悪い魔法使いの晩餐
掃除を終えた私が次に着手したのは、食生活の改善だった。
「……これ、本気で言ってます?」
私は台所の棚に並んだ、禍々しい色の瓶を指差して、背後に立つアルマを振り返った。
アルマは面倒くさそうに髪を掻きながら、当然のように言い放つ。
「何が。それ、一瓶で三日は空腹を感じなくなる栄養剤だけど。味は……まあ、泥を煮詰めたみたいな感じだけど、効率的だろ?」
(効率的、じゃあないんだよな!)
「アルマ様。食事っていうのは、ただ栄養を摂るための儀式じゃないんです。心を休めて、『明日も生きてていいんだ』って自分に教えるための時間なんですよ」
「……ますます意味がわからないね。死ななきゃいいでしょ」
アルマは鼻で笑って去ろうとしたが、私はそのローブをがっしりと掴んで離さなかった。
「待ってください。私が、『食事』を教えてあげます。そこに座って待っててください!」
城の地下貯蔵庫を漁ってみると、食材自体は悪くなかった。
王都から定期的に届けさせているのか、高級な小麦粉、少し萎びた野菜、そして塩漬けの肉。
アルマはこれらを「調理」するという発想がなく、ただポーションを煽っていたらしい。
(よし……。あんまり料理は得意じゃないけど⋯やるぞ!)
メニューは、シンプルだが胃に優しい『野菜と塩肉の具沢山ポーション風スープ』と、『カリカリに焼いたパンの蜂蜜がけ』。
「……ふんふんふーん」
鼻歌混じりに、使い古された鍋を火にかける。野菜の甘みを引き出し、肉の塩気で味を整える。立ち上る湯気は、この陰気な城には似合わない、温かくて香ばしい匂いをさせていた。
「……ねえ、何これ。鼻が痛いんだけど」
執務室から、アルマがフラフラと吸い寄せられるようにやってきた。鋭い鼻先をひくひくさせて、見たこともない表情で鍋を覗き込んでいる。
「鼻が痛いんじゃなくて、それは『いい匂い』って言うんです。ほら、座って。熱いうちに食べてください」
「……毒、入ってないだろうね」
「私を買い取ったのはあなたでしょう? モルモットが飼い主を毒殺してどうするんですか」
呆れたように言うと、アルマは渋々、スプーンを手に取った。
警戒するように一口、スープを口に運ぶ。
「…………っ」
アルマの動きが止まった。
闇色の瞳が大きく見開かれ、長い睫毛が震える。
「……何、これ。熱い。喉が、変な感じがする。……甘い?」
「それは野菜の旨味です。……美味しいですか?」
アルマは答えなかった。
ただ、二口目からは、取り憑かれたような勢いでスプーンを動かし始めた。
泥のようなポーションしか知らなかった喉に、丁寧に作られた料理が流れ込んでいく。
(……食べてる。私の推しが、私の作ったご飯を食べてる!)
その光景だけで、前世の苦労も、今のモブ孤児である記憶も、すべて報われる気がした。
「……おかわり、あるの?」
空になった皿を差し出し、アルマが少しだけバツが悪そうに私を見た。
その顔は、ゲームで見せた「冷酷な悪役」のそれではなく、ただのお腹を空かせた二十歳の青年のものだった。
「もちろんです! いっぱい作りましたから」
私は嬉しくて、何度も頷いた。
(運営、 あなたたちが『感情を殺した』って設定にした彼は、今、こんなに美味しそうにスープを飲んでる)
少しずつ、確実に。
この城の「絶望」が、私の手で塗り替えられていく。
スープを二杯、さらに蜂蜜がけのパンを三枚。あんな細身のどこに入るのかと思うほどの食べっぷりで、アルマはすべての皿を空にした。
「……ふぅ」
椅子にもたれかかり、アルマが小さく息を吐く。その表情は、出会った時の刺々しさが嘘のように穏やかだ。これが「満腹」という名の、世界で一番手軽な魔法の効果だろうか。
「リア」
「はい、アルマ様」
「……これ、明日もやるわけ?」
闇色の瞳が、じっと私を見つめる。
そこには「命令」ではなく、どこか縋るような、あるいは期待を恐れるような、危うい光が混じっていた。
公式設定によれば、彼は裏切られることを極端に恐れている。だから先に人を切り捨て、一人でいることを選んだ。
そんな彼が「明日」という言葉を口にしただけで、私の心臓は暖かくなる。
「もちろんです。明日はもっと美味しいものを作りますね。……何がいいですか?」
「……何でもいい。毒じゃなければ」
そっぽを向いて不愛想に答えるアルマ。
でも、彼がテーブルの上に置いた手は、心なしかリラックスして開かれていた。
「じゃあ、明日のために私は後片付けをしますね。アルマ様はお仕事に戻られますか?」
「……いや。今日はもういい。魔力の巡りが……妙に静かだ。寝る」
アルマは立ち上がり、ふらりとした足取りで寝室へ向かおうとした。
だが、その足が止まる。
「リア」
「はい?」
「……君の部屋、あそこだから。寒かったら、勝手に毛布でも持っていきなよ」
ぶっきらぼうに指差したのは、執務室の隣にある小さな控えの間だった。
「檻」だなんて言っていたくせに、結局、彼は私を一番近くに置こうとしている。
「ありがとうございます、アルマ様。おやすみなさい」
「……ん」
短い返事とともに、彼の背中が廊下の闇に消えていく。その背中は、孤児院の地下室で見た時よりも、ほんの少しだけ小さく、そして「人間」らしく見えた。
私は鼻歌を歌いながら、汚れた皿を洗い場へ運んだ。冷たい水が手に心地いい。
洗い物を終え自分の部屋に入ると、そこにはアルマが言った通り、ふかふかの厚手の毛布が置かれていた。
魔法で出したのか、それとも彼が自分で運んだのか。私はその毛布にくるまり、泥のように眠りについた。
明日、この城に「招かれざる客」が来ることも知らずに。




