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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第1部 アーダー・ティアーズ
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第2章 曇天 -6-

 既に外では陽が落ち始め、オレンジ色の光が差し込んでいた。これさえも能力者が用意した疑似的なものだというから驚きだろう。


「あと一分で三時ですわね……」


 ショッピングモールのコインロッカーに買った物などを詰め込んで、四人は当初の目的に立ち戻った。

 ロッカーの隅で、その瞬間を待つ。


「送信機は持ったわね? ちゃんと動作確認しといてよ」


「分かっていますわよ」


 七瀬に忠告する間も貰ったネックレスを付けたままの柊は、少し嬉しそうにそれを指先でいじっていた。


「はぁ。あと十秒なのですから気を引き締めてくださいな」


「わ、分かってるわよ」


 そそくさとネックレスを服の下に隠して、柊は咳払いをしていた。


「五、四、三……」


 狂いなく合わせた腕時計で秒読みを始める。


「二、一、……」


 時間が、来た。――はずなのに。



 七瀬はまだ、そこにいた。



「は?」


 随分と間抜けな声が、全員の口から漏れた。


「どういう、ことですか……」


 時間の読み違えではない。三時きっかりに七瀬は瞬間移動する予定だったし、こうして驚いている間に二十秒近く過ぎ去っている。時計の僅かな誤差、という可能性も無い。


「まさか、研究所が回収をやめた……?」


 だが、研究所がそのような初歩的なミスをするとは到底思えない。まして彼女はアルカナという貴重な人材だ。つまり、その彼女の追跡が解けたということは何かしらの方法で七瀬の行動がばれた事を指す。


 七瀬は「その様な事が起こり得るはずが無いのですが……っ」と唇を噛んでいたが、現実にそれが起きている以上あり得ないと逃避している場合ではない。


「――密告者がいる、って事ですか?」


 神戸が真っ先にその可能性を示した。いや、東城自身誰かを疑いたくないから口にこそ出さなかったが、それが最も可能性が高いとも思っていた。


「どこにその密告者がいたっていうのよ。私も七瀬もそれなりに戦闘経験を積んでるのよ? 誰かの視線に気づかないほど間抜けじゃない」


「でも、さっきの服飾店なら……」


「もしそうだとしても、私や七瀬はともかくとしてアンタは完全にフリーだったでしょ。まさか自分じゃ視線も気付かない間抜けな肉体操作能力者じゃないわよね?」


 当たり前だと東城は思う。実際に神戸の能力を目にしたわけではないが、七瀬と同じレベルAを名乗る以上、こと人の動きや気配に関しては敏感なはずだ。


 何か、胸騒ぎがする。


 密告者の存在を恐れているのとはおそらく違う。

 この状況を生み出せる最悪の可能性を、理解するよりも先に東城は感じていた。


「神ヲ汚ス愚者……」


 思い浮かぶと同時、心に留めるのを体が拒否したかのように東城の口からその名が漏れ出た。

 あり得ない話ではない。相手の鼓動や視線から心理状態を読み取れる可能性があるということは、あらゆる気配の察知できない死角を見つける事もできるかもしれない。同じ能力種の神戸の上位体であるなら、神戸が気付けないのにも無理はない。


「まさか、もうこっちに入ってるってわけ……っ!?」


「そんな馬鹿な、と言いたい所ではありますが、可能性がまるで無いわけではないでしょう。現にわたくしはこの地下都市に侵入しているわけですし」


 やり方は決して褒められたものではないが、既に七瀬がこの地下都市に外部から入れることを立証してしまっている。ましてあんな手荒な真似が通るのなら、もっと巧妙な策を練れば悠々と侵入で来てしまうような穴がある可能性も否定できない。


「……凄いですね、先輩たち。そんなに分かってしまうなんて」


「感心してないでお前も考えろよ。俺と違ってこういう戦いにはお前の方が慣れてるんだろ」


 そう神戸に会話を投げかけた時、胸騒ぎは大きくなった。

 頭ではその原因を理解しようにも処理できずにいる。だが、体が何かを訴えている。


(何なんだ……?)


