第4章 玉座 -1-
冷たい風が、鼻先に痛みにも似た感覚を残す。
静寂だけがそこにあった。身動ぎで鳴る足元の砂の音さえ、刺すように耳に響く。
西條の部屋のあるマンション前の、豪勢な公園の更にその中央。昨日の東城の戦闘でヒビだらけになり動力を止められた噴水の前に、柊美里は立っていた。
そんなモノトーンの風景の中で、柊美里の瞳にだけ色が宿る。
「……アンタが、フェニックス・グレンフェルね?」
音も気配もないその場で、しかし柊は確信を持って言った。
直後、諦めたように公園の入口に一つの影が降りた。
「気配は殺していたはずだったンだがな」
ざっ、と革のブーツの地面を踏み締める音がした。
現れたのは、一人の男だった。
赤黒いショートジャケットの似合う男だった。真紅の髪を掻き上げたその姿は、粗暴に見えるが何故か気高さのようなものさえ感じる。
「さて。そういうテメェは誰だ? 用があるのは燼滅ノ王だ。テメェじゃねェ」
獣の唸るような声だった。しかし、今さらそれに臆する柊ではない。
「大輝は来ない」
「……なるほど。女の背中に隠れてるって訳かよ。情けねェな」
グレンフェルの言葉の直後、青白い閃光が弾けるように走った。
「私を詰るのなら構わないわよ。アンタと大輝の決着に水を差そうって言うんだから、それくらいは弁えてるつもりだもの。――でも、大輝を謗るのなら容赦はしない」
それは、一片の濁りもない殺気だった。
東城大輝に対して危害を加える者を、柊美里は絶対に許さない。たとえそれが言葉一つであろうともだ。
「女子供に手を出すのは、趣味じゃねェンだけどな。――テメェを倒せば、燼滅ノ王は顔を出す訳か。なら遊び相手くらいは――」
言葉は続かなかった。
真っ白い閃光が、彼の耳元を駆け抜けたからだ。
「私を倒す? 舐められたものね」
右手を前に突き出し、その指先からはバチバチと火花を散らせて、柊は言う。
「言ったでしょう? 容赦はしないって。私が本気で戦う以上、アンタに勝ちはない」
「ハッ。言うじゃねェか」
柊の冷え切った瞳さえ笑い飛ばして、グレンフェルは拳を握る。それと同時、彼の背に紅蓮の翼が形成される。
それは圧巻の一言だった。
最強の発火能力者を名乗る東城大輝と同じような、いや、それ以上の炎圧を持っていた。誰よりも彼に憧れた柊だからこそ、その評価には寸分の狂いもない。
それでもなお、柊の瞳に宿った鋭い光は揺るがない。
畏怖するどころかさらに戦意を燃やし、腰を低く落として構えを取る。
既に辺り一帯のクラッキングは済ませてある。ただ静寂だけが続き、まるで何かの合図を待っているかのようだった。
紅蓮の業火を滾らせ、蒼い雷光を迸らせ、互いが睨み合ったまま動かない。
だがその膠着は、唐突に終わりを迎える。
風が吹き、木々が擦れる音が鳴った瞬間。
グレンフェルが先に動いた。
紅の翼をはためかせ、東城や西條でさえ反応できなかった加速で、十メートル以上はあった互いの間合いを刹那の内に縮めてしまう。
しかし。
「遅いわね」
そんな一言を漏らしながら、柊はその場で踊るようにグレンフェルの突進を躱してみせた。
「――ッ!?」
グレンフェルの顔が驚愕に歪む中、柊はとんと小突くように彼の身体に指先を当てる。同時、空気に漏れ出ることなく莫大な電流がグレンフェルの体内を駆け巡る――
「舐めんじゃねェよ!」
その寸前でグレンフェルの翼が不規則に揺れ、柊を弾き飛ばす。とっさに柊も攻撃に合わせて跳び退っていなければ、その身がその業火によってズタズタに引き裂かれていただろう。
たった数手の攻防にさえ、命が懸かる。
そのことを再認識して、冷たい汗が伝った。
今の通電による膨大な電流は落雷の比ではない。当たれば即死どころか身体が弾けて消え失せる。それだけの威力の攻撃を、殺気をひた隠しにして放ったと言うのに躱された。
(流石は大輝を破った能力者ね……っ)
必殺の一撃を躱された程度で驚いている場合ではない。即座に柊は再度グレンフェルに立ち向かう。
