第2章 迷いと休息 -3-
「つーわけでさ」
病院を後にした東城は、そのまま地下都市のとある事務所の応接室を訪れていた。
さっぱりとした内装は、まだ真新しい物ばかりだった。それでも応接室の扉の隙間から、ちらりと覗く事務室の方は大量の書類やファイルが煩雑に散らばっていて、この短期間での多忙さを窺わせるには十分だった。
「地上に戻ると襲われるかもしれねぇから、少なくとも今日、明日は地上に戻れねぇんだと。どうせ明日は土曜で学校も休みだし。で、暇だから遊び相手を探してる訳だ」
「だからと言って、俺たちの仕事の邪魔をしに来るな……」
東城の目の前にいるのは、彫の深い顔をしたガタイのいい一人の少年――落合雄大だった。重力操作能力者のアルカナである、万物ノ刑死者だ。
宝仙の一件以来なかなか会う機会がなかったので、せっかくだしと東城がアポなしで勝手に押しかけたのだ。
「ここは自警団の拠点だぞ。どうせ普段は喧嘩の仲裁程度しか仕事がないとは言え、ほいほいと遊びに来られたって困る。お前と違って暇じゃないんだ」
「仕事してる格好に見えねぇぞ……?」
東城はそう言って、じとっとした目で落合の格好を見る。
彼の姿は前に会ったときと変わらずマウンテンパーカーにジーンズだ。とても仕事をしているような格好ではない。
「スーツで喧嘩の仲裁が出来るか」
「だったらそれなりの制服作ればいいだろ。せっかく自警団を名乗ってるんだし、普通よりも防御力重視にしてさ」
「そんなものを作る金がどこにある。自警団が儲かるとでも思っているのか」
「世知辛い話だな……」
困ったような笑みで帰しつつ、東城は話題を逸らす。このままだと「何ならお前が出資しろ」とでも言われかねないと感じたからだ。
「だいたい仕事だって言うけど、俺だって学校の行事で忙しいときに宝仙押し付けられただろ。その仕返しだと思えよ」
東城が言っているのは、文化祭でのことだ。クラスの出し物や生徒会で手一杯の中にあの天然ウザキャラの宝仙を送り込まれて、東城の心労はピークに達せられた。今さらとは言え、多少の復讐は許されるだろう。
「それに見学くらいさせてくれよ。邪魔にはならねぇ」
「怪我人のくせに何を言っている。第一、彼女が同伴と言う時点で、相当お前は邪魔だぞ」
「彼女じゃねぇよ」
落合のため息に応えるように、東城の後ろに控えていた七瀬は何が面白いのかニコニコして手を振っている。
ちなみに、病室では部屋着のような格好をしていた彼女だが今はきっちり着替えを済ませ、白いカーディガンに黒のタートルネックのTシャツ、赤いプリーツスカートというなかなか凝った組み合わせだった。その上、タイツを纏った脚がどこか艶めかしい。――どこで知ったか、東城の好みに合う服装である。
何故に七瀬が同伴なのか、と言えば、放っておけば一人で無茶をしかねないので監視が必要だと判断されたからだ。
柊、西條、神戸は事態の究明に当たっている。向こうの能力は西條がある程度見ているし、神戸はかつての研究に精通している。そして何より、柊は東城といることよりもそちらを選んだが故の人選だ。
「お前のラブコメに興味はない。帰れ」
「だから違うって言ってるだろ……」
「あら。第三者からもお似合いに見えると言う事でしょう? もういっその事このままわたくしとイチャイチャするのはどうでしょうか。えぇそれがいいですそうしましょう」
もう夜だと言うのにハイテンションで七瀬が東城に詰め寄る。彼女扱いされたことに相当気を良くしたらしい。
綺麗な女子に急接近されて何も感じない東城でもなく、頬を赤らめながらも詰め寄られた分の距離を離していく。
「近い、近いから!」
「あら。照れてしまわれる大輝様も可愛らしくて素敵ですわ」
「……わざわざ見せつけに来たのでないなら、何の用だ」
