16. ある意味フィッシング詐欺
――今の私の心の内を表すなら、
「アメリアちゃん? シナリオ進行、大丈夫なの?
……怒らないから、ママに正直に言ってみて?」
……といったところだろうか。
残り二ヶ月を切ったこのタイミングで、本当に大丈夫なのか?という不安が消えない。
《記録帳》にはアメリアさんの情報は載っていないから、はっきりとした数値や進行度が掴めないんだよね。
彼女の情報が表示されない理由、それは――きっとアメリアさんも“ヒロイン”だから。
だって、自分から自分への友好度なんて表示されないよね?
残念だけど、しょうがない。
……テコ入れ、したほうがいいのかもしれない。
私はそっと、《クラリーチェ様断罪回避計画 第六章:新計画案:補足:アメリアさんの王太子エンドについて》のページを閉じた。
◇
朝の教室。まだ人気のないそこで、私はマグボトルから注いだお茶を飲んでいた。ほんのり甘いその香りが、眠気を吹き飛ばしてくれる。
しばらくして、アメリアさんが登校してきた。
「アメリアさん、おはようございます」
「リリカさん! お早いですね」
声をかけると、彼女は明るい笑顔で応えてくれた。軽く世間話をしながら、隣の席に座る。
「最近、寒くなってきましたよね。……よかったら、どうぞ」
私は返事を待たずに、ミニバッグから携帯カップを取り出して、お茶を注ぐ。
「ハーブティーです。温まりますよ?」
「まぁ、いいんですか? では、遠慮なく……」
彼女が嬉しそうにカップを手に取り、口をつける。
(――計画通り)
ふふふ〜と雑談を続けながら、私は心の中でガッツポーズ。
「蜂蜜の甘さとハーブの良い香り……美味しいです」
「お口に合ってよかったです」
そう、今アメリアさんが飲んでいるのは――
《リリカ特製! パラ上昇率爆上げミルクティー》
ベースはミルクティー、そこにゼム兄さんの露店で仕入れた”陽花ラベンダー”をブレンドした逸品。
効果は「獲得パラメータ全体に+10%補正」。
どの授業にも適用される上に、効果は一日持続。(※ただし、1日1回まで。2回飲んでも効果はアップしません!)
味は蜂蜜で整えて、飲みやすく仕上げてあります。
お値段は張るが背に腹はかえられぬ!
アメリアさんにはこれを毎朝の習慣にすることで、最終試験を確実にトップ通過してもらいたい。
……ちなみに私が飲んでいるのは、ただの蜂蜜ミルクティーです。マグボトルから注いだってだけで、中身は同じとは言ってない。
◇
もう一つの心配ごと。
それは、シナリオの進行度。
最近気づいたんだけど、アメリアさんと王太子――ニアミスが多いんだよ!
例えば、アメリアさんが王太子がいそうな場所に向かっているとする。
でも、ヒロインの彼女には途中で他の攻略対象者に話しかけられるイベントが発生しやすい。
そのイベント中、彼女には“専用バリア”でも貼られてるかのように、他の攻略対象者は話しかけてこない。
で、バリア中に王太子がすれ違って、そのまま次の出現ポイントに移動……。
しかも、アメリアさんは王太子を追いかけるわけじゃなく、もともとの目的地に直行する……っていう。
ちょっと、システムちゃんと調整してよ!!
あんたたちの希望の星でしょ!!
これは、非常によろしくない。
――というわけで。
デコイ作戦、始動します。
◇
作戦名の通り、リリカが囮になります。
まず、アメリアさんが他の攻略対象者に話しかけられる前に、リリカがブロックすることで守る。
さらに、リリカ自身が王太子を“釣って”、アメリアさんとのエンカウントを強制発生させる作戦!
攻略対象者の感知範囲は、目測でだいたい10歩。
アメリアさんと王太子がそれ以上離れているとき、間にリリカが入ると――
王太子の感知範囲にリリカが入る → 王太子が近づいてくる →その状態でリリカが移動→アメリアさんが王太子の感知範囲に入る!
という流れができる。
……で、肝心なのはここ。
王太子は、感知範囲内により親密度が高いヒロインがいたら、そっちに目標を変更する。
だから、あえてリリカが“釣り”をして、最終的にアメリアさんにバトンタッチするのが狙い。
そう、これはまさに――
正しいエンカウントの橋渡し!
クラリーチェ様のために。
そして、アメリアさんにもちゃんとエンドに辿り着いてもらうために。
リリカは今日も、影でこっそり大奮闘中です。
◇
アメリアさんの調整も大事だけど、私にもやらなきゃいけないことがあるわけで……。
本日も図書室に通っております。そろそろ見つかってくれてもいい頃合いなんだよ? お願い、どうか出てきて!
まだ手をつけていない本を山のように積み上げて、ひたすらペラペラとページを捲り続ける。
……「ッ!」
逆剥けにページが刺さって、地味に大ダメージ。うぅ、血が滲んできた……。
この指でページを捲ったら、本に血がついちゃう。それは絶対に駄目だよね。絆創膏的な何か、司書さん持ってないかなぁ……。
司書のお兄さんに聞いてみたら、絆創膏とサージカルテープの中間みたいなものを指に巻いてくれたうえに、
「保健室でお薬もらえますよ」と親切な情報まで教えてくれた。
この司書のお兄さん、溢れる癒しオーラと穏やかな口調で固定ファンがいるって聞いたけど、うん、わかるわ。確かにこれは癒される。
さて、では続きを……と席に戻って椅子を引いた瞬間、積んでた本の山を崩してしまうという痛恨のミス。
あー……集中力、落ちてるのかも。
いそいそと落ちた本を拾い集めながら、ページが折れたりしてないかをチェック。
……そのとき、開いてしまった本の中に――
掠れた筆跡で、こう書き込まれていた。
“彼女の祝福は、どこにでもあって、どこにもない場所に宿る”
……あった! これだ!
