第3章 渦巻く流れ -2-
「結局さぁ……」
ぶらぶらと仲良く美桜の手を引いて歩きながら、東城は疲れたように言う。美桜の手には、地上に呼び付けた七瀬によって水の膜を張ってもらっており、おかげで美桜の能力による原子の消去は、その水が引き受けてくれている。――もちろん、そんなことの為に呼ばれた七瀬が、ものすごい形相で東城を睨んでいたことは言うまでもない。
「何にも異能力者側からリアクションないんだけど……」
「せっかくのデート中なのだから、何かがあっても困るが」
ぷくっ、と元からまん丸い頬を膨らませて美桜は抗議する。
いま彼らが歩いているのは、地上にあるアーケード街だ。流石に平日の昼間ということで休日の息苦しいほどの人はいないが、それでも暇な主婦や大学生やらで、なかなかに賑わってはいる。そう、完全なまでの日常だ。
「だから、これをデートと呼ぶのは止めようぜ? 柊か七瀬の耳にその単語が入ると、俺の命がないんだ」
「……まぁ、そこに関しては同情する」
美桜の方もそれ以上何かを言うことはやめてくれた。彼女としてはデートであれ何であれ、外を自由に歩けるだけで楽しいのだろう。きらきらと目を輝かせて、通り過ぎていく店を一つ一つじっくりと眺めている。
「して、東城よ。私はお腹が空いたぞ」
「昼飯は俺がお前の家に行く前に食べたんじゃなかったか? ほら、真雪姉が朝のうちに作っておいたやつ」
「もちろんそれはしっかり食べたさ。だが、そろそろおやつの時間だ」
「まだ三時には一時間くらい早くないか……?」
「せっかくの外出なのだから二回はおやつを食べたいぞ」
「あ、三時に食べることはもう確定なのね……」
贅沢言いやがって、とも思うが、僅かなりとも危険を孕んだ状態で、自分の都合を優先に彼女を連れ回しているのは東城だ。文句を言う筋合いはないし、それくらいのもてなしはするべきだろう。
「何がいい? この辺り探して食べれないものなんて早々ないだろうから、何でもいいぞ」
「うぅむ……。三時にも食べることを考慮すると、お腹に溜まらないものが良いだろうか。その辺りは東城のセンスに任せるとしよう」
「そうやって地味にハードル上げるの止めてくれねぇ?」
そう言いながらふらふらと歩きながら、東城は有名チョコ店を見つけた。あまり買う機会はないし、基本的には高級な品揃えだが、ある程度リーズナブルな品もある。
「あぁ、チョコドリンクとかちょうどいいか。それでいいか?」
「うむ!」
美桜の返事を聞いて東城は小さなその店に美桜を連れてその店に入り、カウンターでさっさと目的の品を一つ購入する。
すぐにレジの向こうでカップにドリンクが注がれ、東城に手渡される。それをゴスロリの少女が目をキラキラと輝かせて見つめていた。
「早く!」
「分かってるよ。ほら、こぼすなよ」
そう言って美桜にそれを渡すと、彼女はストローを咥えて美味しそうに飲み始めた。
平凡な、どこまでも平和な日常だ。
だが、忘れてはいけない。
異能力者が柊に何か得体の知れないことを施して、今なお彼女の安全は確保されていないのだ。是が非でも異能力者を引きずり出して、全てを吐かせる必要がある。
「――っ」
気付けば、歯を食いしばって東城は唸っていた。
今すぐにでも柊に何かをした相手を見つけ出して、その身をこの手で焼き焦がしたいという欲求が、脊髄から指先の末端にまで伝播していく。
「――落ち付け、東城よ」
そんな東城の足を、何かが踏み抜いた。
「イッテぇ……っ」
思わずうずくまる東城の頭に、呆れたように美桜の声が降る。
「いら立つのは分かるがな。お前がいまここで焦ったところで、どうにかなる訳でもないだろう? 仮にもデートだ。もっと気楽に、私を楽しませることだけを考えていろ」
「……悪かったよ。でも、呑気にもしていられね――っむぐ!」
うつむきがちに、未だシリアスになろうとしている東城の口に何かが突っ込まれた。
見れば、それは先程まで美桜が飲んでいたチョコドリンクのストローだ。
「それでも飲んで、まずは和め。甘いものが足りないからイライラするんだ」
「……そう、かもな。糖分が足りないと頭が働かないって言うし、ここはお前に従っとくよ」
そう言ってそのまま東城はドリンクを吸い上げる。
そして一口分ほど甘い液体を喉の奥にまで流し込んでから、東城は美桜の顔が赤くなっていることに気付いた。
「……どうした?」
「か、間接……。い、いや! 何でもないから、残りを返してくれ」
「いやこれ普通に美味いし、もうちょっとくれよ」
「断る!」
慌てた様子で美桜は東城の手からドリンクを引っ手繰って、またそれに口を付ける。どこか幸せそうな顔をしているのは、そのチョコがお気に召したからだけではないようだが、東城にはいまいち原因が分からない。