 疑問と不安が拭えないどころか増していく東城をよそに、神戸は呆れたような口調を作った。


「――……まだ、分かりませんか?」


 彼の手が、柊へと伸びる。


「やめろ!」


 東城は反射的に叫び、炎で神戸を弾き飛ばそうとする。だが、それをあざ笑うかのように神戸は東城へと向き直る。


 直後。


 いつの間にか東城は顔面を掴まれ、はるか後方へと吹き飛ばされていた。


「――ッ!?」


 あまりの速さに東城は現状を把握できない。神戸の意図もそうだが、物理的にも視界はブラックアウトし体はぐるぐると回転しているらしく上下と前後の感覚も掴めない。


「大輝っ!」


 耳馴染みのある柊の声がして、東城は狂った方向感覚でそちらの方に手を伸ばす。それを握る柔らかくも強い手の感触があって、そこで東城は止まった。


 尻もちをつくように倒れた東城は、ぞっと背筋を震わせた。

 あとほんの数十センチで、東城はショッピングモールの硬いコンクリートの壁に叩きつけられるところだった。あの速度で衝突していたなら、五体満足とはいかなかったはずだ。


「いやぁ、推理劇の末に指を差されるのも個人的には大好きなんですけど、そういうのはもう一年も前にしっかり終わってますしね。再演するのも面倒なんで必要な所だけちゃちゃっと済ませましょうか」


 ようやく、賑わう繁華街にいる周囲の人間がこの異常に気付く。昨日の七瀬の戦いの情報も漏れていたらしく、一気に恐慌めいたパニックに陥ってしまう。


 しかしそれも当然だろう。いくら能力者だけの世界とは言え、その大半は戦えるようなレベルではない。それでパニックを起こすなという方が無茶だ。


「あー、邪魔くさいですね。みんな殺しちゃおうかな」


 背筋に氷でも落とされたかのような悪寒が、未だ座り込んでいる東城を襲う。神戸から放たれた軽い言葉の奥に秘められていたのは、憎悪の類さえ含まぬ、研ぎ澄まされた殺意だった。


「おい、神戸……ッ!」


「やだなぁ、先輩。ただのブラックユーモアですよ?」


 神戸の顔が歪む。太陽を背にしている為か顔が暗い影に覆われ、その気味悪く細められた目と三日月のように吊り上がった口が、気味悪く光を放っているように見えた。


 それは底の見えない狂気と狂喜に満ちた、おぞましい笑みだった。


「とりあえず、逃げるわよ。状況がまるで分からない以上、混乱したまま立っているなんてバカのする事だわ」


 東城に耳打ちすると、柊は横に薙ぎ払うような雷を放った。

 雷速という恐ろしい速度の一撃だが、七瀬にも躱せているのだから神戸なら躱せるだろう。そうなると予想した上で、その衝撃と閃光で時間を稼ぐという魂胆だろう。


 なのに。


 閃光の向こうで何かがひしゃげる音がした。

 腐った果実を潰すような、湿り気を帯びた不気味な音が。


「あー、痛い痛い。酷いなぁ」


 純白の閃光の向こうから、神戸は姿を現した。脚は弾け血を噴き出し、真っ赤で歪なばねのような形になっている。


 それほどの重傷を負ってなお、奴は痛覚を持っていないのか張り付けたような不気味な笑顔は消えなかった。


「どういう、事だよ……っ。何してんだ……!」


「何をしているかと聞かれても、避けなかったとしか言いようが無いですよね。あ、大丈夫ですよ。僕は基本的に不死身なんで」


 下半身を失っていながらもさらりと口を動かす。それはもう、人とは呼べなかった。自ら進んで下半身を失い、それでいて一切笑みを崩さず会話をするなど、化け物以外の何物でもない。


「ウソだろ……。テメェは、レベルAの肉体操作能力者だって、そう言ってたじゃねぇか――」


「あー、まだ気付きません? 僕の能力名」


 いや、気付いている。ほとんど奴自身が自白までしているのだ。ただ東城は、その事実から目を逸らそうとしているだけだ。


 しかし神戸はそれすらも許さぬように、告げる。


「僕が、神ヲ汚ス愚者でしたー」


 奴の足が、筋肉による動きとは別の脈動を見せた。そしてまるで骨が生きているかのように動き回り元の形を取り戻していく。肉が湧き出るようにそこから生み出され、ピンクの気味の悪い物体は肌色の肉へと姿を変える。


