プロローグ ―主人公編①―
思ったより早く、目的を遂げることができた。
公式にもpixivにもない、エンディング後の夫妻の姿。それを、この目で見ることができたのだから。
王太子アルベール。立ち絵と寸分違わない、絶世の美男――絵に描いたような王子様。妻のロザリア。彼女も想像どおりの絶世の美女。誰がどう見ても、お似合いの夫婦。仲睦まじく寄り添っていた。
それにしても、兜を脱いだ私を見た時の、アルベールのあの驚いた顔。ちょっと美麗にしすぎたのだろうか。設定したときには、そうは思わなかったのだけれど。
ここは王太子モノの乙女ゲームの世界。そのハッピーエンドのあとの、平和で退屈な世界。未プレイの方のため、エンディングまでのあらすじを説明すると、
王女ロザリアは、敵対している隣国の王太子アルベールと道ならぬ恋に落ち(もちろん他にも選択肢はある)、紆余曲折、艱難辛苦(そして、つまらないすれ違い)を乗り越えてついに結ばれる。物語の最後にふたりは盛大な結婚式を挙げ、両国の関係も改善――
とまあ、よくあるお決まりのパターンだ。
そのエンディング後の世界に、私は新たな〈主人公〉として転移し、新入りの兵士となって潜り込んでいる。なぜそんなことができるのかって? この程度の特殊能力は、日本人のオタクならたいてい身につけているものだ。
ザンギエフとの一騎打ちを終え、脱衣所で鎧を脱いでいると、名も無き兵士たちが次々に声をかけてくる。
「ツキ! あんな技、はじめて見たよ。どうやったんだ⁉︎」
「なあ、ツキ! 今度、僕にも教えてくれよ!」
あれは、居合斬りというやつだ。直前まで興じていた、侍モノのゲームで身につけた技術が役に立った。力でごり押すタイプのザンギエフに真っ向から挑んでも勝ち目はないと踏み、不意打ちの一発芸にかけたのが功を奏した。二度目は通用しないだろう。
奥で鎧を脱いでいるザンギエフが、兵士たちに囲まれる私を恨めしそうな目で睨みつけている。新参者にあっさりと負かされたのが、よほど気に入らないらしい。
「ああ、また今度」
私はそれだけ答えると、騒ぎたてる兵士たちを尻目に脱衣所をあとにした。「また今度」は、ない。私はまもなくこの世界を去る。
私がこのゲームをプレイしたきっかけは、ほんの気まぐれだった。たまたま広告で流れてきて、無料だったから。目下楽しみにしている箱庭ゲームの発売までの、暇つぶし。
だって、ゲームでも漫画でも、恋愛がからむモノはずっと避けてきたのだ。
私と〈あの人〉がいた世界が、サ終してしまってから。
けれど、流れてきた広告の一枚絵で、煌々と射す光に向かって片手を広げ、王太子アルベールが口にする台詞――
『この国の未来を、君にささげよう』
そのきらきらした、ひねりもくそもない台詞が、
――この国の未来を、おまえと見たかった。
〈あの人〉が最期の日に口にした言葉と、少し、似ていたから。少し、興味が湧いただけだ。
こちらに微笑みかける王子様は、無骨な〈あの人〉とは似ても似つかないのに。
ストーリーを進めるうち、私はいつからかアルベールとロザリアの幸せを心から願うようになっていた。なんとかTRUE ENDまでたどり着いたときには、柄にもなく涙した。そしてしばらくすると――ふたりのその後が、どうしても見てみたくなった。
ふたりが夫婦になって、たわいもないことで喧嘩をし、もしかしたら子どもが生まれて、一緒に歳を重ねる――そんななにげない日常に思いを馳せ、二次創作もずいぶん漁ったけれど、マイナーだからかほとんどヒットしない。ならば――自分の目で確かめればいい。エンディング後の、夫妻の幸せな姿を。
