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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第7部 オーシャン・ラビリンス
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第2章 漣の中 -2-


 東城大輝は、月曜日にもかかわらず学校には来ていなかった。

 彼がいる場所は、オッサンの経営する病院だ。


「……まさか精密検査で学校を休まされるとは……」


 ぺたぺたとリノリウムの廊下を歩きながら、東城は後頭部をかく。

 今まで何度か学校をサボったことはある。だが、それはいずれも能力関係で誰かを助ける為だった。

 こうして健康で、今のところは平和な状況で学校に行かないというのは、いささか罪悪感のようなものを感じざるを得ない。


「まぁ、オッサンがそうしろって言ってる訳だし、仕方ないか」


 今回の精密検査も、東城としてはそんな急にする必要を感じていなかったが、あの温厚なオッサンが珍しく低い声で脅すように「受けなさい」と言うので、こくこくと頷くしかなかった。


 とは言え、そんな精密検査も午前八時からの三時間ほどでほとんど終了している。朝なら病院が忙しくなる前に終わらせられるから、とオッサンが少々の無茶をしてくれたからだ。

 午後からでも登校すればいいのだろうが、すでに全休の予定で連絡をしてしまっている。今更登校するのも、いろいろ面倒そうだ。特に白川辺りがうるさいだろう。


 手ぶらで来た東城はこのあとどうするかと考えながら、エントランスを抜けていく。


 そんな中だった。

 東城の視界の端に、金色の何かが映った。


「……ん?」


 見れば、エントランスにデザインからか耐震からか、いくつか設置されている巨大な円筒状の柱の向こうに、何かがさらさらと垂れている。


 それは、まるで絹糸のように美しい人の髪だ。

 それは振り返るように揺れては、ガラスのような瞳がわずかにこちらを見て、すぐさま引っ込む。そんなことを繰り返していた。


「……何してんの、柊」


 ひょいと東城が覗き込むとビクッと体を大きく震わせて、金色の髪の少女――柊美里は東城から遠ざかった。


「ちょっと、アンタがそろそろ帰るって言うから、挨拶しようと思っただけなんだけど」


 柊はそれを言うだけ言って、そのまま背を向け、まるで声をかけられたこと自体がなかったかのようにその場に佇んでいる。挨拶をしに来たと言う割には、様子がおかしい。


「……え、どうした?」


 返事はない。

 その無言の様子は、この上なく居心地が悪かった。


「俺、お前を怒らせるようなことした?」


「違う!」


 そう問うた瞬間、噛みつくように柊は振り返った。そして目を合わせてしまったことに気付いたか、さっと視線を逸らす。

 そして、ぽつりとこぼすように柊は言う。


「怒らせるようなことをしたのは、私の方だから……。だから、何て言ったらいいのかわかんなくて……」


「……別に気にしちゃいねぇよ」


 その言葉で、東城は彼女が何を言っているのかを理解した。

 それは、昨日のこと。彼女は自身の記憶が消去されているかもしれないという事実に対し、笑みを浮かべてしまったことだ。

 一年以上前の記憶の全てを失ってしまった東城の記憶を、取り戻せるかもしれないと思ったのだ。そしてそれは同時に、現在の東城大輝という存在の否定に他ならない。


 彼女に悪気があったわけではない。直接そんな言葉を言えば問題だが、彼女のそれはほんの一瞬、他者への気遣いなどが頭によぎるより先に感情が漏れてしまったに過ぎない。

 声に出すならいざ知らず、誰にも人の思考について文句を言う権利はない。


