2. 世界よ、これが生クラリーチェ様だ!
今日もまた、“私だけの聖典”に記す。
《クラリーチェ様、本日も完璧。髪の巻きが甘めだったのは、たぶん風のせい。可愛い。》
……うん、自覚はある。
他人が見たらたぶんドン引きされる。むしろ、痛々しいと思われる可能性すらある。
でもいいの。
だってこれは――誰にも見せるつもりのない、“私だけの聖典”なのだから!
初登校から数日。
王立学園での生活にも、ようやくリズムが掴めてきた。
朝は祈りの鐘で起床。午前は各科の授業、午後は自習か課外活動。
寮生活は思った以上に快適で、何より――
クラリーチェ様が、毎日“視界に収まる距離”にいらっしゃる!!!
あの冷ややかな眼差し。誰も寄せつけない、背筋の通った佇まい。
同じ空間にいるだけで、教室の空気がぴしりと緊張感を帯びる。
(本当に……存在そのものが“高貴”なんだよなあ……)
(ああ……私今クラリーチェ様と同じ空気吸ってる)
◇
セントローズ候補として、私が上げなければならない能力は三つある。
《共鳴力》《精神力》《表現力》。
共鳴力はルクス・センティアのこと。女神フロレンティアへの祈りと同調する“心の感応力”。
精神力は、浮つかず惑わされない思考力と、感情制御の強さ。
そして表現力は、伝える力――想いを、言葉や所作に変えて、正しく届ける力だ。
これらは授業で地道に上げていく。
選択して終わり、みたいなゲーム感覚じゃない。授業は朝から夕方までしっかり詰まってるし、休んだら普通に置いていかれる。
正直、しんどい。でも――
(クラリーチェ様の未来のためなら、いくらでもがんばれる!!)
そんな中、今受けているのは《礼作法》。
貴族の子女にとっては常識の所作や敬語の授業。
でも、平民出身の私にとっては、未知の文化に踏み込むようなもの。
ちなみに、これは表現力が上がる。
(でも毎回がスパルタ育成……!)
それでも、できないままではクラリーチェ様の足元にも届かない。
だから私は黙々と取り組む。ノートも、推しに見られても恥ずかしくないよう、丁寧に書く。
……おかげで、最近は周囲から「浮いた平民」として微妙に認知されつつある。
クラリーチェ様の周囲にいられるだけでも光栄。
まぁ、それはあくまで“視界の端”にすぎないけどね。
それに、平民の私がいきなりグイグイ近寄るなんて図々しいでしょ?
といっても、露骨にいじめられるわけじゃない。
珍しがられて、観察されて、遠巻きに話されてるだけ。
(まあ、そのくらいなら想定内です)
別に、ヒロインらしく人気者になりたいわけじゃない。
それより、クラリーチェ様の周囲に波紋を立てたくないから、できるだけ“無色透明”でいたい。
……だった、はずなのに。
「君、リリカ=オルトレア嬢だね?」
講義を終えて教室を出ようとしたとき――
目の前に現れたのは、銀髪碧眼の完璧王子。
この国の王太子、レオニス=ヴィアルディア殿下だった。
(……おいでなすった……第1ルート開幕フラグ……いや、開始直後のトラップ……!)
確かこの場面、ゲームでは初期好感度が爆上がりするイベント。
正しい選択肢を選べば、王太子が特別扱いしてくれるようになる、つまり、専用ルート開放のトリガー……
「失礼、少しお話を――」
「申し訳ありません、急ぎの用がございまして!
……あと今、ちょっと人生で一番大事な任務中で!」
私は完璧な礼儀作法でお辞儀をし、滑らかに脇道へ。
背後に沈黙と視線が残ったけど、気にしない。私は今、最重要任務中なのだ。
(ごめんね、王子。今は、推し活で手一杯……!)
◇
私がもっとも恐れていたのは、“強制選択肢”の発生だった。
でも、先ほどの対応で気づいた。
――生身なら、キャンセルできる!!!
これって、かなり革命的大発見じゃない!?
試しに攻略対象ではないNPC相手で確認したけど、ちゃんと対キャラの選択肢は表示された。
ただし、選ばないまま放っておくと、時間ごと周囲が静止する仕様だった。ちょっとホラー。
でも大丈夫。これで攻略キャラ相手にも、選択肢発生前にキャンセル可能とわかった。
なら、私がやるべきことは一つ――
放課後の中庭。
定位置のベンチに腰かけて、本を読んでいるクラリーチェ様を、“静かに”見つめる。
推し活において何より大切なのは、距離感と節度。
無理に絡むのではなく、尊い存在を、尊いままにしておく。
その輝きを見守るのが、ファンの矜持というもの。
今日のクラリーチェ様は、黒地に銀糸の制服の上から、淡いラベンダーのショール。
耳元には、一粒の真珠のイヤリング。
誰にも群れず、誰にも媚びず、一人で静かに本をめくるその姿――
(……完璧……!)
彼女はこちらに一度も視線を寄越さず、ただ本を閉じ、静かに立ち上がった。
その足取りは優雅で、けれど芯があって、迷いがない。
まるで――「私はここにいて当然」と、全身で証明しているかのように。
そう。クラリーチェ様は、完璧なのだ。
気高く、冷たく、孤高で……そして、どこか寂しげな背中。
きっと、誰も気づいていない。
その冷たさが、自分を守るための鎧であることに。
本当は誰かに触れてほしいと願っているのに、それを表に出せない不器用さに。
立ち去る姿も完璧なクラリーチェ様。
でも、そのラベンダーのショールが、ふと揺れた時だけ、少し寂しげに見える気がした。
私は知っている。
この世界の人々はまだ知らなくても、全エンディング、全スチルをゲットした私には、クラリーチェ様はそんな人じゃないって信じられる。
そもそも無理矢理感あるんだよなぁ。
……クラリーチェ様推しじゃないユーザーも、王太子って絶対断罪するマンじゃん(笑)って言うくらいだし。
だから、私は静かに誓う。
クラリーチェ様の“孤高さ”は、孤独なんかじゃない。
だって、ここに一人――全力で見つめてる私がいるんですから!
私は私の出来ることを――推し活で頑張るだけ。
光の当たらない場所からでも、全力で推しを照らすファンであるために!