第7章 正義の鉄槌 -11-
西條が背中に深い傷を負い、代わりに東城は美桜と彼女との間に回り込んで、その身を盾にする。
だが、ギリギリの選択で東城には自らの身を護る手段はない。
それを見越して、美桜は笑っていた。
「――これは、報復だ」
その瞬間だった。
「なっさけないザマで負けてんじゃねーよ、オニーチャン?」
嘲笑うような声と共に、パッパッパ、と三度のフラッシュがあった。
同時に放たれた、隠す気の欠片もない、何よりも純粋な殺気。憎しみや憤怒と言った動機がまるで感じられない、獣の本能にも似たその狂暴な気配がこの空間を埋め尽くす。
「――ッ!?」
それを感じ取った美桜が、東城へと向けていた爆発の演算を中断し、その場から飛び退る。
直後。
美桜が立っていた場所を、丸太のように太い、真っ赤な何かが抉り取った。
いや、何かと言う曖昧なものではない。その禍々しいほど真紅に輝いていたものは、最強の発光能力者の彼女の得意技だ。
「お前は……っ!?」
東城の視線の先にいたのは、一人の少女。
いつも通りの安っぽい服を着こなし、そして特徴的なサイドテールを今は下ろしている、光輝ノ覇者の宝仙陽菜だ。
「やっほー。ヒーロー登場だよ、オニーチャン」
ひらひらと手を振り答えるその姿は、どこまでも無邪気で、どこまでも狂気的な気配を隠そうともしない、矛盾したようですらあった。
これは、宝仙ではない。
「お前、ヒナの方か……ッ!」
「正解だよ、オニーチャン。アタシと陽菜の見分けが付くなんて、ひょっとしてアタシのこと好きなのかなー?」
戦場に立ちながら宝仙の裏人格――ヒナはからからと笑っていた。
だがその姿は、東城にとって恐怖でしかない。
なぜなら二か月前に東城は、このヒナに命を狙われ、そして左腕を奪われた。
もちろん最終的に東城は勝利し、肉体操作能力者の治療によって回復はしている。だが、最強を名乗る東城をあっさりと打ち破って見せたヒナの力は、今なお未知数だ。
この状況で、美桜と同時に相手には出来ない。
「表の宝仙の方はどうした……ッ」
「恐い顔で睨むなって。アタシだって乙女なんだから、もっと優しく扱ってちょーだい?」
警戒心を剥き出しにした東城だが、対するヒナの方から、殺気であったり敵意であったりは感じられない。
「まー、安心しな。表の陽菜の方もちゃんと起きて、アタシを監視してる。今はアタシに身体を明け渡しているけれど、陽菜の方がその気になればすぐに主導権は取り返される」
「じゃあ、どうして……」
「オニーチャンを自分で殺したいなら今は力を貸せ、って陽菜に言われたの。散々アタシに押し付けて押し籠めておいて、都合がいいことこの上ないねー。まァ、表の陽菜より裏のアタシの方が光輝ノ覇者の扱いは上手いから、妥当な判断ではあるけどさ」
ヒナは、そう言っていた。
彼女の目的は表の人格の抹殺。その為に、トラウマでもある兄の死をもう一度再現し表の陽菜の人格を壊すべく、兄の陽輝とそっくりな東城大輝の命を狙っていたのだ。
確かに、ヒナにもこの場で東城が死ぬことにメリットはないだろう。
「コレも陽菜の方がアタシを受け入れて、人格が混ざり出した証だろーね。そうやって人を脅すような真似はアタシの領分だし、こうして素直に手を貸しちまうのは、表の陽菜の領分だったはずだし」
やれやれとでも言いたげに肩をすくめて、ヒナは言う。
それからふっと手を降ろし、東城へ向けていた視線を黒い衣装に身を包んだ少女――美桜へと向けた。
「――で、このオコチャマはナニしてくれてんの?」
その声に、東城は全身の毛が逆立つのを感じた。
さっきまでのように、陽菜とヒナの間を行くような曖昧で緩い雰囲気はない。東城大輝の命を狙い、五人ものアルカナを追い詰めた、ヒナらしい殺気に満ち溢れた声だ。
「決まっているだろう? 私は東城を許さない。これは復讐だ。お前のような部外者が出る幕じゃない」