一撃一撃が命に届くその攻撃が、互いの間で幾度となく交差する。
一瞬の判断ミスだけで両者ともに命を落とすその極限状態で、業火の翼と紫電は何度も激しく散っていく。しかし互いの身には僅かな傷さえ付けられなかった。
それはまるで演武のようだった。
もしも外からその戦いを見ていたなら、あまりにも洗練された二人の戦闘の美しさに、息を呑んだだろう。
その演武を締め括るように、一際大きな紫電と業火がぶつかり合い、空気が爆ぜた。
それに弾かれ、二人の間合いがまた五メートルほど引き離される。
(今の攻防だけで、十回は仕留めに行ったんだけど。そう甘くはないって訳ね)
仮にも東城を倒しただけはあるか、と柊は再度距離を取り直しながら気を引き締め直す。
「――この対応の速さを見る限り、私の能力はバレてるってことよね。でないと、ただ指先が当たっただけでそこまで警戒しないし、私の視線だけで放電の先を予測するなんていうのは事前情報がないと不可能だもの」
そしてこの僅かな間だけでも、柊は情報を奪っていた。何のことはない当たり前のような情報に見えて、それの価値は非常に高い。
柊の能力を詳しく知る者は意外に少ない。超能力者の中でも、柊の成長速度が異端だったこともあって、霹靂ノ女帝としての彼女の能力を知る者がほとんどいないのだ。それを知っているとなれば、その情報源は狭まる。
「それはこっちのセリフだ。テメェこそオレの能力を一ミリも過小評価してねェだろォが。普通ならあの燼滅ノ王程度を想定して、勝手に見誤って潰れていくンだぜ。――昨日のアイツのようにな」
「安い挑発ね――とでも、言うと思った?」
嫌に低い声音と同時、紫電がグレンフェルの眼前で弾ける。その業火の翼で受け流していなければ、顔面が無残に散って息絶えていただろう。
「たとえ言葉だけでも、大輝に牙を剥くことは許さない」
グレンフェルの強さを前にして、それでもなお柊はそう言った。
絶対的な勝つ見込みがある訳でもない。むしろグレンフェルを煽ることで窮地に立たされることになるかもしれない。
そんなことは全部分かった上で、それでも柊はその信念を譲ることだけは出来なかった。
「大輝は私に全てをくれた。何度あいつに救われたか分からない。だから、今度こそ、私は大輝を護らなきゃいけないの。大輝の命も、身体も、心も、プライドも。私の憧れたあの人から、これ以上何一つだって奪わせる訳にはいかない」
「言うじゃねェか」
柊の言葉を聞いて、しかしグレンフェルは楽しげに笑っていた。目の前にいる敵の強さを知って血が滾ったのだろうか。隠す気の欠片もない殺気が溢れ、肌に痛いほど突き刺さる。
「そこまで言うからには、楽しませてくれよ!」
言葉の直後、グレンフェルはまたしても羽ばたき、空気を引き裂く轟音と共に突進した。
先程と同様に躱しながらの通電のカウンターを試みた柊だが、寸前で彼女の視界が何かを捉えた。
それは、真っ赤な刃――
「――ッ!」
身を捩りながらリニアによる全速の後退でグレンフェルとの間合いを引き離そうとする。
だが既にカウンターに身体が動いていたこともあり、とても間に合う速度ではない。
振り抜かれた彼の右手が握る紅蓮の刃は、そのまま柊の左の脇腹を切り裂いた。
「――っァ!」
ごろごろと転がりながら、柊は壮絶な痛みに悶える。裂傷と熱傷が同時に襲いかかるのだ。想像を絶したその痛みは、たとえ柊ほどの能力者であろうと容易く堪えられるものではない。
「立てよ。何度でも叩き伏せてやる。そうすれば嫌でも燼滅ノ王は出てくンだろ」
グレンフェルが両手に握った業火の短剣を振る。風を切る音が、やけに耳にこびりついた。
「立てねェなら大人しく燼滅ノ王を――ッ!」
そこまで言いかけたグレンフェル目がけて、柊は雷の槍を放っていた。グレンフェルの翼にかき消されたとは言え、とてもダメージを負った能力者の放てる威力ではない。
「立てない訳がないでしょ……っ。この程度の痛みで寝られるほど、私が背負ってるものは軽くないのよ」
