過去話(5)
「踏み込みすぎだ!怖がらないのはいいが怖いもの知らずがすぎる!一歩引いて相手の動きをよく見ろ!」
「ハッ!」
「いい一撃だ!放つタイミングも申し分ない。ただ、流石に狙うのがバレバレだ!目に見える隙だけが攻撃の糸口じゃないからな!突破口は相手のミス待ちじゃなく自分で作り出せ!」
「破ッ!」
「おっ?」
月夜は訓練場にいた。無尽蔵の体力に物を言わせてルミナリアからの訓練とバルトラからの訓練を両方受けるという人外訓練をしている。休憩を挟むとはいえ、本日も朝っぱらからバルトラと3時間の格闘術の訓練、午後はお昼後にルミナリアと3時間である。しかもバルトラとの訓練後、1人で筋トレや走り、型の確認、剣の素振りなどをやっているのだ。率直な意見を申すと、狂っているとしか思えない。
「っあー。無理か…」
「割といい技だったぞ。ただこれでも伊達に拳王と呼ばれてないんだ」
月夜とバルトラ軽口を叩きながら水分を摂る。バルトラは模擬戦の時の月夜の『自分を認めてくれる人に報いるためなら命をも賭ける』という姿勢を気に入り、こうして格闘術を月夜に教えているのだ。
「やっぱ先生みたく技出せないな…」
「一長一短で身につく技じゃねえからな…俺だって先代から拳王の技を引き継ぐために5年間みっちり修行したからな。だがゲツヤはすでに身体の基礎が完成しているからな、習得に半年もかからないと思うぞ。というかいつ習得してもおかしくない」
月夜の『師匠』呼びはルミナリアに対して使うものであるため、バルトラに対しては『先生』呼びをしている。バルトラもそれを許容し、少し嬉しそうな感じである。
「もう1週間経つが、模擬戦の時のオーラはやっぱり出ないのか?」
「出ない…というかあの時の感覚が思い出せない。身体の奥の方から力が溢れ出すような感じの」
「俺も見たことないエネルギーだったぞ?いや、魔力は感じたがあの量の魔力であそこまでの強化は起こらないぞ?異世界…ゲツヤ、お前のところの世界の独自エネルギーとかないのか?」
「一応あるにはあるぞ、霊力…俺上手く扱えないんだよな。霊符とか自作して動かすとか威力の低い術の発動とかしかできない。纏ったりもコツが掴めなくてできないんだ」
「なるほどな…さて、今日の訓練はここまでだ。後は自主練、午後に剣聖の鍛錬だな。…いや、改めてお前の体力どうなってんだ」
「体力だけが取り柄なもんでね。ここで差をつけないと、やってらんなかったしな」
月夜は特異体質だ。どんなに鍛え、肉体を構成する栄養を摂ろうと、一切筋肉は成長せず、体格はやや痩せている状態から変化がない。さらに霊力を上手く扱えないために効果の強い術は発動すらできず、これといったメリットも今のところ見つかっていない。
「そうか…ゲツヤ、頑張れよ。俺は信じてるからな。お前が簡単には死なねえことをよ。魔の神の討伐、頼んだぞ」
「ああ、必ずやり遂げて見せる」
**********
「おーい、ゲツヤ!ようやく届いたぞ」
「今行く!ちょっと待っててくれ!」
法皇国にやってきて1週間。今まで作られていなかった月夜用の剣が届いた。ただ、その剣には特別な効果などは特になく、頑丈で切れ味がいいだけである。これは月夜本人が希望したものであり、特殊な効果がついても自分にはかえって扱いづらくなるからスタンダードな剣でいいと鍛治師に伝えたのだ。その鍛治師も世界トップとの呼び声高い鍛治師であり、特に変なことをしていない分頑丈であり、切れ味も十分に良いが、素材を取り寄せる時間がなかったために、こういう時のセオリーであるミスリル製ではなく、純度の高い鉄製である。
「ガルムさん、来ましたよ」
「おお、来たか。これが言ってたやつだ」
ガルムは自分が持っている剣を丁寧に月夜に手渡す。月夜もまた、それを丁寧に受け取った。
「ガルムさん、リドルさんにありがとうと書面で伝えてもらってもいいですか?まだ字の読み書きが完璧にはできないので」
「おう、構わないぜ。代わりと言っちゃなんだが、ルミナリアを起こしてやってくれ。あれを起こそうとするで殴られるのでな、痛くて敵わん」
「わかりました。今日はレモン汁でも飲ませれば起きると思う」
「お前も大概悪魔的なこと考えるじゃねえか」
「城でのあれを忘れた覚えはないので」
「ああ…そうだな、自業自得か」
「ちなみに昨日は口にマッカリーさんの茶葉(異世界で最も苦いお茶を淹れるのに使う茶葉)で作ったお茶をぶち込んだ」
「お、おう…ちょっとやりすぎじゃねえか?」
「ゆすっても起きないどころか殴られる…俺気づいたんだよ、殴られる前に確実に1発で叩き起こせばいいんじゃないかと」
「それでってことか…まあ、頑張れよ」
