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春 ―主人公編②―

 考えるより先に、体が動いていた。

 

「殿下、危ないっ――」


 アルベールを突き飛ばし、前に出てから、しまった、と思った。

 そうだった――この国のやつらは、魔法を使う。

 老婆の杖が放った雷撃に包まれ、私は意識を失った。




 

 カチャカチャと金属がこすれあうような音で目が覚めた。重いまぶたをひらいてあたりの様子をうかがうと、見覚えがある。ここは王宮の兵士用医務室だ。固いベッドの上に横たわる体がひどくだるいが、生きてはいるらしい。


 私の魔法防御力は、生まれたての赤子と大差ない。王太子夫妻に近づくために一日も早く剣術で名をあげようと、ステータスはフィジカルに全振りしていた。あれだけ派手に雷撃魔法を喰らって死ななかったのは、よほど当たりどころがよかったとしか思えない。

 

 人だかりには目を光らせていたつもりだった。こと刃物や凶器には気をつけていたのに、魔法のことは頭からすっぽり抜けていた……結果、警護対象であるアルベールを危険にさらしてしまった。

 親衛隊に任命されてからのこの一ヶ月、剣を抜くような危険な場面は今日まで一度もなかった。任務とはいえ、まるで日帰り観光のようなアルベールの公務に同行しているうち、気が緩んでしまっていたのかもしれない。

 まして今日は、祭りだったから。


 〈あの人〉といた世界にも季節ごとに祭り(イベント)があって、転移(トリップ)したばかりの私と〈あの人〉が近づくきっかけになったのも、それだった。はじめての光景にわくわくして、ものめずらしそうにあたりを見回す私に、〈あの人〉はいろいろなことを教えてくれたっけ。今日の、アルベールみたいに――


 遠くからばたばたと、騒がしい足音が近づいてきた。医務室の扉が勢いよく開く。


「ツキ、ツキ――! 無事か!」

 

 アルベールだ。さすがにいまは数名の護衛を引き連れている。むっつりとした顔のザンギエフが、うしろに控えているのが見えた。

 アルベールは私の顔を見て心底ほっとしたような顔をすると、胸に手を当てて「おお、神よ」と天を仰いだ。シェイクスピアの戯曲にしか出てこないようなその大仰な身振りに、私は若干引きつりながらも、横たわったままでは無礼かとベッドから出て立ち上がった――立ち上がろうとした。

 

「うっ……」

 視界がぐるぐると回って、立っていられない――

 

「――ツキ!」


 

 目の前に、気遣わしげに切ない表情で私を見つめるアルベールの顔があった。

 

「無理しないで、寝ていなさい。ほら」

 殺風景なはずの医務室の背景が、心なしかキラキラ輝いているような錯覚をおぼえる。

 

 アルベールは受けとめていた私の体を軽々と持ちあげると、ベッドの上に優しく寝かせた。さらに切ない顔のアップは続く。


「あのあと私は、護衛たちに馬車に押し込められてね。おまえの顔を見るまでは、生きた心地がしなかったよ」

 アルベールの顔や衣服には傷ひとつない。はじめて護衛としての役目を果たせたことに安堵する。


「ツキ。もうこんな真似はしないと約束してくれ。おまえになにかあったら、私は――」

 

 このひとはなにを言っているのだろう。身を(てい)して主君を守るのは、親衛隊として当然の責務だ。


「王太子殿下! ここにおられましたか」

 ひげを生やしたいかにも臣下らしい男が、医務室に入ってきた。男がアルベールになにやら耳打ちすると、アルベールは表情を引き締め、こちらに向き直って言った。


「さきほど私を襲ったのは、反体制派の残党が差し向けた刺客らしい」

 反体制派の残党、ね。こ難しいところはテキストを読み飛ばしていたのでよく覚えていないが、そんな抗争もあったような気がする。


「……もう処刑が済んだから、安心して私のそばにいてほしい」

 アルベールの凍るような冷たい眼差しに、背筋がぞくりとした。王太子を殺そうとしたのだから当然なのかもしれないが、あまりにも早く、冷酷な処分だ。小さな老婆の姿を思い出していたたまれなくなってしまう。それに、もう少し生かしておいて、「反体制派の残党」の情報をしっかり聞き出したほうがよかったのでは。

 アルベールはいつもの優しい顔に戻って言った。


「こんな話を聞かせてすまなかったな。体が回復するまで、しばらく休みを取るといい。おやすみ、ツキ」

 アルベールは護衛を引き連れ、医務室を出てゆく。緊張が解けたせいか、なんだかどっと疲れが襲ってきた。お言葉に甘えてしばらく休ませてもらおう。まあ、体力なんて一晩寝たらさっぱり全快してしまうのだけれど。

