第1章 王の炎 -5-
「ふむ、御馳走になった。――と言うか、本当に御馳走だったな」
手を合わせて満足げに言う美桜の前には、すっかり空になった多くの皿があった。
「お粗末さまでした。まぁ、真雪姉のを前に食ってるから、それなりには豪華になるよな」
「にしても、流石の出来よね。ハンバーグにサラダにスープを、まさか一時間で作るとか……」
「色々手抜きはしてるよ。まぁ、一年もこういうのやってりゃ多少は上手くなる。それに、やっぱり真雪姉の方が美味かったし」
東城のように粉末の出汁やスープの素を使ったものではなく、完全に一からコンソメを作れてしまう西條の方が、圧倒的に東城よりも上だと言えるだろう。
「……お前たちの遺伝子は超能力と調理スキルの両方で常識外れだな……」
そんな二人の様子に心底驚く美桜だったが、当の二人に自覚はなくきょとんとしていた。
客観的に見れば、何年も前から独り立ちしていた西條はともかく、東城の方はたった一年と少しでこの腕前に達しているのだから、美桜の意見も一理あるだろう。――東城の場合は、西條と違ってその二つに持てる才能を全て振ってしまっているような気もするが。
「さて、私は食器を片づけるけど、大輝くんはもう帰っちゃう? なら先に送るけど」
「うーん。いや、俺はもうちょいしてから帰るかな」
そう答えると西條は立ち上がって皿を片づけていく。
手伝おうかとも思ったが、「御馳走になったんだから片づけは任せて」と食事中に西條が言っていたのを思い出し、東城はテーブルの前の椅子から降りてカーペットに腰を降ろした。
すると美桜は、そこが特等席だとでも言わんばかりに東城の膝に座った。もうほとんど毎度のことなので東城は抗議する気も失くし、されるがままに膝を貸し出す。
「……正直な感想を言っていいか?」
「重い、以外ならな」
「…………、」
見事に見透かされていた東城が口を閉ざす。
しかしそれはほとんど肯定と同じであるのは当然だろう。こめかみあたりにピキッと血管を浮かせた美桜が、無言のままに東城の太ももをつねり上げる。
「痛ェ! ってかお前、素手で触ったら服とか破れるだろ! もうちょっと躊躇え!」
「ふん」
知ったことか、と言いながらも美桜はすぐに手を放した。
彼女は自身の能力――素粒子支配能力を制御できない。彼女がその手で触れた者は素粒子レベルではあるが存在を抹消されてしまう。本人が意図せずとも長い時間触れ続けていれば、ごっそりとその箇所を抉り取ってしまう。
「あらあら、随分仲良しね」
皿をシンクへと運び水に浸した西條が、戻ってくるなり二人を見てそんなことを言った。確かに膝の上に座らせてはいるが、美桜は一方的に不機嫌になっているし、そこまで仲の良さは感じられないはずだ。
「……仲いいか?」
だから、東城は率直にそう呟かずにはいられなかった。
何より、ひと月前に彼と彼女は殺し合っている。東城の方がそれを拒んでいたとはいえ、美桜が東城の命を狙い、能力者たちの暮らす地下都市を破滅寸前までに追い込んだのは消えることのない事実だ。それは、きっと深層心理では東城と美桜を分かつ溝になってしまっているに違いない。
どこまで仲好く、親しげに会話が出来たとしても、その溝はどうしたって埋まるはずがないのだから。
「仲いいわよ。ひと月前にあんなことがあったとは思えないくらい。普通は、そんな風にベタベタしたりは出来ないと思うけど」
「いやでも、別に俺の方は美桜に怒りとか憎しみとかがあった訳でもねぇし……」
「……そうやって割り切ってしまえるから、お前は東城なんだな」
呆れたような、感心したような、曖昧な笑みと共に美桜が言った。
「そうねぇ。やっぱり大輝くんは、甘くて優しすぎるわよね」
「……誉めてねぇよな、その言い方だと」
「誉めてるわよ。だってそれが大輝くんの魅力で、現にたくさんの人が惹き付けられているじゃない」
そんなことはない、と謙遜したかった東城だが、そうは出来なかった。
それはほとんど事実だから。
記憶を失う前は分からないし、その後から能力者と出会うまでについては平凡の域を出なかっただろう。級友には恵まれているが、それでも人並みだった。
だが、能力と向き合ってから話は変わった。
多くの能力者たちと拳を交えて語り合い、互いを理解し合っていた。だからこそ、こうして柊を始めとする多くの能力者たちの輪の中に東城がいるのだ。
