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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第7部 オーシャン・ラビリンス
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第1章 決別の水面 -3-


 それから一夜明けた日曜日のこと。


 柊が入院したことを上手く取り繕いつつ様子を見る為、オッサンは休日返上で働いてくれていた。――と言っても、勝手に休日を仕事に変えてしまうことなど、元から日常茶飯事ではあるのだが。


 そんな昼下がり。

 オッサンから「彼女、たったいま目を覚ましたよ」という連絡を受けた東城は、気付けば街を走っていた。


 既に七瀬や西條には、オッサンを通して連絡を入れてもらった。そもそも東城から連絡しろと言われても、今の心理状態でまともに言葉を伝えられる自信がない。


 相変わらず大勢の人で埋め尽くされそうになっている病院のエントランスを、ギリギリ早歩きとも言えなくもない速度で走り抜け、あらかじめ聞いていた個室へと辿り着いた。

 焦りと渇望からほとんどノックもせずにガラッと勢いよく戸を引いた先には、見知った顔が二人ほどいた。


 一人は、凄絶なほどに美しい金色の髪をした美少女――柊美里だった。顔立ちは整っていてさぞ可憐に見える――はずなのだが、現在その目は羞恥と憤怒に彩られ、阿修羅へ変貌する直前の顔をしている。

 もう一人は、ほとんど家族同然の白衣の医師――オッサンである。いつもは優しげな彼だが、今回ばかりは「あーあ」とでも言いたげに肩をすくめている。


 そして。


 白衣の医者の耳には聴診器があり。

 眼前の少女は服をたくし上げ、夏場の海水浴場よりも肌を露出した状態だ。


 さて。

 血の気が引いていくのを感じた東城は、冷や汗をだらだら流しながら、ほんの数瞬の間、柊と見つめ合う。


 音よりも早く、互いの意志がやり取りされる。


 ――スマン! わざとじゃないんだ!


 ――えぇ。分かってるわ。


 にっこりと柊が笑う。それに僅かに安堵しかけた東城だが、そうは問屋がおろさない。


 ――そんでいっぺん死ね、バカ大輝!!


 全力で土下座へ移行しようとした東城よりも遥か早く、サイドテーブルのようなものの上にあった空の洗面器が東城の顔面にクリーンヒットした。球威もコントロールも、まず間違いなくメジャー級である。

 尻もちを突くように後ろへ吹っ飛んだ東城に、冷ややか声が降る。


「大輝様は阿呆ですか?」


「返す言葉もねぇな……」


 いつのまにか到着していた七瀬が、珍しく蔑むような目で東城を見下ろしているのだった。


     *


「誠に申し訳ございませんでした」


 そんなこんなで。

 東城大輝は、無事診察の終わった柊の座すベッドの真横で、地べたに這いつくばるような深い土下座を披露していた。――これがかの最強の超能力者、燼滅ノ王の姿かと思うと涙が出てきそうだ。


「……アンタ、こういうこと二度目よね? わざと?」


「めっそうもない」


 柊の言う一度目とは、おそらく西條とのことを指しているのだろう。あのときも風呂上がりだとか気にせずに彼女の家に突撃し、似たような状況に陥っている。


「弟くんは学習能力がないのかしら?」


 七瀬に続いて美桜と一緒にやって来た西條も、呆れ果てて深いため息をついている。「こんな子に育てた覚えはないのに……」とか何とか言っているが、東城としても彼女に育てられた覚えはないのだが。


