ナビとの初めてデート
近頃の車のナビは、一昔前と比べるとよりパソコンに近いものになっていた。
タッチパネルが導入されてからよりナビの機能性は上がり、
音声認識はもちろん検索機能も加え、その場で行きたい場所やお店の情報なども調べることが可能になった。
もちろん走行中の検索は、安全性の観点から出来ないようになっているが、
音声認識があればその点は完全にカバーできていた。
ナビの画面もトップメニューが新たに作られ、そこから検索や各メニューへ移動する事ができる。
所謂Yahooなどのポータルサイトのトップメニューをイメージしてもらえればよい。
メールの受信機能に加え、ご丁寧にも左右のフリースペースにはバナー広告が入るようになっており、
凝ったものでは音声が出るタイプのものもある。
一昔前の車といえど、ナビのバージョンアップは欠かさずにやらなければならない。
毎日のように更新される道路情報や渋滞情報、事故や天気といった膨大な情報を整理するためだ。
車を出す前に――エンジンをつけた途端自動的に――毎回更新作業が行われるのは少し手間ではあるが、
折角の休日をムダにしないためにも、冷房の効いた車内で、更新中の画面を見つめていた。
「ちょっと」
ぼんやりと液晶画面を見つめている最中、どこからともなく声がした。
初めは空耳かと思い気にも留めなかったが、しばらくして“ちょっと聞いてるの?”と
続けて声がしたので、慌てて左右を見渡した。
俺の霊感は今まで0だと思っていたが、実は少しあったのだろうか。
冷房の効いた車内で、じっとりと汗をかくのを感じながら、声の主を探した。
「こっちよ。こっち」
どうやら、声はナビから聞こえるようだ。
恐る恐るナビを覗き込めば、そうそうここよと声がする。
思わず頬をつねってみるが、痛かった。
「夢じゃない…?」
「何を寝ぼけてんのよ、夢じゃないわ。アタシの名前はSR-255」
はきはきとした声色で、彼女は言った。
SR-255は、俺のナビの型番である。
「名前っていうか型番…?」
「当たり前でしょ。アタシはナビなんだから」
要領がつかめず、目をぱちくりしているとSR-255が呼びにくいなら
何か適当に名前をつけていいわよと彼女は得意げに笑う。
「な、なんでもいいわけ?」
「ええ、可愛い名前にしてね」
よくわからないが、ナビが俺に命名せよと言うもんだから、
俺は腕を組んで考えた。
「んー…、じゃあ涼子とかどう?」
「…それ、アンタの好きな人の名前じゃないの?」
なぜバレたのか良く分からないが、SR-255は呆れた風に溜息を吐いた。
「そういう男は女々しいわよ、女にモテないでしょ」
余計なお世話だと思ったが、口に出さずに飲み込んだ。その後10回くらい候補の
名前を上げてみたが、全て難癖をつけられ却下された。
もう名前を思いつかず、押し黙っていると彼女が口火を切った。
「全く、ネーミングセンスがないわね、こうなったら私が自分でつけるわ」
「そうしてくれると有難いよ」
「そうね、ナビゲーターだからナビィはどうかしら」
「…そのまんまじゃん」
「うるさい。なんか文句あるの?」
「いや、ありあません」
じゃあ私の名前はナビィって呼んでね、と弾むような声でナビィは笑う。
ここにきて初めて、のん気に名前などつけてる場合ではない事に気がついた。
「それよりさ、キミ、なんなの?」
「ナビィだって」
「いやいや、それはいいんだけどさ、何?これ、新しいサービス?」
更新作業後に彼女が発生(?)したので、車メーカーの新しいサービスだと思った。
本当に最近のナビは進んでいると改めて感心してしまう。
しかしナビィの答えは、思っていたものと違うものだった。
「さぁね。私にはさっぱり。さっきまで本社でデモしていたんだけど」