「オイオイ、人殺しは犯罪だよ?」
過去に散々他人を傷つけてきたくせに、ヒナは悪びれる様子もなくそう言った。
「……私の邪魔をする、という意志でいいんだな?」
「まァ、アタシは誰の邪魔だってする人だけどね」
睨みつける美桜に対し、ヒナはその狂気を孕んだ笑みで返す。
「なら、お前から殺すとしよう」
この辺り一帯の空気の粘度が増したように、とてつもなく重い殺気が放たれる。
動くどころか、呼吸さえ苦しくなる。
「偉そうなこと言ってちゃダメだぞ、チビッ子」
だと言うのに、ヒナは笑みを絶やさない。むしろこの居場所こそが、自分の住処だとでも言うように。
ヒナの周囲に、三度のフラッシュが起こる。
――これは、光輝ノ覇者の能力の予備動作。レーザーを放つ際、敵との距離の把握や自身の出力の調整を行っているのだ。
直後、禍々しいほどに赤い光線が、避ける為に跳んだ美桜の横を駆け抜けた。
「待てよ、ヒナ! これは俺の戦いなんだよ!」
「うっせーな。いいからアンタはそこのオネーチャンの怪我の手当てでもしてな」
大声を出して制止する東城だったが、ヒナは面倒そうにそう言っただけだ。
おそらく、ヒナとしては戦闘に興じたいという欲求はあるのだろう。だが、表の陽菜がそれを止めている。
故に、彼女はこの戦いを横取りする気はない。あくまで、西條に手当てをする時間を作ってくれているだけなのだ。
「……ヒナ。任せていいんだな?」
「心外だなァ。アタシはオニーチャンの為なら何でもする、健気な妹チャンでしょーよ」
白々しく嘯くヒナに、呆れたように東城は苦笑していた。
今のヒナは裏の、負の感情を寄せ集めた人格だ。それを信頼するべきではないと言うのも分かるし、一瞬でも宝仙の精神の力関係が崩れれば、東城も美桜も殺されるだろう。
それでも、東城は信じるしかない。
表の人格である陽菜が、ヒナに負けることはないと。
「ほう。そんな暇を、私が与えるとでも思ったか」
美桜が小さく笑いながら、ヒナへと手をかざす。
空気中の分子をエネルギーにまで分解し、爆発させるつもりなのだろう。
「アンタにもらわなくたって、アタシが勝手に暇を作るから関係ねェの!」
閃光が駆ける。
予備動作で攻撃を察知した美桜は、回避の為に演算を中止して飛びのいていた。
「ここが、一度は言ってみたい漫画のセリフとやらを言うタイミングかな? ――オニーチャンを殺すのはアタシだ。アンタごときが、横槍入れてんじゃねーよ」
ざっ、と地面を踏みして、ヒナは吠える。
そのあまりに頼もしく、恐ろしい背中を見て西條は呟いていた。
「――頼もしい限り……って言っていいのかしら」
「あいつは強いよ。アルカナ五人を手玉に取ったんだ。俺だって一対一だったら、絶対に勝ち目がねぇよ」
素直に東城は彼我の実力差を認めた。
一度勝てただけでも奇跡としか言いようがないほど、ヒナは容赦がなく、そして強い。
「――でも、あいつには防御っていう概念がない。それはヒナの性格でもあるし、光輝ノ覇者の能力が完全攻撃特化だからっていうのもある」
その上、柊たちのように自身の動きを高速化する手段も持たない。盾も機動力もなく、矛のみを持って戦場に立っているのだ。
「時間稼ぎは、そこまで期待できないっていうこと?」
「そうだ。だから、真雪姉の怪我をさっさと手当てするぞ。あんまり詳しくはないけれど、伊達にオッサンの経営する病院に通ってねぇよ。能力者とのいざこざに巻き込まれてから、ちょっとは勉強してきたんだ」
オッサン、というのは記憶を失い、この地下都市ではなく地上で倒れていた東城を保護してくれた、病院の院長だ。今でも保護者として東城を養ってくれている。
「傷跡残っちゃうのはやだなぁ」
「乙女っぽいセリフを吐いてる場合か。あと、そこら辺は全部終わってから神戸にでも任せればオールオッケーだ。いいから背中の氷を解いて、服を脱いでくれ」