 私は目を閉じ、この日を終えようとした。

 

「貴様、ひとりでいい格好しようったって、そうはいかねえからな……!」

 

 胸ぐらをつかまれていた。ザンギエフが真っ赤な顔で(つば)を飛ばし、私に食いかかってきていた。

 

 ――勘弁してくれ。私に一騎打ちで負かされ、護衛としての手柄までひとりじめされたことで、ついに鬱憤(うっぷん)が爆発したらしい。気持ちはわかるが、倒れて寝ているいまの私に言うことなのか。腹が立ってきた。私はザンギエフの顔を睨みつけて言った。


「お役に立ててなによりです――先・輩」

 

 私はザンギエフの目を真っ直ぐに見つめて、精一杯の嫌味を投げつけてやった。


「な、なにをッ……」

 ザンギエフの真っ赤な顔が、さらに沸騰して蒸気を発しそうになった。


「ザンギエフ、なにをしている! 行くぞ」

 上席の親衛隊員の声が飛んできた。ザンギエフは不承不承といった感じで、こちらをちらちらと睨みかえしながら医務室を出て行った。

 

 まったく。ザンギエフだってアルベールのすぐうしろにいたのだから、功をあげるチャンスはいくらでもあっただろうに。そもそも思いかえしてみれば、ニタニタと笑いながらいつまでも王太子の手を握って離さない老婆(ばばあ)なんて、いかにも怪しすぎるだろうが。

 そういえば、私がそれに気づいて老婆を注視していた時。あの老婆、魔法を放つ直前に、私にギロリと視線を送って――

 目くばせしたような気がした。


「……考えすぎだな。もう、寝よう」

 私は今度こそ目をつぶり、短いようで長かった一日を終えた。




 

 アルベールは私に一週間の休暇を申しわたした。この世界に来て、なんの目的(クエスト)もない日々ははじめてだ。一晩寝てすっかり回復した私は、ひとりで城下町に出て、武器や装備品の店を見てまわったりした。『町を自由に探索してみよう!』といったところか。

 兵舎の自室に戻ると、一通の手紙が届いていた。ひとめで上質だとわかる金のふちどりつきの封筒に、王家の家紋で赤い封蝋が()してある。差出人をみると、なんと王太子妃ロザリアからだった。美しく整った文字が走る便箋(びんせん)に目を通す。

 

 ――王太子殿下を守ってくださったこと、心から感謝いたします。そのお礼として、ささやかなお茶の席をご用意いたしました。明日の昼下がり、私の部屋までおいでください。


 要約すると、こんな内容だった。濃紺のインクで書かれたその文字はまったく読めないのに、なぜかすらすらと内容が頭に入ってきた。


 

 そうして私はいま、ロザリアの部屋の前に立っていた。

 ドアをノックして名を名乗ると「どうぞ」と鈴のように澄んだ声がして、扉がひとりでに開いた。自動ドアであるわけではなく、侍女が内側から開けたのだ。一歩足を踏みいれると、かぐわしい薔薇の香りが鼻腔をくすぐった。部屋の中央のソファに、朝露に濡れた薔薇のつぼみのように可憐な女性が座っている。


「ようこそ、いらっしゃいました。お体のお加減はいかがですか?」

 

 王太子妃ロザリアだ。ロザリアはソファから立ち上がって、体のまわりに優美な薔薇の花を咲き散らしながら、輝くような笑顔をみせている。


「ロザリア妃殿下。ほ、本日は、お招きにあずかり……まことに……」

 私はそのまぶしすぎる美しさにあてられて、しどろもどろになりながら礼を述べた。これは、一国の王太子が道ならぬ恋に落ちるのもうなずける。

 

 ストーリー中、私はロザリアの視点を通してこの世界を見ていたので、こんなにまじまじと彼女の顔を見るのははじめてになる。演習場で見かけた時と、彼女が毎朝アルベールを見送りに来る場面以外で顔を合わせたことはなく、言葉を交わすのもはじめてだ。自分の分身だったともいえるロザリアとこうして対面しているのは、なんだか不思議な気分だった。

 私がお辞儀から顔をあげると、ロザリアはますますぱあっと表情を花ひらかせた。


「まあ、そのお召し物。とってもお似合いですわ」

 胸元が無駄にフリフリしている私のシャツ姿を見て、ロザリアは嬉しそうに言った。このおかしな服は、アルベールが私に作ってよこしたものだ。

 