「たぶん、俺がお前の立場でも、自分の気持ちは隠せなかっただろ。お前にとっては、それだけ昔の東城大輝(おれ)との思い出が大きなものだってだけだ」


「でも……」


「全部、分かってんだ。そんなもん、お前と初めて会ったときから」


 当然だが、今の東城大輝が初めて柊と会ったとき、彼女は彼のことを知っていて、東城は何も知らなかった。

 その事実は、理解していたとしても、柊を酷く傷つけていただろう。

 だから、東城は彼女の傍から離れようとした。取り戻した能力のことを忘れ、何もない、ただの高校生になろうとした。

 けれどそれは出来ないと知った。そんなことは、東城のしたいことではなかったから。


 だから、彼は選んだのだ。


 たとえ自分の存在自体が柊をひどく傷つけることになろうと、それでも、自分は彼女の傍にいたいと。

 ひどく自分勝手なエゴの塊だ。それでも、それだけは譲れない東城の根幹でもある。


 故に昨日の柊の反応は当然だ。それすら受け入れる覚悟を決めて、東城はこうして彼女の傍にいる。


「だから、お前が気にすることじゃねぇ」


「……それでも、やっぱり、私は大輝に合わせる顔がない」


 そう言って柊はくるりと背を向けた。割と彼女は頑固だし、曲がったことは嫌いな質だ。こういうことを思うのも、仕方がないだろう。


 はぁ、と東城はため息をついて、柊の肩をポンポンと叩く。

 少しだけ振り向こうとした彼女の頬に、東城の伸ばした人差し指が刺さる。

 ぷに、と柔らかい感触だった。それと同時、柊がイラッとしたのか眉間にしわが寄ったのが分かった。


「……どういうつもり?」


「無視される方が俺としては何十倍も傷つくので、せめていつも通りぷんすか怒っといてくれねぇかなぁ、と」


 素直に東城が言うと、柊はすぐにそっぽを向いた。


「私、そんなに普段から怒ってないし」


「……冷静に考えてみようか」


 東城が思い返す限り、柊が怒っていなかった日など心当たりがない。一般的に考えて危険動物と同じ扱いを受けたっておかしくない。


「だから、怒ってないし。――ちょっとしか」


「自覚でてきちゃってんじゃねぇかよ……」


 あっさり認めつつある彼女の頬が、少し赤くなる。照れたり恥ずかしがったりするくらいなら人を殴らなければいいのに、とは思っても東城は口にしないだけの知恵はある。


「……何か失礼なこと考えたでしょ?」


「ソンナコトナイデスヨ」


 見透かしたようにじとっと睨む柊に、東城は片言の言葉でどうにか否定する。


「まぁいいけど……。とりあえず、しばらく私は反省したい訳。じゃないと、七海や真雪さんたちだけじゃなくて、たぶん私も、自分を許せない」


「……だから、そう真剣に考えんなっての」


 そう言って東城は柊のほっぺたを両手でつまんで、ぐにーっと無理やり笑顔を作らせた。

 流石に綺麗に整った顔だけあってこんな風にしてもまだ可愛いというのは、そこらの女子が見れば嫉妬しそうなものだが、東城としてはくすりと笑ってしまうだけだ。


「……いひゃい」


 唐突なことにされるがままの柊は、短くそう抗議する。東城はぱっと手を放し、柊に笑みを向ける。


「反省したいなら好きにすればいいけど。――それ、お前の中ですぐに結論出るのかよ」


 唐突に、しかし自身さえも気付いていなかったような核を射抜く言葉に、柊はただ驚いて目を見開いていた。

 だが、それは東城からすれば当然の言葉だ。

 彼と彼女は、とてもよく似ている。


 つまり、柊も同じなのだ。

 かつての東城大輝(かれ)と、今の東城大輝(かれ)。二人ともが大切で、どちらを選べばいいか分からなくて。どんな行動をしても、どちらかを傷つける未来しかない。酷く苦しい泥沼の中で、彼女なりに必死に足掻こうとするけれど、たったそれだけでも周囲を無用に傷つけてしまう。


