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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第1部 アーダー・ティアーズ

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第4章 慟哭の果て -2-

 地下都市第4階層。


 残りの千七百の能力者の居住区層になる予定なのがこの階層だが、未完成の今は鉄骨の骨組みが乱立するだけで空もまともに再現されていない、ただのだだっ広いだけの空間だ。


 そこに柊美里は足を踏み入れた。

 目的は、一つ。


「いるんでしょ、神戸拓海」


 柊の声がこの何も無い空間に空しく響き、反響さえ消えてからさらに数秒後。


 カッターシャツにペールオレンジのニットベストに身を包んだ少年。一見穏やかで真面目そうに見えるが瞳の奥を狂喜でぎらぎらと光らせた、最悪の能力者。

 神戸拓海が闇の奥から、その姿を現す。


「あれー? 昨日の第0階層の一件でここの作業に当たってた能力者も避難して第1階層に帰ったはずだから、ここは見つからないと思ったんだけどなぁ。他の階層と違ってここにはまだ精神感応能力者の監視も無いですし」


「だからよ、瞬間移動能力者全員を問い質してもアンタを外に出した奴は一人もいなかった。だから地下都市の中にまだ潜んでいて、唯一見つからないここにいると踏んだ」


「なるほど。やっぱり内通者を瞬間移動能力者に用意しておけばよかったなぁ」


 ごきごきと、神戸の拳が鳴った。それはつまりいつでも戦えるというサインだ。


「それで殺される覚悟でも出来ましたか? 研究所の指令通り、僕はレベルS二人を殺すつもりなんですけど」


「うるさいわよ」


 柊の声はまるで氷のように酷く冷たかった。レベルSとしての威光などでは決してない。ただの一人の人間としての、単純な怒りだった。


「私は大輝の記憶を取り戻す。その為にはアンタの力が必要なの。だから私はアンタを叩き伏せる」


 さながら雷雲でも纏っているかのように、柊は紫電を撒き散らした。


「そんな事に僕が協力する義理がありますか? 交換条件くらいはあるんですよね」


「あるわけないでしょ。これは取引ではなく命令よ。大輝を治せ。一切の抵抗は認めないし、拒めばアンタの体を少しずつ弾き飛ばす」


「僕はどんな怪我でも一瞬で治してしまいますよ? 脅しにもなってないですね」


 ゆっくりと動こうとした神戸の腕が、柊の放った電撃の衝撃で後ろへ弾かれる。


「そうね。これは取引でも恐喝でもなく、命令であり嘆願よ。とどのつまりは根競べ。逃げる事は許さないし、どちらかが精神的に折れるまで続くわ」


 柊の眼から光が消え、顔からは一切の表情が消えた。ただ冷たくあまりに脆い覚悟だけが、そこに乗っていた。


「そして断言してあげる。私は、絶対に折れない」


 柊自身、東城に酷い事を言ったと分かっているし、その上でこんな事をしている事がどれだけ東城を傷つけているかも理解している。それでも柊は止まらない。


「だから先に僕が折れると? あり得ませんよ。だって僕は、不死身なんだから」


 言い切るや否や、神戸が消えたかと思うほどの速度で疾駆した。彼の軌跡を印すようにコンクリートの表面が砕け宙に舞う。


「放電もコイルガンもリニアも、ここまで近づけば意味ないですよね?」


 仲間であった神戸は当然ながら柊の手の内を全て知っている。格闘よりもさらに近い間合いに入り込み、攻撃する前から触れあうような至近距離で神戸は拳を振るう。

 柊に反応する隙を与えず、ガトリングのように拳を打ち込む。柊が吹き飛ぶまでの僅かな間に、神戸は十を超える打撃を与えていた。


「これで終わったとか、思わないで下さいよ」


 吹き飛ばされる柊の服の袖を掴み投げつける。硬いコンクリートの大地に叩きつけられ、柊の息が詰まる。


「――か……っ!」


「能力の有利不利を補ってこそ戦いだって、波涛ノ監視者との戦いで分かっていたでしょう? 先輩がどれほど速くとも、そんな事は僕に勝っているたった一つの部分でしかない」


