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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第7部 オーシャン・ラビリンス
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第2章 漣の中 -3-


「……何やら、わたくしの与り知らぬところで、大輝様がイチャついている気配がしますわ」


「へ?」


 何を言っているのか分からないであろうセーラー服の少女は首を傾げるが、七瀬の方に説明する気はない。――したところで、「そんなの分かるわけがないです」と女の堪は一蹴されそうな気はするが。


 いま七瀬の目の前にいるのは、先程助けた少女だ。セーラー服に身を包み、活発そうなショートカットが似合う中学生らしい見た目は、今この場所では少し浮いて見える。


 ここは、七瀬もよく利用する第0階層の落ち着いた喫茶店だ。東城が西條を連れて、彼女に関する説明の場を設けたのもここだ。

 中学生の彼女にして見れば、喫茶店などはなかなか足を踏み入れたことがないのだろう。どうだ、と誇らしげな顔をして案内するものだから、七瀬は黙って「よさそうな店ですわね」とだけ言って入った。


「それで、貴女のお名前は?」


「はい! 夕凪(ゆうなぎ)聖です!」


 返ってきた元気に溢れる声を聴きながら、七瀬はコーヒーを一口飲んで頷く。


「改めて、わたくしも自己紹介しておきますわね。七瀬七海です」


 改めて名を告げると、「七瀬、七海……。素晴らしいお名前です」と何故か名前だけで満足そうな笑みを浮かべている。


「……それで、話とは? ――まぁ、訊くまでもなく助けてほしいとか、そういう類のものだとは思いますが」


「お姉さまは精神感応能力者(テレパス)ですか!?」


「波涛ノ監視者だと申したでしょう。液体操作能力者に決まっているではありませんか」


 呆れたようにため息をつき、七瀬は会話を彼女に任せるのをやめ、淡々と進行していく。


「少し考えれば、貴女の頼みくらいは予想がつきますわ。――それより、貴女が襲われていた理由について聞かせていただけますか。貴女の力になるかどうかは、その後決めましょう」


「はい!」


 元気な返事で、夕凪聖は言う。もう先ほどのように七瀬が助けてくれるのを確信しているようだ。


「……ここで助けるのはわたくしらしくないような気もしますが……」


 七瀬の原動力の大半は、東城大輝の為だ。

 見過ごすということの罪の重さは、十分に理解している。だが七瀬の場合、東城のように誰彼かまわず助けるだけの奉仕精神はない。


 彼のその主義は、見捨てるものを極限まで減らすことで、見捨ててしまった、見捨てなければならなかったものの価値を引き上げようというものだ。その境遇にない七瀬には、いくら東城に憧れようとそんな真似は出来ない。


「まぁ、善処するとしましょう。――では、話を」


「はい。――えっと、ですね。最近の地下都市で、聖くらいの年齢の女の子が襲われる、という話を聞いたことはありませんか?」


「……そのようなことが?」


「襲われる、と言っても取り囲んで『お前は黒羽根美桜か』と、半ば脅すように問い質されるだけですが、稀に殴られてそうになった子もいるようなんです」


 その説明に、七瀬は一瞬目を剥いた。


 黒羽根美桜。

 それは超能力研究開発の所長、黒羽根大輔の娘であり、世界ノ支配者ザ・ワールドの名を冠する超能力者の一人だ。


 そして、彼女は一つの罪を犯している。

 ほんのひと月ほど前、彼女は東城が父親の記憶を奪ったことを知り、そして復讐に出た。そのとき黒羽根美桜は、地下都市で犯罪に手を染めた能力者たちが入れられる収容所を破壊し、犯罪者を解き放った。

