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竜の宝石は捨てられない

作者: えくぼ

 人跡未踏の森の奥深く。

 獣すらも迷うようなそのまた奥に、透き通るような美しい湖があった。 


「珍しいお客様だこと」


 そよ風のような声で呼びかけた精霊は樹木と麗しい女が混ざり合った姿をしていた。悠久の時を生きる彼女は湖の主であった。


「本当にあったとはな」


 お客様と呼ばれたのは、緋色の鱗と水晶のような角を持った竜だった。


「噂通りでしたか?」


 湖を知る者は珍しくない。

 有名な昔話にもなっているからだ。

 精霊が棲む湖に、世界で一番美しい宝石がある、と。


「ふむ、美しいな」

「でしょう。湖の底にあってなお」

「違う、貴様がだ」

「竜に私の容姿が喜ばれるとは思いませんでした」


 確かに精霊の容姿は美しい。

 しかし竜が見ていたのは容姿にあらず。

 竜の眼は物の真実を見通す。

 竜は宝石が生まれた時のことを読み取っていた。


「この宝石は、人の想いの結晶か」


 魔力とはすなわち魂のエネルギーである。

 鍛錬の果てに、魔力に感情をこめられるようになって初めて「魂を制御している」と認められる。

 魂の欠片を魔力の多い場所に置いておく。込めた想いを核として、長い時間をかけて魂が周りの魔力を取り込み、結晶化することで宝石が生まれる。核となる想いが移ろってしまえば、魂は魔力となりその場で霧散してしまう。

 ――宝石に込められたのは、無謀にも精霊に焦がれた人間の男の叶わぬ恋心であった。


「野暮なお方ですね。淑女の秘密を暴くなんて」

「アレを取らぬのか?」

「とれないのですよ、誰にも。作った本人が手に取り、贈らない限り」


 何度も試したことがあるのだろう。

 断言した言葉には実感が込められていた。

 宝石を作ろうとした男は言った。

「――いつかその欠片が宝石となったら貴女にこれを捧げましょう」

 そして何度も、何度も精霊に会いにきた。

 一度来るだけでも命がけのこの森を、単身で踏破して。

 精霊はそのたびに断った。冷たくあしらい、遠ざけ続けた。


「ええ。どうにもできませんでした」


 ――触れられず。忘れることも、離れることもできず。見るたびに思い出してしまうから、いっそ消えてくれればいいのにと願ってしまう。嫌いなはずの剣が刺さっていた時でさえ、自らどうにかしようと思ったことはなかったのに。

 諦めてしまえば、美しいだけのものだった。


「贈る前に、死んだのか」

「人の身には三百年は長すぎたようで」

「だが宝石は生まれた」

「思いが変われば欠片は消えます。死ぬまで……死んでも想いは変わらなかったのでしょう」


 自然と共に生きることだけが、精霊の在り方だ。

 少なくとも竜はそのように聞いていたし、宝石ができるまでは精霊自身もそう思っていた。

 変わらぬ想いもあるものだ。宝石を見る度に思い知らされてしまい、いつしか宝石は彼女の一部となっていた。想いを残した男は亡くなっているはずで、故に一度生まれた宝石はもう魂の欠片には戻らない。


「なぜ私なんかをそこまで」

「何をした?」

「剣を」

「くれてやったのか」

「いいえ。木に刺さっていたのを、取りたいといわれました。欲しければ好きにもっていけばいい、と」

「それだけか?」

「いえ、結局持っていかなかったのですよ」


 精霊が湖の隣にあった大きな木を指さす。

 確かにうろにのみこまれるような形で剣が刺さっている。


「理由はわかっているのか?」

「本当に持っていっていいのかと聞かれたので。実用的な剣など所詮争いの道具、人を傷つけ、殺して得たいものなど私にはないです、と」


 精霊にとってはただの本心であった。

 いらないものが住処に落ちている。

 欲しいという者がいたから、持っていっていいと答えた。

 人ならざる精霊には自分の言葉が、人間にどう聞こえるかまで思い至らなかった。そしていまだにわかっていない。

 聞く竜も、当時の彼がその言葉をどう受け止めたのかを理解できずにいる。

 彼が何に使おうとして、剣を求めたのか。

 剣を得ずに戻った彼は、再び嬉しそうに湖に戻り「第三の道を切り開きました」とだけ言った。争いに勝つことなく、負けることもなく、人々が最も傷つかぬ険しい道を選んだのだ、と。

 それから彼の精霊への求愛が始まったのである。

 人間の愛に精霊が応えることはなかったが。

 ゆえに今でも、湖の底は神秘的な光に満ちている。


「美しい、だが気に入らない」

「愚かな精霊だと笑いますか?」

「いいや、今度は宝石のことだ。ここに通う暇があれば永遠に生きるすべでも探せばよいものを。愛した女をこうして縛り付けている」

「縛られてなど」

「ではその宝石が見えぬように、湖を捨てて我とともに来るか?」

「それは……」


 宝石は不滅でも周囲の湖や森はそうではない。

 灼熱の炎を一吹きすれば、一帯は灰になるだろう。

 精霊が望めば実現可能な話だった。


「やめておきますよ」


 惰性で、「自然とともに生きるだけが精霊だ」と思っていたころとは異なる、ほかの生き方もあると知った上で選んだ返答だった。


「そこで捨てられぬからこそ美しいのだ。争いを避け、理解できぬなりに人の幸福を祈り、自然を愛する精霊よ。なぜ愛されたかはわからずとも、嘘がないことだけを知ってしまったのだ、貴様は」

「無理やりにでもさらってみますか?」

「それでは本当に美しいものは手に入らないだろう」


 竜もまた、魂を一欠片、湖に落とした。

 宝石よりも淡く、微かな光の小さな欠片だ。


「寿命が短い程度で勝ち逃げしていい気になりおって。卑怯者め」

「何を……」

「根比べだ。そいつよりも長く宝石をみせてやる。宝石になった頃にまた来る」


 ――そいつよりも長く。

 死んで変わることのなくなった宝石はもう二度と消えることはない。

 精霊と同様に永い時を生きる竜らしい約束だった。縛らず、そっと背負っていた何かを溶かすような、それでいていつか炎になろうとする火種のような。


「それまでに、忘れているとよいがな」


 人間よりも愚かな竜が永遠に挑み、そして去るのを、精霊が見ることは無かった。

 彼女の目は湖の底へと、増えてしまった魂の欠片へと向けられていた。


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