第3章 渦巻く流れ -3-
「――なるほど。協力感謝いたしますわ」
頭を下げ、七瀬はさっさとその商店街から抜けていく。
一時間ほど聞きこんだ結果、色々と核心へと近づく情報は手に入った。直に、黒羽根美桜狩りなどという物騒なことを計画した犯人を見つけ出すことも出来るだろう。
「これで、色々と情報が掴めてきましたわね。繁華街の中で未だに店を閉じている箇所が数カ所。その中で、暴動前は随分と幸せそうだったというのに、暴動後はぱったりと静かになってしまったお店がある。おそらくはその主人が犯人なのでしょう。同機は店に絡んだ何か、といったところですわね」
書き込んだ手帳を眺め頷く七瀬に、しかし、背後の夕凪は随分と大人しかった。先程までの彼女なら、少しずつ黒羽根美桜狩りに巻き込まれる自身のリスクが減っていっていることに喜んだり、七瀬と出歩けるということでテンションが高くなったりもしていたのに、それが不気味なほどにぱたりとやんでいるのだ。
「さて。そろそろ本丸が近づいている訳ですが」
「……そう、ですね」
七瀬の言葉にそう頷いた夕凪の顔は、明らかに曇っていた。
七瀬と出会ってから常に明るくいた訳ではない。だが、彼女の本質が明るい天真爛漫な少女であることは、この短い間でも七瀬だって理解している。
その彼女の顔にこれほどの影が差しているとなれば、それに足る何かがあったということになる。
「何か、あったのですか?」
「い、いえ! ただ、その……。つ、疲れたので、今日のところは、帰りませんか?」
確かに一時間以上歩きっぱなしだ。疲れたというのは、嘘ではないだろう。
だがそれでも、ここまで確信に近づいておきながら、引き返そうと考えるとは思えない。時間だって、まだ午後三時もなっていない。いくら十一月でも、日が暮れるまでには十分すぎるほどに余裕がある。
だが、この道中に彼女が顔を曇らせるような情報はなかったはずだ。七瀬の行動も、さして変化があった訳でもない。
そうとなれば、自ずとその原因は導かれる。
「あぁ、なるほど。嫌な未来が見えたということですか」
「――ッ!」
七瀬の言葉に、夕凪がびくっと震えた。それはほとんど図星だった。
彼女の能力については、先程聞いたばかりだ。
あるとき突然、自身の周囲に起こる未来の状況が見える。それが彼女の能力――直感ノ乙女だ。そしてそれは自分で制御できるものではない、とも。
選択的に誰かのいつかの未来を見ることはおろか、その能力を行使するタイミングすら敵わない。おそらくは、そのタイミングがこの道中にあったのだ。
「では、貴女はお帰りなさいな。後はわたくし一人で片を付けますから」
「それじゃ、駄目なんです……」
「はい?」
夕凪の言葉の意味が分からなくて、七瀬は首を傾げる。
「危ないのは、聖じゃないんです。本当に危ないのは、お姉さまです!」
涙を堪えているような震えた声で、彼女は言う。
「……何が、見えたのですか?」
「分かりません……。ただ、お姉さまが、聖の目の前で変な男に連れ去られていったんです。白いスーツで、黒いシャツの男です」
「……っ!」
その言葉に、七瀬が目を見開く。
白いスーツと黒のシャツ。その色を反転させたような男の存在を、会ったことはないが、それでも七瀬は知っている。
名前も知らない。
だが、彼こそが、黒羽根美桜を焚きつけ、地下都市に暴動をもたらした、異能力者側に立つ男だ。
「……接触があるならば大輝様の方だと思いましたが……。どういう、ことなのでしょうね」
「お姉さま?」
「いえ、何でもないですわ。ですが、それなら問題はありませんわね。それは貴女の件とは無関係です。黒羽根美桜狩りの真相を暴いて犯人をさっさと捕まえてしまいましょう」
「お姉さま!?」
驚愕する夕凪を無視して、七瀬は先へと歩を進める。
「元々、これは貴女の為ではないと申しているでしょう? わたくしはただ、答えを欲して歩いているに過ぎません。わたくしが進むと決めた以上、貴女にさえ止める資格はありませんわ」
七瀬は、一人の少女を救う為に立ち上がった訳ではない。
ただ、彼女は自分の心を理解しきれなかった。きっとそこには、自分が知らない何かが存在しているのだ。
だから、七瀬は答えを求めて歩いている。
「きっとそれは、大輝様が進む道と同じところにあるから。そんな直感に従っているのです。ここで臆病風に吹かれて引き返してしまえば、それは、あのお方の進む道とは決定的に違うものとなってしまいますわ」
「駄目です!」
声を張り上げて、夕凪は七瀬の前へと駆け出し、両手を広げた。これ以上先へは行かせないと、そう訴えかけている。
「貴女が心配することは何もないでしょう。それに、貴女が口にしなかったということは、何かわたくしに危害が加えられた様子もなかったのでしょう?」
「聖の能力は、音までは聞こえないんです。もしかしたら、聖に危害を加えない代わりにお姉さまが連れ去られる、みたいな、そんな嫌な選択を迫られたのかも」
彼女の肩が、震えている。まるで、何かに怯えるように。
