第4章 玉座 -4-
座りこんだまま、柊はその戦闘を呆然と眺めつづけていた。
そんな彼女の傍に、一つの影が降りる。
「……ご無事でしたか」
ざり、と地面を踏み締める音がした。
柊の振り向いた先にいたのは、七瀬七海だった。
先程自分を止めようとして戦ったばかりだが、互いに闘争心はもうなかった。ただ、火傷を隠すようにシップ状の絆創膏が頬に張り付いている七瀬の姿には、チクリと罪悪感を残すが。
「アンタが、大輝を呼んだ訳?」
「わたくしを詰りたいのであれば、如何様にでも。ですがそれでも、大輝様を地下都市で燻らせて置く方が、わたくしには不可能な判断でした」
さらりと七瀬は言い切ってしまう。しかし柊にも、その判断を責めることは出来ない。
目の前で繰り広げられている激闘を見てしまえば、どうしようもないのだ。
「……そうね。アンタの判断は、たぶん正しかったわ」
レベルSという立場になって、少しは近づけたかと思った。
たとえ同格ではないにしろ、並び立つ資格くらいは得られたのだと、思っていた。
けれど、違った。
この二人の戦いに僅かでも手を出せば、瞬く間に殺される。それだけ実力差が開き切っているのだ。
「それで、アンタはここに何の用がある訳? 燼滅ノ王クラスの戦闘なんて、こんだけ準備していてもどんな危険があるか分からないのに」
「この眼に納めなければいけないからですわよ。だからこそ、貴女もこの場から離れないのでしょう?」
「……それはちょっと、違うかな」
七瀬はここに東城を送り込んだ責任感から、それを見届けようとしている。だが、柊がこの場から動かない――否、動けないのにはそれとは違う理由があった。
「似てるのよ。あの姿が」
それは、五年前のこと。
ただ一度だけ東城が怒りに身を任せ、本気で他者を排除しようとしたときだった。業火を布のように形成して身に纏い、全てを無力化し、全てを破壊する為だけに顕現した姿。
紅蓮の外套を纏った東城の強さは、圧倒的だとか絶対的だとか、そんな言葉で言い表せやしなかった。
守られていたはずの柊でさえ、恐怖で身が竦んだほどだ。
だがあのときよりも、装飾が過度になっていた。当時はまだ炎の様子を残していたし、そのせいでマントのように羽織るしかなかったようだが、今はもう完全にその制約を超えている。今までのようにただ布の形に押しとどめた訳ではないはずだ。
「それでもあれは、やっぱり大輝だ」
思わず、そう呟いてしまう。
その姿は、何よりも侵しがたい『東城大輝』の象徴のようなものなのだから。
「……それは、かつての大輝様、という意味ですか?」
隣から酷く平坦な声が降ってくる。極低温の、凍えそうな声だった。
「……そうね。昔の大輝によく似てる。そう思ったわ。――記憶がどこかにあるんじゃないかって、期待しちゃうくらいに」
そして柊は、そのまま素直にそう答えた。七瀬七海と言う少女の言葉の本当の意味を、理解できていなかったから。
「……そうですか。記憶が戻るといいですわね、柊美里」
心にもない言葉を言うような、そんな声音に柊は背筋がぞくりと震えた。
表面をお得意の分厚い外面だけで押し固めておきながら、しかしその奥に確かな憎悪を滲ませて。それを気取られることを、微塵も恐れてはいなかった。
「この話は止めにしましょう。――それよりも、今は大輝様の勝敗の方が重要ですわ」
ふっ、とその怒気を消して七瀬は剣戟の世界へ視線を送る。
「……勝つわよ」
そして、柊は笑う。
「大輝様とて、負け無しではないでしょう? 勝てるかどうかなど、分かりませんわよ」
「……大輝がね、『焼き尽くす』って言ったの。――あれは、自己暗示みたいなものなのよ。ルーティンとか、自分への誓いとか、そういうやつ。絶対に負けられないときに、大輝はその言葉を口にする。それを違えたことは、私の知る限り一度だってないわ」
だから彼は、また勝利を掴む。
その手に、最強の座を取り戻す。
「だから、絶対に勝ってくれる……っ」
何かを堪えるように、柊は言う。
頭では分かっている。彼があの言葉を口にした時点で、絶対に勝利をもぎ取ってくれると。
だがそれでも、目の前で繰り広げられる勝負を見てしまえば、その信頼が揺らぎそうになる。
加勢すれば邪魔にしかならないと理解しているから踏み止まれてはいる。だが、だからこそ胸は張り裂けそうに痛む。
己の無力が恨めしい。
ただ東城の言葉を信じ、両の手を合わせて祈りを捧げて、彼の勝利を待つしかない。
自分に出来ることはもう、一つもない。
絶望にも似た感情の渦の中で、柊は、そして七瀬もまた、憧憬と忸怩たる思いの籠った瞳で、前だけを見つめる。
業火の中に煌めく、東城大輝の姿を。