1. 私、今日から"推し活"します!
薄ぼんやりと、意識が浮かび上がる。
ゆっくりと目を開けると、そこに広がっていたのは――見知らぬ天井。
さらりとした布の感触。手のひらの下に感じる、柔らかなベッドの質感。
天蓋が垂れたベッドに自分が横たわっていることを、ようやく理解する。
上体を起こして、周囲を見渡す。
ドレープたっぷりのレースカーテン。
木目を活かした、猫足の可愛らしい家具。
ほんのりと漂う、薔薇のアロマの香り。
……けれど、甘すぎない。
どこか凛とした品のある、落ち着いた内装。
そして、壁に掛けられた――見覚えのある制服。
「……あ、これ……フロレンティアじゃん」
その瞬間、私は数秒で確信した。
さっきまでの夢のような出来事は――夢ではなかったのだ、と。
「待て待て、まだ夢の中って可能性も……あるかも?」
◇
それから、しばらく経った。
……けれど、一向に目覚める気配はない。
トラックに轢かれた覚えもないし、ゲームしたまま寝落ちしたわけでもない。
むしろ、昨日の夜は普通にお風呂に入って、スマホを充電器に差して、布団に入ったはず……。
頬をつねる、壁に頭をぶつける――などなど、夢落ち判定のセオリーは一通り試した。結果、何も変わらず。
「夢じゃないらしい、ってことで……いったん落ち着こう」
深呼吸ひとつ。現状の整理に入る。
これは、いわゆる転生? それとも憑依?
今の私は――「リリカ=オルトレア」。
この世界で生きてきた記憶もあるし、ゲームをプレイしていた頃の私の記憶も、ちゃんとある。
うん、正確な分類はわからないけど――
――どっちも、私。
ならもう、そういうことにしておこう。
◇
ベッドの上でゴロゴロしながら考える。
昨日までの記憶によると――
私は平民ながら、聖なる薔薇〈セントローズ〉の候補に選ばれていて、明日から王立学園〈ローズアカデミア〉に入学する予定。ちなみに今いるのは、その学園の寮にある自室である。
念のため、鏡で自分の見た目も確認してみた。
栗色のふわっとした髪に、大きな瞳。地味すぎず、派手すぎない。いわゆる、バランスのいい中間顔。
……うん、確かにこれは――主人公っぽい。
ただ、なんだろう。ゲームで見た時よりも、ちょっと気の抜けた感じがするのは……。
「中の人の違いってやつなんだろうな」
悲しい。まじで。
◇
〈フロレンティアの薔薇〉は、俗に言う乙女ゲーム。
密かに人気を集めていた乙女ゲーム制作サークルの、いわば出世作と呼ばれる作品だ。
やや耽美でクラシカルな世界観。
美麗なグラフィックで飾られた華やかな雰囲気、
パラメータ育成要素と――時に理不尽な運要素が絡むゲーム内容。
「意味わかんない! むかつく!!」と文句を言いながら、つい夢中になってしまう……そんなゲームだった。
入学した春から始まり、季節が移りゆく中、セントローズ候補として学び、恋をする。
攻略対象も王太子をはじめとした王道的メンバーで、まさにクラシカルだ。
けれど、私はその“恋”にはあんまり興味がない。
なぜなら――
「私の推しは、王子でも騎士でもなく……クラリーチェ様なんだよね」
そう。私の推しは、破滅なんてさせたくなかった尊い存在。
クラリーチェ=フィオレンティーナ。
セントローズ候補の一人で、氷のように冷たく、美しく、気高い悪役令嬢。
平民出身の主人公に冷たく当たり、嫌味を連発する――まさに“テンプレ悪女"。
……でも私は知ってる。
彼女の言動は、誤解と誇張に満ちていたってこと。
どれほど孤独で、どれほど努力をしていたか。
そして、誰よりも誇り高く、誰にも媚びず、自分を貫いていたことを。
私は一周目で断罪された彼女を見て、泣いた。
二周目で回避に挑み、失敗して、三周目でようやく彼女を救えた――
あの笑顔を見た時の感動は、いまだに忘れられない。
昨日までは、セントローズ目指して頑張るぞー!って思ってたんだけど……。
今、この胸に溢れる想いはただ一つ。
「私、今日から――」
胸に手を当て、深呼吸。
「推し活、します!!」
◇
入学式は、金と薔薇で飾られた講堂で行われた。
舞い落ちる花びら、華麗なファンファーレ、貴族たちの緊張と期待。
まさに、乙女ゲームの開幕!
でも私は、周囲の華やかさを横目に、作戦会議を始めていた。
――どうすれば、クラリーチェ様の断罪を回避できるのか。
彼女が断罪されるのは、「セントローズ任命式」の終盤。
王太子ルートだけでなく、どのルートでも発生する強制イベント。
理由は、他の候補者への高圧的態度や、リリカへの妨害行為……とされている。
だけど、それって本当?(個人的偏見を含みます)
あの王太子、クラリーチェ様のこと断罪しすぎ!
優秀なクラリーチェ様に嫉妬してるとしか思えない!(個人的偏見を含みます)
"嫌がらせ"は各ルートでハートが四段階目に入った場合に起きるイベント。
つまり、誰とも恋愛イベントを起こさなければ、"嫌がらせ"イベントは“発生しない”。はず。……きっと。
そして態度については……彼女の発言は、たしかに棘があるけれど、
貴族として当然の価値観に基づいた言葉で、誇張されすぎていたように思う。
だったら私は――
誰とも恋愛イベントを起こさず、フラグも立てず、クラリーチェ様の“誤解”を地道に解いていけばいい。
とはいえ、セントローズ候補としての選定試験をサボるわけにはいかない。
平民の私が学園にいられるのは、候補者という立場があってこそ。
試験に落ちれば即退学、ムービーすらない無音の暗転ゲームオーバー。
ゲームオーバー後のクラリーチェ様がどうなるのかが不明なため、これは避けたい。
でも、最終選定まで残れれば、たとえセントローズになれなくても「薔薇の乙女」になれる。
セントローズの補佐役として、学園にも在籍できる。
(ロゼリアエンドで学園にいるスチルあったし)
それなら、私がロゼリアになって、クラリーチェ様をセントローズにすればいい!
彼女が正当に評価され、堂々と任命される未来。
その横に私が立ち、支えることができたなら――
それが私の、推し活の到達点だ。
……一つだけ、断罪イベントを回避できる特殊ルートはある。でもそれは一周目では条件がクリアできない。
ここが『フロレンティアの薔薇』の世界だとしても二周目があるなんて考えないほうがいい。
通常プレイでは、どんなに頑張っても、どのルートに入っても、セントローズ任命式の終盤で王太子によって“断罪”されてしまう。
ゲームでは、エンカウントしてしまえば選択肢を選ばないといけないため、親身を上げずに終わるのは不可能。
でも生身として動けるこの状態なら、どうにか――できるかもしれない。
だから私は、知恵と行動で“本来のシナリオ”に抗う。
誤解を解き、評価を正し、彼女の未来をねじ曲げる。
この一周目で、やり遂げる!
「推し活って……命がけなんだな……」
軽くため息をつきつつ、私は新しいページを開いた。
私は、明日からの学園生活に想いを馳せながら、サラサラとペンを進める。
《クラリーチェ様断罪回避計画 第一章:接触回避と誤解解消》
さあ、舞台は整った。
私の推し活、ここからが本番である!