 親衛隊となって初日の任務を大失敗のうちに終えたあと、王宮の衣装係が私のもとにやって来て体のサイズを採寸していき、しばらくして大量の装備品が送られてきた。しかしそれらは豪奢(ごうしゃ)なシャツやコート、(すそ)の短いズボンやぺらぺらのタイツで、ほとんど防御力ゼロのしろものばかりだった。任務で使えそうなものはまったくなく、大部分は昨日、町の装備品店で売り払ってしまったのだが、わずかに残っていたものをひっぱりだしてきたのだ。さすがに今日は、(よろい)姿では場違いにもほどがある。

 まあ、〈主人公〉の私がたとえどんなおかしなかぶりものを身につけていようと、誰も気にしないでストーリーは進んでいくのだけれど。


「お元気そうで安心いたしましたわ。さあ、座ってちょうだい。いま、お茶をご用意しますね」

 ロザリアはバレリーナのように優雅な仕草で手のひらをかえし、テーブルをはさんで向かいのソファを指し示した。私は礼を言い、言われるがままに腰かけた。さすが王太子妃の使う家具だけあって、寝そべったらすぐに眠りに落ちてしまいそうなほど、ふかふかで気持ちがいい。

 ロザリアはドレスの裾を整えながら、ふわりと向かいのソファに腰をおろした。

 

 いま通されている部屋は王太子妃の私的な応接室らしく、壁紙から調度品にいたるまですべてがピンクの薔薇柄で統一された、目がちかちかするような空間だった。女はみんなピンクと薔薇が好きだろうという、古い感性の背景デザイナーが手がけたものに違いない。

 妃殿下の私的な部屋に、一介の兵士である私が招かれるのもふつうならどうかと思うが、あのアルベールとひと月過ごしてきたのだ、いまさら驚かない。この国の王族は、臣下との距離感が異常に近い傾向にあるようだ。


「甘いものはお好きかしら? お好みを存じあげなかったから、いろいろと用意しましたのよ」

 侍女が次々に茶と菓子を運んでくる。きらびやかな茶器に三段重ねのケーキスタンド、花の形にカットされたフルーツの盛り合わせなどで、目の前のテーブルはたちまち埋めつくされた。港区女子が泣いて喜びそうな光景だ。


「さあ、どうぞ。お召しあがりになって」

 ロザリアはにこにこと、私に茶を勧めた。――来た。


「……いただきます」

 私はイメージトレーニングのとおりにカップと小皿をそれぞれつかみ、カップから小皿(ソーサー)に茶を注いで、おそるおそる飲んだ。茶はほどよい温度になっていて、今回はやけどをせずに済みそうだ。

 ロザリアは私の一連の動作を見て、まあ、と感嘆の声をあげた。

 

「この国にいらしたばかりと聞いていたけど、お作法をよくご存じなのね」

 よかった。作法は間違っていなかったようだ。

 

「王宮では食器に保温魔法がかけられているから、私もはじめの頃はよくやけどしていたのよ」

 そんなタイガーみたいな便利な魔法があるのか。どうりでこのあいだ、やけに熱いと感じたわけだ。なにはともあれ安堵して答える。

 

「以前、王太子殿下に教えていただきまして」


 私がそう口にした瞬間、ロザリアの片方の眉がぴくりと動き、終始輝いていた表情がはじめて(かげ)った。なにかまずいことをしてしまったのかと私が押し黙ると、ロザリアは細く美しい指をこめかみのあたりにもっていき、憂いを帯びた表情を浮かべて言った。

 

「ごめんなさい。昨夜はよく眠れなかったものだから……」

 

 王太子にあんなことがあったのだから当然だろう。ロザリアは私のほうをちらりと見あげたあと、自分のカップに目線を落とし、ほんの小さなため息をついた。


「あなたにも苦労をかけるわね。近頃ずっと、殿下があなたをあちこち連れまわしていたでしょう。お休みもほとんどなくて」

「い、いえ、それが私の任務ですから」

 たしかにブラックな職場ではあるが、この世界に労働基準法はない。

 

「殿下ったら、いつも私を放っておいて。あなたとどこそこに行ったとか、そんな話ばかりするのよ」

「はあ……」

 ロザリアは唇をとがらせる。なんだか雲行きがあやしくなってきた。

 

「あのひとが一日でどれくらいのお金を使うと思う? 三日もあれば、このルビーのネックレスが作れてしまうほどなのよ」

 ロザリアは胸を突き出して、その谷間に輝く大きな宝石を示した。夫の愚痴大会も王族となるとスケールが大きい。しっかり家計の管理もやっているなんて、頼りになる妃殿下だ。

