悪魔、さっそく友達に裏切られる
「クリスタ侍従長、どうかね、あの者は?」
「あの者といいますと、どなたのことでございますか?」
「ああー、あれだあれ、ほらこの前メイド同士で殴り合ったっていう」
「まあ! ハーラルト様のお耳にも入られていたとは存じ上げませんでした、お恥ずかしい限りです」
「まあな、色々噂を聞くものでな、で? どうなんだ彼女は」
「はあ、どうもよく掴めない娘で、ハーラルト様の方がよくご存じのはずではないのですか?」
「え? 俺が、ど、どうしてそう思う」
「そう思うもなにもあなた様が採用されたのですから」
「いや、そうなのだけれども迷惑などかけてないかなと心配になってな」
「たしかに物事のことなにも知らないことには驚いておりますけど、ただ……」
「た、ただなんだ?」
「わたしには彼女が下賤の出のようには思えません、むしろ高貴な者で、ただ物を知らないのかと」
「うーん、どうなんだろうな、まあとりあえず頼むよ、そのうちなんとか対応するつもりだ」
「……? はい」
辺りが暗くなると最後の戸締り当番を任せられたデルフィナは、クリスタから倉庫と建屋の鍵を受け取った。カギをジャラジャラと持って出て行こうとするデルフィナにクリスタは「ちょっと待って」と言う。
「これはどこを閉めるのか書いてある簡単な図です。閉めたらペンでチェックしなさい、よろしいですか?」
「はい」
彼女はそのメモを受け取ると、言いつけどおりペンでチェックしながら閉めていく。そして最後の裏庭の門扉をガシャリと閉め終えたら侍従長に鍵を返して一日の業務を終えるのだ。まだ夕食の給仕など先輩たちが仕事をしていたがデルフィナの仕事はここまでであった。
(今日の夜はハーラルトに夜食を持っていく予定だったわね、たしか帰りは二十二時頃だったはず、コリンナはちゃんと持ってくるかしらね、今日じゃなければ毎日会って念を押すのですけど、ふふ、うるさく思われるかしら)
デルフィナはそんなことを考えながら自室に戻ると、部屋の灯りをつけるため硬くなってしまっている鉄のボタンをいつものように両指で力を入れて押す。
「ああ、痛い、指が折れそうなぐらい押さないと点かないこれを何とかしてほしいものだわ」
(ふむ、いま十九時過ぎか……まだ時間があるわね)
デルフィナは夕食を食べてしまおうと窓際に設置されている小さな木机に、持ってきた手提げ袋からパンを出して並べる。そして椅子に座ってその堅いパンを片手で持ってかじりついた。
「……堅い」
いつも彼女はそれをスープに浸して食べる前に、まずはそれを確認するかのようにそのまま食べてみるのだった。そして決まり文句のように堅いと言ってからスープに浸して食べる。
(ああ、まずい、あの料理人、威張ってるくせに腕は大したことないわ。ふふ、それにしてもコリンナったら焼く前のパンを王妃に出すなんて面白いじゃない、まさか今日の夜食にそれを持ってくるなんてことはないわよね)
それからしばらくして食べ終わった食器をカチャリカチャリと音を立てて重ねた後、それを朝に返しに行くため、忘れないよう再び手提げ袋に入れて扉の前の小さな台に置く。そして夕食を食べ終わればいつものように棚に置いてある木のコップとポットを持ってきて、そろりと茶を口に流し込むのが決まりであった。一日の疲れを吐き出すように彼女は「はあーっ」と一息つく。一息ついてテーブル越しに見える窓の外はもうとっくに真っ暗闇で外の様子は窺えない。
「ん?」
気のせいか、暗闇の中に何かがキラリと光った気がした。
(もしかしてコリンナが夜食を持ってきたのかしら? 一時間以上早いけど)
とりあえず誰かが来たのは間違いないと思ったデルフィナは、約束の大扉のところへ行こうと、コップに残ったアーパル産のお茶をグイっと飲み干した。
「さてと行って見ましょうか、あ! だけどまだハーラルトが帰ってきてないんじゃないかしらね……うーん、まあいいか」
三階にある自室から一階まで降りていき、大扉を開け放って真っ暗闇の外へと出る。「隠れてコリンナと会うのですからこの夜の闇もちょうどいいわ」と呟きながら、デルフィナは先ほど見た光を探してみた。
ガサガサ―――、やはり誰かいる、しかも複数いるようだ。
「コリンナいるの?」
「……」
「わたしよ、デルフィナよ、あなた早いじゃない」
「……」
ガサリ―――
(おい、コリンナどういうことだ? メイドがお前の名前を呼んでいるぞ)
(あー、そう言えばそんなことあったわ)
(なんだ?)
(しかたがないわ、ここで見られたらせっかくの計画が台無しになる、あとが面倒だから静かに殺そう)
(予定外だが仕方がない速やかにやれ)
(ええ)
そう返事をするとコリンナは懐に仕舞っておいた短剣をキラリと闇の中へと出した。
「あなたコリンナでしょ? ハーラルトに持っていく夜食は持ってきた?」
「……」
「……コリンナ、言いましたよね、わたしによく使えれば取り立てるって、あなた喜んでいたじゃない」
「あんた馬鹿ね、降りてこなければ世間も知らずに平和に生きていけたでしょうに」
「世間を知らないなんて、その言い方だともしかしてあなた、焼いてないパンを持って行ったのはわざと?」
「ふふ、捌く前の魚をそのまま持って行ったのはまさかわざとじゃないわよね?」
「残念、わざとよ」
デルフィナがそう言った瞬間シュルシュル赤い閃光が走った。その赤い閃光はコリンナの横を掠めるように後方へと流れていく。
「ぐあああ!」
「え? な、なに?」
「わたしあんたをやはり採用したいわ、だってわざと焼いてないパンを出して周りを欺くだなんて頭いいもの」
「ぐああ」
「だから、な、なんなの?」
「ぐっひ!」
「なんなの! ひっ!」
コリンナの頬を冷たい何かが優しく撫でた。それは明らかに人が持つ体温ではない、まるで一切血が通っていない何かに撫でられた気がした。気が付くと近くにデルフィナの美しい顔が暗闇から浮き出ている。コリンナを見るその目は何とも言えない紅赤色した液体が目の中をグルグルと流れていた。その瞬間、コリンナはこの者が人ではないことに気が付いた。
「あなた以外は全員もう死んでるわ、どう? わたしたち本当の友達にならない、もう二度と裏切ることは許されない本当の友達よ、ねえ、どう?」
いつの間にかコリンナが持っていた短剣をデルフィナの首に絡め付いていた真っ黒い蛇がその尾で捲き上げて持っている。
「な、な、なります、だから助けて……」
「ええ、あなたの命は助けましょう、嬉しい、これでわたしたち本当の友達ね」
「は、はい……」
「友達だったらそんな黒い服を早く脱いできなさいよ、そして約束通り夜食をもってきてちょうだい、もうすぐハーラルトが帰ってくるでしょうから。ね?」
「は、はい!」
そう返事するとコリンナは急いで駆け出し、闇に消えていった。