教会の思惑と、ぬくもりの手
私はアルマの細い肩が震えているのを感じていた。 私を「死体になるモルモット」と呼んだ彼の口唇は、今、私の服の裾を握りしめながら、消え入りそうな声で私の名前を繰り返している。
(……この人を、これ以上追い詰めたくない)
私はそっと彼の頭に手を置いた。アルマは一瞬びくりと体を強張らせたけれど、拒絶はしなかった。
◇◇◇
一方その頃、城の門の外。 追い払われたはずの教会の一行は、まだ森の入り口で足を止めていた。
「……司祭様、いかがいたしますか。あの【悪い魔法使い】の言葉、真実だと思われますか?」
若き聖騎士が、忌々しそうに城の尖塔を振り返った。 司祭は手に持った水晶をじっと見つめている。水晶はもはや光り輝いてはいなかったが、その芯の部分には、消えない「澱み」のような影が差していた。
「……言葉は嘘でしょう。しかし、あの狂気じみた魔力は本物だ。アルマ公は、何かを必死に隠そうとしていた。それが『実験体』という言葉通りのものか……あるいは」
司祭の目が、老獪な鋭さを帯びる。
「あの城から感じた波長は、間違いなく我らが探し求めている『聖女』の資質に近い。だが、先ほど公が扉を閉めた瞬間、その波長は不自然なほどに塗り潰された。まるで、真っ黒なインクで純白の紙を塗り潰すようにな……」
「それは……公が彼女に、呪いをかけたということですか?」
「あるいは、外部からの探知を完全に遮断する『所有の呪印』か。いずれにせよ、あそこに『何か』がいるのは間違いない」
司祭は静かに馬車へ乗り込んだ。だが、その背後では二人の騎士が、アルマの館を監視するように森の影へと消えていく。
「王都へ報告を。……アルマ公が聖女候補を拐い、禁忌の実験に利用している、とな。これならば、国王も騎士団の派遣を認めざるを得ないでしょう」
……アルマもリアも、知らなかった。彼のついた『嘘』が、皮肉にも教会に最悪の口実を与えてしまったことを。
◇◇◇
数時間後_ アルマの熱は、私の予感通りに上がっていた。 極限まで魔力を振り絞って結界を強化し、さらに私に強力な隠蔽魔法をかけた反動だ。
「……リア、……どこだ……。どこへも……行くな……」
執務室のソファに横たわるアルマは、うなされながら私の手を強く握り返した。指輪を通じて、彼の心臓が悲鳴を上げているような動悸が伝わってくる。
「ここにいます。どこへも行きませんよ。……アルマ様、少し休んでください」
私は濡らした布で、彼の熱い額を拭った。 冷酷な魔法使いの仮面が剥がれ落ちた今の彼は、ただの、傷つきやすい青年でしかなかった。
「……お前は、……俺を、恨んでいるか……? 酷いことを、……言ったのに……」
「恨むわけないじゃないですか。……私を守るための嘘だって、わかってますから」
アルマは私の言葉を聴いているのか、いないのか、そのまま深い眠りの中へと落ちていった。 繋がれた手は、離そうとしても指先一本分も緩まない。
窓の外では、夕闇が迫っていた。 森の奥から、無数の視線がこの城を狙っているような、嫌な予感が肌を刺す。
(……原作にはなかった、新しい『罪』がアルマ様に被せられようとしている。……なんとかしなきゃ。彼が本当に『世界の敵』にされる前に)
私はアルマの寝顔を見つめながら、指輪の銀色に誓った。 彼が光を拒むのなら、私が彼の闇を、誰にも侵されない安らぎの場所に変えてみせると。
そのままリアも眠ってしまっていたらしい_起きた時にも手は繋がれたままだった。
「……アルマ様、少しだけでも何か食べられますか?今、お粥を作ってきますから」
そっと手を離そうとしたが、指輪を介した魔力の繋がりがそれを許さない。眠りの中でも、彼は無意識に私という「存在」を繋ぎ止めていた。
(……よっぽど、怖かったんだ。私がいなくなるのが)
「……お粥……。嫌だ、そんなの……効率が……」
「効率なんて言わないでください。今のアルマ様に必要なのは、栄養剤ポーションじゃなくて、温かい食事です」
「……うん…」
ゆっくりと離された手を少し名残惜しく感じつつも、急いで台所から小鍋を取ってきて暖炉に火をくべる。
辛そうなアルマを時折気にしながら、私は丁寧に野菜を刻み、お米を煮込んだ。 ふつふつと音を立てる鍋からは、優しい香りが立ち上る。 かつて「鼻が痛い」と言っていた彼が、今はその匂いに誘われるように、少しだけ穏やかな寝息を漏らした。
「……リア……」
「はい、ここにいますよ」
私は出来上がったお粥を少しずつ、赤子の世話をするように彼の口元へ運んだ。 アルマは目を閉じたまま、熱で乾いた唇を割り、不器用にそれを受け入れる。
「…………温かい」
「はい。温かいですよ」
「……お前は、……どうして……。俺がこんなに……、お前を縛っているのに……」
意識が混濁しているせいか、彼の本音がポツリと溢れる。 自分を「悪い魔法使い」だと定義し、私を「モルモット」として縛り付けているという罪悪感。それが、彼を内側から蝕んでいたのかもしれない。
「縛られてるのは、私の方から望んだことですから。(それに縛られているのは、案外アルマ様の方かもしれませんよ)……ほら、もう一口」
数口のお粥を流し込み、少しだけ頬に赤みが戻ったアルマを見て、私は安堵の息を吐いた。 冷たいタオルを何度も替え、彼の熱を吸い取っていく。
深夜。 アルマの呼吸がようやく安定し、私は彼の隣で丸くなって目を閉じた。 繋がれた手からは、先ほどまでの激しい動悸ではなく、穏やかで静かな鼓動が伝わってくる。
(……教会は、きっとまた来る。次はもっと大勢で、アルマ様を『悪』だと決めつけて。……でも)
私は、暗闇の中で光る銀の指輪を見つめた。
(私が証明する。この人は、私を拾って、下手くそな優しさで守ってくれた人だってこと。……誰にも、この檻を壊させやしない)
リアの献身的な看病により、古城の中にだけは、嵐の前の静けさのような優しい時間が流れていた。
しかし、夜明けと共に、城の結界を揺らす「真の脅威」が近づいていることに、二人はまだ気づいていない。




