暗黒美術室
6話目投稿。今回は短めです。ごめんなさい。でも、次回はいつもより長くなりそうです。
(ひ、ひぃぃっーーーー! な、なんか変なオーラ出てる!?)
美術室前で初っ端から悠人は、声に出せない悲鳴を上げた。
悠人はここまで前後左右を確認しながら、少しづつ進んできた。その姿はさながら密林で敵兵に囲まれた兵士のようである。学校という場では、要通報の不審人物そのものだ。それでもどうにかとがめられることなく目的地に辿り着いた。しかし、悠人は入ろうとはせずに奇行を繰り返す。
悠人は不思議な踊りを踊った。
美術室のドアの前で手を抜き差しして、それに合わせて足を前後にステップしている。入ろうとしては躊躇っているのだが、時折「……えひゅ」「……ぐゆ」「ううー……」と漏れ出す情けない声も相まって、どこか奇妙な民族舞踊を踊っているようにしか思えない。
幸いにして観光客はゼロだが、そもそも悠人が不思議な踊りを踊っているのはそれが原因である。
美術室は部室棟ではなく、一般教棟に位置している。なので放課後人が少ないのはおかしくない。皆それぞれの部活に向かい、帰宅部はさっさと帰ってしまうからだ。
だが、一切人が見当たらず、その気配すら皆無というのは明らかにおかしい。
美術室のある階は二年の教室があり、また放課後になってあまり時間が経っていないというのに、生徒は一人もいない。話し声どころか物音一つしない。
夜の帳に包まれたような静寂に、耳鳴りがした。喧噪溢れる放課後のはずなのに、この空間だけは死んでいた。
(…………ま、魔空間?)
自分の絶対領域よりも遙かに上級な排他空間に、悠人は戦慄を覚えた。
だがありったけのあるがなきが如くの勇気を振り絞り、震えまくる手を握る。生唾を音を立てて飲み込み、ノックをしようとする。
ドアを叩くまであと五センチというところで、その手が止まった。
……なにか、音がした。ガタッ、ゴトッ、と少し重たい物を動かす音だ。ここに来て自分以外が出す初めての音でもある。
何故か無性に嫌な予感がした。背筋を悪寒が駆け抜け、ぶるりと身体が震える。本能がここは危ないと全力で警告してくる。
そっとドアを少しだけ開けてみた。息を殺して隙間から覗き見てみる。垣間見えた、その光景は。
蕗が、なにかを一生懸命引き摺っていた。それは人一人足が少しはみ出るが、寝られるぐらいの木製の台だった。
だが、悠人の視線を一点に浴びているのは、別のものだ。
蕗は台を一生懸命引き摺っていた。なにか不穏な鈍い光を放つ、ナイフ状のモノを持った手で。
…………刃物? それに祭壇?
サバトーーーーーーーーーー!!
「い、生け贄にされるーーーー!」
悠人の甲高い悲鳴が上がった。その悲鳴にピクリと反応し、蕗が焦らすようにゆっくりと、こちらを振り向く。光る凶眼、光る凶器。
「ひあーーーー!」
完全に腰が抜け、悠人はその場にへたりこんだ。「に、逃げなきゃ……逃げなきゃ……逃げなきゃ……」と馬鹿の一つ覚えに繰り返し、激しく震える足に力を入れる。だが、ぴくりとも動かない。
その間に蕗はこちらに一歩、一歩と歩を刻む。もちろんその手に光るものを握ったままで。心なしかその凶眼の鋭さと、宿す凶光が増しているような気がした。殺る気まんまんのようである。
(死、死んだーーーーーー!)
走馬燈が万華鏡のようにキラキラ輝き回った。止まらない、止まらない、どんどん情けなくも笑える過去を映し出す。真っ直ぐにこちらに進行する蕗も止まらない。死まで一直線だ。
そしてとうとう蕗がドアを全開にし、眼前に立った。
「あう、あう、あう…………」
もはや命乞いも口にできなかった。
「あの、そこでなにしてるの」
痴態を晒す悠人に、蕗が尋ねる。その凶眼と凶器とは裏腹に、物静かで穏やかな声だ。
「そ、そそそそそ、それ…………」
「……これ?」
悠人が目線で訴える先、自分の手中にある光るモノに蕗が凶眼を遣る。その眼光は鈍い銀光よりも、なお強かった。
「使おうと思ったけど、今日は使わない」
(じゃあいつか使う(殺る)気なのーーーー!)