ゆらゆらと、まるで揺れる炎のように柊は立ち上がる。決して軽い怪我ではないし、現に心臓が脈打つ度に脇腹から発せられる痛みの信号は、頭をハンマーで殴られるようだった。
だが、それがどうした。
――昨日の大輝の怪我は、もっと酷かった。
――一年前、大輝が唯一失ってしまったものは、こんな怪我じゃ比較にさえならない。
だから立ち上がる。
彼が、ずっとそうしてきたように。
「放電は見切られてる。――なら、もうアンタの土俵で勝負するしかないわね」
柊の右の五指から、真っ赤な棒が伸びていく。
それは地面に突き刺さると同時、白い煙を上げ始めた。
それはかつて、鐵龍之介に向けた必殺の刃。電気という瞬間的な事象しか操れない彼女の持つ、唯一の物質的な武器だ。
「プラズマの一種か。ってことはアーク放電か何かだな。残念だが、プラズマである以上オレに傷一つつけられねェよ」
「……やっぱりね」
そのグレンフェルの反応に、柊は呆れたようなため息と共に笑っていた。
「アンタは、超能力について知らない」
刹那。
柊の姿が消える。
グレンフェルの背後に高速移動した彼女の右手が、空気を切り裂く。
振り向いたグレンフェルだが、その表情は驚きの中にまだ余裕が隠されていた。本当に、彼はプラズマである以上はアーク放電さえ消せると確信しているのだ。
だが、その刃はグレンフェルの身に食い込んだ。
「――ッ!」
とっさに羽ばたき、グレンフェルは後方へ跳んでそれ以上の傷を防いだ。しかしそれでも、五本の刃によってつけられた胸の傷は、決して浅くはない。
「単純な制御権の問題よ。もしアンタが能力でプラズマを消したところで、能力の支配外にある放電自体を消すことは出来ない。元を断てない以上、生まれ続けるプラズマを相手に処理が追いつかなくなって、アンタの身を裂くに至るって訳」
「……チッ」
しかし、グレンフェルは痛みに悶える様子もなかった。単純に考えても、柊の受けたダメージの五倍だ。呻くくらいしなければ、釣り合いが取れない。
「……この程度で、勝った気か?」
それどころか、グレンフェルは笑ってすらいた。それはまるで、この程度の怪我など当たり前かのような――
「次は、こっちの番だ」
グレンフェルの背の翼が弾け、それを推進力に彼の両手の短剣が迫る。
とっさに柊はそれを躱す。元々アーク放電を利用したところで、彼女の能力では『硬度の在る物質』を掌握することが出来ない。物や現象の運動の支配によって形状を固定する、という東城や七瀬の得意とする疑似的なものですら、柊には不可能だ。発電能力者にはそういった能力は備えられていない。
リニアの原理で幾度となく短剣を紙一重で躱しながら、アーク放電、雷の槍、掌打からの通電、あらゆる攻撃を試すが、そのどれもがグレンフェルに防がれ、逸らされ、躱される。
「どォした、まともになったのは近距離での火力だけか!?」
嬉々とした様子で幾度となくグレンフェルはその斬撃を繰り返す。東城のように直感に任せたでたらめな戦い方ではない。元になるフェンシングか何かの流派があって、その上で敵の攻撃を封じ、追い詰め、殺す為に洗練されている。格闘技や武道そのものには素人の柊でさえ、それを肌身で感じるほどだ。
冷たい汗が次から次へと柊の背を伝う。今まで経験したどの能力者との戦いよりも、危険な駆け引きが続いていた。
一手読み間違えるだけで、紅蓮の爪牙が柊の心臓を貫くだろう。コンマ一秒反応が遅れるだけでも、業火の翼が頭蓋を砕くに違いない。
それだけの極限状態で全ての攻撃を捌きながら隙あらば反撃に出続ける柊もまた、常人離れした存在と言える。
一見すれば、化け物同士の互角な戦いだっただろう。
だがしかし。
二人の表情を見れば、互いの優劣などすぐに分かる。
(これが発火能力者か……ッ。破壊にのみ特化した能力だとは理解していたけど、まさか大輝が掛けているようなタガを外すだけで、ここまで変わるなんて……ッ!)