「言ったはずよ……。私の心は何があっても、絶対に折れない」


 深いダメージを負っているはずなのに、柊の声は変わらなかった。負けない。ただそれだけしか柊は考えていない。


 鬼神のような瞳で睨む柊から溢れ出る電光が辺りを無作為に破壊する。そこで、ベギン、と重い何かが折れる音がした。


「何の音ですか?」


「放電で鉄筋を引き千切って、磁力で放つ。それだけでアンタの動きの全てを封じられる」


 言葉よりも速く、鋼鉄の塊が神戸に襲い掛かった。反射的に避けようとする神戸だが、そもそも音速かそれすら超えるような速度だ。いくら筋力を操作しても攻撃の先読み無しで人体は対応できない。


 その鋼鉄の槍は神戸の両の手とふくらはぎを貫き、そのままの勢いを保ってコンクリートにまで突き刺さり、神戸を固く冷えた地面に縫い付けた。


「こうすればアンタの能力でも再生しようがない」


 全身に残る鈍い痛みを堪えて立ち上がった柊は、完全に動きを封じられた神戸に放電した腕を近づける。


「大輝を治して」


「だから、これは根競べなんでしょう? この程度で僕が折れるはずが無いじゃないですか」


 二人の視線がしばらくの間交差した。そこにどれだけのやり取りがあったのかは傍目に分からないだろう。だが、確かに何かを柊は感じていた。


「なら宣言通りアンタの心が折れるまで、アンタの体を潰す」


 動きを封じている個所よりも少し離れた末端部分を、落雷で吹き飛ばす。


 壊し、再生すればまた壊す。いたちごっこのように、柊はひたすらにそれを続けた。

 たった五分足らずで肉が焼ける異臭が充満し、返り血が柊の頬を濡らした。


「うわぉ。極悪人の顔してますよ、柊先輩」


「――……やめた。これじゃ埒が明かない」


 柊はあっさりとそう口にして、頬に付いた血を拭って攻撃を止めた。


「どうしたんです? 僕はまだまだ平気ですよ?」


 ごぼっと断面が泡立ったかと思うと、潰され続けた四肢は既に完全に再生していた。恐るべき、そしてあまりに気持ちの悪い再生能力だ。


「合点がいかない。アンタの行動はどう考えても矛盾している」


 柊の顔から作り物の冷たさは消えていた。


「私たちを殺す気なら、今の状況で動きを封じられたままでいる意味が無い。どうせ再生するなら自分の肉体の方を引き千切るなりなんなりすれば、すぐに解放されるんだから」


「だからどうしたんです? すぐに思いつかなかっただけでしょう?」


 神戸の答えに柊は嘆息する。神戸の声の裏に僅かな、しかし確かな焦燥が感じられたからだ。


「私たちと同じ演算能力を持ってるアンタが思いつかないはずが無いんだけど。まぁいいわ。じゃあ訊くけど、アンタ何がしたいの?」


 その問いに、神戸の表情が一瞬だが硬直したように見えた。


「大輝の記憶を消したって事は、少なくとも大輝の頭に触れたって事よね。でもそんな事ができたなら、アンタはその一瞬で頭を吹き飛ばすことだってできたはず。記憶だけを奪い去るなんて芸当をする意味が分からない」


「ただの酔狂ですよ。気にしてたらキリがありませんよ?」


 笑い飛ばそうとする神戸の額に、一筋の汗が流れるのを柊は見た。


 そのまま揺さぶりをかければ神戸の余裕を崩すことに成功するかもしれない、と柊が微かな希望を抱くには十分だった。


「酔狂にしても何にしても、やり方が中途半端すぎるって言ってるのよ。愉悦に浸りたいんなら反撃も無しに、今私の前に這いつくばる理由が無い」


「勝敗が覆る瞬間の人の絶望した顔が見たいから、とかじゃ駄目ですか?」


「だったら第0階層で大輝を目の前で殺せばよかったじゃない。それなのに私たちの誰一人殺さず、どころか一人も重傷者を出さなかった。そこにアンタが愉悦に浸っているように見せかけて、隠している事があるんじゃないの?」


