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【夏】 ―王太子編④―

 (まなこ)を射るような日差しに向かい、ひまわりたちがいっせいに空を見あげる。夏の南風が我が国に運んできたのは、予期せぬ賓客(ひんきゃく)だった。


「アルベール殿下! 少しお目にかからないうちに、ますますご立派になられたようですな」

 目の前で豪快に笑うこの御仁(ごじん)は、隣国の国王でありロザリアの父王でもある、リア王だ。引き連れてきた大勢の臣下たちが王宮の広間に整然と並び、少々圧迫感をおぼえる。


「お父様。こんなに早く、またお目にかかれるとは思っておりませんでしたわ」

 ロザリアが隣で嬉しそうな声をあげる。ロザリアがそう言うのも当然だ。前回リア王が我が国を訪れたのは、私とロザリアが結婚式を挙げた際のこと――まだ四月(よつき)も経っていない。


「リア王陛下。遠路はるばる、ようこそおいでくださいました。我が国王が戻るまでのあいだは、なんなりと私にお申しつけください」

 私は深々とお辞儀をして歓迎の意を表した。間が悪いことに我が父王は聖地へ巡礼に(おもむ)いており、戻るのにあと数日はかかる。なにしろリア王の来訪の(しら)せを受けたのが、つい昨日なのだ。国王の留守を預かる私が、責任を持って応対する必要がある。


「なあに、急に娘の顔が見たくなっただけだ。せっかくだから、しばらくゆっくりさせてもらうよ」

 リア王は私とロザリアを順番に見やって、満足気な笑みを浮かべた。

 

「リア王陛下、お部屋へご案内申しあげます」

 迎賓係がうやうやしく(こうべ)を垂れ、リア王を連れて広間を出て行く。うしろにぞろぞろと続く臣下の中に、見覚えのある顔があった。背の高くたくましい体格に、全身黒ずくめのあの男は確か――


「オニキス! あなたも来ていたのね」

 ロザリアが声をあげると、その男はマントをひるがえして列を離れ、私たちの前にやって来てどっしりとひざまずいた。


「……お久しぶりです。アルベール王太子殿下、ロザリア妃殿下」

 男は腹に響く低い声で言い、濡れたように黒い髪の下からこちらを見あげた。


 黒衣の騎士オニキス。ロザリアの護衛騎士だった男だ。頭のてっぺんからつま先まで、飾り気のないカラスのような真っ黒の装いをしていることから、濡羽卿(ぬればきょう)の異名を持っている。漆黒の髪の毛には(くし)を通したこともないようにくせがつき、私に言わせればなんとも無骨な男だ。

 オニキスはひざまずいたままロザリアと二言三言言葉を交わすと、泰然とした仕草で立ちあがり、リア王を追いかけて足早に広間を出て行った。


「私たちも行くよ、ツキ」

 私は後方を振りかえり、護衛たちとともに控えるツキに声をかけた。ツキはぼんやりと、私を通り越した先の宙を見つめている。護衛たちが動き出しても、その場に留まったままだ。


「貴様、なにやってる。行くぞッ」

 ザンギエフが大きな声を出すと、ツキははっと我に返ったように息を吸い込み、小走りをして私のそばについた。ツキがこんなふうにぼうっとしていることはめったにない。


「ツキ、どうした? 具合が悪いのか?」

「い、いえ。なんでもありません」

 ツキは私と目を合わせようとせずに、長いまつ毛を伏せて答えた。その頬は桃のように柔らかく色づいていた。




 その日の夜、王宮の大広間ではリア王を歓迎する宴席(パーティー)が開かれた。白いクロスの敷かれた細長い長方形のテーブルに、リア王をはじめとして臣下の騎士たちや、我が国の王族貴族などが着席する。さすがにリア王の前でツキを隣に置くわけにはいかないので、今日は私の向かい側の席に座らせている。

 なにしろ急な来訪だったからほとんど準備する間もなく、料理から音楽隊にいたるまでが急ごしらえのものであったが、リア王は今のところ、食事を大いに楽しんでくれているようで安堵する。

 

 向かいのツキに目をやると、なんだか今日はいつになく動作が固い。ぎこちなくナイフを動かして肉を切り分けながら、ちらちらと目線を斜め前方へと向けている。その目線の先を追うと、黒ずくめの男、濡羽卿オニキスがいた。オニキスは意外にも洗練された所作でカトラリーを動かし、黙々と食事をしている。まあ、この程度の作法は騎士として当然のたしなみであるし、会話を楽しもうともしない無骨さはあまり褒められたものではないが――

 オニキスはおもむろにカトラリーを置くとナプキンで口元をぬぐい、ツキのほうにギロリと目線をあげた。ガチャン、という音が広間に響き渡る。


「し、失礼いたしましたっ」

 ツキが手元のグラスを倒したようだ。クロスにぶどう酒が流れて大きなしみを作る。ツキは大慌てで、ナプキンでそれを拭いた。――ツキは酒が飲めないのに、注いだ侍従は誰だ? 内心で顔をしかめる。

 

「はっはっは、まだ給仕に慣れていないのかな?」

 リア王が闊達(かったつ)な笑い声をあげた。気分を害さなかったのは幸いだが、ツキを給仕役の見習い騎士かなにかと勘違いしているらしい。


「彼は私の専属でしてね。まだこの国に来て間もないのです。どうかお許しを」

 私が言うと、リア王は「ほう」とツキに興味を示した。

 