「そんなに大事なら一口だけくれた理由が良く分かんねぇけど……。まぁ、それはいいか。――とりあえず、柊の件は俺が焦ったってどうにもならない話だよな。美桜の言う通り、気長に待つか」
「う、うむ。それにだな。もしも早急に命に関わるレベルの異変であれば、いくら原因に異能力が関わっていようとも、東城の保護者のお医者様が何も対処できない、ということはないだろう? そうでないのなら、まだ当分は余裕があるということだ」
美桜の言葉に、東城も頷いた。
確かに、原因は異能力であろうと、それにより何かしらの症状を発生させるということは、身体にも異変が生じているはずだ。それを神戸やオッサンが気付けないのなら、それは未だハッキリとした形を持っていないということになる。即座に命に関わるレベルであればその異変は形を持っていると考えた方が無難だろうし、柊が目を覚まして元気そうに過ごすとは考えられない。
「っていうことは、目下の課題はそこじゃねぇな」
「うん? 次のおやつの場所か?」
「まずはそのチョコドリンクを飲み切ってから言え。そうじゃなくて、柊と七瀬がな……」
はぁ、と東城は深いため息をつく。
七瀬と柊が仲違いしていることは、分かっている。だがそのせいで、柊の件で七瀬の助力を得られないことが手痛かった。
七瀬の頭脳は東城よりも遥かに優れている。演算能力のような能力的な話ではなくて、もっと汎用性のある場面の話だ。
彼女はかつて研究所に囚われているとき、月に一度与えられる自由の日を使って、東城の居場所を突きとめて見せた。一年足らず、おそらく十回にも満たない機会をもって、東城の命を刈るに足るだけの準備を整えたのだ。
その推理力のような頭脳の明晰さは、東城は持ち合わせないものだ。おそらくは、西條や柊さえ出し抜くほどの狡猾さを持っている。
「何であんなに仲が悪いんだろうな……」
「東城よ、九分九厘の原因はお前だと思うが」
呆れたように美桜に言われて、東城も「だよなぁ……」とため息で返す。
元々、あまり仲が良くなかったのは知っている。
柊にしてみれば、七瀬は東城の命を狙っていた経緯があるのだ。それを柊が容易く許せるものでもない。
一方七瀬にしてみれば、柊に幾度となく東城の襲撃――すなわち残された能力者の救済を邪魔されていたに違いない。顔を合わせたのは最近にしても、感情としては「自分を救えなかったくせに邪魔ばかりする嫌な奴」と言ったところだろう。
その上で、二人ともが東城に好意を寄せているのだ。仲良く手を繋いでいられる方がどうかしている。
「俺が仲を取り持った方がいいんだろうか……?」
「いくら発火能力者だからと言って、火に油を注いでどうするんだ」
「俺もそんな未来しか見えねぇんだよなぁ……」
はぁ、と東城はまた深いため息をつく。やらねばならないことが山積みで、一向に片づく気配もないのだ。ストレスばかりが溜まって、疲労感が肩にのしかかるのも当然だ。
「……元々、今回の件で悪いのは柊の方だろう? 七瀬の言い分は私にだって分かる」
「まぁ、な。わざとじゃないにしたって、柊のあの反応は駄目だ。七瀬が代わりにキレてなかったら、俺の心は欠けてたかもしれない」
「なら――」
「でもな。七瀬がずっとキレてる理由は、たぶん、そこじゃねぇんだよ」
東城は、そう笑って答えていた。
「……意味が分からないぞ?」
「ん、そうか? 簡単な話だぞ。――七瀬は、結構ドライな人間だぜ。他の能力者を救う為に俺を殺そうだなんて、本気でやろうとしたんだから」
人一人の命と、残された千七百の自由。
それを本当に天秤にかけて、傾いだ千七百を護ろうとしたのだ。あくまで合理的に、決して揺らがぬ決意と共に。
「あいつはさ、優しくていいやつだけど、どこか冷たいんだ。大事なものを簡単に切り捨てられる、そんな危うさがある。それが自分の善悪の観念であろうと、良心であろうとだ」
「……だから、柊とも喧嘩をしたんだろう?」
「いいや。もし本当にあいつが柊を嫌っていて、本当に二度と関わり合いたくないと思ったのなら、頬を叩いたりしねぇんだ」
もしそうだったなら、きっと無言で彼女はあの場を去ったに違いない。
初めから『柊美里』という友人を得てなどいなかったかのように、そんな風に振る舞うはずなのだ。
「そのあいつが、そういう道を選んだ。つまりは、そういうことだよ」
「良く分からないんだが……?」
首を傾げる美桜に、しかし東城はその頭をぐしゃぐしゃと掻くだけでそれ以上は言わなかった。
柊や七瀬が彼を信頼しているように。
東城もまた、彼女たちを信じているという、ただそれだけの話だったから。