「デモ?」
「本社で開発途中の私を間違ってインストールしたか、はたまたバグか…」
考え込むような声のトーンに、思わず聞き入った。
何らかの原因で間違って俺のナビに開発途中の彼女が混入してしまったのか。
メーカーで何か情報が上がっていないか調べようと、思わずナビに手を伸ばした。
「ちょっと、触らないでよ!」
「えっ」
「おんぼろだけど一応私の大事なボディよ」
オンボロは余計だが、どうやら彼女にとってナビの本体は身体にあたるらしい。
そういわれると余計触りにくくて、伸ばした手を引っ込めた。
「とにかく―――」
彼女は息を大きく吸い込む。
「いずれにせよ私はここに来ちゃったんだから、出来ることをするまでよ。」
「出来ること?」
「そう、どこへ行きたいの?」
「どこって…」
「私がここに来る前、どこに行こうとしていたの?」
「えっと、ちょっと都心へ」
「都心へ何しに行くつもりだったのよ」
「最近出来たドンキにでも行ってみようかと…」
我ながら寂しい答えである。
30代の独身男なんてこんなものだ。
ナビィはそれを聞くなり、大げさに溜息を吐いてみせる。
「折角の休日だっていうのにつまらない男ね、そんなんだから彼女が出来ないのよ」
「余計なお世話だって」
「いいわ。今後彼女が出来た時のためにも、私が東京のデートスポットを教えてあげる」
「別にいいって」
どちらかといえばデートスポットより女の子を紹介して欲しいくらいだが、彼女は早口でまくし立てる。
「いいから行くのよ!発進!!」
声の調子に合わせてエンジンがうなる。
小さく溜息をつくと、やれやれとハンドルを握ってアクセルを静かに踏んだ。
*
「今開発中のモデルは、車内の各場所に小型の映写機があってそれらを組み合わせることでお好みの立体映像を助手席に映し出す事が出来るのよ」
彼女は得意げにすごいでしょ、と付加える。
「でもこの車じゃ古すぎて無理ね。声だけで悪いけどアタシで我慢して頂戴」
「いよいよナビも近未来的になってきたな」
「そうね、でもそうは言っても機能はあくまでも画面上に出るナビに従って運転してもらうだけで、そんなに大きく変わったところはないわ」
「じゃあ何のためにナビィがいるのさ」
「あっ、ほら!そこ!」
「えっ!?」
ナビィが突然声を張り上げたので、慌ててハンドルを切った。
画面の液晶ナビには、右折の文字が点滅している。
どうやら曲がりそこなったようだ。
「もう、ダメじゃないの」
「いやいやだってさ」
「今みたいに画面上でわかりにくい場所や地形を私がわかりやすく教えてあげるってわけよ」
教えてあげたのに間違うなんて困るわ、と彼女は本当に困ったような声色を出す。
どちらかといえば困っているのは俺の方だが、どうせ言ったところで文句を言われそうな気がしたので黙っていた。
「次は気をつけてよね」
「できればもうちょっと早く教えてくれる?」
「仕方ないわね、じゃあ早くUターンして」
「…別ルートはないの?」
「んー、まぁあることはあるけど、結構道細いわよ?」
「いいよ。そのルートに切り替えて」
「はいはい」
ナビィがそう言った途端、画面にnowrodingの文字が映し出される。
かりかりと音がして、液晶画面に新しい道のラインが示された。
「ナビに従ってね」
「らじゃー」
赤のラインが示すとおりに、100m先の信号の手前を左折する。
今まで開けていた道が、急激に細くなっていた。
「うわ、ホントに狭いな」
思わずひとりごちれば、彼女は鬼の首をとったかのように揚げ足をとる。
「だから言ったでしょ。このルートは所謂非推奨ルートよ。通常のナビなら絶対にこんな裏道選ばないわ。っていうかこんな細い道情報として記録しないのよね」
「裏道ってわけか」
