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家族と駐車場に降り立った時、すでに紅葉は始まっていた。赤やオレンジ、黄色の葉が微風に揺れて落ちていく。駐車場には色とりどりの葉が散らばっていて、美晴はそこら中に視線を走らせた。一つとして同じ葉がない。自然は神の造形物。美晴は広がる青空に目を向けて、息を吸い込んだ。なんて清々しい十一月の秋空。
「ほらほら、もうちょっと早く歩きなさいよ。日が暮れるわよ」
母の愁子が美晴をせっついて歩く。美晴は首を後ろに回して「そっちが早いの!」と声を張る。お互い目を合わせて笑う。歩いているだけなのに、ただ楽しかった。弟の修二は木の枝を振り回して、中学生になったのにまだまだ子供だ。父の安雄は微笑んでいる。普段は気性が荒いところがある父だったが、家族イベントともなると別人のようだ。
足元はふかふかとした土。登山道が始まった。ここから少し山を登って、あとはだらだら降りて楢内湖の湖畔を回っていく。六時間もすれば、駐車場に帰って来れる行程。美晴は背負っている緑色のリュックに手を回して、サイドポケットに挿さった飲み物を取った。愁子も立ち止まって周りの景色を眺めている。
美しい。
風がざわざわと木々を揺らす。まだ緑だったり、緑と黄色のまだら模様だったり、緑と赤のまだら模様だったりする楓もある。完全な色合いの葉はあまり見当たらない。赤くてもどこか汚れていたり、黄色くてもくすんだ傷痕に侵されていたりする。その中で、美しい単色の落ち葉を見つけると、思わず手に取って、持ってきたメモ帳に挟み、持って帰りたくなるし、実際美晴はそうした。真っ赤な楓、黄色の楓……。ちなみに、今十六歳、高校生の美晴には、正直木の種類なんてどうでもよく、色づく葉は、全部まとめて「楓」だと思っていた。ギザギザの手形に似た形状の葉であれば、全て「楓」と呼んでいた。
「ねえ、見て!」
前を行く修二が振り返って、持っていた小枝を振った。小枝には大きな茶色い蛾がくっついていた。
「どこにいたのそれ」
愁子が溜息混じりにいう。
「アホだねぇ」
私たちは色とりどりに光る紅葉のトンネルを潜って進んでいく。
「さあさ、お昼にしよう」
安雄は真っ赤に染まった一本の楓の下で立ち止まる。楢内山の山頂の標識が建てられている。そこは少し開けた場所で、登山者が来ても問題なくすれ違える。だけど今日は、一度も他の登山者と会っていないのが、不思議といえば不思議だった。美晴たちはリュックを地面に下ろして、めいめいコンビニで買ったおにぎりや菓子パンを取り出した。
「十一時か。あと三時間」
修二が呟いた。
「あっ、こいつもう飽きてるな」
「だってー。景色がずっと同じなんだもん」
「ちょっと降りたら湖畔にぐっと近づくから大丈夫だよ」
安雄は笑う。美晴はしゃけおにぎりを頬張って、空を見上げた。
「青いなぁ」
美晴は急に敬虔な気持ちになった。風に揺れる白樺の小枝。そこにやってくる黒い頭の白い小鳥。チーツーと高い声で歌う。
「この鳥何ーー! 父上!」
修二が声を張り上げる。すると小鳥はサッと羽を広げて逃げてしまった。
「コガラだよ」
安雄は笑う。お昼ご飯のコンビニ弁当の唐揚げを突いて笑っている。
家族は、須賀野家といった。須賀野安雄、愁子、美晴、修二。どこにでもいる家族。そんなふうに見えるだけの「どこにでもいる家族」だった。
皆存分に休憩した後立ち上がった。下り坂を歩き出し、楢内湖の畔に辿り着いて、湖をバックに写真を撮って、紅葉狩りを楽しんだ。木々の紅葉は、湖を渡る風にそよそよと揺れ、湖にその葉を落とす。落ち葉は水面に広がっていき、ゆらゆら波に揺れた。波紋に乗って沖へ流されていく落ち葉もある。そうやって紅葉を楽しんでいた時だった。不意に別れの時間が来た。それは突然だった。美晴は楓の大木の足元に赤くて艶々した可愛らしいキノコを見つけ、夢中になってそれを眺めていた。振り返って「ねえ、キノコがあるよ!」と他の家族を呼ぼうとした。しかしーー誰もいなかったのだ。美晴はキョトンとした。
「あれ?」
美晴はキョロキョロと目を走らせた。木の陰を覗いてみたり、降りてきた登山道の方を少し戻ってみたりもした。しかし、声も気配もなく、ただ一面に散らばり積もる楓の絨毯が広がるばかりだった。
美晴は湖の方へ走っていった。
「お父さん! ママ! 修二!?」
美晴は走り回ることしかできなかった。下ろしていたリュックを背負って、できうる限りの範囲を縦横無尽に走り回った。だけど結局、どこにも誰もいなかった。
「ママァ!!!」
美晴は立ち止まると大声を張り上げた。しかし、反応はなく、声は山々に囲まれた湖に吸い込まれて、波の音に変わってしまう。美晴の両手が震え出した。




