14. 大事なことは負けないこと
――聖導卿様が静かに壇上へと進み出られ、深く祈りを捧げたのち、ゆったりと顔を上げられる。
「これより、第三回セントローズ選定試験の儀を執り行います」
その声に、礼拝堂の空気が一層静まり返った。
天井のステンドグラスを透かして差し込む光が、揺らめくように堂内を満たしていく。
神聖な光の海の中、私たちはひとりずつ、神の前へと進み出ていく。
――そして。
「クラリーチェ=フィオレンティーナ候補、前へ」
彼女が一歩、また一歩と祈壇へと歩みを進めるたびに、礼拝堂の空気が澄みわたっていくような感覚があった。
そのたたずまいは、洗練され、凛としていて、まるでひとつの完成された旋律のよう。
祈壇に手を重ね、目を閉じたクラリーチェ様の姿が、光に包まれる。
ふわり――と。
まるで花が咲くように、銀の光が天へと昇っていった。
中心に浮かび上がったのは、月輪と薔薇の花弁のような繊細な紋。
それは、ただの視覚効果ではない。聖なる象徴にして、まさに“信仰”そのものだった。
聖唱官様たちの目が、わずかに見開かれたのが見えた。
(やっぱり……クラリーチェ様は、特別だ)
クラリーチェ様を取り巻く状況は、悪くなっていってる。アメリアさんの評判が上がれば上がるほど、相対的に。
それでも、このかたの“在り方”はまっすぐで、美しい。その輝きは、まさにクラリーチェ様の心の在り方そのもの。尊い。
――続いて、アメリアさんの名が呼ばれた。
「アメリア=エヴァンス候補、前へ」
静かな足音とともに、アメリアさんが祈壇に進む。
いつもより少し背筋が伸びて見えたのは、気のせいだろうか。……アメリアさんでも、緊張するんだ。
祈壇に手を触れた瞬間、透明な光の柱が立ち上がる。
それは、クラリーチェ様と同等の強度をもった、淡い金と銀が溶け合うような、内側から静かに輝く光だった。
(……本当に、同じくらい……)
目を凝らしても、明確な優劣は見いだせない。
でも、それってつまり、“最終戦”が迫っているってことだ。
そして、私の名が呼ばれた。
「リリカ=オルトレア候補、前へ」
(大丈夫、大丈夫。いつもどおり……)
深呼吸をして、祈壇へと歩を進める。
そっと手を添えて、心を澄ませる。
(クラリーチェ様が、悲しむ未来は見たくない。……この祈りが、届きますように)
その瞬間、私の周囲に光の粒が生まれた。
それは、前回よりも明らかに強く、そして――色彩も、増している。
七色の光がふわりと揺れ、まるで虹の羽のように、静かに広がっていった。
(……えっ。なにこれ、キレイ……)
想いが、“育って”いる。
私の想いが、“届いて”いる。
自分の力が、確かに“変化”している――そんな実感があった。
最後に、残りの候補者たちも祈壇へ進み、それぞれの光を咲かせていく。
そして、すべての儀式が終わったとき――
聖導卿様が再び壇上に立ち、静かに宣言された。
「本日、すべての候補者が、基準を満たしていることを確認いたしました。
第三回セントローズ選定試験、これにて終了といたします」
淡々とした口調だったけれど、礼拝堂にいた誰もが、静かに息をついていた。
第三回も、全員通過。
――残り、あと三ヶ月。
◇
試験終了後、礼拝堂を出たところで、私はそっと皆さまに向き直る。
「……あの、もしご迷惑でなければですが、お昼をご一緒しませんか?」
声をかけた相手は、クラリーチェ様とトリコロール様方――それに、アメリアさんも。
けれどアメリアさんは、一瞬だけ視線を伏せてから、控えめに微笑んで首を振った。
「ありがとうございます。でも、今日は先に約束があって……また、機会があればぜひ」
「そうですか。では、また今度、ぜひ」
私は軽く頭を下げた。アメリアさんも丁寧に礼を返し、すぐに人混みの向こうへと姿を消していった。
……たぶん、王太子ルート。きっと今日はそっちのイベント日だ。
仕方ない。メインルートは進行中なんだから。
――そうして、残った私たちは、自然な流れで連れ立って食堂へと向かった。
◇
この日のランチは、秋の味覚をふんだんに取り入れた、彩り豊かな献立だった。
主菜は、香ばしく焼かれたキノコと栗のポットパイ。
スプーンでパイ生地を崩せば、立ちのぼる湯気とともに、バターときのこの芳香がふわりと鼻腔をくすぐる。
ほくほくとした栗が、濃厚なホワイトソースにとろけるように馴染んでいて、口に入れた瞬間、自然と笑みがこぼれた。
「……美味しいですっ」