「どこの国の出身なんだ?」

「え、ええと、極東の島国で……」

 ツキは口ごもりながら受け答えをする。その様子は微笑ましいが、今後はもっと社交の場にも慣れてもらう必要がある。


 食事のコースがひととおり終わり、宴席は酒宴に移った。音楽隊がにぎやかな曲を奏で、大道芸人が曲芸を披露する。ひとびとはグラスを手に思い思いに立ちあがり、会話や余興を楽しんでいる。

 不愉快な不協和音が鳴り、音楽隊の演奏が急に止まった。楽器に不具合でもあったのか? リア王陛下が来ているこの大事な時に――私はいらだたしく、慌てた様子の音楽隊を見やった。


「なんだ、あれはっ……⁉︎」


 バルコニーに出ていた賓客が叫び声をあげた。続いて女性たちの悲鳴があがる。急いでそちらへ駆けつけて下方の庭に目をやると、闇の中に六つ、ぎらぎらと輝く小さな黄色い光があった。飢えた獣のような、おそろしい(うな)り声がする。


「あれは、ケルベロス、か……⁉︎」

 松明(たいまつ)の光の中に現れたのは、冥界の番犬として知られる、三つの頭を持つ犬の怪物だった。(おす)のヒグマほどの大きさがある。このような魔法生物は我が国には生息していないはずで、神話の挿絵でしか見たことがない。賓客が次々にバルコニーに集まって来て、悲鳴をあげた。


「……皆様、落ち着いてください。すぐに……」

 私は狼狽(うろた)える賓客たちに声をかけた。ケルベロスはバルコニーのすぐ下にまで近づいて来ている。どうにかしてあれを追い払わなくてはいけない。いま王宮にいる兵力で足りるだろうか。いや、やるしか道はない。リア王陛下、そして我が国民を守るのが、天から与えられた私の使命だ。護衛たちが私の顔をうかがって、命令を待っている。

 

「ザンギエフ、兵を集め――」

「殿下。妃殿下とともにここを動かれませんよう」

 隣でツキが私にささやいた。ツキはバルコニーの手すりをひらりと飛び越えてゆく。まさか。ここはニ階だぞ。


「ツキ! 行くな……!」

 

 私は手を伸ばし、バルコニーから身を乗り出して叫んだが、ツキがそれを聞くはずもない。ツキ、おまえはいつでも、私の手をするりとすり抜けて行ってしまう――


 ツキは鎧を身につけているとは思えない忍びやかな足取りで、外壁の装飾や窓のでっぱりをひょいひょいと伝い、音も立てずに地面に着地した。賓客たちからどよめきがあがった。


「……ほう」

 いつの間にかそばにやって来ていたオニキスが、低くつぶやいた。

 

 ツキは腰にたずさえたレイピアを抜き、両手でグリップを握る独特の構えで、唸り声をあげるケルベロスと睨みあう。ケルベロスがツキに飛びかかった。賓客から悲鳴があがる。その頭のひとつがツキに噛みつこうとしたが、ツキは闘牛士(マタドール)のように軽やかにそれをかわした。賓客からわっと歓声があがった。

 そのあともツキはひらりひらりとケルベロスの攻撃を受け流し、頭をひとつひとつ斬りつけて、ついにケルベロスは咆哮(ほうこう)をあげて地面に倒れ込んだ。

 賓客が割れるような歓声と指笛を浴びせる。ツキはケルベロスのほうにかがみ込んでなにやら確かめると、こちらに向き直り、頭上に両手をあげて大きく丸をつくった。

 私はバルコニーの手すりにしがみついて、ようやく息を吐き出した。心臓は飛び出しそうなほどに早鐘を打っていた。


「ツキ様、うしろっ――!」

 隣でロザリアが金切り声をあげた。ツキの後方の暗闇の中に、六つの黄色い目が輝くのが見えた。(つがい)がいたのか。


「ツキ……!」

 私がバルコニーの手すりに足をかけた時、一羽の大きなカラスが、羽音とともに目の前を横切って行った。まばたきをする間に、カラスはツキともう一匹のケルベロスのあいだに降り立ち、大きな黒い剣でケルベロスに一閃を浴びせた。

 

「濡羽卿……」

 

 ケルベロスは唸り声もあげずに地面に崩れ落ちた。

 さらに大きな歓声があがるなか、リア王が私に近づいて来て満面の笑顔で言った。


「いやあ、じつに見事だった。このようなすばらしい余興ははじめてですぞ」

 私は返事をすることができず、やっとのことで引きつった笑顔をつくった。リア王は気にも留めずに、バルコニーの下でお辞儀をしているふたりの兵士に拍手を贈った。私はぼうっとそれを眺めた。

 

 ふたりが長いお辞儀から顔をあげると、ツキの頬にひとすじの傷がつき、血が流れているのが見えた。医者を、呼ばないと……

 オニキスがツキになにか声をかけ、ふたりが見つめあった。オニキスはツキの頬に手を伸ばす。ああ、払いのけられるぞ。

 ツキはオニキスの目を見つめたまま、じっと動かなかった。オニキスの指が、ツキの柔らかな頬にふれた。ふたりはしばらくそうして見つめあい、オニキスはそっと手を下ろした。ツキは顔を真っ赤にしてうつむき、こちらのほうへ走ってきて、バルコニーの下に隠れて見えなくなった。

 

 まるで恥じらう乙女のようなその表情は、私には一度も見せたことのないものだった。

〈王太子〉視点のまま、次話へ続きます。

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