11. 選定試験とーー
――その朝、私はいつもより早く目を覚ました。
祈りの鐘が鳴る少し前。カーテン越しに射し込む朝陽の気配が、やけに眩しく感じられたのは、きっと今日が「選定試験当日」だからだと思う。
ぐっと伸びをして、ベッドから立ち上がる。
すぐに冷たい水で顔を洗って、鏡の前に立つと……思ったより顔色は悪くない。よし、いける。
「試験の朝は勝負下着じゃなくて、勝負ヘアアクセで挑むのがセオリー……!」
昨日の夜、悩んで選んだラベンダー色のリボン。
クラリーチェ様の瞳の色よりは少し淡いけれど、どことなく気品を感じさせるところが気に入っている。
制服はいつも通り、きちんと。
襟元や袖にもしっかりアイロンが効いていて、リボンの結び目も完璧。ポケットにはミミーナ様から頂いたハンカチもばっちり!
うん、外見パラメータは問題なし!
鏡の前で軽くポーズを取ってから、机に置いてある《推し活ノート》を開く。
(選定試験当日の心得)
1:焦らず、堂々と!
2:深呼吸は三回まで!
3:クラリーチェ様の光に当たって、最大チャージしてから出陣!
「ふふふ……今日も冴えてる、私」
ページを閉じるとき、自然と背筋が伸びた。
自信は不安の裏返し――だけど、それでも今日の私は、ちょっとだけ強くなれた気がした。
第二回定期選定試験。
春よりも厳しい条件、でも、あの時より私は成長している。
だから大丈夫。
――クラリーチェ様の隣に、ふさわしい人間であれるように。
私は、今日もこの試験に、全力で挑みます。
◇
支度を終えた私は、静かに部屋の扉を開いた。
廊下には、まだ誰の姿もない。
けれど、絨毯の上を歩く足音や、誰かが階段を降りる気配が、もう試験の朝が始まっていることを教えてくれる。
(早めの移動、よし……予定通り)
私は、深呼吸を三回。ノートに書いたとおり。
静かに、でも迷いなく足を進める。
中庭の石畳を通り抜け、回廊を曲がって、礼拝堂へ。
その途中で、ふと見知った人影が前方に現れた。
淡い金糸の髪を朝日に揺らす、セシリア様。
その隣には、ふわふわの水色と、控えめに揺れるピンク――イリス様とミミーナ様。
(トリコロール様たち……!)
後ろから声をかけるか、横に並ぶか、それとも軽く会釈だけで済ますか――数秒で判断する。
ここは、無難に「並走距離を保って挨拶」のやつでいこう。
「おはようございます、セシリア様、イリス様、ミミーナ様」
立ち止まらず、歩調を保ちつつ、丁寧に頭を下げる。
三人ともこちらを振り向いて、にこやかに返してくださった。
「まぁ、リリカさん。おはようございます。今日も爽やかですね」
「試験、緊張なさらないように。きっと大丈夫ですわ」
「一緒にがんばろうね~♪」
お優しい……! この人たち、まじで女神の親戚なんじゃないの……⁈
心の中で転げ回りたい気持ちを抑えつつ、「ありがとうございます」と精一杯の笑顔で返して、そのまま後ろについて、歩き続ける。
(……こうやって自然に挨拶ができるようになっただけでも、成長したなぁ私)
クラリーチェ様との関係も、トリコロール様たちとの距離も、少しずつだけど、ちゃんと進んでいる。
でも、だからこそ――今日の試験、絶対に落とせない。
そう思った途端、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
正面に見えてきた礼拝堂。
あの厳かな扉の向こうで、再び“ルクス・センティア”を試される。
(大丈夫。前回だってうまくいったし、今回は共鳴力もパラメータも充分)
……なのに、足が少しだけ重く感じるのは、緊張のせいだろうか。
深呼吸、もう一回だけ。
私も、一歩、また一歩と、堂の前へと進んでいく。
トリコロール様たちに続いて、礼拝堂の扉を抜ける。
――クラリーチェ様は、すでに祭壇前近くに佇んでおられた。
立ち姿は凛として、微動だにしない。
けれどその銀の髪は、ステンドグラス越しの光を帯びて、わずかに揺らめいて見える。
まるで静謐な肖像画から、そのまま抜け出したかのような――そんな存在感だった。
「クラリーチェ様、おはようございます。お早いですのね」
セシリア様が、やわらかな声音で声をかける。
その言葉に応じて、クラリーチェ様がゆるやかに振り返った。
視線が、一人ひとりを正確に捉える。その眼差しは涼やかで、曇りがない。
「当然のことですわ。遅れて恥を晒すつもりはございませんもの」
一礼するでもなく、ただそう言葉を返される。
相変わらずの“誤解されがちな口調”――けれど、語気に刺々しさはない。
むしろその立ち振る舞いは、礼儀正しく、品格に満ちていた。
セシリア様たちも、特に気にした様子もなく微笑みを返す。
それはもう、彼女たちが「クラリーチェ様はそういう人」と、自然に理解し受け止めている証だろう。
……わかってくれる人は、ちゃんといる。
だから私も、信じて動けるんだ。
(クラリーチェ様……今日も、お美しくて、尊くて……がんばります、私)
◇
今日は第二回の選定試験。
基準値も少し引き上げられており、ここで足切りに遭えば――即、学園退去。つまりゲームオーバー。
(大丈夫、パラメータは足りてる。準備もしてきた。……でも緊張するぅぅ……!)