 ゴキゴキと骨と骨が接合するかのような音がしたときには、すでに血濡れたズボンを履いているだけの正常な脚に戻っていた。


「いやー、さっきから全然気付かないんだもんな。どのタイミングで言い出したらいいか難しかったですよ」


 神戸が操られているなどという甘い判断はあり得ない。もしそうなら、奴のあの不気味な笑みは何だと言うのか。


 もう、否定も逃避もできない。


 目の前にいる少年は、間違いなく神ヲ汚ス愚者だ。

 最強の能力者である東城を打ち負かし、記憶を奪い去った、最悪の能力者だ。


「――呆けている場合ではありませんわね。とりあえず、立ち向かいますわよ」


 七瀬だけが、水のランスを生み出して構えていた。だが東城も柊も、逃げ出すどころか一歩も動けず立ちすくんでいる。


「あー、波涛ノ監視者。僕の指令を無視して寝返っているんですし、覚悟くらいはできてますよね?」


 ぞわりと、全身の毛が逆立つのを東城も七瀬も感じた。

 それが殺気によるものだと、一瞬だが分からなかった。

 神戸から放たれたあまりに重苦しく粘ついた空気は、何かの能力かと錯覚してしまうほどに逸脱した殺意だけを秘めていた。


「なんちゃって。もーいいですよ。あなたに興味はないですし、寝返るなら寝返ればいいです」


 ふっとあれほど異常だった殺気は消えて、神戸はただ東城を目指して歩いていく。

 水のランスを構える七瀬など、まるで気にとめない。


「――ッ! ふざけないでくださいな!」


 取るに足らないと見下された七瀬は、それに対する怒りも混ぜた一撃を突き出した。空気を切り裂き、その水のランスは神戸の皮膚さえ容易く貫いた。左肩は貫通して血を噴き出し、関節を失った左腕がぶらりと垂れさがる。


 ただそれだけ。


 何も無かったかのように、神戸は止まらない。

 一瞬だが七瀬の横でその淀みない歩みは緩んだようだが、それも七瀬が邪魔で歩きづらかったとか、その程度の理由なのだろう。


「――――ッ!」


 あり得ないものを見たかのように、七瀬はただ驚愕して言葉を失っていた。七瀬七海という存在自体を無視され、否定され、しかし七瀬は攻撃以上に自分を表す術を持たない。いや仮に持っていたとしても、神戸は興味を示さないだろう。


 神戸の興味の対象は二人のレベルSであって、七瀬ではない。彼にとって七瀬は周囲を取り巻いてパニックを起こしている群衆と何も変わらない。暗にそう神戸は言っているのだ。


 この場で戦うだけの七瀬の意志は、それだけの神戸の意志表示で根こそぎ削り抉られる。

 彼女の脚が、力を失くしていく。


「跪くんじゃないわよ。アンタの意志が折れたら、その時は大輝も危険になるんだから」


 柊の言葉で、七瀬はぎりぎり踏みとどまった。あのままでは膝を折って崩れていたかもしれない。だが、たとえ踏みとどまったとしてもまだ立ち向かえるような様子では到底なかった。


 それを横目でちらりと見てから、柊は神戸の前に立つ。


「確認するわね。アンタは、本当に神ヲ汚ス愚者なのね?」


「操られてそう言わされていると思うならそれでもいいですよ?」


 からからと乾いた声で嗤うその姿に、柊もその事実を確信せざるを得なかった。

 神ヲ汚ス愚者は神戸拓海だ。記憶を奪ったのは、こいつだ。


 柊のダークブルーの瞳に、次第に怒りの電光が宿っていく。


「だったら、私はアンタを殺す」


 突き刺さるような、そして同時に焼きつくような殺気が神戸に放たれる。

 そしてそれを具現化するかのように、紫電が大気を叩きつける。

 そのレベルSの本気を目にした群衆が、ようやく恐慌から少しの自我を取り戻して蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 だがそれだけの能力と殺気の嵐の中で、神戸は平然としていた。むしろここが自分の居場所だとでも言わんばかりに、心地よさそうにさえ見える。


「無理ですよ。だって僕は、先輩より強いですから」


 柊はその一言で最後のタガを外したようだった。神戸の周囲に雷雲のようなものを生み出し、全方位から高圧電流で神戸を感電させ続けた。

 容赦など微塵もない、ただ殺戮する為の攻撃。破壊と再生を繰り返す神戸の顔が苦痛に歪もうと、柊はそれを止めようとしない。


 はずだったのに。


「……先、輩……ッ。助け、て……ッ!」


 声が、神戸のそれに戻った。しかし耳に馴染んだあの少年らしい柔らかみのある声は、今は苦痛に染まっていた。そう思ったときには、柊の紫電は姿を消していた。


 その反射的な躊躇を、能力の演算は正確にくみ取ってしまったのだ。


「だから、僕は神ヲ汚ス愚者ですってば」


 その一瞬で全身を完全に再生させた神戸は、コキコキと首の関節を鳴らして立っていた。ほんの少し前までとなんら変わらず、柊の攻撃さえ無かったかのように。


「いやぁ、面白いですね。ちょっと騙すだけでこれですか。オレオレ詐欺が流行るはずですよ」


「ア、ンタねぇ……ッ!」


 柊が怒りを露わにし、全身から紫電を迸らせる。そして微かに震える拳を握り締めていた。もう止まらないと、神戸であろうと止めはしないと、そう誓っているように東城には映った。


