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【春】 ―主人公編④―

【2026/3/26】 一話が長すぎるとの気づきを得たため、読みやすいよう分割いたしました。

 アルベールは私に一週間の休暇を申しわたした。この世界に来て、なんの目的(クエスト)もない日々ははじめてだ。一晩寝てすっかり回復した私は、ひとりで城下町に出て、武器や装備品の店を見てまわったりした。『町を自由に探索してみよう!』といったところか。

 兵舎の自室に戻ると、一通の手紙が届いていた。ひとめで上質だとわかる金のふちどりつきの封筒に、王家の家紋で赤い封蝋が()してある。差出人をみると、なんと王太子妃ロザリアからだった。美しく整った文字が走る便箋(びんせん)に目を通す。

 

 ――王太子殿下を守ってくださったこと、心から感謝いたします。そのお礼として、ささやかなお茶の席をご用意いたしました。明日の昼下がり、私の部屋までおいでください。


 要約すると、こんな内容だった。濃紺のインクで書かれたその文字はまったく読めないのに、なぜかすらすらと内容が頭に入ってきた。


 

 そうして私はいま、ロザリアの部屋の前に立っていた。

 ドアをノックして名を名乗ると「どうぞ」と鈴のように澄んだ声がして、扉がひとりでに開いた。自動ドアであるわけではなく、侍女が内側から開けたのだ。一歩足を踏みいれると、かぐわしい薔薇の香りが鼻腔をくすぐった。部屋の中央のソファに、朝露に濡れた薔薇のつぼみのように可憐な女性が座っている。


「ようこそ、いらっしゃいました。お体のお加減はいかがですか?」

 

 王太子妃ロザリアだ。ロザリアはソファから立ち上がって、体のまわりに優美な薔薇の花を咲き散らしながら、輝くような笑顔をみせている。


「ロザリア妃殿下。ほ、本日は、お招きにあずかり……まことに……」

 私はそのまぶしすぎる美しさにあてられて、しどろもどろになりながら礼を述べた。これは、一国の王太子が道ならぬ恋に落ちるのもうなずける。

 

 ストーリー中、私はロザリアの視点を通してこの世界を見ていたので、こんなにまじまじと彼女の顔を見るのははじめてになる。演習場で見かけた時と、彼女が毎朝アルベールを見送りに来る場面以外で顔を合わせたことはなく、言葉を交わすのもはじめてだ。自分の分身だったともいえるロザリアとこうして対面しているのは、なんだか不思議な気分だった。

 私がお辞儀から顔をあげると、ロザリアはますますぱあっと表情を花ひらかせた。


「まあ、そのお召し物。とってもお似合いですわ」

 胸元が無駄にフリフリしている私のシャツ姿を見て、ロザリアは嬉しそうに言った。このおかしな服は、アルベールが私に作ってよこしたものだ。

 

 親衛隊となって初日の任務を大失敗のうちに終えたあと、王宮の衣装係が私のもとにやって来て体のサイズを採寸していき、しばらくして大量の装備品が送られてきた。しかしそれらは豪奢(ごうしゃ)なシャツやコート、(すそ)の短いズボンやぺらぺらのタイツで、ほとんど防御力ゼロのしろものばかりだった。任務で使えそうなものはまったくなく、大部分は昨日、町の装備品店で売り払ってしまったのだが、わずかに残っていたものをひっぱりだしてきたのだ。さすがに今日は、(よろい)姿では場違いにもほどがある。

 まあ、〈主人公〉の私がたとえどんなおかしなかぶりものを身につけていようと、誰も気にしないでストーリーは進んでいくのだけれど。


「お元気そうで安心いたしましたわ。さあ、座ってちょうだい。いま、お茶をご用意しますね」

 ロザリアはバレリーナのように優雅な仕草で手のひらをかえし、テーブルをはさんで向かいのソファを指し示した。私は礼を言い、言われるがままに腰かけた。さすが王太子妃の使う家具だけあって、寝そべったらすぐに眠りに落ちてしまいそうなほど、ふかふかで気持ちがいい。

 ロザリアはドレスの裾を整えながら、ふわりと向かいのソファに腰をおろした。

 

 いま通されている部屋は王太子妃の私的な応接室らしく、壁紙から調度品にいたるまですべてがピンクの薔薇柄で統一された、目がちかちかするような空間だった。女はみんなピンクと薔薇が好きだろうという、古い感性の背景デザイナーが手がけたものに違いない。

 妃殿下の私的な部屋に、一介の兵士である私が招かれるのもふつうならどうかと思うが、あのアルベールとひと月過ごしてきたのだ、いまさら驚かない。この国の王族は、臣下との距離感が異常に近い傾向にあるようだ。


「甘いものはお好きかしら? お好みを存じあげなかったから、いろいろと用意しましたのよ」

 侍女が次々に茶と菓子を運んでくる。きらびやかな茶器に三段重ねのケーキスタンド、花の形にカットされたフルーツの盛り合わせなどで、目の前のテーブルはたちまち埋めつくされた。港区女子が泣いて喜びそうな光景だ。


「さあ、どうぞ。お召しあがりになって」

 ロザリアはにこにこと、私に茶を勧めた。――来た。


「……いただきます」

 私はイメージトレーニングのとおりにカップと小皿をそれぞれつかみ、カップから小皿(ソーサー)に茶を注いで、おそるおそる飲んだ。茶はほどよい温度になっていて、今回はやけどをせずに済みそうだ。

 ロザリアは私の一連の動作を見て、まあ、と感嘆の声をあげた。

 