 そして、地下都市全土を巻き込んだ暴動へと発展させた。

 東城大輝が作った地下都市そのものを破壊することで、彼のしてきたことを、ひいては存在全てを否定しようとしたのだ。


 もちろん、それは東城の手によって阻止された。

 だがそれでも完全ではなかった。既に破壊されてしまったものを直すのには、能力を使ってもそれなりの労力が必要となる。爪痕は、どこかに確かに残っている。


「あのときの暴動の終結に不満のある人たちが、自分たちの手で制裁を加えようと躍起になってるみたいなんです」


 だから、夕凪聖のような少女が囲まれるようなことが多発している。

 能力者の名前や能力などの大抵の個人情報は、元研究所の施設に残されたままになったコンピュータからデータベースを見れば、すぐに調べられる。

 黒羽根大輔の実の娘ということで、写真などの細かな情報はそもそも記載されていないだろうが、それでも能力と名前、そして性別と年齢くらいはすぐに判明する。

 十三歳程度の見た目の女の子を片っ端から声をかけ、草の根を分けてでも探し出そうとしているのだろう。


「……実際の黒羽根美桜は、そもそも十三歳程度には見えないのですが……」


 なんと無駄なことを、と七瀬はため息をつく。実際の彼女はゴスロリの服に身を包み、ほとんど等身大の精巧な人形のような見た目だ。外見的な年の頃は、どう見積もっても小学校中学年である。


「黒羽根美桜を知っているのですか!?」


 夕凪は、食いつくように声を荒げる。

 だが、七瀬は首を横に振る、


「知っていますが、教えはしませんわ」


 きっぱりと、七瀬はそう断る。実際に彼女のせいで被害を被っている夕凪聖に対してでも、決して取り繕おうとはしなかった。


「黒羽根美桜を差し出せば、なるほどいま地下都市で起きている事態は収束しますわ。でも、それに意味はないでしょう? 十三歳の子供一人をリンチすることを、償いだと言って胸を張って是としてしまうようなことは、許されませんもの」


 その言葉に、夕凪は何も言えなくなっていた。

 彼女からしてみれば、黒羽根美桜のとばっちりを喰らって平穏を奪われている今の状況は、耐えがたいものだろう。だがそれでも、「自業自得だ」と言って情報を要求するような非常識さは持ち合わせていないようだ。


「それに、あの方は大輝様がお守りすると誓った相手の一人です。なら、わたくしもお守りするのが筋と言うものでしょう」


「でも……っ」


「諸悪の根源が黒羽根美桜という訳ではないのですわ。その原因は大輝様が、更にその原因は所長が。どれほど辿っていけば根に辿り着くのかは分かりませんが、少なくとも黒羽根美桜一人を罰して終わりにしていい問題ではないでしょう」


 その言葉だけで、納得してもらえるとは思っていない。美桜だけに全てを押し付ける訳にはいかないのも事実だ。しかし、誰が悪く、誰が罰せられるべきなのか。それを判断する為の機関が、地下都市にはまだない。

 その客観性がないからこそ、夕凪もまた素直に頷けないのだろう。


「……お姉さまがそう言うのなら、聖は納得します」


「賢明ですわね」


「でも、それじゃあ、今の流れを止められないのも事実です」


 夕凪の言葉に、七瀬は本日何度目かも分からないため息をつく。しかしそれは、さっきまでの呆れから来るものではない。夕凪の意見に賛同し、面倒になったという心労から来るものだ。


 今回狙われているのは、夕凪聖ではなく『十三歳程度に見える少女全員』だ。たとえ夕凪一人が黒羽根美桜を諦めたとしても、これからもさっきのように多数で囲んで脅すような真似は増えていくだろう。

