【夏】 ―王太子編⑤―
そのあとツキは宴席のたいへんな人気者になり、次々と声をかけに訪れる賓客の対応に追われた。どんな称賛の声にも「任務ですから」などと短く答えるのみで、私のそばを離れることはしなかったが、その紅い瞳は常に濡羽卿――オニキスを追っているように思えてならなかった。
真夜中から時計の針がふたまわりもした頃になって、ようやく宴席はお開きとなった。ロザリアとともに、リア王を広間の外までお見送りする。リア王は満面の笑みを浮かべて言った。
「今夜はほんとうに楽しかったよ、アルベール殿下。ツキ! いまの倍の給金を出すから、わしの専属にならないか?」
リア王は、がっはっは、と上機嫌な笑い声をたてた。私のうしろで苦笑いするツキに、ロザリアが助け舟を出した。
「お父様ったら、すっかりツキのことがお気に入りなのよ。ほら、ツキが困っているわ。お部屋へまいりましょう」
「はっはっは。では、また明日な」
ロザリアはリア王の腕を取って、リア王の宿泊する部屋のほうへと一緒に歩きだした。途中で一度こちらを振りかえり、私ににっこりと微笑んでみせた。
リア王にいたくご満悦いただけたことには違いないが、私の体は鉛の鎖に繋がれたように重かった。
「ツキ、と言ったな」
背後で腹に響く低い声がした。この声は――
「……はい」
ツキが小さく返事をする。
「……覚えておこう」
ツキは消え入りそうな声で「は、はい」とつぶやいた。私はツキのほうを振りかえることができなかった。
声の主、濡羽卿オニキスは私の前で軽く一礼すると、真っ黒なマントをはためかせてリア王と同じ方向へと消えて行った。
「ツキ、ちょっと来なさい」
私はツキを、広間の脇に伸びる長い廊下の突きあたりに連れて行った。壁かけの燭台のろうそくが短くなって、炎がいまにも消えそうにちらちらと揺らめいていた。
「さきほどのケルベロスのことだがな。あのような危ない真似はやめろと言ったはずだ。なぜわかってくれない?」
私はツキの目を見つめて、子どもに言い聞かせるようにこんこんと説いた。
「お言葉ですが、殿下。あそこで仕留めなければ、殿下や妃殿下、ひいてはリア王陛下にまで被害が及んでいたかもしれません」
ツキはすっかりいつものきりりとした表情で言った。私は込みあげるもどかしさをなんとか鎮めようと、片手で頭に爪をたてた。
「そういう問題ではない。私はおまえの身の話をしているんだ」
ツキは眉根を寄せると唇をぎゅっと結び、少し間を置いてからまた口を開いた。
「一匹目を仕留めたあと、私も少し油断しておりました。濡羽卿……のおかげで難を逃れましたが……」
濡羽卿。その名を口にした時、ツキの紅い瞳がたしかに揺れた。私の心にどす黒い炎が燃えあがるのがわかった。
「ツキ。そのことだがな。今後、オニキスに近づくのはやめなさい」
私が言うと、ツキは明らかな動揺の色を見せた。
「な、なぜですか……?」
「あのような無骨な男と付きあえば、おまえに悪い影響が出る」
ツキは目を見開いて、すうっと鼻で息を吸い込んだ。私を見つめる瞳に、強い敵意がこもった。
「嫌です……! 今日はもう、終わりにしますっ」
応接室で手を払いのけられて以来の、はっきりとした拒絶の言葉だった。ツキは駆け出して、廊下を戻ろうとする。私はとっさにツキの腕をつかんで、強く引いた。ツキが「うっ」とうめき声を漏らした。自分でも思いもよらない強い力が入っていた。
「駄目だ! 今後、あの男との一切の接触を禁ずる!」
私は声を荒げた。広間から廊下に出てきた一組の賓客が、こちらを振りかえったのが見えた。
ツキは紅く燃えあがる瞳で、私の顔をきっと睨んで言った。
「だ、誰をおし……ても、私の勝手ではないですかっ」
いま、お慕いしても、と言ったのか。
ツキ、おまえは、オニキスのことが好きだというのか。
ツキは私の手を思いきり振り払って、廊下を走り去っていった。壁の燭台のろうそくの炎が、ついにふっと消えた。
〈王太子〉視点のまま、次話へ続きます。