**********
お昼前、月夜はルミナリアの寝室にいた。ルミナリアは幸せそうな顔をして眠っているが、それを見て月夜は面倒くさそうな顔をしている。当たり前だ。ゆすれば殴る蹴る、声で起こそうとしても絶対に起きることはない。周囲の人間が騒音被害を受けるだけである。月夜はキッチンからいただいてきたレモンを切り、絞ったものをコップに入れる。絞ったのは丸々2つ分であるため、それなりの量だ。月夜はコップを持ってそっとルミナリアに近づくと、半開きの口にレモン汁を少し流し込んだ。むにゃむにゃと口を動かし、ゴクリと、飲み込んだ音がした。すると、
「!?ゲホッゲホッ!?敵!?切る!」
やっぱりだ、飛び起きた。当然といえば当然のことではあるのだ。この世界のレモンは月夜のいた世界と比べれば土地に魔力が潤沢に含まれるため、その辺のスーパーで売っているレモンの数倍で酸っぱさを持っており、代わりにとてつもなく高い栄養価と強力な魔力回復効果を持つ。しかし、あまりの酸っぱさから敬遠されており、基本的な使用法は料理に少しだけ垂らしてアクセントを加える程度である。飛び起きたルミナリアを月夜が見ているとルミナリアは月夜が持っているコップに気づいた。
「ねぇゲツヤ…それ、何?返答次第では生きて返さない」
「ただの水だぞ。あまりにも起きないから無理矢理水飲ませたら起きるかなと」
当然、真っ赤な嘘である。
「普通に起こせばいい。わざわざ水を飲ませる理由がわからない」
「それすると俺が怪我するんだよ。ゆすったら見境なく殴る蹴るなんだから」
「それにしても…それ、本当に水?酸っぱかった」
「そんなことないぞ」
「ん、じゃあ一気飲み」
「うーい」
ごくごく。うん、酸っぱい。
「…本当に水だった?」
「そう言ってるだろ?」
当然真っ赤な嘘である。月夜は苦手な食べ物などほとんどないため、激辛だろうがなんだろうが大抵は顔色一つ変えずに食べることができる。今回のレモン汁は流石に酸っぱかったが、耐えきれずに表情に出すことはなかった。普通に考えて、耐えられる酸味ではないというのに。しかも悪質なのが、この世界のレモンは特に匂いがないことだ。色は若干黄色味があるが、飲み干したためにそれを確認する手段はない。月夜の完全勝利である。
「というか、そろそろ昼飯の時間だ、さっさと着替えてから行くぞ。俺は部屋の外で待ってるから」
「わかった。別に覗いても…いいんだよ?」
「いや覗かねえよ普通に考えて。まったく…これだからルミナリアは」
月夜はブツブツいいながら部屋を出て扉を閉めた。…何故か扉が開き、伸ばされた手が月夜の服の襟を掴んで部屋に引き摺り込んだ。
「うおっ!?…と…なんだよ、ルミナリア」
「イケズ」
「は?」
「ゲツヤ、窓の方見ててね。私着替えるから」
「いや、普通に部屋の外行かせろ」
「忍耐力の鍛錬」
「ええ…」
理解不能である。ただ、部屋を出ようとすればまた引き摺り込まれるだろうと考えた月夜は、窓の方を向いて地面に腰を下ろした。
布ずれの音がする。その度に月夜の精神を少しずつ削っているのだ。補足すれば、ルミナリアはとても容姿がいいし、男性であれば魅力を感じない者はほとんどいないレベルである。
不意に、着替え終わったであろうルミナリアが月夜にもたれかかってきた。月夜の身体はびくりと跳ね、背中に温かい人の温度を感じ、心臓は早鐘を打ち始めた。
「ゲツヤは無茶しがちだから、私は心配。その気持ち、わかる?」
「……俺には、わからないな」
月夜は異世界に来てから、訓練のしすぎで定期的に倒れている。当然勇者一行に心配され、城の使用人やネオタルガらにも気遣われた。それでも月夜は毎日休むことなく、走り込みと筋トレを限界を超えてやり続けていた。それは法皇国に来てからも一切変わっていなかった。まだ一度も倒れていないのは、バルトラとルミナリアが訓練の合間合間に休憩を取らせるよう協力して調整しているからである。それでも、2人が鍛えている時間以外はどうすることもできなかった。話しかけて休憩させようとしても、話を上手く切ってまた鍛錬に戻ってしまう。ずっと身体を酷使し続けているため、勇者一行…特にルミナリアとリタから鍛錬をしすぎないよう言われてはいるのだ。それでもやめないのだから、たまったものではない。
「いつかゲツヤが無茶して死ぬんじゃないかって…私は思う。知ってる?私の勘はよく当たる。近い内、ゲツヤが無理をして倒れる気がする。強くなりたい気持ちはわかる、でも、でも…」
「ごめんルミナリア。でも、鍛錬の時間は減らせない。いつまでもルミナリア、先生、アラン…みんなに頼りっぱなしじゃダメなんだ。いつまでもおんぶに抱っこじゃいられないから」
月夜は立ち上がると、部屋の扉を開き、一瞬ルミナリアを見ると苦い顔をして部屋を出て行ってしまった。
部屋に取り残されたルミナリアは、悲しそうな顔で視線を落としたのだった。