思わずこぼれた私のひと言に、トリコロール様たちがふわりと微笑まれる。
「このポットパイ、邸でも再現できるかしら。材料の配分さえつかめれば、難しくなさそうですわね」
イリス様は、料理に関しても冷静な観察眼をお持ちで、ふとした瞬間にも“応用力”が垣間見える。
「この葡萄のジュレ、とっても爽やかですわ。林檎の酸味もきいていて、後味が軽やかです」
セシリア様がすすめてくださったのは、紫葡萄と林檎を使った美しいジュレ。
そのきらきらと宝石のように輝く一皿は、味も見た目も、秋のご褒美だった。
「このリボンパスタ、かぼちゃのソースとばっちり合ってますぅ! 秋って、いいですぅね〜」
ミミーナ様のゆるやかなテンポが、場の空気をほどよく和ませてくれる。
「リリカ、あなたが誘ってくださったおかげで、皆でこうしてゆっくり食事をいただけましたわ。ありがとう」
クラリーチェ様がそうおっしゃってくださったとき、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「い、いえっ、とんでもないです! 私のほうこそ、ご一緒できて……本当に、光栄です」
それから再び、私はスプーンをポットパイへ。きのこと栗の香りに包まれながら、そっと心の中で願う。
(……どうか、この穏やかな時間が、少しでも長く続きますように)
◇
午後、私はひとりで図書室へと向かった。
――〈神学・聖典資料棚〉
この棚には、女神信仰に関するあらゆる記録が集められている。説話、聖典、儀礼書、研究論文……そして時おり混じる、あやしい都市伝説系の古文書。
一冊を手に取り、黙々とページをめくる。
私はずっと、どうすればこの状況を打破できるかばかり考えていた。
アメリアさんが進める王太子ルートをどうにかして止めなければいけないって――ずっと、そう思い込んでいた。
でも、その考え自体が、もしかしたら間違いだったのかもしれないって。
そう思い始めたきっかけは――アメリアさん、彼女の存在だった。
世界の強制力が変えることができない部分――この世界にとっての、絶対的なルールとは何だろうか?
アメリアさんは、“ヒロイン”という属性を与えられたNPC。
なぜNPCなのか?
ヒロインがまた勝手なことをしないように?
うん、それも世界の強制力にとっては困るだろう。
でも、NPCじゃなければ、この世界にヒロイン役を生成できなかったのだとしたら?
『フロレンティアの薔薇』は、一人用ゲームだ。
プレイできるのは一人だけ。この世界において、ヒロイン(プレイヤー)は二人目が存在できない。
だからこそ、ヒロイン(NPC)なんじゃないかと。
(公式情報のどこにも、このゲームのヒロインは一人です、なんて書かれてないしね)
――今日の定期選定試験での様子を見るに、現在の彼女はクラリーチェ様と並ぶくらいの能力値に見えた。
つまり、強制力は彼女に能力値MAXを“与えていない”。いや、“与えられなかった”。
でも、初期値で参入は無謀だ。
定期選定試験で能力値が足りていないヒロインは、ゲームオーバーとなるから。
逆に言えば、「定期選定試験後に学園に存在しているヒロイン」は、「試験規定値を満たしているヒロイン」でもある。
設定を変えず、逆説的にねじ込むことで、アメリアさんに“下駄を履かせる”ことにしたのではないか。
だからこそ、二回目の定期選定試験“直後”の登場なんじゃないかって。あの時点で第二回の規定値を与えられたから、その後の育成でクラリーチェ様に追いつけた。
強制力が考えた、エンディングに間に合うギリギリのライン。
世界の強制力は、シナリオ進行を求めている。
リリカのような“イレギュラーなプレイ”ではなく、ゲームとして“あるべきプレイ”を。
ゲームの設定は順守する。――それが、強制力が従わなければならないルールなんだと思う。
だから、アメリアさんの王太子エンドは、きっと止められない。
シナリオは設定されてるものだ。そして、シナリオ内で明記されていることもルールによって変えられない。
ヒロインは、シナリオを進行することが出来る存在。
この世界には、今、二人のヒロインがいる。
リリカにも、ルールは適用されている。
――なら、今もシナリオは進行できるはず。
本来あり得ないダブルヒロイン。
NPCヒロインたるアメリアさんのおかげで、私にも“できること”がある。
強制力が“ルール順守”なら、
そのルールである“設定”を、私も使う。
“正しい物語”に、“正しい物語”をぶつけるのだ。