 次第にそれはエスカレートしていくに違いない。やがては暴力も出てくるだろうし、そのうち、無関係に暴力が地下都市で横行する可能性だってある。

 それは、絶対に阻止しなければならない。


「……仕方ありませんわね」


 そう言って、七瀬は立ち上がる。

 こんな真似をするのは自分らしくない、とは分かっている。

 損な役回りでも、東城の為なら七瀬はそれを選ぶ。だが、今回に限って言えば東城の為ですらない。

 東城ならばきっと一も二もなく救おうとするだろうが、七瀬は違う。いくら彼に憧れていても、七瀬はそこまでお人好しではない。


 ――だが。

 同時に、七瀬は知ってしまっている。

 見過ごすということの罪の重さを。胸を、心を押し潰すような、途方もない罪悪感を。

 一度も見過ごすということをしない東城とは違って、七瀬は身を以ってそれを理解してしまっているのだ。だからこそ、それは絶対に許容できない。


「自警団には、既に連絡を?」


「しています。けど、パトロールを強化するのに手一杯で、解決案を出すことには手が回らないって言われました」


「……でしょうね」


 七瀬は顎に手を当てて考える。

 自警団に所属しているのは、落合雄大、三田芽依、日高晃、榊連、宝仙陽菜の五人だけだ。本来ならもっと人数が必要だが、それが逆恨みでも恨みを買う仕事である上に、能力者同士の喧嘩の仲裁が主な仕事だ。必然、それが出来るだけの能力者でなければ新たに雇うこともないだろう。

 そもそも、彼らの行為は未だ公共事業扱いでない為、一銭も得られないただのボランティアのようなものだ。志望者自体がいない、という実態もある。

 たった五人では、交代で見回るだけでもなかなかに難しいだろう。そんな中で、黒羽根美桜を差し出す以外の方法で今のこの流れを断ち切る方法を模索するのは至難の業だ。


「……やっぱり、聖は諦めるしかないのでしょうか」


「……、」


「きっとそのうち、あんなに囲まれて殴られるんです。そしていつか、乱暴されるに違いないです。ほら、聖、それなりに可愛いから」


「思ってもない被害妄想でわたくしの同情を煽るのは止めなさいな。あと自画自賛をするのも止めなさい。正直いらっとしました」


 口ではそう言うが、七瀬は言うほど、夕凪を邪険にしてはいない。

 少なくとも一人で街を歩いていたときに比べて、いら立ちは幾分かましになっている。嫌悪の感情を保ち続ける為の思考が途切れているせいだ。

 少なくとも彼女に協力している間は、柊のことを考えずに済む。ならば、もう少しくらいは手伝っていても良いだろう。


「……ちゃんと、貴女の問題は解決いたしますわよ」


 呆れたような疲れたようなため息をついて、七瀬は伝票を持って足早にレジへ向かった。


「――え? で、でも、どうやって!?」


「貴女が助けろと言ったのに、何故驚いているのですか……」


 夕凪の分も会計を済ませてしまい、七瀬はさっさと店を出る。その後を、夕凪は慌てたように追いかけている。


「だ、だって! 黒羽根美桜に不満を抱いているのは一人じゃないんですよ! 片っ端から説得していくにしても時間が――」


「そんな面倒臭い方法を、わたくしが選ぶはずがないでしょう」


 七瀬は適当にそう言うが、明確な解決策がある訳ではない。


「まずは目的の設定と現状の把握。最優先はそれだけですわ」


「え? そんなのもう分かって――」


「あら。分かっていないから、言っているのでしょう」


 七瀬はきっぱりとそう言った。


「そもそも『黒羽根美桜は十三歳程度の女子』という情報は、誰がもたらしたものですか? いま街で恐喝まがいのことをしている連中全員が、わざわざ第3階層に降りて情報を閲覧していたと? だとしたら、どこかで有名ラーメン店くらいの行列があそこには出来ていなければおかしいですけれど」


 あ、と夕凪は呟く。

 第3階層にそれほどの人が集まったという話は聞いたことがない。つまり、その情報は黒羽根美桜を躍起になって探している連中が、どこかで共有したものだということだ。

 そして、それは。


「どこかに、首謀者がいます。単数にしろ複数にしろ、不安や不満を焚きつけて、こうして黒羽根美桜本人を炙り出そうとしている誰かが」


 だから七瀬はまずは正確に現状を知り、『誰を説得すれば現状は終結するか』を明確にしようと言っている。――その説得が、力ずくになる可能性はあるが。


「そ、そんなすぐに分かるなんて流石はお姉さまです!」


 尊敬の眼差しで見つめる夕凪に、七瀬は冷たい視線で返す。


「そのお姉さまというの、止めませんか? それにこれはただの経験則ですわ。往々にして、一度出来た流れと言うものには始点があるだけ。――ですから、まずはその始点とやらを探しに行きましょう」


 七瀬の言葉に、夕凪は「はい!」と力強く頷くのだった。



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