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「わ、私、街に行きます。すみませんでした」
美晴はその場から逃げるように立ち上がり、正子をかわして、駐車場へ向かう道を進もうとした。正子の声が背後から聞こえた。
「街に行ってもどうにもならないわ! 家族には会えないわよ!」
美晴はそれでも足を動かし続けた。山頂にいた時点であと三時間で駐車場に着く、と修二の言葉から想像できたので、多く見積もっても二時間ほど歩けば街には出られる計算になる。だったら行くしかない。どんなつもりで美晴は置いて行かれたのか。全く分からない。分からないけど、どうにかしなければ……。
色を失った紅葉の下を速足で通り過ぎていく。美晴は時々涙を拭って進んだ。途中で標識を見つけた。これを見れば、街まであと何キロか分かる。美晴は荒い息を鎮め、その標識を見て、絶句した。
「あと10年」
これは、何? 美晴は立ち止まった。キロの間違いだろうか? すると、後ろから声が聞こえた。
「須賀野さん、あなたキノコに化かされてるのよ」
「まあ、でも、うーん、そうねぇ。キノコが魔法を使うなんて言われても困るのは分かるわ」
正子は腕組みしてぶらぶらと体を揺らした。場所は楢内湖の畔。元の場所に戻ったのだ。
「一般論は知らないけど、私的にはね、キノコっていつも緊張して、狙われないようにしているのよ。キノコって自分じゃ逃げられないでしょ? だから、人間にジーっと見つめられると、怖くて、その敵を遠くに飛ばしてしまうことがあるの。毒キノコを食べてトリップしたなんて話は知ってるわよね。それよりちょっと高度な、キノコの防衛本能の為せる技ね」
美晴は一から十まで分からなかった。ちんぷんかんぷんである。ますます警戒心は募る。でも、まさか、同じ高校生にそんな変な人がいるなんて、と信じられない気持ちもどこかにはあり、それなら発言も何か根拠があってのことかもしれない、とも考えたが、やはり正子は相当変わり者のようだった。
「で、今回あなたはドクベニタケに似たキノコをじっと見ていたということだけど、それはどの辺なのか、まず教えて欲しいの。もうそこにキノコはないと思うけどね」
美晴は半信半疑で、キノコを見た場所に進んでいく。それは、湖畔から10メートルも離れていない楓の大木の足元だった。鮮やかな黄色に染まる葉のお陰で、すぐにどの木か分かったのだ。そして木のウロを覗き込んでーーハッとした。
「ない……」
正子はうんうんと頷いた。
「まあ、あなたはキノコに飛ばされちゃった側だから。ないと分かってたわよ」
美晴は正子を見た。何から質問すればいいのか分からなくて、言葉が出てこない。正子も美晴を見ていた。
「ああ……何で知ってるのか、って顔をしているわね。実は私ーー」
「あっ! 人だ!! よかった!」
突然、楓の大木の後ろから男性がひょっこり飛び出したので、美晴は度肝を抜かれた。正子も目を瞠っている。
「ん? ああ、すみません。驚かせちゃった?」
何も答えられないでいる二人にはお構いなく、男性はこちらに歩み寄ってきた。赤いヤッケを羽織った、登山スタイルである。しかし、その頭やリュックには枯れ葉が纏わりついており、なんだかだらしない。
「あのー、お二人。ちょっとお聞きしたいんですが、これくらいの……」と言って、自分の胸くらいの高さに手を水平に出した。
「女の人、見ませんでした?」
「特徴は?」
正子が口を開いた。
「歳は三十くらいです。紫のポロシャツに、緑のパーカー、リュックは赤。いやあ、さっきまで側にいたんですけどね。いつの間にかいなくなってて……」
美晴は、まさか、と思った。
「あの、あなた、もしかしてキノコを見ていたんじゃない?」
正子が平然と尋ねると、男性は目を丸くした。
「そう! 何で分かったの!? 僕、ずっとカエンタケを見ていたんだよねぇ。初めて見つけたから興味津々で」
正子はどことなく満足そうに頷いた。
「キノコに飛ばされた者が三人も勢揃いした……これは面白くなりそうだわ」
美晴は、少々眩暈がした。一体何が自分たちに起こっているのか。




