悪友の忠告と、泥沼の選択
夜明け前。 アルマの熱がようやく下がり始め、私がうとうとと微睡んでいたその時。
「——お熱いねぇ、アルマ様も。それとも、看病ごっこでおままごと中かな?」
静寂を切り裂く、あの耳障りな声。 私は跳ねるように飛び起きた。
執務室の窓枠に、月明かりを背負ったゼノスが腰掛けていた。 城の強固な結界をどうやって抜けたのか、彼は不敵な笑みを浮かべて、部屋の中を冷ややかに見渡している。
「ゼノスさん……! どうしてここに」
「どうして、じゃねぇよ。お前らが吞気に寝てる間に、外は大変なことになってるぜ」
ゼノスは窓から飛び降りると、ソファで眠るアルマを一瞥し、鼻で笑った。
「教会が王都の騎士団に泣きついた。名目は『さらわれた聖女候補の救出』。……お前、気づいてねぇのか? アルマが吐いたあの『嘘』のせいで、あいつらは確信しちまったんだよ。この城には、アルマが必死に隠したがるほどの『極上の獲物』がいるってな」
「……え?」
私の背中に、嫌な汗が流れる。 守るための嘘が、最悪の呼び水になった。
「今ごろ王都では、重装騎士団と高位魔導師たちの編制が終わってる。数日中には、この森を焼き払ってでもここを包囲しに来るだろうぜ。……そうなれば、アルマは正真正銘、国を挙げた『大悪党』の仲間入りだ」
ゼノスは私に一歩近づき、その細い目をさらに細めた。
「なぁ、お嬢ちゃん。アルマを本当に救いたいなら、道は二つだ。……一つは、お前がその指輪を引き抜いて、自ら教会の軍門に下ること。『私は拐われていません、聖女でもありません』ってな。まぁ、信じてもらえるかは賭けだが」
「……もう一つは?」
「俺と一緒に逃げることだ。……アルマを捨ててな」
ゼノスの言葉に、心臓が握りつぶされるような感覚がした。
「お前がここにいれば、アルマは戦う。あいつは自分の物を手放すのが一番嫌いな男だからな。……だが、お前がいなくなれば、あいつはただの『気難しい魔法使い』に戻る。教会も、中身のない城を攻めるほど暇じゃねぇ」
「……っ、そんなの……!」
「選べよ。アルマを死なせるか、それともお前がアルマを捨てるか」
ゼノスの声には、ふざけた空気は微塵もなかった。 彼は彼なりに、友人であるアルマが破滅するのを止めようとしているのかもしれない。……そのやり方が、あまりに残酷なだけで。
「……誰を……捨てるって?」
その時、背後で低い、地を這うような声が響いた。 いつの間にか目を覚ましていたアルマが、震える腕でソファから身を起こしていた。 その瞳には、熱病の余韻ではない、狂気にも似た漆黒の炎が宿っている。
「……ゼノス。……俺の許可なく、俺の所有物に選択肢を与えるな」
「おっと、お目覚めかよ、アルマ。忠告してやったんだぜ? このままじゃ、お前は国敵だ」
「……構わない。国だろうが神だろうが、奪いに来るならすべて灰にするだけだ」
アルマはふらつきながらも立ち上がり、私の手首を掴んで自分の方へ引き寄せた。 繋がれた手から伝わってくるのは、拒絶でも、計算でもない。 ただ、私という「錨」を失えば、自分はどこまでも堕ちていくという、叫びのような執着だった。
「……帰れ、ゼノス。……二度と、リアに近づくな。……死にたくなければな」
「…待ってください!」
リアはアルマが絶対に怒るであろう事を提案をしようと、勇気を振り絞る。
「は?まさかゼノスに絆された__」
アルマが言い終わる前にリアは「違います!」と割って入った。
「ゼノスさんは二つしか道はないと言いましたが、絶対に他にもあるはずです。三人で対策を練りましょう。」
「……三人で、対策?」
アルマが呆気にとられたように声を漏らした。私を掴んでいた手の力が、驚きでわずかに緩む。 窓枠にいたゼノスも、片眉を上げて「は?」と間抜けた声を上げた。
「お嬢ちゃん、言っておくが、俺はボランティアでここに来てるんじゃねぇんだぜ? アルマが破滅したら俺の商売上がったりだから、逃げる手助けをしてやろうって——」
「逃げても解決しません!」
私はソファから立ち上がり、今や自分より少し高くなったアルマの視線と、窓辺のゼノスの視線を真っ向から受け止めた。
「逃げれば、アルマ様は一生『聖女候補を誘拐した大罪人』として追われることになります。そんなの、私が嫌です。……アルマ様を、これ以上孤独な『悪者』になんてさせません」
「……リア」
アルマが私の名前を低く呼ぶ。その瞳の奥には、困惑と、自分でも気づいていないような安堵が揺れていた。
「ゼノスさん。騎士団が来るまで、まだ数日の猶予があるんですよね? その間に、彼らが手出しできない『正当な理由』をこちらで作ってしまえばいいんです。……例えば、私が自分の意志でここにいて、アルマ様が私の『保護者』として公に認められるような理由を」
「……ハッ! 笑わせるな。教会の連中が、一介の魔法使いに聖女候補を譲るはずがないだろ」
ゼノスが鼻で笑う。だが、私は止まらない。前世の「乙女ゲーム」の知識と、この数ヶ月で学んだこの世界の理屈をフル回転させる。
「教会は『聖女』を独占したいだけです。なら、私が『聖女』であることを否定せず、かつ『アルマ様の魔力がないと生きていけない体』だと偽装すればどうですか?」
「……魔力の同期か」
アルマがボソリと呟いた。私の指輪をじっと見つめる。
「俺の闇の魔力で君の回路をコーティングし、外部の光を拒絶させる……。もし俺から離れれば、君の回路は光の魔力の暴走に耐えられず、数時間で焼き切れることになる。……そういう『呪い』に見せかけた共依存か」
「それです! それなら、無理やり引き離せば私が死ぬ。教会も死んだ聖女は欲しくないはずです」
アルマの口角が、少しだけ、本当に少しだけ上がった。それは残酷な魔法使いとしての笑みではなく、面白い難問を解き始めた学者のような顔だった。
「……面白いじゃん。ゼノス、お前も協力しろ。お前の持っているあの『変質魔石』を触媒にすれば、回路の偽装は完璧になる」
「……チッ、結局こき使われるのかよ。……まぁいい。アルマがそのまま腐っちまうよりは、国を相手に大芝居を打つ方がマシだ」
ゼノスは呆れ顔で、背負っていた荷物から禍々しい光を放つ魔石を取り出した。
(……よし。ひとまずは最悪の二択を回避できた)
アルマが私の手を、今度は「首輪」としてではなく、頼もしい「相棒」を認めるように強く握った。
「リア、準備しろ。……地獄のような特訓になるぞ。俺の魔力を、お前の体の隅々まで刻み込んでやる」
「……はい、アルマ様!」
夜明けの空が白んでいく。 それは破滅の始まりではなく、私たちが運命を塗り替えるための、逆転の夜明けだった。