 それは、東城が七瀬や柊に対して取っている態度と瓜二つだ。

 だから東城には、手に取るように柊の考えていることが分かる。分かってしまう。


「結論なんか出る訳がねぇんだよ。っていうか、そんなあっさり出されてたまるか」


 どちらを選ぶにしたって、あまりに短絡的に出された結論に東城は納得できないだろう。――それは、彼女たちが東城に求めているものと同義だ。


「だから、諦めて笑ってればいいんだよ。図々しく、図太く、無神経に。絶対に相手を傷つけないように過ごすだなんて、始めっから出来る訳がないんだから」


 生きているだけで、人間は誰かを傷つける。選ぶことで人を傷つけ、選ばないことでも悲しませる。どっちを選んでも八方ふさがりで、正解なんてどこにもない。


 でも。

 それでも人は、選ばなければいけない。『それを選ばない』という道さえ、選んで進まなければいけない。


「……大輝は、私に笑っていて欲しい訳?」


「……怒られたいように見えてた?」


「そういうごまかし要らないから」


 あっさりと見抜かれてしまった東城は、今度は自分の番だとばかりに顔を背ける。だが、それを追いかけるように柊の顔が回りこんでくる。


「私の笑顔がないと生きていけないと?」


「そこまでは言ってねぇだろ……。ただ、まぁ、なんだ。笑ってる顔の方が、好き、だな。そっぽ向かれるよりは、ずっと」


「ふーん」


 出来る限りはぐらかして答えたのだが、それでも満足だったらしく、柊はにやにやと満足そうな笑みを浮かべていた。


「まぁ、そこまで言うんならこれからは笑顔を心がけようかな」


「ぜひそうしてくれ。そんで放電はやめてくれ」


「……アンタの中で今までの私がどう映っていたのか、小一時間ほど問い質したいのだけど」


「俺を問い質さなくても、自分の胸に手を当てればいいんじゃねぇの?」


 そう言い返すと柊が顎に指を当て、何か考え込むような仕草をする。やがて、うん、と一人納得したように頷いて導き出した結果を告げる。


「…………思い返してみたんだけど、大概はアンタの態度が原因だと思うわ」


「さいで……」


 もうそれでいいや、と半ば東城は投げやりに言う。

 実際、過去がどうだったかなど、東城は気にしない。それは狭い意味でも、広い意味でも。

 彼が求めるのは、常に未来だけ。


 きっと、それは。

 かつての東城大輝と今の東城大輝が、唯一同じくする根源の感情なのだろう。


「それに、私はアンタから貰ってばっかりで何も返せてないし。たまには、大輝の好きな私になってみるのも良いかな、ってね」


「……何かあげたか?」


 はて、と首を傾げる東城に、柊はくすりと笑って、胸元に手を当てる。

 そこには、銀色のネックレスがあった。

 純銀の細やかな細工の施された、リングデザインのものだ。良く見ればところどころ細かな傷が付いているが、激しい戦闘もする彼女が、肌身離さずそれを身に着けている証だろう。

 それは、数ヶ月前の東城が買ったものだ。


「あぁ。確かにそのネックレスは買ったな。――俺自身すっかり忘れてたし、そんなに大事にしてくれてるとは思わなかったけど」


「昔も今もひっくるめて、アンタが私にくれた初めてのプレゼントだしね。そりゃ、少しは大事にするわよ」


 そう言って輝くような笑みを向けられてしまえば、もう東城は満足だった。

 ちっぽけなプレゼントだったと思う。何かの思い出の品と言うほどでもないし、何かの記念でもない。ただ売っていて、欲しそうだったから、買ってプレゼントしてみた。

 それ以上の意味はないのに、そこに、意味を見い出したくなってしまう。

 それはとても特別なものであってほしいと、東城は心のどこかで思っていた。その原因が何かは、未だ掴めないままに。


「それにまぁ、貰ったのはこれだけじゃないけどね」


「ん? 初めてって言ったばかりじゃねぇかよ。それ以外に何か上げた覚えはねぇぞ?」


「ばーか」


 ぺろっと舌を出し、柊は悪態をつく。それはどこか小悪魔的で、どきりとさせられる。

 悪口を言われたはずだが、それはどこか心地良くて。

 柊が意識を失った原因だとか、自分たちの複雑な関係だとか、そういう苦しくて煩わしいものを、ほんの一瞬だけでも忘れることが出来た。



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