明日あたり解体される自分を想像し、血の気が一気に引いた。
そんな今にも心労で死にそうな悠人に、蕗はどこかのんびりとした口調でいう。
「とりあえず試しにスケブで。キャンバスはまた今度」
「え?」
サバトじゃないのと気が抜けると、ようやく頭が冷静になった。蕗が手にするものをよくよく見る。
「……パレットナイフ?」
「うん。どのみち今日中に色塗れそうにないし。性急すぎた」
「な、なんだー」
安堵感から肺の空気を一気に吐きだした。強張った体から力が抜ける。
しかし落ち着いたところで、蕗の言葉の意を理解した。
(……描く気まんまんですか)
どのみち逃げ場のない悠人であった。
「とにかく中に入って。大丈夫?」
本人は心配げに見ているつもりなのだろうが、愚図は命殺るぞはよ立てやチン○スヤローと急かしているようにしかとれない蕗の目に、急いで立とうとする。
しかし一度抜けきった力はなかなか入らず、立とうとはするが果たせない。
「あ、あれ? ちょっと待って。今立つから――」
悠人があくせくしていると、スゥッと手が差し伸べられた。注視すると油絵具の跡があるが、滑らかで、柔らかそうで、とても綺麗な手だ。
それは蕗の手だった。
「えと……」
ちらりと蕗の顔を見遣る。心配げ(推測)な凶眼。
(こ、これは手を取るしかないの?)
恐る恐る手を伸ばす。触れる寸前、悠人はふと気付いた。
今取ろうとしている手はとても綺麗な手で、そしてそれは女の子の手な訳で。
悠人の頬に朱色が差す。恐い気持ちよりも恥ずかしさが勝り、思わず手を引っ込めてしまう。
「……あの、ごめんなさい」
そう謝った声は悠人のものではなかった。
悠人の行為を拒絶と勘違いしたのか、蕗が深閑とした校舎にも掻き消えてしまう声で謝っていた。その声は表面上は静としたものだが、その深淵は物悲しい。
あっ、と悠人は思った。
いけない、とも思った。
なんの根拠もなく直感した。
そうしたら、反射的に蕗の手を掴んでいた。
両手で優しく、でもしっかりと包み込んでいた。
「あっ」
蕗の驚く声。
その声を聞いて悠人は我に返った。そして気付いた。
自分がトンデモ恥ずかしいことを、しでかしたことに。
「にょーーーー!」
NO!! と叫びたかったのだが、呂律が上手く回らなかった。
「ちが、違うんだよ、これ! ホント、これ。いやでも違わなくないかもだけど、なんかこう、次元的な差異が生じているのでっ!」
悠人の言語機能に次元的な差異があるように思える。意味不明なことを叫んでおたおたしていた。
でも、その手は離せない。
握った手から、ほんのりと伝わる蕗の体温。本当に久しぶりの、異性の手の感触。
ボンッ、ボンッ、ボンッ、と悠人の脳はどんどん加熱した。なんとか機能停止しないよう、理性を持って全力で押さえ込む。
だがその努力も――
蕗がパレットナイフを持ったままの手で、握られた手と合わせて悠人の両手を逆に包み、ゆっくりと立ち上がらせ、
粉砕する。
「ありがとう」
悠人がいうべき礼を、蕗がいった。
ただ言葉だけなら、悠人もギリギリで意識を留めていただろう。
でもこれはダメだった。反則だった。
その凶眼よりもずっと。
蕗は目を細めて、口の端を上げて、お礼をいっていた。
それはとても信じられないほど可憐な、極上の微笑み。
ただ目を笑みの形に細めているだけで、凶の字をいくら付け足しても足りないくらいの目を中和している。いや、それどころか完全に打ち勝っていた。その凶眼の恐怖と悲鳴の思い出が、どこか遠くに吹っ飛び消えていった。
その原因は、優しく暖かで、本当に魅力的な笑顔だった。
ボフンッ、とポンコツな音を立て、悠人の思考が止まる。
止まりながらも、微かな間隙を縫うように思い出す。
いや、感じる。
ずっと昔に忘れてしまった大事なものを。
でもそれがなにか分かる前に、
「ぷぎゅうー……」
悠人は倒れ込んだ。
この辺りで起承転結でいう、承に入ったところです。