表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/14

【春】 ―王太子編②―

 あたたかい風が吹き、山々にいっせいに緑が芽吹く。永遠に続くとも思われた長い冬が終わり、我が国にもようやく春が訪れていた。


「行ってくるよ、ロザリア」

 王宮の外まで私を見送りに来たロザリアの頬に、軽くキスをする。

 

「行ってらっしゃいませ、殿下」

 ロザリアは恥ずかしそうに伏せていた目線をあげ、頬を赤らめて微笑んだ。


 背後に控えている一団に目をやる。私が乗る四頭引きの馬車を囲んで、十数名の騎馬隊が旗を掲げ、出発の時を待っている。いつものことながら、ザンギエフの馬がつぶれてしまわないか心配になる。

 そして、馬車を引く馬の隣には、ことさら安っぽい鎧兜(よろいかぶと)を身につけた兵士が、体をこわばらせた様子で直立している。その兜の下から、束ねた長い髪の毛が尻尾(しっぽ)のようにはみ出していた。ツキだ。緊張するのも無理はない。今日が初仕事なのだ。


「ツキ、行くよ。乗りなさい」

 私が声をかけると、ツキは落ち着きなく左右を見回し、勢いをつけて、隣で草を()んでいる馬車馬にまたがろうとした。馬と御者が同時に驚き、目をむいた。私は吹き出した。


「あはは、そっちじゃないよ。この中だ」

 先に馬車のキャビンに乗り込んでみせる。ツキはこの国のことをまだよく知らないのだ。私が教えてやらないと。


「し、失礼します」

 ツキが、おそるおそる車内に乗り込んでくる。


「そんなに怖がらなくても大丈夫だ。少し揺れるが、この中なら安全だから」

 私はツキの緊張を解きほぐそうと、つとめて優しく声をかけた。このキャビンは王族仕様の特注品で、矢の雨が降り注いでもけっして突き破ることのない、堅牢なものだ。


「はあ……」

 ツキは慎ましやかに言葉を返す。ツキは私の対角線上に向かいあって、遠慮がちに腰掛けた。壁が厚いので、キャビンの大きさの割に車内は狭い。私とツキの(ひざ)は触れ合いそうなほど近かった。従者が外から扉を閉め、馬車がゆっくりと動きだした。

 

 一団は城下町の大通りを進む。春の訪れとともに町の人々は活気を取り戻し、市場には色とりどりの品物が並んでいる。まるで止まっていた時計の針が、にわかに動き出したかのようだ。馬車に向かって手を振る人々に(こた)え、窓ガラス越しに軽く手を振りかえした。

 馬車は市街地を抜け、郊外へと続く道へ入った。ここからは悪路で少々尻が痛むが、心は羽が生えたように軽やかに、規則的なリズムを刻んでいた。

 窓枠に(ひじ)を預け、美しく萌え立つ遠くの山々を見やっていると、ツキが沈黙に耐えかねたように口を開いた。


「あ、あの、王太子殿下。私は今日から、なにをすれば……」

「うん? おまえは、私のそばにいてくれればいいよ」


 私が答えるとツキは軽くうなずいて、腰にたずさえたレイピアの(さや)をぎゅっと握り、「はっ」と力強く返事をした。鎧に包まれたその体はいまもなお、こわばって縮こまっている――そうだ。


「それはそうと、その鎧。あまりにも粗雑だな。すぐに、もっと良いものを作らせよう」

「……恐縮の至りにござります」

 また、故郷の言葉が出ているようだ。なんとも初々しく、飾り気のない態度が好ましい。

 私はまた視線を窓の外に戻した。

 

「いまから視察に行く地域には、それはもう見事な菜の花畑が広がっていてね。そこから採れる油が、我が国の――」

「で、殿下っ」

 私の説明をさえぎり、ツキが声を張りあげた。

「兜を取ってもよろしいでしょうかっ」


 車輪が石でも踏んだのか、馬車の車体が大きく跳ねた。


「あ、ああ……」

 私としたことが、この程度の気遣いも忘れていたなんて。

 

「気がつかなくてすまなかったな。ずっと息苦しかったろう。それに」

 私は手を伸ばし、ツキの兜の下からはみ出した長いうしろ髪にそっと触れた。

 

「この尻尾が窮屈(きゅうくつ)そうだ」

 

 私がそう言うと、ツキは「は、ははっ」と、はじめて少し笑った。

 

 ツキはもどかしそうに兜を外した。その蠱惑(こわく)的な瞳が、私をとらえる。ああ――アダムとイヴが見つけた禁断の果実のように、紅い紅いおまえの瞳――とは対照的に、ツキの顔は真っ青だった。うっ、とうめき声をあげ、口元を手で押さえこむ。これは……

 

「ツキ、酔ったのか?」

「す、少し、外の空気を……」

 ツキはよろよろと、キャビンの扉に手をかけた。

 

「危ないっ! 転げ落ちるぞ!」

 私はとっさにツキの肩を強くつかんだ。馬車から転げ落ちるだけならまだしも、騎馬隊に踏まれれば大けがをする。

 ツキが、ばっとこちらを振り返る。その美しい顔が切なくゆがみ、宝石のような瞳にみるみる涙があふれ――

 ツキは体を折り曲げると、私の股間に向かって盛大に嘔吐した。車内に酸っぱい胃液の匂いが充満する。


「うおッ! 馬車をとめろッ!」

 いち早く車内の惨状に気づいたザンギエフが、窓ガラスの向こう側で叫んだ。

 私は自らも()()()そうになるのを必死にこらえ、涙を流して吐き続けるツキの背をさすってやった。馬車が急停止し、従者が飛んできて、この日の公務はそこで中止となった。

〈王太子〉視点のまま、次話へ続きます。


【2026/3/26】 一話が長すぎるとの気づきを得たため、読みやすいよう分割いたしました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