私の居場所
アルマに手を引かれ、孤児院の門をくぐった先。待っていたのは、漆黒の塗装が施された、窓のない不気味な馬車だった。
「……ねえ、リア」
馬車が走り出してすぐ、向かいに座ったアルマが、退屈そうに頬杖をついて私を呼んだ。
その闇色の瞳は、まだ獲物を観察するような冷ややかさを帯びている。
「君、あのおっさんの目を刺した時、どんな気分だった? 怖くて頭がおかしくなっちゃった?」
(……出た。悪役特有の、人の心を試すような質問)
ただの孤児の私なら震え上がっていただろう。でも、前世を思い出した今の私は違う。
「怖かったです。……でも、それ以上にあのクズに怒りが湧きました。よくあるカッとなってやった、って感じです。」
「……は?」
アルマが呆気にとられたように瞬きをする。
「何それ。カッとなった?」
(あっ、しまった。この世界ではこの表現じゃ伝わらないかも⋯)
「……あのクズは自業自得です」
「……ますます変な子」
アルマは鼻で笑い、興味を失ったように窓の外へ目を向けた。
馬車が止まったのは、王都の喧騒から遠く離れた、深い森の奥にそびえ立つ古城。
ゲーム内では【終焉を呼ぶ魔導師の館】として、プレイヤーを震え上がらせたラストダンジョンの一歩手前の場所だ。
「着いたよ。ここが今日から君の、新しい檻だ」
重厚な鉄の扉が開く。
中は、驚くほど静かで、そして……驚くほど汚かった。
「……っ、何これ」
思わず声が漏れる。
エントランスには魔導書のページが散乱し、高価そうな絨毯は埃を被って色が死んでいる。
廊下の隅には「何かの実験失敗の跡」と思われる、どす黒い染みが放置されていた。
「何って、俺の家だけど? 掃除なんて面倒なこと、誰もやらないからね」
アルマは平然として、散らばった書類を靴で踏みつけながら奥へ進んでいく。
公式設定では「孤独で冷徹な隠遁生活」とされていたけれど、現実はただの「家事能力ゼロの限界魔法使いのゴミ屋敷」だったのだ。
アルマは魔力の暴走を抑えるため、常に精神を削っている。人を殺す事や魔法の研究には特化した能力をゲームでは発揮していた彼だが、生活環境を整えるような余力はないらしい。
常にストレスがかかっている状態の彼を思えば、至極当然の事に思えた。ただ、こんな不潔で荒んだ場所で生活していたなんて。
これじゃあ、心が病んで闇堕ちするのもしょうがないじゃないか。
「リア、君の部屋はあっち。死なない程度に適当に過ごして——」
「アルマ様」
私は、アルマのローブの裾をぎゅっと掴んで引き止めた。振り返ったアルマが、不思議そうに眉を寄せる。
「……何?」
「雑巾と、箒と、バケツはどこですか?」
「……別に掃除しなくても、今すぐ殺したりしないよ」
「⋯掃除します」
私は返り血を拭ったばかりの顔で、満面の笑みを浮かべた。
悪役魔法使いのQOL(生活の質)向上。
それが、世界を救うための、私なりの第一歩だった。
「……勝手にすれば」
アルマは心底どうでもよさそうに肩をすくめると、バケツのありかを指差すこともなく、奥の執務室へと消えていった。
残された私は、まず大きく深呼吸をした。
埃っぽくて鼻がムズムズするけれど、胸の奥は燃えている。
(彼を『世界の敵』に仕立て上げたのは、この劣悪な住環境も一因に違いない。)
まずは掃除用具の確保だ。
広い城内を駆けずり回り、台所の隅で見つけたのは、カピカピに乾いた雑巾代わりのボロ布と、毛先がボロボロになった箒。バケツは庭の井戸の近くに転がっていた。
「……よし。やるぞ、リア。前世の『大掃除の鉄則』を見せてあげる」
孤児院での重労働に比べれば、自分の意志で動ける掃除なんてレジャーのようなものだ。
まずはエントランス。散乱している魔導書を丁寧に拾い上げ、埃を払って壁際に積み上げる。内容をチラリと見ると、おぞましい呪詛や禁忌の術式ばかりが並んでいるけれど、今の私には「整理整頓の対象」でしかない。
絨毯にこびりついた「実験の跡」には、井戸から汲んできた水と、台所にあった塩とレモン(のような果物)を混ぜた特製洗浄液をぶっかけた。
「落ちろ、落ちろ、アルマのストレスと一緒に落ちろ……!」
前世で培った裏技を駆使して、ひたすら床を磨く。ゴシゴシ、ゴシゴシ。
孤児院での恐怖、院長の脂ぎった顔、そしてアルマが死ぬはずだった結末。それらすべてを削り取るように、私は夢中で手を動かした。
数時間後。
ギィ……と、執務室の扉が開いた。
中から出てきたアルマは、廊下の異変に気づき、目を見開いて立ち止まった。
「……?」
そこには、月明かりを反射して淡く光る石畳の床があった。
埃一つない絨毯。整然と並べられた魔導書。
そして、顔中を煤と泡で汚しながら、ドヤ顔でバケツを持つ10歳の少女。
「アルマ様、お疲れ様です! とりあえず玄関と廊下だけ終わらせました。次は……」
「……君、本当にバカなの?」
アルマは呆然としたまま、廊下の隅々まで視線を走らせた。
「俺は君を『モルモット』として買ったんだよ。掃除婦を雇ったつもりはないんだけど」
「知ってます。でも、モルモットが病気で死んだら困るでしょう?」
私は一歩歩み寄り、濡れた手のまま、彼のローブの裾をちょんと触った。
「アルマ様。こんなに綺麗な場所なら、少しは……マシな夢が見られると思いませんか?」
アルマは一瞬、何かを言いかけ、そのまま口を閉ざした。
彼の闇色の瞳が、掃除される前よりもずっと明るくなった廊下を、どこか眩しそうに見つめている。
「……勝手にしなよ。でも、次は魔導書には触るな。呪われてもしらないからね」
そう言い捨てて歩き出すアルマ。
でも、その足取りは、先ほどよりも心なしか軽いように見えた。
(よし!)
私は密かにガッツポーズを作った。
公式が用意した「陰気な城」を、私はこれから「世界一快適な家」に変えてやる。
でも、その時の私はまだ知らなかった。
城を綺麗に掃除しすぎたせいで、後日、アルマを訪ねてきた「本来の協力者(のちの悪役仲間)」が、あまりの清潔感に「場所を間違えたか?」と引き返してしまうという、最初のシナリオ崩壊が起きることを。




