幼い頃の悪夢と凶眼
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全てを飲み込んでしまいそうなほど黒く、暗い空間に悠人の意識は浮かんでいた。何も見えず、何もなく、ただ悠人の意識だけがある。
悠人は何一つ考えられず、ただぼんやりと空間を漂っていると、眼下に何かが見えた。
幼い頃の悠人だ。
ひどく傲慢で、自分は世界の中心にいると過信していた、馬鹿な子どもだ。
しかし今の幼い悠人は覇気がなく、吹けば消えてしまいそうなほど頼りない。自信に満ちあふれた態度は、どこにも見当たらない。
幼い悠人の前には、同じ年頃の少女が一人立っている。幼い悠人はまるで裁かれるのを待つ罪人のように、少女を震える目で見ていた。
そんな幼い悠人に、彼女は断罪の言葉を口にする。
『……好き? えっ、アタシが好きなの? ………………プッ、アハ、アハハハハハッ!な、なに? なにいってるの? 好き? 好きなのアタシが? そ、そんな変な顔してるくせに? アハハ、ハハハハハッ!』
さんざん笑い通されたあとに、心の臓を抉る鋭利な刃物のような言葉を投げかける。
『別に、好きでもなんでもないよ。そんな変な顔をしてるくせに。好きになってもらえるなんて、本気で思っていたの?』
たったそれだけの言葉で、悠人の全てが崩れ去った。
誰もが自分を好きなんだと思っていた。必要としてくれていると思っていた。
でも、それは全てまやかしで、妄想で、自分は醜くいらない存在だという現実を突きつけられた。
母親に拒絶された時から、とっくにわかっていた。それでも誰かに縋りたかった。だから好きだった女の子に告白した。自分を認めて欲しくて、自分は必要な人間なんだといってほしくて、告白した。
でも、やっぱり自分はいらない子だった。
場面が変わる。虚ろな目で母親の背中を見つめる幼い悠人が、一歩も動けず座っている。もはや振り返りもしない、自分を捨てていく母親の背中を、縋る気持ちすら起きずに見つめている。涙が一筋だけ流れた。
それを見ていた意識だけの悠人も、ありもしない身体で涙した。声なき声で叫んだ。
しかし、その声は誰にも届かない。
過去の幻も消え去り、悠人は孤独という名の絶望の中にいた。
暗く冷たい、でも優しい闇の中に身を任せる。
一人はいやだ。独りはいやだ。
そう嘆く悠人の心に、闇がささやく。
でも、その方が楽だろう? ここにいれば誰もお前を責めないし、傷つけない。人に避けられ、嫌われるよりもずっとましだろう?
甘い闇の言葉に、悠人の心が惑う。それはあまりにも残酷な誘惑で、でも抗えない魅力を秘めている。
悠人は悩み、何度も逡巡し、考えた末に頷こうとする。こんなにも苦しくて堪らないのなら、独りでいるほうがましだと。
孤独に身を委ねようとする悠人を、しかし強い光が遮った。
それは真夏の雲一つない太陽にも勝る、過剰な光明だった。物量を伴っていると錯覚してしまう程に、眩しすぎる光だった。
闇に飲まれかけていた悠人は、嫌がるように意識を光から逸らす。闇を求め、何もない空間を彷徨おうとする。
しかし、一枚の絵がそれを阻んだ。美しく、心震わせるイロハカエデの絵。
それを見た悠人は、不意に後ろ――光へ振り向きたくなる衝動に駆られた。
希望なんて信じないと、薄弱な心が抵抗しようとする。しかし絵に押されたかのように、緩慢ながらも顔を向けてしまう。
そして光を見た。あまりに眩しくて、何が光っているのかよくわからないが、それでもどうにか見ようとする。
一つだと思っていた光源は、どうやら二つあるようだ。間隔はほとんどなく、それこそ眉間ぐらいしかない。これは一体なんなのか、更に詳しく見ようと目を凝らす。
そうしようとしたのだが……何故か冷や汗が流れてきた。しかし衝動はそれよりも強く、悠人は正体を見極めようと目を凝らす。
だがすぐさま、悠人はこの直感に従わなかったことを後悔した。
それは、それは――。
世にも恐ろしいの上限を軽々と超えた、魔王の如き双眼であった。
その凶眼からアイビームよろしく、眼光を放っている。
(……ぷぎゃあ! 恐っ! てか光? 眼光ってそんなに眩しく出せるものなの!? 反射する光源もないのに!? じ、自家発電?)