そんなへどがでるほどロマンティックな理由で、私はここに戻ってきてしまった。
演習場に入った時に、観覧席に座る夫妻の姿を見つけた。妻のロザリアは、血なまぐさい決闘になど耐性がないのだろう。身を固くして言葉少なだったが、夫のアルベールが声をかけ、労ってやっているのが見てとれた。
ああ、ふたりは間違いなく幸せにやっている。安堵した。そして、どうしようもなく切なくなった。それで気づいた。
私は無意識のうちにあのふたりに、私と〈あの人〉の姿を重ねていたんだ。私と〈あの人〉のあいだには、こんな幸せな未来はなかったから。
私はきっとこれからも、〈あの人〉との思い出を胸に生きていくのだろう。
さあ――目的は済んだんだ。早く帰って、箱庭ゲームのトレーラーでも見よう。
私はセーブポイントになっている、兵舎の自室へと急いだ。どうせもう戻ってくることなどないのに、一応セーブしておかないと気が済まない、悲しきゲーマーの性だ。
自室の扉に手をかけようとしたその時、
「ツキ! 探したぞ」
声をかけられた。兵士長だ。私は脱衣所から真っ直ぐここまで来たのだから、探す必要なんてなかったと思うけれど、きっとそういう固定台詞なのだろう。
「なにかご用ですか?」
最後に一応聞いてやろう。
「さきほど王太子殿下からのご命令があってな。ツキ。おまえを今日から、王太子殿下の専属にするそうだ」
やたらと尊大なCVの兵士長は、「専属」のところをことさら強調して言った。耳を疑った。
「……それは、私を親衛隊に、ということですか?」
「そういうことだな。これはたいへんに名誉なことだぞ」
親衛隊。王族が直接雇用する、主君に絶対的な忠誠を誓う精鋭部隊だ。常に主君の身の回りの警護にあたり、戦の際には主戦力ともなる。主君が命を預けられると判断した兵士のみが任命される、名誉ある地位だ。確かザンギエフも、この一員だったはず。兵士になったばかりの私が就けるものでは、とうていないはずだ。
兵士長は続ける。
「それにあたって、いまからおまえと面談をおこなうとのことだ。急ぎ応接室まで出向くように」
侍従に通された応接室は、千代田区あたりの由緒正しきホテルにあってもおかしくないようなソファとテーブルのセットが設置されている、思いのほかシックな造りだった。もちろんそれには座らずに、入口の扉近くに立って王太子を待つ。
早急すぎる展開に面食らいながらも、もう少しだけ、夫妻の姿を見ていられるのなら――と、欲を出してここまで来てしまった。ぼんやりと天井を仰ぐ。
それにしても、いくら剣術が達者とはいえ、どこの馬の骨ともわからない新入りの兵士をすぐに親衛隊にだなんて、王太子の危機管理はどうなっているのだろう。私が敵国の刺客だったらどうするつもりだ。ストーリーを進めているうえでは、そこまで非常識な人間だとも思わなかったのだが。
大袈裟な音とともに扉が開いて、王太子アルベールが部屋に入ってきた。信じられないことに、護衛をつけていない。正気か? アルベールは大きく手を広げ、爽やかなエフェクトをこれでもかと飛ばして言った。
「おお、ツキ! よく来たな!」
まるで久方ぶりに会う友人を出迎えるかのようだ。
「王太子殿下。このたびはお取立ていただき、まことにありがとうございます」
私は胸に手を当ててお辞儀し、型どおりのお礼を述べた。アルベールはああ、とため息をついて、手で私を制止し、奥のソファに腰を下ろした。
「そんな堅苦しい挨拶はよしてくれ。さ、そこに座って。酒はいける口か?」
アルベールはテーブルをはさんで向かいのソファを指差し、ほぼ初対面の、一介の兵士である私に席を勧めた。ありえない。まして、酒だと?