「えっと、真雪姉が忘れろっていうから忘れた結果がこれ、とか思わなくも……」


「……東城よ。そんな言い訳をしたところで、この場も誰も納得しないぞ?」


 いたたまれなくなって適当に言ってみただけなのだが、結局女性陣のしらーっとした視線が完全に針のむしろと化して東城の全身を突き刺している。


「……ごめんなさい」


「――本気で思ってる?」


「もちろんです」


「じゃあまぁ、今度何か奢ってよね。それで手打ちでいいわ」


 それだけ言って、柊はふっと怒気を消した。あまりにあっさりと、だ。


「え? そ、それだけでいいのか……?」


「何よ」


 不機嫌そうな目で、柊は東城を睨む。しかし東城としても、こんな稀有な寛大な処置に戸惑わずにいるのは無理な話だ。


「だ、だって、いつもは軽く人死にが出るレベルの放電をしないと気が収まらないし……」


「私を危険人物扱いするの止めてもらっていい?」


 笑いながらも、柊のこめかみにはくっきりと青筋が浮かんでいた。それを見て一瞬怯える東城だったが、すぐに彼女の頬が少しばかり赤くなっていることに気付く。


「――……だいたい、私の為にそんだけ慌てて駆けつけてくれたんでしょ。ならまぁ、悪い気はしないし……」


「お、おう……」


 どこからともなく漂い始めた甘いムードに、他の面子が心底うざったそうにしていたことは言うまでもない。


 そんな甘ったるい空気を引き締めるように、病室の戸が引かれる。

 全員の視線の先にいるのは、オッサンと神戸だった。


「問題は解決したみたいだね。――では、簡潔に彼女についての報告をしよう」


 そう言って、オッサンがカルテか何かのファイルを広げる。

 唐突に意識を失った為、柊の方は事態を把握していなかった。しかしそれも東城が病室に来る前に、オッサンが事情を説明してくれていた。


「……本当は、本人一人にだけ伝えるものなのだけどね」


「別に私は気にしませんから。というより、後で説明しなければいけないので、まとめてお願いします」


「分かっているよ。――それに、残念ながら、個別に連絡できることもない」


 付け加えられた言葉に、皆がざわつく。

 それを無視して、オッサンは続けた。


「結論を言えば、現段階で、異常は見られない」


 その言葉に、東城たちは驚愕する。


「なんだと……?」


 なぜなら、その結論だけはありえないからだ。

 現に柊は倒れ、二十四時間近く意識を失っていたのだ。まったく異常がない、なんてことは絶対にない。


「……本気で言ってんのか?」


「もちろんまだ精密検査も全部は済んでいないし、一部の結果が出るにはかなり時間がかかる。今後異常が見つかる可能性がないとは言わないよ」


 そう前置きして、オッサンは「しかし」と続けた。


「神戸くんの能力を元にした情報を頼りに推測する限り、どこにも異常はない、という結論になる。こちらの検査結果もおそらくは同じになるだろうね。もし異常があるのなら、彼の能力と僕の知識を照らして発見できない道理はない。つまり、彼女はいたって健康体だよ」


 そこまで言われてしまえば、何も言えなかった。

 彼は間違いなく世界最高峰の医師であり、そして神戸は最高の肉体操作能力者だ。言葉を選ばずに言い換えれば、最高の医師が最高の機材を手にしている状態なのだ。

 それで発見できないものを、ただのMRIや何やで見つけられるとは思えない。


「だから、大輝の心配し過ぎなのよ。ほぼ徹夜で修行して、即座にあれだけハードに戦ったのよ? 単純に、疲労が出ただけでしょ」


「倒れた本人が何を言ってるのかしら……」


 呆れたように西條が言う。実際、柊の楽観視にはオッサンも賛同しなかった。もし過労だと言うのなら、例えばヘモグロビンの濃度なんかを調べればそうであるかどうかは判断できる。


「二十四時間も覚醒しない意識障害となれば、そう簡単に片づけていいことじゃないんだよ。現代医学では分からなくとも、確実にそれは異常事態だろうね」


 あえてオッサンが現代医学、と言った理由を東城はすぐに察した。


「……つまり、能力絡みの可能性が高い、ってことか」


「まだそうだとは断言はできないが、その方向で調べることも必要だろうね。――けれど、医学的な検査や診断に検知されないとなると、物質的なものではない可能性もある。発見は容易ではないだろう」


