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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第7部 オーシャン・ラビリンス
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第1章 決別の水面 -5-


 病室の傍にあった自販機の並んだちょっとした休憩スペースに、東城たちはいた。

 神戸はこんな空気にしてしまった遠因が自分だとでも思っているのか、申し訳なさそうに早々に立ち去っていた。とは言え、誰も神戸のせいだとは思っていないが。


「……止めなくて、よかったのかしら?」


 重苦しい空気の中、西條が不安げに問いかける。しかし、東城は首を横に振った。


「七瀬なら大丈夫だよ。あいつは冷静に見えて激情家ではあるけれど、俺がしてほしくないことをするような奴じゃない」


 あのときの七瀬の怒りを見てなお、東城はそう結論付けられる。たとえどれほど怒り狂っていようと、そこに筋がない限り、彼女は東城に対する裏切り行為はしない。


「つまり、あの場で頬を殴るのは東城が望んだことだと?」


 美桜が怪訝そうな顔を向ける。


「嫌なこと言うなよ。――ただ、七瀬を責める気にはなれないけどな」


 もちろん、東城自身に柊に対し怒りはない。

 元々そうだと分かった上で、東城は柊の傍にいるのだ。彼女が東城にかつての東城を重ねていることなど百も承知だ。今さらそこに怒るのは筋違いと言うものだろう。

 しかし、それでも割り切れない思いはある。今回はそれを、代わりに七瀬が吐き出してくれただけだ。


「俺には七瀬も柊も責める資格なんてないんだよ」


 東城にはどちらの感情も分かってしまう。

 そして、その原因は自分にある。

 それでどうして、どちらかを非難できるだろうか。


 胸が、締め付けられるように苦しい。罪悪感だけではない、決して言い表せない感情に東城はただ耐えるしかなかった。


「……大輝くんが悪い訳じゃあないでしょう?」


「と言うより、私からすれば今回は完全に柊が悪い。擁護したくなる気持ちも分かるが、あれでは七瀬の方が正しいぞ」


「どっちも分かってる。だから流石に、あの場に残る気にはなれなかった」


 柊が笑みを浮かべた瞬間、東城は確かに何かを感じた。その感情の正しい名前を知らないけれど、それでも決して、いいものではない。

 七瀬が柊を糾弾すると分かっていて、それでも止めなかったのは、自分のその感情をどうにかして片付けたかったからなのかもしれない。


「でも、そんなことで悩んでる場合じゃないだろ。今は、柊が意識を失って、記憶も奪われた原因を探る方が先決だ」


 そう言ったときの東城の顔は、西條たちにはどう映ったのだろう。

 一瞬だけ辛そうに顔を歪め、しかしすぐに立て直し、西條は茶化すように口を開く。


「……まぁ、大輝君が八方美人な態度を取っているからこうなるのかしらね」


「何でそうなる」


 重い空気は取り除かれ、次第に気圧は元に戻る。

 疲れたような笑みと共に、東城は西條にため息をつく。


「……東城よ。お前まさか、モテている自覚がないのか?」


 そんな中、美桜が信じられなさそうに少し白けた視線を東城に送っていた。


「むやみやたらに傷だらけになって誰かを護ろうとすれば、それだけで人の心を掴んじゃうこともあるのよ?」


「だからって、放っておけってのもおかしな話だろ……」


「放っておくんじゃなくて、いつかちゃんと清算しておかないと駄目よ、って話なんだけど。そのうち背中を刺されるわよ?」


 確かに、西條の言うことももっともだろう。誰かを助ける度に好かれていれば、ただでさえやきもちを焼きやすい柊や七瀬がいよいよ本格的に怒る可能性もないとは言えない。


「……いやでも、そんなにモテてなくねぇか?」


「おい東城。その発言はおそらく全男性を敵に回すぞ」


 確かに、主に白川辺りが東城の今の境遇を知れば「お前がモテるから俺に出会いが回って来ぉへんのじゃ! 死に晒せぇ!」とでも言って喉仏に手刀でも叩きこもうとするだろう。


「だからそれは客観的な話でさ。当人はたぶん、そうじゃないじゃねぇの。――ほら、俺の女装のときでクラスの女子は騒いでたけど、あれは俺が恋愛的に好かれているからっていうのとはベクトルが違うだろ?」


 たとえば浦田ナースもその一人――だと東城は思う。そして永井先生だったりオッサンだったりが東城を見守ってくれているのや、神戸が慕ってくれるのも似たような方向だ。


「でも、明らかに好かれてる場合があるでしょう? 今の美桜ちゃんみたいに」


「……すごく失礼なことを言うけど。だいたいの場合、俺が抱かれてるのは恋愛感情じゃなくて親愛の情だと思ってんだよ」


「……ほう」


 一瞬、美桜の――そして何故か西條のも――視線が冷えた気がしたが、怯まずに先を続けた。


「宝仙のそれだって、本人は否定してるけど、やっぱり宝仙陽輝と俺が似てるからっていう要因は大きいはずだ。真雪姉は姉なんだから恋愛感情じゃなくて当たり前。美桜の場合は、俺が美桜に臆さず触れられる男っていうのが、あの所長とどこか重なってるからじゃねぇのか?」


 冷静な分析に、しかし美桜は「違う」とは反論しなかった。

 全ての要因がそこであるとまでは言わないが、一片たりともそんな要素がなかったかと言われれば、口をつぐむしかない。


 ただむすっと不機嫌そうに膨れるので、東城は彼女を傍に寄せ、頭に手を置いてそれなりに彼女の機嫌を取っておく。親と子供のようにも見えるが、こんな行為でも少しだけは機嫌を直してくれたのか、美桜はぽすっと東城の胸に頭の後ろを預けてきた。