わざとらしい咳払いで、落合が二人を制止する。甘ったるい空気にでも当てられたのか、小麦粉と卵と牛乳の代わりに砂糖と砂糖と砂糖で作られたホットケーキを食べたくらいには、嫌気の差した顔をしていた。
「あぁ、そうそう。ちょっと雑談をしに来ただけだ。――本当に、ここなら安全なのかって思ってな」
七瀬をぐいっと追いやりつつ東城がそう言うと、落合の眉が僅かに揺れた。少なくとも、食指は動いてくれたようだ。
「世界ノ支配者の件か。本来地下都市に入れるはずのない者が、入れてしまっていた」
「そう。あれがあった以上、やっぱりここも安全かどうかは分からないんじゃねぇかって思ってな」
東城の言葉に、落合は僅かに疲れたようなため息を漏らして、椅子に深く座りなおした。
「その件については、自警団として俺たちも現在調査を進めている。外部から入れるとなれば、能力者全員が危険に晒される。下手をすれば、どっかの過激な軍隊がテロリスト扱いで俺たち九千人を虐殺する可能性だってある訳だからな」
落合はさらりとそんなことを言った。そんな馬鹿な、と東城も言いたいがそれは出来ない。起こり得る可能性としては決して高くないが、しかし、想定しうるケースの中で最悪の場合は、確かにそうなるだろうからだ。
「結論を言えば、成果はなかった。外部の人間が地下都市に入る術などないという結論に至るしかない。地上に出入りしている能力者は管理されているし全員とコンタクトを取ったが、誰も外部に情報を漏らした者はいない」
「それは信頼できる情報か?」
東城の追及に、半ば呆れたように落合はため息をついた。どこまで心配しているんだという呆れか、あるいは、そんな不安はとうに解決済みに決まっているだろうという呆れか。どちらにせよ、そのため息一つはほとんど肯定にも近い意味だった。
「無作為に選んだ複数の接触感応能力者及び肉体操作能力者にも協力してもらって確認している。嘘であれば精神的、肉体的変化から発見できる。発見されなかったということは、虚偽はないということだ」
落合の言葉に頷き、東城は更に詰め寄る。
「行方不明のアルカナって可能性はないのか」
「地下都市の出入り方法は、地下都市完成後の話し合いで決定している。それ以前に行方をくらましたあいつらは例外なく知りはしない。あるとすれば、他者から情報を抜き取れる接触感応能力者の全知ノ隠者くらいだろうが、敵に協力するようなタイプではあるまい。拉致するにしても、非戦闘系とは言えアルカナだ。並の兵装では歯が立たんぞ」
東城の問いに落合は即答していく。その程度の話し合いは、もう他のメンバーと済ませていたのかもしれない。そこまで答えて、落合はすっと冷えた瞳で東城を見据える。
「そんなことを訊いて、どうするつもりだ」
その質問が、東城の胸を抉る。
「普段のお前なら、それは敵の正体を探る為の質問だっただろう。付き合いは短いが、陽菜を救ってくれたときに人となりは理解したつもりだ。――だが今のそれは、まるで安全シェルターを求めているかのようだったぞ」
「……んなわけ、ねぇだろ」
否定の言葉を口にする。けれど、東城は落合の眼に応えられなかった。
今までの自分とのギャップが、理解していても埋められずにいる。それを見られることが、この上なく嫌だった。
「……まぁいい」
ふっと声音を軽くして、落合が立ち上がる。
「どうせお前は暇なんだろう。夜勤から昼まで働いていた晃と陽菜が寝ていてな。その穴埋めがいると便利なんだ。自警団と言っても相談料は取る。今の相談をタダにしてやったんだ、それくらいの恩は返せ」
「……俺、お前たちには貸しを作ってあったと思うんだけど?」
「陽菜の件なら、確かに大きな借りがある。――まさか、それをこんなことで消費する気か?」
さらりと言われ、東城は反論の余地を失くしてしまった。
「分かったよ……」
渋々諦めて、東城も落合に続いて立ち上がるのだった。