東城がそう言って、手当ての為に自身のシャツを脱いで包帯代わりにしようとしているが、西條は何故か頬を赤らめて東城を見ていた。
「どうした?」
「やだ、恥ずかしいよ……っ」
「黙れ。そしてさっさと脱げ」
西條の照れた演技を、東城は一蹴する。
本気で恥ずかしがっていないことなど、一目瞭然である。なぜなら、東城が西條の風呂上がりを目撃したときと、明らかにリアクションが違うのだ。
「ナニナニ、ストリップ? アタシが戦ってあげてるのにエロいねー、オニーチャンたち」
「違うに決まってんだろ!」
美桜と相対しながらヒナは茶々を入れてくる。案外、余裕があるのかもしれない。
そうして西條の背中に手当てを施す東城を見ているヒナに、美桜は舌打ちしていた。
「私の邪魔をするということがどういうことか、分かっているのか? 全ての物質を打ち消す素粒子支配能力を前に、お前が敵うと思っているのか?」
「思ってるよ」
ヒナは笑って返す。
「アンタはさっき、アタシの攻撃を避けた。つまり、アンタにはアタシのレーザー……いや、この場合は光量子って言ってあげた方がいいか。それを打ち消せないんだろ?」
「――ッ」
ヒナの指摘に、美桜が唇を噛みしめていた。
それは、あらゆる物質を打ち消すことが出来る世界ノ支配者の、唯一の欠点だからだ。
物質をプラズマ化して使役する東城よりも、彼女の能力は高ランクの支配性を持つ。この世のほとんどの現象も、元を辿れば粒子に辿り着くからだ。
だが、光は美桜の能力の埒外だ。
光子や重力子は、物質ではなく力に作用する側の素粒子だ。レベルDの彼女では、まだその領域に手が出せない。
故に。
光輝ノ覇者の攻撃を、美桜は防ぐ手段がない。
「つーわけで、本気で叩き潰してやろォじゃンか!」
それを見越して、ヒナはレーザーを放つ。
しかし三度のフラッシュの予備動作を完全に見切った美桜は、それを難なく躱す。
カウンターで空気の分子をエネルギーに分解しようとするが、その前にヒナがレーザーを放ち、その演算を阻害する。
「その程度の攻撃にかける演算量じゃないよねェ、それはさァ!」
「そうだな。――だが、その程度のレーザーを避ける為に、演算を止める必要はないんだよ」
しかし美桜も学習し、躱しながらも演算を続行する。
美桜の瞳に映った殺気と紅く膨れ上がった空気を見たヒナは、全力で真横へと飛んで爆発を回避する。
しかし爆発の威力自体は、最強の発火能力者である東城のそれにも匹敵するものだ。
爆風の余波だけで、ヒナの軽い身体は簡単に吹き飛ばされた。
ヒナはどうにか空中で体勢を立て直し、獣のように両手と両足から地面に着地することで、落下の衝撃を僅かだが和らげていた。
「――チッ。体の接続とレーザーの出力が落ちてンのかな……」
「単純な実力差だ。別の要因を捏造するな」
息つく間もなく、美桜はヒナへエネルギーへの分解による爆発を連発する。
東城や西條と違い、ヒナの思考は基本的に容赦がない。自身の身に危険があると感じれば、身を護ることを最優先にし、美桜を殺すことも視野に入れている。
だから、東城たちに対してやったような直接触れて肉体を破壊するという手段が、ヒナには通用しない。それが出来る距離まで近づいてしまえば、ヒナのレーザーを回避することが美桜には不可能だからだ。
「あー」
しかし。
遠距離からの攻撃を黙って避けていてくれるほど、ヒナの気も長くはない。
「ガキが、調子乗ってくれてんじゃねェよ」
ヒナから本気の殺気が溢れ出る。
時間稼ぎとか東城の為とか、そういう理屈よりも美桜への敵意が勝ってしまったのだ。
「ブッ殺すよ」
ヒナが虚空へレーザーを放つ。
それと同時、その光の柱の両手を突っ込んだ。そして引き裂くように手を広げると、左右それぞれの五指から細い鞭のように光が伸びる。
一瞬で消え去るレーザー砲とは違う。高温の物質のようにレーザーを操ることで持久力を得ると同時に、殺傷範囲を爆発的に広げるヒナの奥の手だ。