「…………」


 神戸は沈黙で答えた。それはほとんど、肯定に等しいものだ。


「言わなきゃ直接脳に聞くからいいわ。大輝の記憶を取り戻す方法を散々模索したときに、記憶の電気信号の大まかな読み取り程度はできるようになったし」


 言ったものの柊にそんな芸当はできない。つまりただのはったりだ。だが、神戸にはそれを判断する要素が無い。この場で嘘だと断言する事のデメリットの方が大きすぎる。


「そんな真似ができるんですか……。流石はレベルSの霹靂ノ女帝だ」


 神戸は観念したように、深いため息をついた。


「いいですよ。そんなことをしようとして失敗されて、結果的に脳でも壊されたら堪ったもんじゃないですしね。仕方なしに、教えて差し上げますよ」


 神戸が重い口を開いた。ごくり、と思わず柊がつばを飲む。


 柊の戦いはここからだ。どうにかして神戸の真意からさらなる真実を掴み揺さぶりをかけなければ、目的の達成は不可能だ。


「僕の能力名は神ヲ汚ス愚者。『細胞』を生み出して自在に操る能力です。そしてこの能力は、研究所が初めて成功させた超能力者の能力でもあります」


「どういう、こと……?」


 思わず柊は目的を忘れて驚いてしまった。


 神戸の見た目は十二、三歳。対して能力者の研究が成功し生産が加速したのが二十数年前。始めの能力者と呼ぶは明らかに年齢が足りないし、神戸の能力なら若く見せる事も可能だろうが、そこに意味があるとは思えない。


「シミュレーテッドリアリティにアクセスするには遺伝子操作が必要です。でも普通に考えてくださいよ。そんな被験体がそうそういるわけがないじゃないですか」


 当たり前だ。実態の分からない研究所に腹の子供を預ける親などいるわけがない。だが、そこに矛盾がある。


 実際には、九千もの数の能力者が生み出されているのだ。


「そこでようやく成功した研究所は、彼の能力を用い母体を生み出すことによってその問題を解決しました。あぁ、ちなみに直接能力者を生み出さないのは、ただのヒトの機能を持っただけの心の無い人形しか作れないから、らしいですけど」


 精子バンクやらで精子と卵子だけならよっぽど楽に手に入りますしね、と神戸は付け足す。


「しかし母体の生成や操作に尽力させた結果、神ヲ汚ス愚者は過労によって連続使用不能な状況に陥りました。まぁ、当然と言えば当然ですよね。失敗数を考えれば一人で数百数千の母体を操作していた上に、乳幼児の能力者の世話も一任されていた、なんて記録もありますし。だから研究所は彼の能力を用いて、彼自身の体細胞クローンを生み出しました」


 心臓が早鐘のように撃ち続ける。神戸の言わんとしている事が、もう分かってしまった。だがそれはあまりに残酷だ。


「僕、神戸拓海は始まりの超能力者のクローンですよ。神ヲ汚ス愚者と神戸拓海の名称は、彼のクローン全てを指すものですから」


 研究所がやらせた事は、自分の命を複製させるという事だ。過労死寸前の人間に、いずれ過労死させる予定の新しい肉体を作れと、そう命じたのだ。


 ふざけている。狂っている。歪んでいる。


 だがそして、柊の中で一つ繋がった。


「アンタ、まさか――ッ!」


「そう。僕は僕を憎んでいる。僕のせいで研究所はここまで肥大化してしまい、挙句の果てに九千もの不幸な命を生み出してしまったのだから」


 つまり、神戸の望みは初めからただ一つ。愉悦などでは決してない。


 死による贖罪。


 九千もの能力者を生み出してしまった悲劇の責任を、彼は一人で背負おうとしている。

 だが彼にとって、それは容易な事ではない。彼自身が言っていたのだ。


『僕は、不死身だから』


 だから神戸は望む。レベルSという不死の再生能力よりも速く殺せるような、絶対的な強さを持ったもう二人のレベルSを。


「もっとも一年前に東城先輩はそれに気づいてしまって僕を殺す事を拒んでいました。だから僕は彼の記憶を消した。そうすれば何も知らずに、その能力をもってして僕を殺してくれると思ったから」