みっともなく怯えているだけでいると、その眼光(?)が極限まで増し、全てを照らし出す。
闇が、安寧が、どんどん消えていく。
嫌だ!
悠人は小さな子どものように、闇に縋り付いた。
独りは嫌だ。でも人に嫌われ、必要とされない方がもっと嫌だ。だから闇を、僕から闇をとらないで。
しかし、悠人の願いとは裏腹に、闇は全て消え去った。追い詰められた悠人は、ぽっかり浮かんだ凶眼を見上げる。恐れるような、寂しいような、泣き出しそうな、そんな複雑に歪んだ顔で、叫ぼうとした。
見ないで。こんな僕を見ないで。
でも、その凶眼の持ち主は、容赦無く悠人の言葉をぶった切った。
『だったら君、私の絵のモデルになってくれない?』
「きゅあたーーーーーーーーーーーー!!」
奇妙な叫び声を上げて、悠人は目覚めた。
続けて純血を固守する、か弱い乙女のようにシーツで体を覆い、びくびくと体を震わせる。かと思いきや、突然天井を見上げて絶叫した。
「い、嫌だーーーーーーー! モモモ、モデ、モデル! 無理! 絶対無理! ひゃくぱー無理! 死んぢゃ、死んじゃうよそんなの、僕っ!」
最後辺りで若干噛んで、頭を抱えながらひたすら悶える。
五分はそうしていただろうか。しまいには泡を吹きそうだった悠人は、ようやくここが自分の部屋で、さっきのは夢だったと気づいた。
「ふぁふーーーー」
安堵のため息をたっぷり吐く。
悠人は自分の臭いが染みついたかけ布団に顔を突っ込んで、今ある生に感謝していた。顔の筋肉なんて、人様に見せられないくらい緩んでいた。
「よかった、ほんとうに夢でよかったよぉ」
ここが世界で一番安全な場所だと確かめるように、悠人は重大な事実を忘れたまま、自室に視線を巡らせた。
悠人の部屋は六畳一間の広さで、床はフローリングである。
家具は、悠人がいるシングルベッド、性格が伺える几帳面に整頓された勉強机、様々なジャンルの本が入った本棚、私服が入ったタンスといったところだ。制服はハンガーに掛けられ、ベッド脇の突起に吊されている。
加えてCDやらを満載したカラーボックスの上部に、コンポが置いてあったり、勉強机の片隅にノートパソコンがあるなど、意外に普通の部屋だったりする。
タンスの小さな引き出しには、悠人の姉がチョイスしたアクセサリーが入っているが、自分には不釣り合いだという理由から、滅多につけることはない。
衣服も同じく姉が選んだのだが、これは着るものが他にない(姉は悠人自身に服を買わせることを禁じている)ので、似合わないと思いつつも仕方なく着ている。
ちなみに悠人はエロ本買う勇気もないへたれなので、そういった類のものが一切無い。凄いのか情けないのか、正直判断に困る。
そんなへたれな悠人はまだ寝惚けているのか、自身の重大な危機に気付かず弛緩し続けている。
「ああもう恐かったなあ、あのとんでも悪夢。あの目と較べたら、リアル目玉親父の方が可愛げあるよね」
自分の縄張りの中だからか、悠人の声にはいつもの緊張したような固さがない。完全にリラックスしきっていた。
しかしこの安寧は、すぐさま壊れてしまう。
「それにこんな僕をモデルになんて、ありえなさすぎだよ。いったいどういう了見なんだか。現実じゃあ絶対にありえない。なんか怖いものがあった気がするけど、気のせい気のせい。とにかく夢でよかっ――いや、夢? 夢、夢、ゆめ……っはぶぁ!」
自身の奇声で貴重な安らぎは、瓦解というより自壊した。
悠人はようやく昨日の出来事を思い出した。昨夜さんざん悩みに悩み抜いて、結果三時間も寝ていないというのに、たいした間抜けぶりである。
とにかく悠人は、あの悪夢は正夢だと気づいた。