「待って、柊先輩……」


 そんな柊の覚悟をなじるように、神戸はころころと声色を変えて揺さぶる。

 そしてそれは的確だった。いくら覚悟を決めようとしていても、柊の放電は虚空へと消えていった。


「ほら、またそうして隙を――」


「いい加減にしなさいな、この外道」


 奴の背後に、七瀬が立っていた。

 失いかけていた戦意は前以上に猛り、獰猛に神戸を睨みつける。数十のランスの全てを、神ヲ汚ス愚者を包囲する為だけに生み出していた。一歩でも動けばそれは容赦なく突き刺さり、神戸の動きどころか息の根すら止めるだろう。


 レベルSの肉体操作能力者といえども、脳を破壊されてしまえば演算ができない。すなわち、再生できないという事だ。そしてこの水のランスは全て彼の頭蓋を向いている。神戸がどれほど速く動けようとも、これらすべてを躱すのは不可能なはずだ。


 まさしくチェックメイト。


「――こういう逆境こそ僕の行き場所ですよ。むしろこの程度じゃ、温いくらいだ」


 そう言って嗤う神戸の拳は、いつの間にか七瀬の顔面を捉えていた。


「――ッぁ!」


 七瀬がごろごろと後方へ吹き飛ばされ、そこで動きを止めた。胸の上下運動が微かに見てとれるから呼吸はしているのだろうが、水のランスが全てただの水となって消えた以上、七瀬の意識は途絶えている。


 東城が瞬きする程度の僅かな時間で不可避であったはずの包囲網を掻い潜り、なおかつ七瀬が安全だと思って取っていた間合いを詰めた。全ての策を身一つでなぎ倒し、堂々と七瀬を吹き飛ばしていたのだ。それはもう、人に許された速度をとうに超えている。


「レベルA風情が、レベルSに本当に敵うとでも?」


 狂った声で神ヲ汚ス愚者は既に意識の無い七瀬を嘲笑う。そこにはもう、あの穏やかな少年の面影は残っていなかった。


「ふざ、けんじゃないわよ!」


 その状況で、彼への怒りだけで戦意を再度たぎらせた柊が叫ぶ。

 リニアの原理で高速移動すると、速度を緩める事もせずに鞭のようにしならせた脚で神戸の腹に蹴りを入れた。

 神戸は避ける事も防ぐ事もできずにそれを受けて、吹き飛んでいく。

 だがそこで柊は終わらず、ようやく生まれた神戸の隙に、柊は猛攻を仕掛けようと神戸のベルトを磁力で引き寄せた。


 しかし、神戸はそれを見越していた。


 柊の与えたダメージなどまるで無かったようで、引き寄せる速度を逆に利用して開いた距離を詰めると、柊の額にその速度を乗せた肘鉄を叩きこんだ。


 そのたった一撃で、柊の意識が奪い去られる。

 どしゃっ、と柊の体が硬く冷たいアスファルトに崩れる。


「あははは。レベルSとレベルAの二人がかりでこれですか。あっけないものですね」


 腹を抱えて笑っていたかと思うと、神戸がぐるりと頭を回して東城を視界に捉えた。その口は、三日月のように大きく歪んでいた。


「戦わないんですか?」


 神戸の当然の問いに、東城は答えられない。


 震えが止まらなかった。かつて自分から記憶を奪い去ったほどの能力者が目の前にいるという事実に、今すぐ逃げ出したいほどの恐怖を覚えた。

 だが七瀬も柊でさえも一撃で沈めたその強さに、足が竦んで逃げる事さえ叶わない。そんな状況で戦うなど、できるはずもない。


「なら、さっさと死んでください」


 神戸はただ嗤ったまま、ゆらりと動く。そして超人的な脚力で東城の眼前に立つと、鳩尾にその拳を突き刺した。


 視界が揺れ、明滅する。そう気付いたときには、ずしゃりと自分の体が地面に倒れるのを感じていた。だが、そこから起き上がれる気がしなかった。たった一撃受けただけで、まるで身体を動かす神経が死んでしまったかのような錯覚を感じてしまう。