かつてヒナがこの技を使ったときは、落合と三田による瓦礫の盾を生み出しどうにか活路を開いていた。
だが、美桜にはそれが出来ない。
防御も回避も、美桜の能力には存在しない。
「くッ!」
一か八かで後方へ跳び退る美桜だが、その程度でヒナの間合いから逃れるには足りない。
「アタシを苛立たせてンじゃねェよ、チビッ子ォ!」
計十本のレーザーを網のように編んで、ヒナは上空から美桜を叩きつけようとする。
これに押し潰されれば、美桜は元の形すら残さず息絶えるだろう。
しかし。
ヒナの動きが、ぴたりと止まる。
躊躇した、というのとは違う。
見えない糸にからめ捕られたように、唐突に動きを止めたのだ。
――それはきっと、表の陽菜が制止したのだろう。
――誰かを殺すことだけは、いくら譲歩したって彼女には耐えられないから。
「バカが! ここで止めたらアタシもアンタも殺され――」
自身の中から身体を押さえつけているらしい陽菜を叱責しながら、はっとヒナは気付く。
目の前を覆い尽くすほどの、真っ赤な空気。
美桜がとっさに反撃に移ったのだろう。
身体の制御権が戻っていないヒナには、それを躱すことは出来ない。今すぐ金縛りが解けたとしても、おそらくもう間に合わない。
「終わりだな、光輝ノ覇者。恨み事なら地獄で東城にでも言ってくれ」
そして、美桜は無慈悲にその大気の爆弾を起爆しようと――
「よくやってくれたよ、ヒナ」
しかし、ヒナの視界をその背中が遮る。
誰よりも強く、そして誰よりも傷ついてきた――東城大輝だ。
爆発の瞬間、東城は左手を前に突き出す。
彼の能力は火炎とプラズマ、そして爆発を掌握している。
レベルB以上なら自身の能力に傷つかないよう、自分が操る対象の物質や現象を打ち消せる。たとえそれが、他人の能力によるものであっても。
美桜が分子をエネルギーに分解することで生み出された爆発でも、最強の発火能力者である東城には打ち消せない道理はない。
容易く、東城はその獄炎の爆発を吹き散らしてみせた。
「オニーチャン……」
「もう下がってな。お前のおかげで真雪姉の手当ても終わったし、俺の頭も十分冷えた。それに表の介入が大きくなっちまった今じゃ、避けれるものも避けれないだろ」
東城はそう言って、ヒナの頭をぽんと叩いた。
かつて命を狙われていたことさえ忘れて、ただ労いを込めて。
「……チッ。もう白けたよ。ここは陽菜の望み通り引き下がって、暴徒共でもぶっ潰してやるかな」
調子が狂ったか、ヒナは十本のレーザーの鞭をあっさりと消し、ガシガシと頭をかいた。
「じゃ頑張ンな、オニーチャン。アタシに殺されるまでは」
ヒナは背を向けながらそう残すと、レーザーをぶっ放して壁に大穴を開けて、最短距離でこの鍛錬場を出ていった。
「もっと大人しく出て行けよ……。あぁ、真雪姉。ここは俺一人でやるから――」
「わたしは、見届けたい」
東城の提案に、西條はかぶりを振った。
西條の傷は決して浅くない。手当はしたがとても戦える状態ではない。冷静に考えれば、この場に残っても危険しかないのだ。
だがそれでも、彼女の瞳には揺るぎない山のような覚悟が見えた。
「もう力にはなれないけれど、せめて、最後まで」
「……分かったよ」
東城に似てか、彼女も強情だ。それは文化祭の一週間前に能力を使った姉弟喧嘩を繰り広げたので、十分に知っている。
「――たった一人で、この私と戦う気か」
その様子を見ていた美桜は、わなわなと声を震わせて呟いた。
「舐めてくれるじゃないか」
周囲を押し潰すような殺意を込めた美桜の声に、東城は正面から答える。
「お前は止めるよ。――ここからが、俺の本気だ」
拳を握り締めると同時、彼の全身から業火が滾り、溢れる。
その覚悟を象徴したような炎はあまりに圧巻で。
美桜はただ、唇を噛んで何かに耐えていた。