悪魔、いじめられる
同僚の言うことも聞かず、侍女長も採用した覚えがない、そんなデルフィナは当然、周りからいい目で見られるはずがなかった。
「ハーラルト様にお茶をお出しするだけが仕事じゃないのよ! あなた本当に採用されたの? 侍従の仕事のこと何も知らないじゃない! どこ出身よ」
「採用はされたわ、口頭で聞いたでしょ、あなたは」
「おかしいわ、普通侍女長を抜きにしていきなり採用されるはずがないじゃない」
「そこそんなにこだわるとこ?」
「普通でしょそれ!」
「セリカ、声が大きいわよ」
「あ、すみません、クリスタ侍従長」
「とりあえず、デルフィナ。あなたは一から仕事をしてもらいます。それと、採用証明書を持ってきなさい、誰であろうと例外はありませんよ、ハーラルト様は今執務室におられますから今すぐもらってきなさい」
「わかった」
「言葉がちがいますよ、わかりましたと言いなさい。その言葉はあなた自身の品位を自分で下げています。あなたはそれでいいのですか」
「……わかりました」
「よろしい」
デルフィナが出て行くとセリカはクリスタに食って掛かった。
「クリスタ様、本当にあの者を採用されるのですか? 侍従のことなにも知りませんよ、あの女」
「セリカ、言葉使いに気をつけなさい、ハーラルト様が採用されたのであればしかたありませんよ。それが本当のことであれば証明書を貰ってくるでしょう。証明書があれば認めるしかありません、セリカ、あなたは先輩なのですから一から教えてあげなさい」
「……」
「返事は?」
「……はい」
―――コンコン
扉のノックの音に、ハーラルトはすぐに入室の許可をだした。
「入れ」
「……採用証明書もらえる?」
「……本気か?」
「本気とは?」
「メイドのことだ」
「しょうがないでしょ、ブラブラしてたら怪しまれるし、いちいち質問されてたら面倒でしょ」
「そうだろうけど、お前本当に悪魔か? 俺を騙そうとしてないだろうな」
「あんたが願いを言わないのが悪いんでしょ」
「求める願いがデカすぎるから苦労してるんだ。なあ、本当に帰れないのは嘘じゃないよな?」
「わたしを嘘呼ばわりするなら怒るわよ」
「……本当に帰れないんだな」
「……」
「ハァー、証明書は仕官に依頼しとく」
「……」
デルフィナは黙って部屋を出て行った。
◇
採用証明書を無事クリスタ侍従長に提出したデルフィナはその日から早速仕事を言い渡された。
「デルフィナ、ついてきなさい」
デルフィナをとてもではないがハーラルト王子や客先の前で仕事をさせるレベルではないと判断したクリスタ侍女長は、まず裏方の仕事をデルフィナに与えた。
「ここの清掃をしてもらうわ、それが終わったら次は調理場の清掃よ、わかりましたか?」
「そんなことしないわ」
「デルフィナ、あなたはなぜここにいるの? メイドの仕事が嫌ならなぜここにきたのあなたは?」
「想像してたのとちがった」
「楽な仕事はないのよ、みんなこれをやってきたことなの。これを途中で投げ出すということはあなた自身も中途半端に自分を投げ出すのと同じことなの、あなたはそれでいい?」
「わたしは自分に自信がある、わたしにできないことなんてない、いいわ、人間の些末事なんて面白くないことやってみようではありませんか、私は分別がある悪魔ですから」
「……終わったら先輩のセリカに報告なさい」
「わかりました」
(わたしはなんだってできるわ、人が出来てわたしができないわけがない)
そう心の中で決意すると、さっそくデルフィナは用具倉庫からバケツを一つ取り出した。清掃に使う雑巾は用具倉庫の前に干してあるものを適当に二、三枚無造作に取ってそれをバケツに放り投げる。
「ふん!」
バケツと雑巾を用意すると、次に水を汲みに倉庫から水場まで移動する。そして移動する際、彼女は歩きながら持っていたバケツの取っ手がキーキーとうるさく音を鳴らしていることが気になった。
「うーん、変な音」