念のため、内容とタイトルとページ数をすぐにメモする。
『フロレンティアの涙』 P203
“彼女の祝福は、どこにでもあって、どこにもない場所に宿る”
これで――次に進める。
◇
あれから急いで本を戻し、全力ダッシュでやって来たのは――薔薇の大聖堂である。さすがに途中から乗り合い馬車に乗ったけど。
任命式の会場でもあるこの場所に、なぜ来たのかというと――
あの書き込みが示す「場所」だから。
“彼女の祝福は、どこにでもあって、どこにもない場所に宿る”
この言葉が指しているのは、ルクス・センティアが宿る場所……つまり、自分自身の心の中にある信仰の光。
そして、この国でそれを最も象徴する存在が、薔薇の大聖堂の女神像。
――なんだけど。
(……間に合わなかったかぁ)
閉まってました。はい、悲しい。
大聖堂の前で、どうしたものかと扉を見上げていた私に、声をかけてきた人がいた。
◇
「リリカ=オルトレア候補? ……どうされました?」
振り向けば、そこにいたのは聖唱官様。
いつも選定試験で見かける、あの聖なる儀式の見届け役の方である。ちなみにイケメン。
「えっと……その、次の試験が最後だと思うと、いろんな感情が込み上げてきてしまって……」
気づいたらここに来ていた、というやつです。
……なんて、しれっと嘯いてみる私。
もちろん本当の目的は別にあるけど、別に嘘は言ってないし? 感情は込み上げてるし? それっぽい雰囲気で押し切るスタイル!
すると聖唱官様は、私の言葉にふわりと優しく頷いてくださった。
「……それも、女神フロレンティアのお導きなのでしょう」
――あ、通った。
「特例ではありますが……少しだけなら、お入りになっても」
「……! ありがとうございます!」
やったー! 予想以上のあっさりクリア!
この流れ、イベントルート感がすごい!
というわけで、私は聖唱官様のあとについて、大聖堂の中へと足を踏み入れた。
◇
聖堂の扉が、重厚な音を立てて静かに開かれる。
その瞬間――
目の前に広がった空間に、息を呑んだ。
天井は遥か高く、聖なる尖塔を象るアーチが幾重にも連なっている。
壁には壮麗なステンドグラスが嵌め込まれ、冬の斜光を受けて淡く揺らめく虹彩が、神秘的な色彩を撒き散らしていた。
中央には、大理石の大階段と祈壇――そして、そこに鎮座するのは、女神フロレンティアの像。
静謐な微笑みをたたえ、天を仰ぐように両手を広げた女神像は、まるでこの空間すべてを優しく包み込んでいるかのようだった。
(……この場所に“祝福”があるっていうなら、なんか……納得、かも)
誰もいない、静かな聖域。
ただ、天から差し込む冬の淡い光と、祈りの残響だけが、この空間を満たしている。
どこにでもあって、どこにもない――
“祝福”って、きっと、こういう空気の中に息づいているんだ。
私はゆっくりと、大理石の床を踏みしめながら女神像へと歩み寄った。
◇
まるで、そうするのが自然で、当たり前のことのように、私は大階段を登って行く……。
私は女神像の前まで進み、静かに膝を折った。
すぐそばにある祈壇へ手を重ね、そっと目を閉じる。
(クラリーチェ様を……どうか、どうかお守りください)
(あの方が、これ以上傷つかないように――)
――そして、
(その強さと優しさが、正しく伝わりますように)
願いは、祈りは、音にはならないけれど。
心の奥のいちばん柔らかいところから、確かに湧きあがっていた。
……そのとき。
ふ、と風が吹いたように、聖堂の空気が揺れた気がした。
誰もいないはずの空間に、透明な波紋のようなものが広がっていく。
気づけば、私の足元から、ふわりと淡い光が立ち昇っていた。
(え……?)
光は、前にも見たルクス・センティアと同じ――でも違う。
七色の輝きはより鮮やかに、より繊細に、まるで極細の糸が織り重なっていくように波打ち、ゆっくりと天井のステンドグラスへ向かって昇っていく。
女神像の前で、私の祈りに応じるように。
それは、静かに、けれど確かに――輝いていた。
淡金の光の輪が広がり、聖堂の空気までもが祈りの色に染められていくようだった。
(……こんなの、初めて)
まるで、私の祈りが“認められた”かのように。
ルクス・センティアが、女神像の前で――喜びに震えているようだった。
私は、ただ静かに、その光景を見つめていた。
音もなく、けれど確かに。
この場所に、何かが宿った気がした。
◇
大聖堂から出ると、聖唱官様が待っていてくれた。
何も聞かず、ただ柔らかな笑みで――
「女神フロレンティアのご加護がありますように」
――そう私に祈ってくれた。
私は何度もお礼を言って、大聖堂を後にする。
私は、諦めない。
帰りの馬車の中、手のひらにのる《色なき祈りの雫》を見つめながら──決意を新たにした。