 だが予想に反して東城はそうしなかった――いや、出来なかった。記憶を奪ってしまった事で、東城は極端に弱体化していたのだ。


「そんな……事が……」


 それ以上は声が出なかった。精神的な揺さぶりをかけるだけのつもりだった彼女は、その壮絶な覚悟を受け止めきれなかった。


「さて、ここで問題です」


 既に主導権は奪われていた。神戸の口調が、狂喜に満ちる。


「心優しい柊先輩は今の話を聞いても、僕を殺す事はできないでしょう。そして僕はそれを分かっていながら真実を告げた。さぁ、これはどういう意味でしょう?」


 最悪の可能性が、柊の脳裏を過る。

 全身から嫌な汗が噴き出し、足が震え出す。


「正解は簡単です。柊先輩は僕を必ず殺してくれる。それだけのコマを、僕は一年も前に用意したんですから」


 神戸の口が三日月形に吊り上がり、おぞましい笑みが向けられる。


 もう耳を塞ぎたい。これ以上聞いては、自分を保てなくなる。

 そう分かっていても、柊にはどうする事もできなかった。その最悪の予想が外れる事に、ほんの一縷の希望を懸けるしかなかった。


 なのに。



「東城先輩の記憶を戻すのは、不可能ですよ」



 頭を金槌で殴られたかのような感覚がして、柊はふらりとよろけた。自分がどれほど情けない顔をしているのか、想像もつかない。

 それは唯一の希望であり、柊が一年間も神ヲ汚ス愚者を追い続けた理由だ。東城を失ってもなお戦い続けた最後の柱が、周囲の瓦礫のように崩れていく。


「僕は東城先輩の記憶を消しました。具体的には、過去の記憶を想起できないように、しかし新しい記憶は通常通り想起できるように緻密に脳の回路を作り変えたんですよ」


 神戸の言葉が耳に入らない。なのに、意味だけが明確に脳に刻まれる。


「けれどそんな歪な状態じゃ当然体は拒絶する。だから今の先輩の脳は、歪な状態を平常として受け入れられるように、ほんの僅かではありますが自ら作り変えてしまっています」


 がくがくと柊は全身が震えるのを感じた。今まで生きて来た全ての意味が失われていくような気さえした。


「だからどう足掻こうと僕には元に戻す事は不可能です。先輩が作り変えてしまった部分は僕に把握できない。無理に手を出せば能力や性格を破壊して、ただの廃人にしてしまいますよ」


 最後に、逃げられないように神戸は現実を突きつける。


「東城先輩の記憶は、僕でも治せない」


「う、そ……」


 つぅっと、涙が頬を伝う。それを嘘だと断じる証拠も神戸に頼らずに東城を治す案も幾つも頭に浮かぶが、それらは到底現実的ではなくて、すぐに泡のように消えていく。


「嘘じゃないです。東城先輩は絶対に、もう二度と元には戻らない。彼はもう死んだんです」


 戻らない。大輝は死んだ。


 目の前にあの少年が立ち、微笑みかけながら護ってくれるような事は、もうあり得ない。


 自分を幾度となく助けてくれたのに。

 自分がここまで強くなったのは、あの少年を助け返す為なのに。


「ぁ……っ!」


 その少年は助からない。

 その少年はもう居ない。


 一年も前に死んでいたと、ただそれだけの話。


「ぅ、ぁ―――――――――――――――ッッァァ!!」


 声にならない絶叫が、鉄骨で囲まれた歪な灰色の空間に轟く。


 一切の手加減を忘れた青白い閃光を全身からまき散らし、それを一つに収束する。


 壊れてしまえばいい。大輝が戻って来ないのなら、もう何がどうなろうと関係ない。たとえこの余波で自分の体が弾け飛ぼうとも。


 全てを失いただの暴力と化した蒼白の槍が、神戸を呑み込む。



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