忍び寄る「光」
特訓が始まってから数日。アルマの様子が、明らかに変わった。
いつも以上に執務室から出なくなり、魔導書をめくる速度が異常に速い。そして何より、私の指輪を通じて流れてくる彼の魔力が、焦燥感を含んでチリチリと波立っている。
「……アルマ様? お茶を淹れ直しましょうか?」
「いや、いい。……それよりリア、今日は一歩も窓に近づくな。カーテンも閉めたままにしておけ」
アルマは机に広げた大きな地図から目を離さずに命じた。 その地図の上では、青白い「光の粒」が、この城を取り囲むようにいくつも蠢いている。
「……それは、何ですか?」
「教会の『光の探知魔法』だ。王都から放たれた索敵の網が、ついにこの森まで到達したらしい。……しつこい連中だ」
アルマが指先で空を切ると、城の結界がドーム状に浮かび上がった。その結界の表面を、外部から飛来した光の粒が、パチパチと音を立てて叩いている。
まるで、暗闇の中に隠れている獲物を、無理やり引きずり出そうとする執拗な光だ。
(……きた。ついに、シナリオが動き出したんだ)
原作では、聖女が見つかることでアルマの【悪い魔法使い】としての役割が本格化する。教会が探しているのは【聖女】ヒロインのはずだが、アルマが力に目覚めた事により、ここまで教会の手が伸びているのかもしれない。
「……アルマ様、私のせい、ですよね」
私の呟きに、アルマが初めて顔を上げた。 その瞳は、いつになく鋭く、そしてひどく暗い色をしていた。
「……自惚れるなと言いたいけど。あいつらが血眼になって探している『清浄な魔力の萌芽』とやらは、残念ながらこの城の中にある」
アルマは椅子から立ち上がり、私の元へ歩み寄ると、私の両肩を強く掴んだ。
「いいか、リア。あいつらは、君を『世界の救世主』だの何だのと担ぎ上げにくる。だけど、それは君を都合のいい道具として利用するためだ。……光の中に、救いなんてない」
「……わかってます。私は、ここから離れるつもりはありません」
「なら、二度とあいつらの魔法に触れるな」
アルマは私の左手を取り、指輪にさらなる上書きの魔力を込めた。 銀の指輪から黒い霧のような魔力が溢れ出し、私の体全体を薄い膜のように包み込んでいく。
「……これで、お前の魔力の波長は俺の闇で上書きされる。外からは俺の魔力しか感知できない。……これで、君は完全に俺のモノだ」
アルマの独占欲が、物理的な「隠蔽」として私を縛る。 けれど、その声はひどく震えていた。 私を隠すことで、自分自身をさらに深い闇へ追い込んでいる自覚があるのかもしれない。
その時だった。
カラン……と、静まり返ったエントランスで、侵入者を告げるベルが鳴り響いた。 結界を無理やりこじ開けたわけではない。正門の前に、誰かが立っているのだ。
「……ちっ、もう来やがったか。礼儀知らずな光の信奉者共が」
アルマは私を自分の背後に隠し、冷酷な【悪い魔法使い】の顔に戻った。
「リア、絶対に奥から出るなよ。……出たら、本当に首輪(鎖)で繋ぐからね」
そう言い捨てて、アルマは翻る黒いローブと共に、侵入者を迎え撃つために階段を下りていった。
私は、一人残された静かな執務室で、強く指輪を握りしめた。 窓の外からは、結界を叩く光の粒が、雨のように降り注いでいた。
アルマに「奥から出るな」ときつく言われたけれど、 私は指輪に込められたアルマの魔力の震えから、彼の苛立ちが限界に近いことを感じ取っていた。
(……せめて、様子だけでも)
私は音を立てないように階段の影に潜み、エントランスを見下ろした。 重厚な扉の向こう側、開かれた隙間から差し込む光は、この薄暗い城にはあまりに不釣り合いなほど眩しい。
門前に立っているのは、白銀の甲冑を纏った教会の聖騎士二人と、仰々しい法衣に身を包んだ年配の司祭だった。
「……何の用だ。ここは俺の私有地だと言ったはずだが」
階段の下、アルマの声が冷たく響く。 彼は一歩も外に出ることなく、冷徹な眼差しで侵入者たちを見下ろしていた。
「これは失礼、アルマ公。我々はただ、神のお導きに従い、迷える仔羊を捜索しているのです」
司祭が、慇懃無礼な態度で一歩踏み出した。その手にある水晶が、激しく光を明滅させている。
「この先から、今まで感じたこともないほど清らかな魔力の波動を感じました。……公、この城の中に、幼い少女を匿ってはいませんか?」
「……少女?」
アルマは鼻で笑った。その嘲笑には、一滴の情けも混じっていない。
「ああ、いるよ。……一ヶ月ほど前に、孤児院から買い取ったモルモットがね。だが、残念ながらお前たちが探しているような『聖女』様ではない。俺の魔力変異実験の、ただの使い捨ての素材だ」
(……アルマ様。また、そんなひどい嘘を)
私は胸が締め付けられる思いで、彼の背中を見つめた。 司祭の表情が強張る。
「……実験体、だと? 公、それは聞き捨てなりませんな。聖なる力を宿した子供を、あのようなおぞましい実験に……!」
「聖なる力? 勘違いするな。あれに宿っていたのは、俺の魔力に拒絶反応を起こして発光するだけの、安っぽい変異だ。……もう中身はボロボロだよ。あと数日もすれば、生ゴミとして森に捨てる予定だ。……それがどうした?」
アルマは一歩、司祭に詰め寄った。 彼の周囲で黒い魔力が渦を巻き、床の石畳にヒビが入る。
「返せと言うなら返してやってもいいが……バラバラになった死体でも、お前たちの神とやらは喜ぶのか?」
「くっ……、貴様、正気か……!」
聖騎士たちが剣の柄に手をかける。だが、アルマから放たれる圧倒的な殺気と魔圧に、彼らは一歩も動くことができない。 アルマの瞳は、出会った夜よりもさらに深く、感情の欠落した闇に染まっていた。
「……帰れ。俺の研究を邪魔するなら、次はこの城の結界の一部に、お前たちの首を埋めることになるぞ」
アルマが指先で小さな魔法陣を描くと、エントランスの扉が爆風のような勢いで閉じられた。 ガコンッ、と重い閂が下りる音が、絶望的な拒絶として響き渡る。
嵐のような静寂が戻ったエントランスで、アルマは扉に背を向けたまま、しばらく動かなかった。
「……アルマ、様」
私が影から声をかけると、アルマの肩がびくりと跳ねた。 ゆっくりと振り返った彼の顔は、先ほどまでの冷酷な仮面が嘘のように、青白く、そして痛々しいほどに歪んでいた。
「……リア。……出てくるなと言っただろう」
「……聞いてました。私を、死体だなんて」
「……ああ、そうだ。あいつらが二度と来ないように、最低の噂を流してやる。……お前は、俺の残酷な実験で、もうすぐ死ぬ子供だ。……そう思われていた方が、お前は安全だ」
アルマはふらふらとした足取りで私に近づくと、私の目の前で膝をつき、私の腰に縋り付くようにして顔を埋めた。
「……いいか、リア。外には、光には、絶対に行かせないから。……君は、俺だけの……俺だけの、モルモットなんだから……」
震える声。 それは支配者の言葉ではなく、たった一つの宝物を奪われることを恐れる、孤独な子供の泣き声に似ていた。




