解けない指輪と、小さな成長
アルマの「しつけ」という名の過保護な生活が始まってから、数ヶ月が過ぎた。
私の日常は、彼の視界の端で料理を作り、掃除をし、彼が研究に没頭する傍らで本を読むこと。左手の指輪は、今や体の一部のように馴染んでいる。
ある朝、私はいつものように朝食の準備をしようとして、ふと自分の袖口に違和感を覚えた。
「……あれ?」
手首が、つんつるてんに出ている。 孤児院から着てきたボロボロの服を、アルマが魔法で補強してくれていたものだけれど、どうやら限界がきたらしい。
「アルマ様、見てください。私、少し背が伸びたみたいです」
執務室の机で複雑な数式と格闘していたアルマが、顔を上げた。彼は私の手首と、短くなったスカートの裾を、まるで未知の魔生物を見るような目で見つめた。
「……子供って、そんなにすぐ大きくなるもの?非効率的だな」
「成長期ですから! ポトフと健康的な生活のおかげです。アルマ様も少しは背、伸びたんじゃないですか?」
「俺はもう二十歳だ。止まっている」
アルマは椅子から立ち上がり、私の前に立った。 出会った頃は彼を見上げるのに首が痛くなるほどだったけれど、今はほんの少しだけ、彼の胸元の位置が高くなった気がする。
アルマは無言で私の頭に手を置いた。大きな手のひらが、以前よりも少しだけ近く感じる。
「……面倒くさいな」
「えっ、背が伸びるのが面倒くさいんですか?」
「……服を、作り直さなければならないのが、だ」
アルマはそう毒づきながらも、私の左手を取った。 指輪に魔力を流すと、銀の輪が私の指の太さに合わせて、生き物のようにスルスルと形を変えていく。
「君が大きくなっても、この『首輪』だけは外れないように調整しておいた。……逃げる隙なんて、一生与えないからね」
「一生なんて、重たいですねぇ。でも、ありがとうございます」
アルマは鼻で笑うと、空いた方の手でパチンと指を鳴らした。 淡い光が私を包み込み、次の瞬間、つんつるてんだったボロ服が、上質な深い紺色のドレスへと作り変えられていた。
アルマのローブと同じ、夜の色。 胸元には、彼が研究で使っているのと同じ、魔力を安定させるための小さな魔石がブローチとして留められている。
「……これ、アルマ様とお揃いみたいで素敵です!」
「……黙れ。余った布で作っただけだ」
アルマはすぐに顔を背けて机に戻ってしまったけれど、その耳たぶがまた少し赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
(……ふふ。公式設定のアルマは、子供なんて『将来の敵かゴミ』としか思っていなかったのに)
今の彼は、一人の子供が健やかに育っていることに、戸惑いながらも手を貸している。 この小さな変化の積み重ねが、いつか彼を破滅の運命から遠ざけるはずだ。
「アルマ様、新しいお洋服のお礼に、今日は特別なタルトを焼きますね!」
「……タルト? 砂糖がもったいない。……一切れでいい」
「二切れですね、わかりました!」
私は軽やかな足取りで台所へ向かった。 背が伸びた分、少しだけ高くなった視界。 アルマがくれた新しい服の裾をなびかせながら、私は跳ねるようなうきうきとした心で料理に励んだ。
出来上がったタルトをアルマが魔導書を読みながら食べている。
それを満足気にリアは眺めていると、自分の中に「もう一つの変化」が起きていることに気づいた。
それは、アルマが研究している魔導書の文字が、時折、淡い光を放って浮き上がって見える。あるいは、彼が魔法を使う直前、空気がピリリと震える「色のない予兆」を感じることだった。
「……アルマ様、そこ。術式の三行目、少しだけ色が濁っていませんか?」
お茶を差し出しながら、私が何気なく指差した。
アルマはタルトを食べる手をとめ、信じられないものを見るような目で私と魔導書を交互に見つめた。
「……君、今なんて言った?」
「え、あ、ええと……。その、文字が少しだけ、澱んでいるように見えたので……」
アルマは無言で私の腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。 彼の闇色の瞳が、私の瞳の奥を覗き込むように細められる。その至近距離の圧迫感に、私は思わず息を呑んだ。
「……魔力の萌芽。いや、これは『視る力』か。……モルモットの分際で、俺の術式の綻びを見抜くなんてね」
アルマの声は低く、どこか愉悦と、それ以上に深い「執着」が混ざり合っていた。
「……リア。手を出して」
「は、はい」
アルマが私の掌の上に、自分の手をかざす。 次の瞬間、温かくて重い魔力の塊が、彼の手から私の中へと流れ込んできた。
「っ……あ、つ……!」
「我慢して。……微弱だけど、君の中の魔力回路が動き始めている。……公式の……いや、世間のゴミ共に見つかれば、『聖女』の候補として連れ去られる程度の才能はありそうだね」
アルマの言葉に、私の心臓が跳ね上がった。
(私が……? 作中ではそんな設定一言もなかったのに!)
そもそもモブ孤児のリアは作中で、「アルマの極悪非道な人体実験により、幼い命が犠牲になった」という一文しかなかったはずだ。ゲームのシナリオ通りだったら、既にリアは死んでいるのかもしれない…。
アルマは私の手を握ったまま、獲物を囲い込むような冷ややかな笑みを浮かべた。
「いい? 誰にも言うなよ。……その力は俺が買ったものだ。使い方も、磨き方も、全部俺が教える。他の誰かに、君の指一本触れさせるつもりはないから」
アルマの手から、黒い魔力の鎖のような光が走り、私の左手の指輪へと吸い込まれていく。 指輪が熱を帯び、私の魔力回路をアルマの魔力と「同期」させていくのが分かった。
「……痛くないですか? アルマ様、そんなに魔力を流して……」
「……黙ってろ。君が勝手に壊れないように、俺が『鍵』をかけているだけだ」
アルマはそう言い捨てると、私の手を離し、山積みの魔導書の中から一冊、比較的薄いものを選んで私の胸に押し付けた。
「明日から、基礎訓練を始めるから。……俺の弟子として、一生ここで俺のために役立て。……いいね?」
「……はい、アルマ様!」
私は胸に抱えた魔導書の重みを感じながら、精一杯の笑顔で答えた。
(アルマ様が私に『力』を教えてくれる。……これなら、彼が破滅に向かいそうになった時、私が隣で支えられるかもしれない)
けれど、アルマがその時、自分の爪が食い込むほど拳を握りしめていたことに、私は気づいていなかった。
才能が芽生えた私を、いつか誰かが「聖女」として迎えに来てしまうのではないか。 光の中に、私を奪われてしまうのではないか。
その恐怖に、かつてないほどの漆黒の独占欲が、アルマの心の中で黒々と渦巻いていたのだった。