「いやー、懐かしいですね」


 神戸は笑って、動けない東城の額にそっと触れる。ぞわり、と全身の毛が逆立つような怖気が襲う。


「一年前もこうして、記憶を奪ったんですよ」


 その言葉で、東城の血液は沸騰した。視界が赤く染まり指先まで熱く煮え、恐怖など紙きれのように燃えてしまう。


「テ、メェ……ッ!」


 両の掌から炎を噴き出し、そのままの体勢から東城は神戸に猛然と突進しようとする。


「お、やっと戦う気になりましたか。なら僕も、本気を出しましょうか」


 みちみちという音が、神戸の体から聞こえてきた。怒りなどの感情を全て塗りつぶして、全身の細胞が警告を発する。


 直後繰り出された神戸の拳は、コンクリートを軽々と粉砕した。東城がぎりぎりで怒りを抑えて回避に転じていなければ、木っ端微塵になっていたのは東城の身体だっただろう。


 無理やり爆発で飛び上がって躱していた東城は空中で体勢を立て直すと、間合いを取ろうと炎を推進力に神戸を飛び蹴りで吹き飛ばした。


「本気だって、言いましたよね?」


 だが神戸は地面に着地すると即座に切り返した。

 それを視認したときには、ごっ、と鈍い衝撃と共に東城の顔が歪み後方へ吹き飛ばされていた。ごろごろと無様にアスファルトを転がり、十メートル近く飛ばされてようやく止まる。


 鼻や唇からは血がとめどなく流れ、ぽたぽたとコンクリートの上に小さな水たまりを作った。

 平衡感覚は完全に奪われた。起き上がるどころか、焦点を合わせる事さえままならない。

 そこで気付く。両の手に滾っていた炎が、消えている事に。


「見ての通りです。先輩はもうフリーズを起こしました。どれほど強い能力者であろうとそうなればただの人だ。この意味が、分かりますか?」


 再度、恐怖が東城を襲う。

 レベルS二人とレベルA一人を相手にして何事も無かったかのように平然と立つ男に、今の東城では立ち向かう事さえできない。最強の能力者などという肩書があったところで、その最強の能力が一時的にでも失われた今、残るのはこの身一つしかないのだから。


 神戸が東城にそっと手を伸ばす。神戸はレベルSの肉体操作能力者だ。それに触れられたが最後、全身の細胞を破壊されても何らおかしくは無い。


 逃げなければいけない。

 だが、動けない。

 殺されるのを、ただ待つしかない。


「――させるわけないでしょ!」


 東城を殺すべく手を伸ばした神戸との間に、柱のように太い雷が落ちた。それは柊の怒りそのものを顕現したのか凄まじい衝撃波を撒き散らし、神戸の動きを止めた。


 小さく舌打ちして、神戸はその声がした方を僅かに睨んだ。


「何なんですか、柊先輩」


「私は二度と大輝を失う気は無い! その為なら、アンタだって殺す!」


 その柊の鋭い眼光を見て、神戸はまたあの穏やかな声を作った。


「そんな柊先輩……」


「その声で喋るな!」


 目を向き怒号を飛ばす柊の紫電で、神戸の左腕が爆ぜた。だがそれでも神戸は顔色一つ変わらなかった。


「あーあ。この方法で揺さぶりをかけるのはもう無理ですか。だとしたらもう少し作戦を用意した方がいいですかね。じゃあ、僕は一旦退きますよ」


 一瞬、その意味が分からなかった。これだけの優勢で神戸が引く理由など無いからだ。


 だがそのほんのすぐ後、東城は喜んでしまった。

 この恐怖から解放されるならもう何でもいい。理由など知った事ではない。生きられるのだ。せめてまた神戸が来るまでは、生き延びられるのだ。


 だが同時に、東城は絶望していた。

 柊を傷つけられて何もできないまま、それをよしとしてしまう自分に。目の前の戦いから逃れる事を是としてしまう自分に。吐き気すらするほどに嫌悪していた。


 そんな中で、あの不気味な声はこう告げた。


「次に会う時は悲鳴と屍の入り混じる、世界の果てで」


 血に濡れた無傷の姿で、神戸は去っていく。


「逃がすわけが無いでしょ!」


 柊が紫電を放つ。だが、神戸の歩みが滞ることなど無かった。


「僕は不死身ですよ」


 ただ冷たく、振り向きざまの一瞥と共にその言葉を放つ。その姿は、三者に三様の絶望を植えつけていた。


 誰も、何も、神戸を止める事はできなかった。

 身体の中の大切な何かが、折れる音が聞こえた気がした。




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