「ええ。本来のナビよりもずっと融通が利くし、まるで地元民だけしか知らないような裏道を提供できるのも私も魅力の一つなのよね」
ふーんと気のない返事を返して、ハンドルを握りなおした。
外の風景を何気なく見れば、本当に住宅街が並ぶ何の変哲もない町並みで
これはナビィなしじゃあ絶対に通らなかっただろうと少し感心した。
「そういえばさ、これって今どこに向かってるわけ?」
ふと思いついて尋ねてみる。そういえば東京のデートスポットを目指していたはずだが。
このルートを見る限りでは何処に向かっているのか検討もつかない。
「東京タワーよ」
「東京タワー?」
脳裏にあの赤いボディが蘇る。
「なんでまた、東京タワー?」
「ばかね、デートスポットといえば東京タワーでしょ。今念のためGoogle先生に聞いたけど検索結果上位5件全てにこの場所が挙げられているわ。」
東京タワーというのは、一昔前に建てられた電波塔だったような気がする。
今はもっと高い塔が建てられて、既に錆びれていたと記憶していたが。
古いものみたさで見学に訪れる男女が多いのだろうか。
「でもさ、結果と女の子の気持ちは必ずしもイコールとは限らないだろ?」
「まぁね、女心は複雑だから」
「じゃあさ、ナビィの好みを教えてよ」
好奇心から、どうせなら人工知能の好みを知りたかった。
ナビィはそれを聞くなり、一瞬返答に困ったのか沈黙する。
そして、ゆっくりとした口調で切り出した。
「…私の考えが、イコール女の子の考えとは限らないわよ」
「なぜ?」
彼女の意味深な雰囲気に、つい眉をひそめる。
「なぜ、って、一応私自身には自我もあるし自分のことを女だと認識しているけれど、所詮は情報の集合体に過ぎない、計算記号でできているただの人工知能ですもの。女とは言えないと思うわ」
「…俺には、人間にしかみえないけどね」
まるでナビの向こう側と電話でも通じているんじゃないかと思うくらいリアルな感覚。
それぐらいナビィは人間くさい。もしかすると人間より人間らしいのかもしれない。
「まぁそれは人間の考え方ね。自分に感情があるから相手にも感情があると思うんでしょ。私には、…わからないわ」
彼女は少し悲しそうな声で言う。
なぜだか胸が少しだけ痛んで、液晶の画面から目をそらした。
「とにかくさ、ナビィが行きたいところに行ってみようよ」
どこに行きたいの?と尋ねれば、彼女は搾り出すように答えた。
「海―――――――」
*
そのまま、ナビィとはたわいもないような話をしながら、
ようやく俺たちは東京から一番近い海に到着した。
砂浜の一歩手前のコンクリートに路註して外には下りないまま、窓を全開にする。
つんと海の香りが漂ってきて、潮騒の音が耳に入った。
「ねぇ」
俺は呼びかける。
「なによ」
「なんで海に行きたいと思ったの?」
「さぁ?なぜかしらね」
全てのものは海から生まれると聞いていたからじゃないかしら、と彼女は考え込むように言う。
「ナビィはどこで生まれたの?」
「電子回路の中よ。言葉ではちょっと説明しにくいんだけど、クモの巣みたいにものすごい網の目が張り巡らされた電子回路の中」
「海を知っていたの?」
「情報としてね」
「だから見てみたかったわけだ」
「まぁね、私には五感はないけど音だけは聞こえるわ。音声認識を通してだから風情もあったもんじゃないけど」
果たして俺の聞いている潮騒と、彼女の音声認識を通して聞いている潮騒は、同じものであろうか。
ぼんやりとそんな事を考えながら、海を見つめた。
「ざざん、ざざんって、潮騒の音でしょ」
「うん」
その後はお互い黙って、ただ海の音を聞いていた。
寄せては返す打ち寄せる波は、不思議といつまで経っても飽きずに見ることが出来る。
それを眺めながら、つい色々なことを考えてしまって、俺の思考はめまぐるしく変わっていく。