「モ、モデル? 僕モデル? 相田さんの? いーーーーやーーーー! 死んじゃうマジ死んじゃう! 今日が僕の命日!? ただでさえ人に見られるの嫌なのに、モデルプラスあの凶眼だよ。五秒で死んじゃうよ! メ、メデューサアイっ!」
頭を抱えて悶えまくる悠人は、同情よりももはや失笑を誘う。でも本人は必死なのだ。……文字通り、必ず死ぬかもしれないが。
昨日蕗の絵を損壊し、賠償としてモデルになれといわれてから、ほとんど上の空だった悠人は確かにこういわれた。明日、昼休みに教室に行くから、そこで日取りを決めよう。
日取りとはもちろん、悠人がモデルになる件だ。
あの時の獲物は逃がさねえぜゲヘヘ逃げたらブッコロスぞオラァと雄弁に語っていた目から、ほぼ間違いなく今日、初っ端からモデルをやらされるであろう。
もちろん悠人は、
「嫌だーーーーーーー!!」
といった具合である。
思考をフル回転させ、どうすればモデルにならなくて済むかと髪を掻きむしっている。 間違いなく悠人は心労で禿げるタイプだ。カツラが必要になる日もそう遠くない。その前にストレスで死にそうだが。
断ると瞬殺されるのは目に見えているので却下する。逃げれば、地獄の底まで悪鬼の如く追い掛けられるのを想像し、この案も却下。
他にも様々な逃走手段を考慮したが、最終的に下した結論は僕今日しんどいので休みますという、仮病と名がつく現実逃避であった。
一時しのぎであれ、悩みが解決した(根本的には解決してない)悠人は、そうと決まれば善は急げとばかりに、布団に潜り込んで病気のふりをしようとした。
しかし、そうは問屋が卸さない。
「悠人ー、起きてる? そろそろ起きないと遅刻するよ」
悠人の姉が、ノックもなしに入ってきた。普段早起きする悠人がなかなか起きて来ないから、様子を見にやって来たのだろう。
「なんだ、起きてるじゃない」
そういって彼女は小さくあくびをした。仕事が詰めていたのだろうか、かなり眠そうである。
今の彼女の格好は、Tシャツにジャージの下という、男のような寝間着姿だ。着替えるのがめんどくさいらしく、部屋着も兼任している。自宅通勤の彼女は、家では始終この格好でいる。
突然の姉の登場に驚いた悠人だが、慌てず慣れた様子で仮病の演技を始めた。
「ゴフッ、ゴホッ……お、お姉ちゃん。今日……なんだか体がだるくて、ゴホ……しんどい……。ちょっと学校には行けそうにないから、休んでもいい……?」
台詞はいたって安っぽいが、けだるけな様子は病人にしか見えない。時折する咳がアクセントになっている。熱っぽく少し潤んだ瞳は、庇護欲をそそる。かなり完成度の高い演技だが――
「はいはい。わかったわかった。いいから早く起きて、朝ご飯食べて学校行きなさい」
いとも簡単にあしらわれた。
「いやあの、お姉ちゃん。ここはせめて心配くらいしてくれても、バチはあたらないんじゃ……」
「目に生気がある病人がどこにいるの。確かに目の下に少しくまが出来てるけど、問題なし」
そう言い切る姉に、悠人は諦めてがっくりと項垂れた。
別に悠人の姉は冷たいのではない。言葉通り仮病と看破したのだ。
悠人の演技に非があったというのは酷だろう。今まで何度も何かと理由をつけては休みたがる弟の対応に、すっかり順応してしまっている姉にとって、仮病を見破るなど動作もないというのが理由である。
つまるところ全て悠人が過去にとった軽率な行動が起因という、因果応報である。
「はい……」
重苦しい声で答えると、悠人は重い足取りで洗面所へ向かっていった。
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