移動しながら彼女はその音をはじめは不快に感じていたが、次第になぜか面白く聞こえ、逆にもっと音が鳴らないかと片手でグルグルとバケツを回してみた。しかし、グルグルと回すと音が鳴りやんでしまったため、次に彼女はそれを横に振ってみた。するとまたギーギーと音を変えて鳴ったことに人知れず小さく笑ってしまった。
そんなデルフィナのことを周りのメイドたちは面白がって見ている。
「クスクス、誰なのあの子」
「身元はまだ確認できていないそうよ、ハーラルト様とお知り合いのようでここに来たみたい、それしかわからないわ」
「たまにいるのよね、そういう人。王族の方々も不遇な人を見つけては連れてくるのですもの。躾をするこっちの身にもなって欲しいわ。ミスしたら全体責任なのですから」
「ああいうのは早めにクビにした方がいいのよ、本人のためでもあるわ」
「見て見て、雑巾を水に浸けるだけであんなに服を濡らしているわ」
「クスクス、取柄は外見だけかしら」
「ハーラルト様もそこに目をつけられたのかしらね」
デルフィナはその美しい外見から一見近寄りがたい雰囲気を出しているのだが、教える先輩に対して敬語も使わず、お礼も言わない、注意すると眉間に皺を寄せたりするため、その態度が一層皆から反感を買っていた。
セリカはニヤリと口角を上げると、後輩のメイドに言う。
「ねえ、あれやってちょうだい」
「あれって、あれ?」
「そ」
「あの無駄にキラキラしている黒髪がイラっとするのよね」
デルフィナは雑巾を濡らして適当に絞ったあと、空のバケツの中に全ての雑巾を入れてクリスタに指示された窓ふきへと向かう。そしてメイドたち従業員が使う建屋の窓を外側から拭くと、雑巾はあっという間に真っ黒い布に変わってしまった。そのことから頻繁に水場に戻っては雑巾の汚れを落とさなければならない。彼女は何度もこれを繰り返したことで、さすがに嫌気がさし、次第に盥に雑巾を浸けて洗うこともジャバジャバと大きな音を立てて大雑把になった。そんな彼女の背に向かって声をかける者がいた。デルフィナは後ろからの気配を感じてはいたが、気付かないふりをしてひたすらジャブジャブと水が入った盥に雑巾ごと手を突っ込んで汚れを落としている。その盥の水もすでに真っ黒くなっていた。
「デルフィナさん、水を持ってきてあげたわ、これを使いなさいよ」
少なくなった水を足すようにと二人のメイドが盥に水を入れて持ってきた。 遠くでデルフィナのことを噂していたセリカたちは、それを見てニヤリとする。
「見て! やるわよ」
「久々に見るわね」
デルフィナは掛けられたその声にも後ろを振り向きもせず、無視して相変わらずジャブジャブと雑巾を洗っている。横に立ったメイドは、無視されたことに眉間に皺を寄せると彼女のその態度がこれから行おうとしていた行為から罪悪感を消した。
「じゃあ、水を足すわね、あ!」
そう言ってメイドは手元が狂ったそぶりを見せると、しゃがんだデルフィナのあたま目掛けて一気に水を被せた。ざばざばとデルフィナに降り注いだ水は、もちろん一滴も彼女が使っている盥の中に入っていない。
「あ、ごめんなさい!」
「……」
「でもどうせ服が水で濡れてるし、いいわよね、もう一度汲んでくるわ」
デルフィナはしばらく静止したあと立ち上がって、その水をかけたメイドの肩を掴み振り向かせた。
「なに? クスクス、怒ってるの?」
そんな彼女の言葉を無視してデルフィナは無言のままメイドの頬にビンタをくらわした。打たれたメイドは予想外の力に体が一瞬よろけるが、それよりも怒りが痛みを上回って、反射的にそのままビンタをやり返した。
「あんた! なによ!」
お互いビンタの応酬をしている。
二、三回ビンタの応酬をしたところで、さすがにメイドはその痛さにたまらず涙目になっている。そこへ容赦ないデルフィナの四回目のビンタが入った。
「この!」
疲れ切ったメイドの四回目のやり返しのビンタは手元がくるって頬に当たらず、デルフィナの頭を叩いてしまう。そこでようやく、その騒ぎにクリスタ侍従長が駆けつけてきた。