「い、いえ……私はここで……」
私が立ったままでいると、アルベールは小首をかしげ、
「酒は嫌いか? ではお茶にしよう。おい」
手を叩いて侍従を呼ぶと、茶を持ってくるよう命じ、
「早く座りなさい」
私にうながした。
「は……」
あまり固辞するのも無礼かと思い、おずおずとソファに腰をおろす。
「そんなに固くなるな。今日から私の専属になるのだから、おまえの人となりを知っておきたいと思ってな」
そんなことはもっと前に調査すべきことだろうと意見したくなるが、さすがに我慢する。
「さて、なにから始めようか……」
アルベールが宙に視線をさまよわせたあたりで、茶が運ばれてきた。
アルベールのあまりにも気さくすぎる振る舞いに、想像以上に気が動転していたらしい。私は勧められもしないうちにカップを小皿の上からひっつかみ、茶を唇に流し込んだ。喉がからからだった。
「あっつ……!」
茶のあまりの熱さに喉が焼けつく。手が滑り、カップをつかむ手に茶がびちゃびちゃとこぼれた。その地獄の釜に手を突っ込んだような熱さにさらに身悶えしながらも、おそらく高価なカップを取り落とすわけにはいかないと耐え、ぶるぶる震えながら必死に皿の上に戻した。
アルベールは少し狼狽えたように私を見つめて言った。
「そのまま飲んだら、熱いだろう。小皿に移して飲むんだよ」
くそっ。そんな作法はストーリー中に出てこなかったじゃないか。茶を浴びた手がびりびりと痛んで、顔がゆがむ。
「やけどしたのか? どれ、見せてみなさい」
アルベールはそう言ってテーブル越しに身を乗り出し、あろうことか私の手を取った。
アルベールの手が私に触れた時、心臓がドクン、と大きく鼓動し、
――おまえはいつも傷だらけだな。どれ、見せてみろ。
〈あの人〉の言葉が浮かんだ。
「触らないでっ……!」
私に触れていいのは、〈あの人〉だけ――
私はアルベールの手を、思いきり跳ねのけていた。
まずい。すぐに我に返り、
「く、ください、御屋形様っ……!」
苦しく言葉を継いだ。
「お手が汚れますっ……」
アルベールは驚いたように目を見開いて、静止している。
ああ、やってしまった。さっそく親衛隊はクビだ。それどころか最悪の場合、不敬罪で縛り首。うん、一刻も早く、ログアウトしよう。
「おやかたさま……?」
アルベールが不思議そうな顔でつぶやいた。
「あ……」
侍ゲームでの主君の呼び方だった。取り乱し、とっさに出てしまったらしい。
「え、ええと……故郷では主君のことをそう呼んでおりましたので……たいへん、ご無礼を……」
私の説明を聞くと、アルベールは合点したというように手を打った。
「そうか、おまえはこの国の出ではないのだったな!」
私の無礼な振る舞いに、怒っていないのだろうか。アルベールは、そのままオープニングムービーに採用しても差し支えないほどの、完璧な微笑みを浮かべて言った。
「聞かせてくれないか? おまえの、故郷のことを」
アルベールが侍従に持ってこさせた氷で手を冷やしながら、私はぽつりぽつりと故郷のことを話した。四季が美しい国であること。生まれた街にはいたるところに温泉が湧き、冬になると白鳥が飛来すること。一面が銀世界に包まれるその季節が、とても好きだったこと――
アルベールは終始興味深そうに、ときたま相槌をうちながら私の話を聞いていた。私がひととおり話し終えるのを待ってから、口を開いた。
「銀世界か。この国には雪があまり降らないから――いつか私も、その街を見てみたいものだな」
――いつか俺も、おまえが生まれた街を見てみたいなあ。
ああ、まただ。
「……とても遠い国ですので、難しいかと……」
私が馬鹿正直にそう言うと、アルベールはわずかに眉根を寄せて、もの哀しそうに微笑んだ。ストーリー中の一枚絵にもなかったその表情に、私は少しだけ心苦しさをおぼえた。
「さて、今日はこのくらいにしておこうか。明日から、さっそく公務に同行してもらうからな。今夜はゆっくり休みなさい」
アルベールはそう言うと、立ち上がって颯爽と部屋を出て行った。その有無を言わさない物言いは堂に入っていて、さすが人の上に立つ人間だと思わされる。
もう少しだけ、ここにいてもいいか。箱庭ゲームが発売されるまで、どうせ暇だし――
その判断が大きな間違いだったと知ることになるのは、ずいぶんとあとになってからだった。