そして彼女たちとの出会いで、東城は少なからず命の危機に瀕してきた。遁走したって誰も文句を言わないような、私怨の外の戦いだって存在した。それでも彼は戦い、その上で敵を殺すことを拒み、最後には和解してきた。
それは優しさであると同時に、甘さでもある。それは自分だって理解している。
しかし東城は、それを否定できない。
それがなければきっと東城は今、この場に西條と美桜の三人で過ごしていなかったかもしれないのだから。
「……でも、それが危ういってことは、分かってる?」
「何の話だ? まさか、和解もせずに殺してた方が良かった、なんて言う訳じゃないよな」
「これから先、そんな場面が来るかもしれないじゃない。そのとき、大輝くんはいったいどうするつもりなのかしら?」
西條に現実を突き付けられ、東城は答えることが出来なかった。
そして、思い出す。
美桜の父である所長と対峙した時。それは、いま西條が言っているのとまったく同じ状況だ。
和解などあり得ない。殺すか、殺されるか。それ以外の選択肢が存在しない場面など、きっと珍しくもないだろう。
そのときに、果たして東城は戦えるのか。
答えはきっと否だ。所長を追い詰め、あと一歩でその命を奪えるところまで来ても、東城は恐れ、震え、それを成すことが出来なかった。
それが悪いことだとは思わない。むしろ、人であるなら当然そうあるべきだろう。
しかしその結果、誰かを護れないという状況が来るかもしれない。
そしてそれは、その守れなかった誰かを見殺しにするということだ。
「厳しいようだけど、命が狙われているっていうことはそういうことも織り込んでおかなきゃいけないの」
「……そう、だな」
東城はそれ以上言葉を続けられなかった。
それに答える術を、東城はまだ持ち合わせていない。
「答えをいま欲しいってわけじゃない。第一、そんなのわたしが貰ったってどうしようもないしね。――ただ、いつか破綻してしまう前に考えておいた方がいい、っていうおねーちゃんからのアドバイスよ」
東城と本質的には同質の力を持ちながら自由を得て、しかしその身を自ら戦禍に置いてきた彼女だからこそ、そう言えるのだろう。
だからこそ彼女は、東城を護る為ならと美桜を切り捨てようとさえした。それは美桜に対する裏切りではなく、彼女が培った経験から来る、至極当然の帰結だったに違いない。
東城はそれを一度否定した。だがしかし、もしも、逆の立場だったなら?
自分がどの道を選んでいたのか、そんなことさえ答えられる気がしない。
「辛気臭い話はよせ。せっかくなんだからもっと私を楽しませろ」
茶化すように美桜が口を挟む。
東城が必要以上に考えすぎてしまうのを察知した上で、彼女はそう言ってくれたのだろう。年下とは言え、彼女のそうした気遣いに東城は驚きと感謝を込めた目で見つめ、そっと彼女の頭を撫でる。
「ま、長居もなんだしな。そろそろ帰るよ」
「……ちょっと待て。いくらなんでも早すぎるぞ」
「そもそも今日はこっちに寄る予定もなかったんだよ。帰って色々やることあんだから勘弁しろっての。また今度遊びに来るから」
そのままぐりぐりと少し乱暴に美桜の頭を撫で回してから東城は立ち上がる。美桜も抗議しようとしたのだが、乱れた髪を整えているうちに東城はさっさとカバンを引っ掴んだ。
「送ってくわよ?」
「……断ったって、結果は同じなんだよな」
「さすが大輝くん。良く分かってるじゃない」
「じゃあまぁ、お言葉に甘えさせてもらうとするよ」
男としては女性に送られると言うのは何とも情けない話だが、現在、狙われているのは東城である。そして、レベルSであり掃滅ノ姫の名を冠する彼女が護衛役であるならば、その人選は妥当とさえ言える。
「……今の大輝くんは、やけに素直ね」
「別に普段からひねくれてた覚えはねぇよ。――ただ、もしかしたら、さっきの真雪姉の言葉で『この人、姉なんだな』って初めて感心したからかもな」
東城に戦いに対する気構えを語れるような人間はそうはいない。そもそも手を抜いていたって勝ててしまうような高みにいるのが、最強と言う肩書を持つ東城なのだ。
だからこそ、覚悟をしろという言葉に東城は酷く納得させられた。
しかし。
西條が気になるのは『感心した』という部分ではなかった。
「……初めて? ということは、わたしが姉だという認識は今までなかったのかしら?」
「さー、帰るぞー」
さらっと西條の追及はスルーして、東城は豪奢な玄関扉を開け放つのだった。