「ならば尚更、問題はありませんわね。貴女の身は守られるのですから、貴女は安堵していれば良いのです。わたくしはわたくしで、あのお方のように、一人で全てを覆してみせますので」
「そんなの、嫌です……」
そして。
夕凪聖の瞳から、一粒の滴が零れ落ちる。
「聖はもう、嫌なんです! 聖の前で誰かが連れ去られるのは! 聖にはそれを黙ってみるしか出来ないのも! もう二度と会えなくなるかもしれないのに!!」
その言葉に、七瀬はこれ以上我を通すことが出来なくなった。
その声音にはあまりに迫力があり過ぎて。
いつものように、七瀬が一笑に伏すことさえ許さない。
「何か、あったのですわね」
「……もう、随分前です。一年とか二年とか、それくらい前。まだ地下都市なんかなかった頃です」
涙が零れる瞳をぐしぐしとこすりながら、夕凪は言う。
「聖には、友達がいました。私と一緒でレベルは低い能力者でしたけど、一緒に頑張っていこうって誓い合って、何をするにもいつも一緒でした」
その言葉で、勘のいい七瀬は察してしまう。
いま彼女は一人だ。七瀬が出会ってから、そんな友人がいる素振りすら見えなかった。もしもそんな親友がいたのなら、黒羽根美桜狩りが横行している今の時期に彼女を一人にするはずがない。
ならば。
その親友は――……
「でも、ある日、彼女は能力を突然、失ってしまったんです。原因は、分かりません。心因性の何かでそうなっちゃう子もいるっていう噂もありましたから、きっと、その一人なんだと思います」
それは、能力者にとっては絶望的な現象だ。
自らの超能力というものは、アイデンティティそのものと言ってもいい。それを失うということは、自らを見失うということだ。
だが、それ以上に、重要な意味を孕んでくる。
能力者は軍事兵器として生み出されているのだ。もしも能力の使えない欠陥品があったとして、それを後生大事に研究所が抱えているなど、考えられない。
「彼女はすごく焦って、能力を取り戻そうと死に物狂いの努力を重ねて、けれど、彼女に能力は戻らなかった」
「……失敗個体、ということですか」
七瀬の言葉に、夕凪は黙って、顔を覆ったまま頷いた。
能力者は、作ろうと思って全員が生まれてくる訳ではない。後に第3階層にある研究所のデータから分かったその成功率は、およそ二三パーセント。それ以外は、完全な無能力者だ。
研究所に、金にならないそんな彼らを生かしておくだけの財力はない。だから、出生時に無能力者と判断されれば、それは処分される。
あの研究はただ能力者を生産し、閉じ込め、売り捌こうとしていたのではない。それよりも遥かに重い罪として、夥しい数の赤子を殺して来たのだ。
そんな、彼らが。
能力を失った少女を、いつまでもいつまでも育てているはずがない。
「あの子も、きっと失敗した子供たちと同じ扱いだったんだと思います。聖の目の前で彼女は研究員にさらわれて、二度と、姿は見なかった」
夕凪は、とうとうその場に崩れ落ちた。覆った手の隙間から、とめどなく透明な滴が零れ落ちていく。
「聖には、それが見えていたんです! 彼女が能力を失って嘆いたその瞬間も。彼女が研究員にさらわれていった瞬間も! だけど、聖には何も出来なかった……ッ。聖の能力は何の役にも立たないんです!」
だから。
彼女は今一度見た光景に対し、必死に抗おうとした。
ほんの僅かの短い繋がりだとしても、七瀬七海にまで、その親友と同じ未来を辿らせたくはなかったから。
自らの能力で未来を変えてみせたかったから。
「――安心なさいな」
分かっていて、七瀬は、慈愛に満ちた声でそう言った。
決して、引き返すとは言わずに。
「貴女の親友のような末路を、わたくしは辿りません」
「そんなの、分からないです……っ」
「わたくしを信じなさい。黒羽根美桜狩りの犯人は見つける。わたくしも連れ去られたりしない。それだけの力は、持ち合わせているつもりですわ。何て言ったって、わたくしはアルカナの一人、最もレベルSに近い波涛ノ監視者ですもの」
「でも!」
「それに、言ったはずですわよ。足りないと思うのなら、工夫をしなさい。それも出来ないのなら、努力をしなさい。貴女がすべきことはわたくしを止めることではないはずですが」
食い下がる夕凪に、七瀬はそう言ってたしなめた。その言葉の意味が分からないのか、夕凪はきょとんと首を傾げていた。
「それって……?」
「一から十まで説明するのは性に合いませんの。ただ、わたくしはわたくしの自己満足の為に黒羽根美桜狩りの真相を突き止める。その邪魔は貴女にもさせませんわ」
そう言って、七瀬は夕凪を押しのける。
「それでもわたくしを止めたいと言うのでしたら、そうですわね。大輝様でも連れて来てはいかがですか?」
「たいき……? 誰ですか?」
「あの英雄、燼滅ノ王ですわ。今頃は地上の繁華街で、ゴスロリ少女とイチャイチャとデートにでも興じている頃ではないですかね」
チッ、と憎たらしげに舌打ちして、七瀬は先を進む。
「――さぁ、参りましょうか。貴女の輝かしい未来の為に」
七瀬は高らかにそう宣言した。
夕凪の口にした未来への不安など、始めからなかったかのように。