「ハッ! 考え事してる余裕があるかよ!」
グレンフェルの短剣が、柊の頬を浅く裂く。それだけでも高温の刃が激痛を生み出した。
柊が顔をしかめる。――それは、痛みに気を取られたという証。
その刹那の隙をグレンフェルが見逃すはずもない。
紅蓮の短剣が柊の喉元へ迫る。
勝利を確信してか、彼の表情が愉悦に歪む。
だが、それは柊の皮膚へは届かない。
柊の背中が何かに引っ張られるように動き、ほとんど後ろの噴水に激突する形でそれを回避していた。
「――か、ぁ……っ」
息が詰まる。いくらなんでも今の回避は無茶苦茶だったか、とも思うが、そうでもしなければとても間に合う速度ではなかった。
「……テメェの能力や戦法については調べてある。テメェは、高速移動の基本は靴底に仕込んだ鉄板を利用して、電気的な加速を得ている――だったか。あれは姿勢制御が難しくて、とっさの回避には向かないって聞いたんだがな」
「……っ。どこから、そんな詳細の情報を調べ上げたのかは知らないけどね。まぁ、概ね正しいわよ。――だから、あらかじめこれほど追い詰められると想定して、ちょっと服に仕込んでおいたの」
わざわざ下着のストラップに金属を仕込み、電気的な加速を受けられるような状態にしていたのだ。もちろん、それが肌に食い込みかなり痛みが生じる上に、今のように減速をする余裕もなく何かに激突するリスクが非常に高い。
緊急脱出装置にも似た、無茶な予防線だ。
「用意周到なことだ。そんなにオレたちの能力が恐いか?」
「そうね。アンタのその異能力には最大限の警戒はしてるわよ」
柊のその返答に、僅かにグレンフェルの表情が揺らいだ気がした。
まだダメージの抜けきらない柊に追い打ちをかけることさえなく、彼は柊との間合いを更に広げた。
「……調べたのか。随分仕事が早ェな」
「情報はあったし、予測も出来た。超能力と違って直接的に知覚できない以上、異能力には既に個人が認識できる何かの事象を媒介変数的に使用して、超能力を再現してる。違う?」
「惜しい、とだけ言っておくか。残念だがコイツは超能力を再現してる訳じゃァねェ」
「そうね。異能力はそうかもしれない。――でも、アンタのその能力は間違いなく超能力の再現よ」
その言葉に、今度は確かにグレンフェルの表情が一変した。
見破られたことに対する驚愕と、そして自身の能力を他の超能力と並列に扱われていることへの怒りだろうか。
どちらの比重が大きいにせよ、感情を引きずり下ろすに至ったのだ。勝機が僅かに見えた。
「例えば『能力を操る』能力とか、『他人の能力をコピーし進化させる』能力とか。まぁ認識の変換に使っている事象が何なのかは、分からずじまいだけど」
炎を操る能力は、例えば酸素を操る能力で代用できる。炎そのものの情報については知覚できずとも、酸素であれば人が日々吸っているものだ。後天的に能力を与えられても知覚し操作できる可能性は高い。
そういう媒介変数によって異能力が動いていると仮定しても、まだグレンフェルの能力の正体は掴めない。
おそらくは、それが勝利の鍵だ。
相手の操る事象を正確に知れば、その元を封殺する可能性すらある。
戦闘から一変したこの腹の探り合いにさえ、十分すぎるほどの意味が――
「ねェよ」
「――ッ!」
まるで柊の思考を呼んでいたかのように、グレンフェルはそう言った。
揺らいでいた表情は既にさっきまでの冷静なものに戻っていた。まるで柊が見破ったものが、誤りであったかのように。
「大方、オレの能力の正体を知り、その根本の事象に変化を与えればオレの能力を封じることが出来る、とか思ってンだろ? 頭が高ェンだよ」
吐き捨てるような声音だった。
グレンフェルの視線が、嫌に冷え切っていく。
「知りてェなら教えてやる。オレの認識している事象は『ヒエラルキー』だ」
「ヒエ、ラルキー……?」
それはピラミッド型の段階的な組織図だったはずだ。単純な順位とは僅かに異なり、底辺には最も多くの人間がいて、頂点はただ一人。
そういう支配を象徴するようなものだ。
「オレの能力は『自身をあらゆるヒエラルキーの頂点に置く』ことにある。――聡明なレベルSの超能力者ならもう分かるな?」
そこまで言われ、そして柊の顔が徐々に驚愕に染まっていく。
何故なら。
その能力が存在する限り、どんな人間も勝てないのだから。
「訓練を積んで上位に立とうが、オレの能力はさらにその上に立つ。努力も才能も関係ねェ。オレは生まれた時点で、全ての頂点に立ってンだよ」