「それに、そうじゃねぇと、神戸だって俺が好きだって話になんぞ」


「……び、BLという展開も……?」


「真雪姉。腐るんじゃねぇ」


 ぐふふ、とわざとらしく笑う西條にイラッとした東城は、彼女の能力以上に冷ややかな視線を向ける。


「それで」


 そんな風に一通りふざけながら、西條は刺すように言う。


「その理論だと、美里ちゃんと七海ちゃんはどうなるのかしら?」


 虚を突かれた東城はごまかすことも出来ず、面を喰らって、こぼすように答える。


「……聞くなよ」


 言うまでもなく、この二人にはそんな逃げなど通用しない。

 彼女たちが東城を恋愛的な意味で好いてくれているのは、自惚れでなくとも理解している。だが、東城には簡単に二人の想いに答えられない理由がある。


「それは、美里ちゃんが好きなのは今の自分なのか、過去の自分なのか分からないとか、そういうこと?」


「それもある」


 東城大輝は、去年の夏以前の記憶を失くしている。それはつまり、それ以前の自分と、今の自分とは根本からして異なっているかもしれないということだ。


 柊が今の自分と過去の自分を重ねているのははっきりと分かる。だが、彼女が本当に求めているのはどちらなのだろう。そう思えば、容易に深い関係になれないのも道理だろう。


「それにさ。七瀬が俺に惚れたのは、もう言い逃れのしようもなく俺のせいだ。だったら、それはちゃんと向き合って決めなきゃいけないと思うんだ」


 自分の責任を無視して他人に恋するなど、東城には出来ない。――だが、だからと言って七瀬になびくことも出来ない。それは柊の想いが分からないから、あるいは柊に振り向いてもらえないから。そんな理由で七瀬に流れたも同然だからだ。そんな最低な真似だけは、東城は自分でも許せない。


「ま、色々、悩むところはあるんだよ」


 美桜にこちらの顔を見られないように頭に置いた手で固定しながら、東城は西條には顔を背けたままでいた。


「……つまりは、決めかねてるってこと?」


「まぁそういう面もある。否定は出来ねぇよ」


 東城は素直にそう認めた。それだけで二人に対して無礼な気もするが、仕方がない。体裁を気にして自分の想いに嘘をつく、なんて器用な真似が東城に出来るはずもないのだから。


「でも、美里ちゃんとはキスくらいしたんじゃないの?」


「…………、」


 どこで聞いたのか、西條はずばり言い当てた。

 もう既に四カ月近くも前。残された能力者を救い出す際に、東城は柊にキスをしている。それは紛れもない事実だが、それ以降、全くと言っていいほど彼女との仲は進展していない。――あるいは、その事実さえなかったことにして出会った頃に巻き戻しているようですらある。


「……だからそれもまぁ、七瀬を惚れさせたのと同じくらい、柊に対する責任ってヤツだよ」


「東城よ。責任だけで恋愛感情を片づけるというのもまた、相手に対してこの上なく失礼な話だというのは分かっているか?」


「分かってるよ、年下に説教されなくても。自分でやらかしたせいで、泥沼みたいになってるだけだ。どうやったって誰かには卑劣なことをするだろう。そこら辺は、分かった上でどうにかするよ」


 具体的な解法など、どこにもない。それでも向き合うことを放棄することが、最低の行為であるとだけは分かっている。

 どっちに転んでも、どちらも傷つけてしまうかもしれない。


 そう分かった上で、選ぶ。


 それは七瀬に教えられ、今でも自分の心情を支えている言葉だから。


「じっくり悩むよ。二人に愛想尽かされない内には、何とかする」


 東城のその欠を聞いて納得したか、美桜たちはうんうんと頷いていた。やがて、少し不満そうな声を漏らす。


「……しかしアレだな。親愛の情の一言だけでその土俵に上げてもらえない、というのは些か以上に癪に触るな」


「まったくね」


 自覚した上で、オブラートに包んで言える技量もなかったのだから、美桜が怒るのは東城も分かっていた。多少拗ねられたりしても、それは致し方ないと腹はくくっていた。

 しかし。


「……おい待て、真雪姉。少なくともあんたとだけは親愛の情であるべきだ」


「愛情に血の繋がりなんて関係ないのよ!」


「あんたは絶対にその場その場で面白い方を選んでるだけだろ!」


 どう見たって今の彼女のそれは恋する乙女の瞳ではなく「弟を困らせて喜んでいる」姉のSな瞳だ。

 しかし、その瞳が一瞬だけ、本当に優しい瞳になる。


「まぁそれはともかく、ね。わたしは、ちゃんと大輝くんの味方だから。どんな決断をしても、たとえ二人に見放されても。わたしは傍にいてあげるから。安心して悩みなさい」


「……どうした。急に真雪姉が姉っぽいことを言い出したぞ」


「明日は台風だな」


「そこまでのことかしら!?」


 涙目になる西條を余所に、東城は軽く息を吐く。

 気分は少しだけ軽くなった。


 けれど、何も解決していない。

 柊の身に起きている問題も、東城を取り巻く人間関係も、何一つとして好転してはいない。


 それらを解決する為には、まず動き出さなければいけない。

 だが、動き出せばもう戻れない。


 そのことに僅かな不安と恐怖を覚えながら、東城は小さく拳を握り締めるのだった。



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