聖導卿様が壇上へと進み出られ、静かに宣言する。
「これより、第二回セントローズ選定試験の儀を始めます」
響き渡る声と共に、堂内の光が静かに揺れた。
天井から差し込むステンドグラスの光が、ゆらめき、揺らめき、祈壇を神聖な光に染め上げていく。
――そして。
「クラリーチェ=フィオレンティーナ候補、前へ」
トップバッターは、やはりクラリーチェ様。
祈壇の前に歩み出るその姿は、以前よりさらに洗練され、凛としていた。
銀の髪がそっと揺れ、儀式の光と重なって、彼女の周囲だけがまるで異世界のような神々しさを帯びている。
(前よりも……綺麗になってる……! 尊み、さらに増し増しじゃないですか……)
クラリーチェ様が静かに祈壇へ手を伸ばすと、
ふわりと花が咲くように、薄銀の光が天へと昇っていった。
その中心には、光の輪と花弁のような模様――まるで真昼の月と薔薇の幻影のような神聖なエフェクト。
前回よりもはるかに繊細で、鮮やかなルクス・センティアの発現。
(これはもう……伝説イベント発生してますよね?)
聖唱官様たちが、わずかに息を呑むのが見えた。
クラリーチェ様の力――いや、彼女の“真価”が、少しずつ、ここで証明されつつあるのだ。
そして、儀式は続く。
セシリア様は黄金の花のような光、
イリス様は淡い水の揺らぎの中に星屑を閉じ込めたような光、
ミミーナ様はキャンディ色のリボンのような可憐なエフェクトを咲かせていく。
皆、それぞれが個性と美しさを放つ中――
「リリカ=オルトレア候補、前へ」
ついに、私の番。
(深呼吸……よし。いくよ、私)
ゆっくりと、女神像の前に進み出て、両手を祈壇に重ねる。
心を澄ませて、祈るように。願うように。想いを、音もなく差し出すように――
(クラリーチェ様の未来が、光に満ちたものでありますように)
私のルクス・センティアは、前回と同じく柔らかな光の粒。
けれど今回は、それが七色にきらめきながら波紋のように広がっていった。
(……え? 前回と、ちょっと違う……?)
聖唱官様のひとりが、小さくメモを取ったのが見えた。
……どうやら、問題はないみたい。良かった。
いや、もしかして、想いが“育って”いるのかもしれない。
やがて、全員の試験が終わり、聖導卿様が壇上で告げる。
「本日、全候補者の基準到達を確認いたしました。第二回定期選定試験、これにて終了です」
拍手などはない。けれど、その静けさこそが、この儀式の意味の重さを物語っていた。
(……よし。これで、まだ進める。クラリーチェ様の未来を変える道を、私は歩めている)
胸の奥に、静かな確信が灯った気がした。
だけど、聖導卿様の次の言葉に私は――
「そして、本日よりセントローズ候補者として参加するアメリア=エヴァンス候補、前へ」
一人の少女が私たちの後ろから進み出る。
「……アメリア=エヴァンスです。あの、よろしくお願いします」
――私の頭は真っ白になった。