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美晴は震える手をそのままに、棒立ちになった。ドッキリだろうか、と考えなかったわけではないが、こんなにもずっと喚き続ける美晴を無視する家族ではない気がした。美晴は、次第に涙が込み上げてきた。不安が押し寄せた。周りの景色は色褪せ、一人だけ灰色の世界に取り残された。一体どれくらいそうしていただろう。美晴は涙が枯れると、座り込んだ。リュックは再び下ろして、湖畔の流木に腰を落ち着けた。美晴は携帯電話を持っていない。不必要だと思っているからだ。でも、こんなことが起こるなら、流行りにでも乗っておくべきだった。そう思うと枯れたはずの涙が込み上げてくる。
「うっ、ううっああ」
「大丈夫?」
美晴は顔を上げた。そして、声がした方を振り返った。そこには、女性が一人立っていた。
「あっ、え、ああ、大丈夫……」
美晴は人見知りするたちで、条件反射的にそう答えてしまったが、全く大丈夫ではなかった。
「何かあったの?」
女性は普段着で、肩に大きめのショルダーバッグを掛けていた。帽子もしっかり被っていたけれど、登山をする格好ではない気がした。街から伸びる道を歩いてきたハイカーだろうか。街が近い。そうだ。家族が先に駐車場のある街の方へ行ってしまった可能性もある。あり得ないと思うけど、あり得ないわけじゃない。美晴は慌てて口を開いた。
「あっあの家族、家族とはぐれて、わ、私っ、一人で。も、もしかしたら、先に、か、帰っちゃった、かも」
女性はショルダーバッグからペットボトルのスポーツドリンクを取り出した。
「大丈夫よ。落ち着いて。これを一口飲んで」
美晴はペットボトルを受け取り、一口飲む。あわあわと動いていた口は鎮まり、少し落ち着いた。誰かがいてくれる、それだけで幾分状況はマシになった。
「分かってる。家族がいなくなったんでしょ? それも急にね」
「えっ?」
美晴は驚いた。この人はなぜ知っているのだろうか。ああ、私の言葉が通じていたんだ。美晴はじっと女性に見入った。すると、女性は「ああ」と頷いた。
「私の名前は鷲峰正子よ。十七歳。よろしくね」
美晴はびっくりした。一つしか違わないなんて! こんな状況でも羞恥心が疼いた。
「あ、私は、須賀野、美晴、十六です」
「よろしく。須賀野さん、大丈夫よ。実は、私も家族が急にいなくなったの」
それは大丈夫ではないのでは、と美晴は思ったが口にしなかった。正子が年齢のことに触れないのは少しホッとした。
「えっ、か、家族がいなくな、った、んですか?」
少し遅れて理解が追いついた。でも、なんで? 本当に? 偶然だろうか? それとも話を合わせてくれているだけだろうか? 美晴は余計頭が混乱した。正子は頷く。
「ちょっと思い当たる節があってね」
正子はショルダーバックのフラップを開けて、中から一冊の本を取り出した。美晴が「意味が分からない」というように彼女の手元を見ていると、正子は笑った。
「ああ、ごめんね。私、マイペースなの。よく友達を困らせてるわ。順番ってものが分からないんだって。それでなんだけど、須賀野さん、あなた、この図鑑に載ってるキノコ、どれか見たことあるかしら?」
美晴はまだ少し震える手で、素直に図鑑を受け取りパラパラと捲った。そういえば先ほど赤いキノコを見つけてじっと見ていたことは覚えている。
「あっ。これ、少し似てる……」
赤い傘の小さなキノコ。図鑑にはドクベニタケと書いてあった。正子は訳知り顔で唸った。
「あ〜ドクベニタケか。分かった。探しましょう。そうすれば……」
「探すって? か、家族をですか?」
「違うわ。まず探さなければならないのは、あなたをこの森に閉じ込めたキノコよ」
「はっ?」
「キノコは魔法を使うのよ」
正子は笑った。美晴はまだ訳が分からなかったし、もしかして怪しい人なのでは、という疑いが首をもたげて、しばし硬直していた。




