【春】 ―主人公編③―
考えるより先に、体が動いていた。
「殿下、危ないっ――」
アルベールを突き飛ばし、前に出てから、しまった、と思った。
そうだった――この国のやつらは、魔法を使う。
老婆の杖が放った雷撃に包まれ、私は意識を失った。
カチャカチャと金属がこすれあうような音で目が覚めた。重いまぶたをひらいてあたりの様子をうかがうと、見覚えがある。ここは王宮の兵士用医務室だ。固いベッドの上に横たわる体がひどくだるいが、生きてはいるらしい。
私の魔法防御力は、生まれたての赤子と大差ない。王太子夫妻に近づくために一日も早く剣術で名をあげようと、ステータスはフィジカルに全振りしていた。あれだけ派手に雷撃魔法を喰らって死ななかったのは、よほど当たりどころがよかったとしか思えない。
人だかりには目を光らせていたつもりだった。こと刃物や凶器には気をつけていたのに、魔法のことは頭からすっぽり抜けていた……結果、警護対象であるアルベールを危険にさらしてしまった。
親衛隊に任命されてからのこの一ヶ月、剣を抜くような危険な場面は今日まで一度もなかった。任務とはいえ、まるで日帰り観光のようなアルベールの公務に同行しているうち、気が緩んでしまっていたのかもしれない。
まして今日は、祭りだったから。
〈あの人〉といた世界にも季節ごとに祭りがあって、転移したばかりの私と〈あの人〉が近づくきっかけになったのも、それだった。はじめての光景にわくわくして、ものめずらしそうにあたりを見回す私に、〈あの人〉はいろいろなことを教えてくれたっけ。今日の、アルベールみたいに――
遠くからばたばたと、騒がしい足音が近づいてきた。医務室の扉が勢いよく開く。
「ツキ、ツキ――! 無事か!」
アルベールだ。さすがにいまは数名の護衛を引き連れている。むっつりとした顔のザンギエフが、うしろに控えているのが見えた。
アルベールは私の顔を見て心底ほっとしたような顔をすると、胸に手を当てて「おお、神よ」と天を仰いだ。シェイクスピアの戯曲にしか出てこないようなその大仰な身振りに、私は若干引きつりながらも、横たわったままでは無礼かとベッドから出て立ち上がった――立ち上がろうとした。
「うっ……」
視界がぐるぐると回って、立っていられない――
「――ツキ!」
目の前に、気遣わしげに切ない表情で私を見つめるアルベールの顔があった。
「無理しないで、寝ていなさい。ほら」
殺風景なはずの医務室の背景が、心なしかキラキラ輝いているような錯覚をおぼえる。
アルベールは受けとめていた私の体を軽々と持ちあげると、ベッドの上に優しく寝かせた。さらに切ない顔のアップは続く。
「あのあと私は、護衛たちに馬車に押し込められてね。おまえの顔を見るまでは、生きた心地がしなかったよ」
アルベールの顔や衣服には傷ひとつない。はじめて護衛としての役目を果たせたことに安堵する。
「ツキ。もうこんな真似はしないと約束してくれ。おまえになにかあったら、私は――」
このひとはなにを言っているのだろう。身を挺して主君を守るのは、親衛隊として当然の責務だ。
「王太子殿下! ここにおられましたか」
ひげを生やしたいかにも臣下らしい男が、医務室に入ってきた。男がアルベールになにやら耳打ちすると、アルベールは表情を引き締め、こちらに向き直って言った。
「さきほど私を襲ったのは、反体制派の残党が差し向けた刺客らしい」
反体制派の残党、ね。こ難しいところはテキストを読み飛ばしていたのでよく覚えていないが、そんな抗争もあったような気がする。
「……もう処刑が済んだから、安心して私のそばにいてほしい」
アルベールの凍るような冷たい眼差しに、背筋がぞくりとした。王太子を殺そうとしたのだから当然なのかもしれないが、あまりにも早く、冷酷な処分だ。小さな老婆の姿を思い出していたたまれなくなってしまう。それに、もう少し生かしておいて、「反体制派の残党」の情報をしっかり聞き出したほうがよかったのでは。
アルベールはいつもの優しい顔に戻って言った。
「こんな話を聞かせてすまなかったな。体が回復するまで、しばらく休みを取るといい。おやすみ、ツキ」
アルベールは護衛を引き連れ、医務室を出てゆく。緊張が解けたせいか、なんだかどっと疲れが襲ってきた。お言葉に甘えてしばらく休ませてもらおう。まあ、体力なんて一晩寝たらさっぱり全快してしまうのだけれど。
私は目を閉じ、この日を終えようとした。
「貴様、ひとりでいい格好しようったって、そうはいかねえからな……!」
胸ぐらをつかまれていた。ザンギエフが真っ赤な顔で唾を飛ばし、私に食いかかってきていた。
――勘弁してくれ。私に一騎打ちで負かされ、護衛としての手柄までひとりじめされたことで、ついに鬱憤が爆発したらしい。気持ちはわかるが、倒れて寝ているいまの私に言うことなのか。腹が立ってきた。私はザンギエフの顔を睨みつけて言った。
「お役に立ててなによりです――先・輩」
私はザンギエフの目を真っ直ぐに見つめて、精一杯の嫌味を投げつけてやった。
「な、なにをッ……」
ザンギエフの真っ赤な顔が、さらに沸騰して蒸気を発しそうになった。
「ザンギエフ、なにをしている! 行くぞ」
上席の親衛隊員の声が飛んできた。ザンギエフは不承不承といった感じで、こちらをちらちらと睨みかえしながら医務室を出て行った。
まったく。ザンギエフだってアルベールのすぐうしろにいたのだから、功をあげるチャンスはいくらでもあっただろうに。そもそも思いかえしてみれば、ニタニタと笑いながらいつまでも王太子の手を握って離さない老婆なんて、いかにも怪しすぎるだろうが。
そういえば、私がそれに気づいて老婆を注視していた時。あの老婆、魔法を放つ直前に、私にギロリと視線を送って――
目くばせしたような気がした。
「……考えすぎだな。もう、寝よう」
私は今度こそ目をつぶり、短いようで長かった一日を終えた。
〈主人公〉視点のまま、次話へ続きます。
【2026/3/26】 一話が長すぎるとの気づきを得たため、読みやすいよう分割いたしました。




