」


「――ありがとう、波涛ノ監視者」


 言葉の直後。

 七瀬は周囲に違和感を覚えた。

 肌を突き刺すような殺気に、この空間全てが支配されている。


「な、にが……っ!?」


 驚愕する七瀬は、そこで気付いた。

 周囲に放たれた矢が、砕かれた槍や弓が、独りでに持ち上がって球状に綺麗に七瀬を囲んでいた。

 そして、七瀬はもう動けない。

 その鋭利な断面は、全て余さず七瀬へと向けていたから。


「初めから、全ての攻撃はこの為の布石だったと……っ?」


「俺は所詮レベルBだ。一度に生成できる量は、レベルAのアルカナには遠く及ばない。――だから、気付かないように蓄えさせてもらった」


 それはかつて、七瀬も一度やった手だ。

 榊連と戦ったとき、彼女は気付かれぬように水を周囲に溜め、それを用いて榊を押し潰した。ただの攻撃の中に、決して悟られないよう罠を潜ませたのだ。


「押し返せるなら、押し返してくれ。きっとそうすれば、俺も吹っ切れる」


「……逆に押し返せなければ、黒羽根美桜を狩り続けると?」


「あぁ、どうせ、納得が出来ないことに変わりはないんだ。――だからせめて、俺が修羅になる前に止めてくれよ」


 話している間にも、次々と矢が生成され、その矢尻の檻は量を増していく。


「――良いでしょう。もっともレベルSに近いこのわたくしが、貴方の憎悪の全てを叩き伏せて御覧に入れますわ」


 そして、彼女はその両手に水のランスを構えて吠えた。

 身を守るだけなら、他に手段はある。七瀬の能力であれば、囲んだ金属よりも多くのランスを生成し、全て相殺することだって出来るのだ。


 それでもなお、そんな愚直な手を選んだのは、ただ一つ。

 能力による差などで、この場を鎮圧してしまいたくなかったからだ。


「そんな、無茶です、お姉さま!」


「いいから黙って見ていなさい。――この程度で負けるようでは、霹靂ノ女帝に嫉妬する資格すらないのですから」


 そして。


 何を合図にするでもなく、その無数の槍は一斉に放たれた。

 中心に立つ七瀬の身を引き裂かんと突き進む。

 澄んだ金属音だけが、しかし耳を引き裂くほどの轟音となってそこに生まれた。

 突き刺さった矢がアスファルトを砕き、粉塵を舞い上げる。


「やった、か……?」


「そんな馬鹿な」


 その粉塵を引き裂くように、水のランスが震われた。

 煙を晴らすように、その中央に彼女は立っていた。

 ただの一度も傷付くことなく、宣言通り、全ての矢や槍を叩き伏せて。


「わたくしの勝ちですわね」


「まだ、俺は戦えるが?」


 既に勝てないと分かっていながら、それでも、最後の一片まで自らの悪意を砕く為に、立里健悟は立ち向かおうとする。

 その決意に感嘆しながら、七瀬七海は小さく頷いた。


「なるほど。では、最後の一手まで、丁寧に摘み取って差し上げましょうか」


 澄んだ水流が生み出す洗練された水のランスと、即興で組み上げた余りにも粗雑な槍。

 それぞれを携えた二人の視線が交差する。


 決着は、一瞬だった。

 突き出された槍の穂先を真正面から貫き、砕き、奪い去る。

 驚愕する立里の真横に突き出した水のランスを、その勢いを殺さぬままに振り回し、こめかみへと殴りつける。


 ランスであり側面に切断効果はないが、それでも総重量は十キロを超える水の塊だ。

 殴打されれば、一撃で脳まで揺さぶられる。

 どさりと、崩れ落ちるように立里は膝を突く。


「……やっぱり、俺の負けか」


 焦点の定まらない目で、それでも七瀬を見つめて彼は自嘲気味に笑っていた。直に意識もなくなるだろうに、それでも、まだ何かに縋るように。


「……あぁ。ちくしょう。結局、俺は何の為にこんな馬鹿な真似をしていたんだろうな……」


「さぁ。わたくしにはそんなことまでは分かりかねますわ。――ただ、そうですわね」


 そう言って、水のランスを降ろした彼女は笑いかける。