「この国にいらしたばかりと聞いていたけど、お作法をよくご存じなのね」

 よかった。作法は間違っていなかったようだ。

 

「王宮では食器に保温魔法がかけられているから、私もはじめの頃はよくやけどしていたのよ」

 そんなタイガーみたいな便利な魔法があるのか。どうりでこのあいだ、やけに熱いと感じたわけだ。なにはともあれ安堵して答える。

 

「以前、王太子殿下に教えていただきまして」


 私がそう口にした瞬間、ロザリアの片方の眉がぴくりと動き、終始輝いていた表情がはじめて(かげ)った。なにかまずいことをしてしまったのかと私が押し黙ると、ロザリアは細く美しい指をこめかみのあたりにもっていき、憂いを帯びた表情を浮かべて言った。

 

「ごめんなさい。昨夜はよく眠れなかったものだから……」

 

 王太子にあんなことがあったのだから当然だろう。ロザリアは私のほうをちらりと見あげたあと、自分のカップに目線を落とし、ほんの小さなため息をついた。


「あなたにも苦労をかけるわね。近頃ずっと、殿下があなたをあちこち連れまわしていたでしょう。お休みもほとんどなくて」

「い、いえ、それが私の任務ですから」

 たしかにブラックな職場ではあるが、この世界に労働基準法はない。

 

「殿下ったら、いつも私を放っておいて。あなたとどこそこに行ったとか、そんな話ばかりするのよ」

「はあ……」

 ロザリアは唇をとがらせる。なんだか雲行きがあやしくなってきた。

 

「あのひとが一日でどれくらいのお金を使うと思う? 三日もあれば、このルビーのネックレスが作れてしまうほどなのよ」

 ロザリアは胸を突き出して、その谷間に輝く大きな宝石を示した。夫の愚痴大会も王族となるとスケールが大きい。しっかり家計の管理もやっているなんて、頼りになる妃殿下だ。

 

「それで今回の事件でしょう。私、殿下に言ってやったの。『殿下。おそれながら、もう少し国を預かる自覚をお持ちになったほうがよろしいかと』ってね」

 ロザリアはますます(いきどお)りをあらわにして、芝居がかった口調で言った。その大袈裟な口ぶりに、私は思わず笑い声を漏らした。彼女は単なる可憐な王女様ではなく、芯の強い女性だ。ストーリー中には、自分の命が危うくなっても、アルベールを守るために敵の要求を毅然としてはねつける場面もあった。

 ロザリアは私を一瞥(いちべつ)すると、いたずらっぽい笑みを浮かべて続ける。

 

「あのひと、ちょっとふつうから外れているところがあるでしょう。幼い頃から王太子として育てられてきたから、仕方のないことだけど……」

 うん、うん。

「ひとの気持ちを考えないで、ひとりで突っ走るところもあるし」

「わかりますっ」


 ――あ。心の声がつい漏れ出してしまった。

 

 ロザリアは大きな目をさらに丸くして私と目を見合わせ、一拍の間のあと――

 私とロザリアは一緒に、声をあげて笑った。

 

「いやだわ、私ったら、はしたない」

 ロザリアが手を口もとにあてて、心底楽しそうに笑いながら言う。

「今日のことは、殿下には内緒よ? ツキ様」


 

 夫の愚痴を言って、笑う。王太子妃だろうと、ごくふつうの妻たちとなにも変わらない。ロザリアがそんな一面を見せてくれたことが、私はとても嬉しかった。

 

「『様』だなんて、そんな。ツキ、と呼んでください」

 ああ、この世界に戻って来て、よかった。私は心からそう思った。

 

「嬉しいわ。――ツキ。私ばかりおしゃべりしてごめんなさいね。どうぞ、お菓子も召しあがって」

 ロザリアはテーブルの上にひしめく菓子に向かって、優雅に手を広げた。

 

「どこから手をつけてよいものか……その、こういうものははじめてなので」

 私は正直に自分の不勉強を打ち明けた。茶の作法は予習してきたが、菓子のほうはさっぱりわからなかった。

 

「うふふ、かわいいひと。お好きなものからでいいのよ。でも、そうね――」

「私はこれが一番好きですわ」

 

 ロザリアはケーキスタンドのてっぺんの皿に乗った、薔薇の形の小さな砂糖菓子を指差して、にっこりと微笑んだ。

 

「では、それを。いただきます」

 私は砂糖菓子をつまみ、口にいれた。菓子が口の中でほろりとほぐれた瞬間に、強いアルコールのようなつんとした風味がした。思わず吐き出したい衝動にかられる。


「お味はどうかしら?」

 ロザリアがにこにこして訊いている。私は小皿(ソーサー)に残っていた茶で、口の中の菓子を無理矢理に流し込んで笑顔をつくった。


「は、はい。とても――」


 (のど)が焼けるように熱い。このあいだのような、茶の熱さなどではない。たちまちのうちに動悸が激しくなって、全身から汗が吹き出してきた。まるで水の中にいるように呼吸が苦しい。私は喉元を押さえ、必死に息を吸い込もうとしたが、喉はひゅうひゅうと笛のような音を鳴らすだけで、私の要求には(こた)えてくれない。

 

「う、嘘……! ツキ、どうなさったの⁉︎」

 

 遠くにロザリアの声がする。私はテーブルに手をついた。陶器が砕け散る派手な音がして、女性たちの悲鳴があがったかと思うと、目の前にあざやかなピンクの薔薇柄の絨毯(じゅうたん)が映った。

〈主人公〉視点のまま、次話へ続きます。

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