 

「それで今回の事件でしょう。私、殿下に言ってやったの。『殿下。おそれながら、もう少し国を預かる自覚をお持ちになったほうがよろしいかと』ってね」

 ロザリアはますます(いきどお)りをあらわにして、芝居がかった口調で言った。その大袈裟な口ぶりに、私は思わず笑い声を漏らした。彼女は単なる可憐な王女様ではなく、芯の強い女性だ。ストーリー中には、自分の命が危うくなっても、アルベールを守るために敵の要求を毅然としてはねつける場面もあった。

 ロザリアは私を一瞥(いちべつ)すると、いたずらっぽい笑みを浮かべて続ける。

 

「あのひと、ちょっとふつうから外れているところがあるでしょう。幼い頃から王太子として育てられてきたから、仕方のないことだけど……」

 うん、うん。

「ひとの気持ちを考えないで、ひとりで突っ走るところもあるし」

「わかりますっ」


 ――あ。心の声がつい漏れ出してしまった。

 

 ロザリアは大きな目をさらに丸くして私と目を見合わせ、一拍の間のあと――

 私とロザリアは一緒に、声をあげて笑った。

 

「いやだわ、私ったら、はしたない」

 ロザリアが手を口もとにあてて、心底楽しそうに笑いながら言う。

「今日のことは、殿下には内緒よ? ツキ様」


 

 夫の愚痴を言って、笑う。王太子妃だろうと、ごくふつうの妻たちとなにも変わらない。ロザリアがそんな一面を見せてくれたことが、私はとても嬉しかった。

 

「『様』だなんて、そんな。ツキ、と呼んでください」

 ああ、この世界に戻って来て、よかった。私は心からそう思った。

 

「嬉しいわ。――ツキ。私ばかりおしゃべりしてごめんなさいね。どうぞ、お菓子も召しあがって」

 ロザリアはテーブルの上にひしめく菓子に向かって、優雅に手を広げた。

 

「どこから手をつけてよいものか……その、こういうものははじめてなので」

 私は正直に自分の不勉強を打ち明けた。茶の作法は予習してきたが、菓子のほうはさっぱりわからなかった。

 

「うふふ、かわいいひと。お好きなものからでいいのよ。でも、そうね――」

「私はこれが一番好きですわ」

 

 ロザリアはケーキスタンドのてっぺんの皿に乗った、薔薇の形の小さな砂糖菓子を指差して、にっこりと微笑んだ。

 

「では、それを。いただきます」

 私は砂糖菓子をつまみ、口にいれた。菓子が口の中でほろりとほぐれた瞬間に、強いアルコールのようなつんとした風味がした。思わず吐き出したい衝動にかられる。


「お味はどうかしら?」

 ロザリアがにこにこして訊いている。私は小皿(ソーサー)に残っていた茶で、口の中の菓子を無理矢理に流し込んで笑顔をつくった。


「は、はい。とても――」


 (のど)が焼けるように熱い。このあいだのような、茶の熱さなどではない。たちまちのうちに動悸が激しくなって、全身から汗が吹き出してきた。まるで水の中にいるように呼吸が苦しい。私は喉元を押さえ、必死に息を吸い込もうとしたが、喉はひゅうひゅうと笛のような音を鳴らすだけで、私の要求には(こた)えてくれない。

 

「う、嘘……! ツキ、どうなさったの⁉︎」

 

 遠くにロザリアの声がする。私はテーブルに手をついた。陶器が砕け散る派手な音がして、女性たちの悲鳴があがったかと思うと、目の前にあざやかなピンクの薔薇柄の絨毯(じゅうたん)が映った。




 

 カチャカチャと金属がこすれあうような音で目が覚めた。

「おお、ツキ! 気がついたのか!」

 アルベールが必死の形相で私を覗き込んでいる。重いまぶたをひらいてあたりの様子をうかがうと、見覚えのない場所だ。

 

「ここは……?」

 自分の喉から出た声は、ひどくかすれてがらがらだった。

 

「王族用の医務室だ。ツキ、気分はどうだ? 必要ならすぐに医者を呼び戻すから」

 柔らかいベッドの上に横たわる体は流行り病にかかったように熱っぽく、体の節々が痛む。身を起こすことさえままならない。数日前に雷撃魔法を喰らった時のほうが、ずっとましだったくらいだ。そう、今週、倒れて運ばれるのはこれで二度目だ。なんてワンパターンなシナリオなんだ。