その能力を超える隙などありはしない。
どんな手段を用いようと、超えたその瞬間にヒエラルキーは更新され、またその頂点にグレンフェルが割り込まれる。
「オレを殺すことが出来るやつなンざ、この世のどこにもいやしねェ」
グレンフェルの背中から紅蓮の業火が消える。同時、彼の胸の傷が消えていく。肉の深くまでアーク放電のプラズマで酷い火傷を負い、一部は炭化すらしていたのに。
肉体操作能力者の頂点にでも割り込んだのだろう。もはやそれは、レベルSに対しでも揺らがぬ不死性を彼が獲得していることを指す。
「さて。状況は理解したかよ、愚民」
それは、絶対的な王者の言葉。
再度業火の翼を取り戻した彼は、まるで手向けのように言葉を紡ぐ。
「選べよ。女帝の名を傷つけぬようこの場で潔く諦めるか。それとも、愚民らしく愚かに足掻いて死ぬか」
その言葉を前に、きっと普通なら絶望するのだろう。
諦め、悲嘆し、振り上げた手を降ろしてしまうのだろう。
それが普通の反応だと理解していながら、それでも柊は言った。
「……何それ。選択肢なんて一個もないじゃない」
思わず、口角が上がるのを柊は感じた。
これだけの劣勢で。
勝機など欠片も見えなくて。
それでもなお、笑っていた。
「アンタを倒す。私の選択は最初からそれだけよ」
「……残念だ。テメェほどの女なら、妃に迎えてやっても良かったンだがな」
半ば本気らしいニュアンスのグレンフェルの言葉に、柊は面食らうでもなく笑って返す。
「冗談やめてよ。――言っとくけど、私はアンタの手が届くほど安くないのよ」
「そうかよ」
直後。
地面を蹴った粉塵と共に、互いの身体が衝突する。
幾度となく両者の剣閃が光るが、どちらの身に傷を付けることもかなわない。
だが、柊が先程に比べて何か有利になった訳ではない。ただ覚悟を言葉にしただけで、爆発的な力を得ることなどあり得ない。
拮抗して見える剣戟も、やはりグレンフェルの方が押している。それどころか、次第に柊の速さに慣れてきてさえいた。
このままグレンフェルの刃が柊の首を刎ねるのは、時間の問題だった。
「……勝てねェのは、分かってンだろ?」
「勝てないと思って戦場に来るバカがどこにいるのよ。――私は勝つわよ。大輝を護る為に勝利が必要なら、私は絶対に手に入れる」
このままでは命すら危ういと理解していながら、それでもなお柊の眼光に揺らぎはなかった。
――あと、一歩。
一分の隙も作れない状況で、それでも柊は歯を食いしばりながら待っていた。
能力は完全に劣っている。それを覆す術などない。だが、覆す必要などないのだ。
能力は所詮、道具に過ぎない。相手の道具が優れていようと、使用者である自分が優れていればその差など埋められる。
ただ相手よりも優れた能力を得る程度では、届かない高みへ。
愚直なほどに努力を重ね、誰よりも血反吐を吐いてきた彼女だからこそ届いたその座へ。
――あと、一歩……ッ!
「終わりにするぜ、霹靂ノ女帝」
短剣を握った左手が、柊の腹の前にかざされる。
切り刻まれることを想定して回避を試みた柊だったが、それは間違いだった。
握った業火の短剣が、弾けるように爆発した。
熱せられた空気の塊が、柊の腹部から全身を叩きつける。
「――っぁぁぁあああ!?」
地面を勢いよく何度もバウンドしながら、十メートルは転がった。フリーズを起こさなかったどころか意識を失いさえしなかったのは、僥倖とさえ言えた。
痛みに悶え、地面であえぐ彼女の元へ、グレンフェルは翼をはためかせて降り立った。
「大人しくしてろ。すぐに楽にしてやる」
紅蓮の刃を振りかざす。きっと、それは最後の一太刀のつもりなのだろう。
だが。
「……ありがとう。おかげで、準備は整った」
刃が振り下ろされる、その寸前。
グレンフェルの腕が弾かれた。
「――なッ!?」
彼の顔が驚愕に染まる。それもそうだろう。どう考えても、今のは並の反応速度では何かのアクションを起こす前に首が飛んでいたはずだ。
にも拘らず、柊の姿は爆発を受けたときと何も変わらない。
――ただ。
いつの間にか立ち上がり、何かを弾くように右腕を振るった体勢であること以外は。
「さぁ、反撃の狼煙を上げましょうか」
全身から青白い火花を散らしながら、柊美里は今度こそ、自分の意志で心から笑う。
それは最弱だった少女が、最強の座へ指をかけた瞬間だった。