「あなた達! なにしてるの!」
すぐに慌ててクリスタは二人を引き剥がす。
「や、やめなさい!」
「この!」
「……」
「あなた達! 見てないで手伝いなさい」
「は、はい」
侍従長の言葉を無視するわけにはいかず、見物していたセリカたちはだらだらと歩いてきて仲裁するのだった。
デルフィナに打たれたメイドは息を切らして彼女を睨めつけている。対してデルフィナは無表情でメイドを見るだけだ。反応しないことが余計、メイドの怒りを刺激していた。
「もういいから、離れなさい! デルフィナ、あなたは着替えてきなさい!」
その言葉に彼女は無言でくるりと反対を向き、体を拭くためその場を離れて行く。数回、メイドとビンタの応酬をしたというのにデルフィナの頬は一向に赤くもなければ、痛そうにもしておらず無表情だったが、一方のメイドは頬を腫らして立っているのも覚束なかった。
「ハァー、まったく、なにをしているの、あなたは医務室へ、話は後で聞きます」
「はい……」
一人で準備室に向かって歩いているデルフィナは着替えるのは面倒と思い、とりあえず体を拭こうと、全身ずぶ濡れのまま使用人が使っている建屋を目指した。途中滴り落ちる水滴に、左手で持ってきてしまった雑巾で拭こうとしたが、これは汚いと思いとどまる。彼女はその汚れた雑巾を拭きかけていた外窓の枠に投げるように置くと、準備室へ繋がる廊下のドアを開け建屋の中に入った。しかし、濡れた靴が建屋の廊下に一歩足跡を作ったところで後ろから彼女に声をかける者がいた。その者は先ほどのビンタの応酬をたまたま見ていたようで、面白いものを見たと言わんばかりに声のトーンが高かった。
「いやー、すごかったね。まあ、しょうがないよ。気の合う人間もいればそうじゃない人間もいる」
そう話しかけてきた者は騎士の制服に身を包み、腰には一振りの細い剣を帯刀している。その者はびしょ濡れのデルフィナを見るとプスと噴き出した。
「ずぶ濡れだ、クスクス、おっと失礼、君見ない顔だね」
(おお、近くでみると美しい……)
「あなた誰……」
クスクスと笑ってしまうのを必死で抑えた顔でその男は自己紹介をしてきた。
「ああ、突然話しかけてすまない、二階の廊下を歩いていたら見てしまったものでね、私は騎士のサヴァリオだ、大丈夫だったかい?」
「別になんともないわ、こんなこと露程にも感じない、私は小物には怒らないことにしてるのよ。なぜなら品位が落ちてしまうからだわ」
「ハハ、殴り合っていた人の台詞ではないが、まあ、それは正しいことだ。怒ってもいいことは無いだろうしね」
「でも勘違いしないで、私にも怒りはあるのよ、時には怒ることも必要ですけど、あの女に感情をぶつけるようではあの三体の悪魔を手綱けることなんてできないのよ。ふーっ」
「ハハ、怒りを抑えた君はえらい、ハハハ」
そう言ってサヴァリオはポケットからハンカチを取り出し、今もおでこから滴り落ちている水を優しく拭き取ってあげた。
「君は見ない顔だね、こんな美しいメイドさんがいたとは知らなかったよ」
「美しいのは当り前よ、人の美などわたしに比べればウンベルト山に咲く花と路傍の石ほどの違いですよ」
「ハハハ、自分でそれを言う人はなかなかいない、面白いお人だ」
揶揄われたのかと思ったデルフィナはヒョイっとサヴァリオが手に持っていたハンカチを分捕って顔をペタペタと拭いている。
「ふん」
ハンカチをサヴァリオの胸に投げるように返すとくるりと反対を向いて、急いで扉の中に入って行ってしまった。そんな彼女にサヴァリオは慌てて彼女の背中に声をかける。
「あ! ちょっと君、名前は?」
彼の声が聞こえたはずなのだが、彼女はそれを無視してスタスタと廊下の先にある準備室に入ってしまった。
「……」
サヴァリオは返されたハンカチをポケットにしまうと、いままで感じたことがない想いが胸の内側から生まれたことに驚いたのだった。