「……熱があるようですが、医者は大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 私はかすれる声で答えた。どうせ一晩寝れば回復するのだから、医者に診てもらうよりも早く休みたい。


「迷惑なはずないじゃないか。だが、ツキ。おまえは私に心配ばかりかけるね」

 アルベールは、つい数日前に目にしたのと同じような、気遣わしげに切ない表情を浮かべた。

 

「ロザリアの侍女から連絡を受けた時、私は心臓が止まったかと思ったよ。ツキ、ここ数日のあいだに、おまえは私を二度も――」

 アルベールは私の(ひたい)に手を伸ばす。

 

 ――まずい。このままだとまたあの()()()()が始まりかねない。私は体が痛むそぶりをして「うっ」とうめき声をあげ、身を縮めてアルベールの手を()けた。いまはあれに付き合っていられるような具合ではない。

 

「…………ロザリアがすまなかったな。悪気はなかったんだ。おまえに、私を守ってくれた礼がしたかったんだそうだよ」

 アルベールはなにごともなかったかのように、もとの体勢に戻っていた。

 そういえば、私はロザリアの部屋で倒れたのだ。医務室にロザリアの姿は見えない。

 

「ロザリア妃殿下は……?」

「ロザリアは部屋で休んでいるよ。おまえが倒れたのが、ひどく(こた)えているようでね」

「そう……ですか。申し訳ありません」

 あの輝く笑顔を思い出していたたまれなくなってしまう。

 

「もう謝るのはやめてくれ、ツキ。一時的にショックを受けているだけだから、すぐに回復するさ」

 それを聞いて少し安堵する。私が倒れたのを見たあとに、あの菓子を口にするはずもないが――そうだ、あの砂糖菓子。


「殿下、私が口にした菓子を調べてください……! 薔薇の形の、小さな砂糖菓子――」

 私がひりつく喉から声を絞り出すと、アルベールは眉を寄せて、少し困ったような微笑みを浮かべた。

 

「おまえは酒が駄目なんだったな。この国の菓子には、強い酒が使われているものが多いから……おまえの体には合わなかったんだろう」

 違う。あれは絶対にただの酒などではなかった。たぶん――毒だ。雷に打たれてもぴんぴんしている私だからこの程度で済んだものの、華奢(きゃしゃ)なロザリアが口にしていたらもっと大事に至っていた可能性もある。


「いえ、あれは酒などでは――」

「医者もそう言っていたよ。このあいだ攻撃魔法を受けたばかりだから、体が弱っていたんだろうともね」

 やぶ医者め。私の体力はとっくに全快していた。あれが毒だとすると、一介の兵士である私が狙いだったとは考えにくい。おそらく狙いはロザリアだ。ロザリアはあの菓子が「一番好き」だと言っていたではないか。毒を盛った犯人は、ロザリアの嗜好(しこう)まで熟知したうえでことに及んでいる。


「……殿下! ロザリア妃殿下の命が狙われています! おそらく王宮内にも、手引きしている者が……妃殿下の警護を強化してください!」

 私はかすれる声で必死に訴えた。

 

「うん、考えておくよ。ツキ、顔が真っ青だ。今日はもう休みなさい」

 アルベールはいかにもうわべだけの返事をかえし、

「私は隣の部屋にいるから、なにかあったらいつでも声をかけるんだよ」

 そう付け加えると、部屋を出て行った。


 アルベールはまったく事態を深刻に受け取っていないようだ。つい数日前には自分が襲われたばかりだというのに、能天気すぎやしないか。私は熱に浮かされた頭で懸命に考えた。

 このあいだアルベールを襲ったのは、「反体制派の残党」。そいつらが王太子妃であるロザリアの命を狙う可能性は大いにある。隣国の王女であるロザリアを殺せば、また両国間の関係が悪化し、現体制が揺らぐ。なによりも、溺愛する妻を殺されたアルベールが我を失うことなど目に見えている。


 「反体制派の残党」――。こんなことなら、きちんとストーリー中のテキストを読み込んでおくんだった。だがいまさら悔やんでも仕方ない。いま私にできることは、アルベールやロザリアの周辺を精一杯警戒することだ。せめて私が、ふたりのそばにいるあいだは。

 〈主人公〉である私がいないところで、いきなりふたりがぽっくり逝ってました、なんてことはたぶん、ないはずだし。

 

 

 もうすぐ夏が来る。待ち遠しかった箱庭ゲームの発売が、すぐそこに迫ってきていた。

 

 窓の闇のなかから、(うぐいす)のような鳥の鳴き声が聞こえた。

 この世界では、現実よりずっと早く季節が巡る。

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