 その妥当な判断に、全員が肩を落とす。元々は、病気かどうかを区別する為に、オッサンの助力を仰いでいる。そしてその可能性が少ないことも、分かってはいた。

 だが、東城たちにとってみればこの段階で手詰まりだ。

 他に、何をどうやって調べればいいのか皆目見当がつかない。


「……あの、そんだけ暗くなられると、私、死ぬみたいじゃない?」


 茶化すように柊は言うが、しかし空気は変わらない。そして、皆の心を代弁するように七瀬が口を開く。


「その可能性も視野に入れておかなければならないでしょうね」


「……普通、本人を前にしてそんなはっきり言う?」


「あら。わたくしが今まで貴女に気を遣ったことが一度でもありましたか?」


「胸を張って言うんじゃないわよ!」


 ベッドの上から柊が噛みつくが、七瀬は素知らぬ顔だ。こんな状況になっても、彼女たちの犬猿の仲は変わらないらしい。


 一時期、本当に短い間、彼女たちは仲良くなっているように東城には見えたのだが、少なくとも柊が倒れてからはそんな雰囲気を七瀬からは感じなくなっていた。

 二人の間で不和になる何かがあったのかもしれないし、あるいは仲良くなった理由の何かが失われたのかもしれない。そんなことを東城は思うが、しかし、踏み入れられない空気が漂っている。

 二人の様子を眺めるしかない東城は、それ以上の詮索を諦めて話を元へ戻す。


「で、どうする。正直、俺の持てる知識じゃここで手詰まりだ。もし能力だって言うなら、向こうが何かリアクションを起こすまで何も出来ない」


「……でも、後手後手に回ると、最悪、美里ちゃんの命に関わるわよね」


 西條のまっとうな意見も、しかし打開策を提示するものではない。

 いよいよ誰も案が浮かばなくなって頭を抱え始めた頃、ある者が声を出す。


「……仕方ないですね」


 それは、神戸だった。


「彼女の力を借りるしかないでしょう。それで万事解決といくかは分かりませんが、現状最も有力な手のはずです。――とは言え、その彼女が異能力側に貸し出されたっきりになっているアルカナなわけですから、その前に解決すべき問題が多すぎますけど」


「……誰のことだ?」


全知ノ隠者(ハーミット)。レベルAの接触感応能力者で、アルカナの座にいる能力者ですよ。彼女の能力は、触れたものの情報を全て見ることです。それもシミュレーテッドリアリティから直接、ですね。そこから得られる情報は物質的、非物質的を問わず、完全完璧です。医者はもちろん普通の接触感応能力者にすら分からないことまで、彼女なら分かるはずです」


 そんな能力者がどうして貸し出されたのか、と一瞬疑問に思った東城だが、すぐに自分で納得する。

 元々、超能力者は戦争を想定した兵器として生み出されている。接触感応能力者は、おそらく兵器としての有益度合いはかなり下になるだろう。


 一方で、まだ発展途中の異能力の研究にとって、これほど完璧な測定機器もないだろう。何をどう測定すればいいのかも定かではないものを明確な情報として出力できるのであれば、喉から手が出るほど欲したに違いない。


 だからこその貸し出しだ。

 黒羽根大輔は、美桜から能力を消す為に金に飢えていた。異能力者側から多額の資金を提示されれば、売り物としての価値の低い彼女を貸し出すことに躊躇いなどなかったのだろう。


「……その能力の情報は確かか? 連れて来て『分かりません』じゃ話にならねぇぞ?」


林道(りんどう)先輩の能力は僕も知るところです。能力が熟達していて僕の知らないことが出来る可能性はあっても、その逆はないでしょう」


 その言葉に、東城は引っ掛かりを覚える。何も彼の判断を疑っているとか、そういう類ではない。もっと気軽なものだ。


「……今、先輩って言ったか?」


「えぇ」


 神戸は首肯する。

 彼はよく「先輩」という呼称や敬称を用いるが、しかし、いずれも親しい相手に限られる。東城や柊たちは言わずもがなだが、たとえば七瀬がまだ東城を追っていた頃は「七瀬さん」と呼んでいた。

 つまり、その林道とやらと神戸は、今ここにいる面子と同程度には親しい仲にあったということだ。


「知り合いなのか?」


「えぇ、もちろん、そうですね」


 神戸はさらに頷き、「だって」と続け、こうのたまった。



「林道愛弥(まなみ)先輩は、東城先輩の元カノですもん」



 空気が凍る。

 理解が波のように一度引いてから、津波となって押し寄せる。


 やがて。

 ここが病院であることも忘れ、この場にいた神戸以外の全員が目をひん剥いて絶叫する。


「えぇぇぇええええええ!?」



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