「貴方のお店が開いた暁には、ぜひとも足を運ばせて頂きましょう。血に染めずに済んだその綺麗な手で作られたものならば、きっと、とても美しいでしょうから」


「はっ。そいつはいい。君みたいな女なら、うちのアクセサリーも良く映える……」


 そう言って、彼は幸せそうに目を閉じた。

 そうして立里健悟の復讐劇は、幕を降ろした。



 だが。



「さて。話は済んだか、波涛ノ監視者?」



 どこか狂ったような男の声が、開けたこの場所で木霊する。

 咄嗟に臨戦態勢に戻った七瀬に対し、その男はどこから現れたのか、いつの間にか彼女の真正面に立っていた。


「――貴方は……っ」


 その姿を、七瀬は十分に知っていた。

 黒いシャツに、白いスーツ。おおよそ常識を知らないようなその身なりで笑うその姿は、黒羽根美桜の記憶を元に構成したモンタージュ写真で知っている。


「異能力者の、黒幕ですか」


「あぁ。名乗ったことはなかったかな。名をウルフ・ホワイトヘッドという。以後、お見知りおきを」


 仰々しく、右手を胸に当てた格好を付けたお辞儀をして、彼――ホワイトヘッドは言った。

 その一挙手一投足に、七瀬七海の神経をざらついた舌で舐めまわすような不快感があった。同時に、言い知れない恐怖も。


 今までこんなことを経験した覚えはない。たとえ見知らぬ相手であろうと、抱く恐怖は相手の持つ力に起因している。それは異能力者のフェニックス・グレンフェルも同様だ。


 にもかかわらず、七瀬にはこの男の放つ気配の正体が、認識できない。

 まるで世界がずれてしまっているかのような。

 存在しない何かを見据え続けているかのような、そんな恐怖だ。


「……いったい、どうやって地下都市へ?」


 そんな怯えを悟られぬよう、必死に平静を装った声で彼女は問いかける。だが、帰ってきた返事はあまりに素っ気なかった。


「企業秘密だ」


「そう。では、何の為に?」


「君と話がしたい。ただそれだけだよ」


 そう言って、ホワイトヘッドは手を差し伸べる。


「……断ると言ったら?」


「周囲にか弱い者を連れた状態で強がるのは、止めた方がいい。後悔するぞ」


 その言葉は、紛れもない脅迫だ。


 なるほど、と七瀬は思う。

 これが夕凪聖の言っていた『未来の光景』なのだろう。


 後ろの夕凪が、ぎゅっと彼女の袖を摘まんでいる。小さく震えていることが、その手を伝って七瀬にも分かる。

 こんな状況にしたくなくて、彼女は自らが立里健悟の標的になり続けようとすらしていた。


 だが、それでは駄目だ。

 天秤にかければ、きっと七瀬が異能力者側に呑まれるくらいなら、黒羽根美桜狩りを放置していた方がいいに決まっている。放っておいても、黒羽根美桜が地下都市に来ないとなれば、いずれは収束していたに違いないのだ。


 それでも、七瀬は立里の前に立ち塞がる道を選んだ。

 確かに選択は重要だ。ときには、天秤にかけねばならないこともあるだろう。


 だが、片方の皿に乗ったのが己の身である時点で、七瀬は反対の皿を選ぶ。それが東城に憧憬を抱き、好意を寄せている彼女の選択だから。


「……手を放しなさい、夕凪聖」


「駄目です……っ」


「いいですか。貴女の能力は、決して役に立たないということはないのです。貴女は、自らの手で未来を変える力を持っている。その為のことは、既に伝えたはずです」


 そう言って、七瀬は夕凪の指を一本一本外していく。


「……話は着いたか?」


「えぇ。では参りましょう。――もちろん、貴方の移動手段は用いませんわ。地上に出てすぐのところで落ち合いましょうか」


「構わん」


「お姉さま!?」


 さっさと話を決めて歩き去ってしまう七瀬に、夕凪はただ呆然と立ち尽くしたまま、声を張り上げるしかなかった。

 そんな彼女に小さく手を振って、七瀬七海はウルフ・ホワイトヘッドと共に消えていった。

 ただ、夕凪は伸ばした手の先を見つめることしか出来ないままで。



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