10分は経過した頃であろうか、“そろそろ本当に彼女作らなきゃな”という思いにたどり着いたぐらいに、ナビィが突然叫んだ。
「さて!!」
彼女が急に大きな声を出すもんだから、思わず体がびくりと震えた。
恐る恐るナビの液晶画面を見つめれば、画面が変わり俺の自宅までの道のりがインプットされている。
「もういいわ、気が済んだから帰りましょう」
「りょうかい」
久しぶりにナビィのおかげでいい休日を過ごせたかもしれない。
小さくほくそえんで、アクセルを踏み込んだ。
帰りの高速に乗った頃には、もうすっかり太陽は沈んでいて
昼間の熱帯気温に比べ幾分過ごしやすい気候になっていた。
少しだけ窓を開けて、ポケットから少しつぶれたたばこを取り出すと、
先端に火をつけそっと吸い込む。
ふーと吐き出せば、ナビィが不快そうに言う。
「車内は禁煙にしたらどう?」
「いいじゃん、俺の車なんだし」
「レディがいるってことを忘れないで欲しいわ」
煙センサーでもついているのか、と辟易する。
いよいよ彼女ができたみたいだ。
「ナビィは別に煙を吸い込むわけじゃないだろ」
「どうせ私のこと五感のない人口知能だと思っているんでしょ」
「いやいや、そうじゃなくてさ、」
彼女は少し怒ったようで、いいのよ私には鼻がないわと皮肉を言う。
「いや、だからそうじゃなくてさ、確かに鼻はないけど、俺はナビィには感情があると思うよ」
「本当に?」
「ああ」
人工知能相手に何をやっているんだと自問自答したところで、
突然液晶画面が真っ暗になって、“パンパカパーン”と間の抜けたファンファーレの音が鳴り響いた。
故障でもしたかと驚いて、慌てて高速道路のパーキングエリアに駐車した。
ナビィ?と呼びかけるも返答はない。
しばらく液晶画面を見つめていると、かりかりと何かを計算するような音がして、画面上に“68”という数字が映る。
「なんだ…?これ…」
思わずそう呟けば、お疲れ様でした。とナビィが淡々とした口調で言う。
まだ俺の家まで30kmはあるはずだが。
「何?一体何なのこれ?」
「これで全てのプログラムが終了いたしました」
ナビィはさっきまでとはまるで別人のような改まった口調で話し続ける。
「恋愛シュミレーション登録番号27、“ナビとの初めてデート”におけるあなたの総合得点は68点です。彼女にはもう少し強引に迫っても問題はないでしょう。あえて東京タワーではなく、彼女の行きたい場所へ連れて行ってあげたところは評価できます。しかし全体的に今後更なる努力が必要といえるでしょう。詳細と彼女の攻略方法に関しましては、後ほどメールにて送らせていただきます。今後、あなたに彼女が出来る確率は75%でしょう。」
そこまで一気にまくし立てると、一呼吸おいて付加えた。
「以上、お試し恋愛シュミレーションをお送りいたしました。全30種類の恋愛パターンが楽しめるこのサービスについては、メインメニューのバナーよりお問い合わせください。この番組はフィクションであり、恋愛結果はあくまでも参考値に過ぎません。弊社では様々な女の子との恋愛シュミレーションをご用意しておりますので、お気軽にお申し込みくださいませ」
ブツンという音を立てて液晶画面は真っ暗になって、その2秒後ぐらいに通常のメインメニューへ戻った。
「…………。」
大きく深呼吸をする。
頭の中で今までの出来事を整理した。
やっとの事で“だから余計なお世話だっつーの”と悪態をついて、ピンク色の恋愛シュミレーションのバナー(緑色の少女漫画みたいなイラストが描かれている。これが恐らくナビィであろうか)をタッチすると、お問い合わせボタンから電話番号をダイヤルする。
メーカーに一言、苦情の電話を入れようと思った。