メリット
青年の言葉を聞いてイリアは驚きの声を上げてしまった。
「えっ?!」
今、悪役令嬢と言わなかっただろうか?
だがそれに突っ込みを入れる前に目の前の青年は一つ咳払いをして何事も無かったように居住まいを直して言った。
「カイン、君がここに人を通すなんて珍しいね。みんな追い返してくれるのに」
「ごめん師匠。負けちまった…」
「へぇ!君が負けるなんて驚きだな!」
カインは青年を師匠と呼んでいた。ということは彼が魔法使いディボなのだろうか?
肩でざっくりと切られたサラサラな金の髪に紫と青のオッドアイが印象的だ。
背は高い方だろうか?父レオナードもそれなりに高いとは思っているがそれよりも長身だ。
緩やかな孤を描いた少し切れ長な目に、すっきりとした鼻梁。
魔法使いというようなローブの服ではなく、その辺の街で売っているシャツをダボっとだらしなく着ている。
「こいつさ、魔法使えるみたいなんだよ!」
「えっ?魔法?」
驚いたディボがまじまじと見つめてくるので、少し居心地が悪い。
「君の名前は?」
「あ!名乗りもせずに失礼しました。私はイリア・トリステンです」
「トリステン?侯爵家の?」
「そうです。ご存じでしたか?」
「まぁ…知っているも何も…。それで、侯爵家のお嬢様が何をしにきたのかい?」
「実は…魔法使いディボ様、私を弟子にしてくれないでしょうか?」
「えー嫌だ」
「えっ!?」
今度はイリアが驚く番だった。
まさかこんなに一刀両断で断られるとは思わなかった。
「一応なんですけど…これ紹介状なんですけど…」
あまりにすっぱりと断られたので一瞬思考が停止したイリアだったが、母から紹介状を渡されていたことを思い出し、慌ててそれを差し出した。
それを受け取ったディボはふむふむと中を一読した。
「そっか、君はレオナードとライラの娘だったんだね。確かに彼らのお願いも理解できるけど…お断りかな?」
「すみません、理由を教えてもらってもいいでしょうか?」
「だってさぁ、僕にメリットってないじゃん?弟子とかも面倒だしぃ」
「それは…ごもっともですね…」
確かにいきなり押しかけて弟子にしてくれといっても相手にとっては迷惑な話だ。
分かってはいるが、それでもイリアが頼れるのはディボしかいないのだ。
侯爵家の縁を切ってここまで来れば、王家との…エリオットとの接点は消え、自分が断罪される可能性は低いだろう。
ただ、念には念を入れたい。
魔法を使いこなせるようになれば自立もできるし、何らかの対抗策にもなる。
もう王都には戻れないし戻りたくない。とすれば、幼いイリアが頼れるのはやはりディボしかなく、もう弟子にしてもらうという選択肢しかないのだ。
「なんでもします!家事でもなんでも!私ができることならば!!」
「うーん、でも家事ならカインがしてくれるし、別に困っていることないしね!ということで、お帰り!」
ディボはイリアににこやかにそう告げると、踵を返してログハウスの入口に向かって歩き出す。
だがその裾をイリアが反射的に掴んだのでディボがぎょっとした表情で後ろにいるイリアの顔を見た。
「め…!」
「め?」
「メリットがあれば弟子にしてくれますか!?」
「へ?」
ずずずいっとイリアが詰め寄るのでディボはその勢いに押されて間抜けな声を上げた。
そうなのだ。ディボにメリットが無くて弟子入りを断るのであればディボへのメリットを創出すればいいのだ。
「私に、1か月でいいんです!メリットを必ず提示するので弟子入りを考えてください!」
「うーん、そうは言ってもねぇ」
あまり気のない様子のディボとのやり取りを見ていたカインがふいに口を出してきた。
「おい、お前。なんでそこまでして弟子入りしたいんだ?」
「それは…」
そこでイリアは悪役令嬢であることや断罪についての話をどう説明しようかと悩み、結果としては王家に婚約を無理強いされそうになったので逃げたとだけ伝えた。
「それに、この魔法を制御できないと色々不都合があるというか…。家を壊したり…」
「なるほど、お前その魔法の力を王家に利用されそうになっているんだな!そんなの我慢ならないよな!」
どうやらカインの脳内ではイリアの魔法の力を王家が利用するために婚約話を持ち込み、それを嫌がってイリアが身を隠したという美談になっているようだ。
それを否定するのもなんなのでイリアは曖昧に笑って誤魔化した。
「そっか…お前苦労しているな。なぁ師匠、俺がどうこう言えねーけど、少し考えてやったら?」
「分かった。じゃあ2週間で。僕にメリットがあることを証明出来たらいいよ」
「本当ですか!ありがとうございます!」
「カインにもこう言われちゃったし。まぁ、適当に頑張って」
「はい!」
「じゃあ僕はお昼寝しているからカインあとよろしくねぇ」
ディボはそう言いながら一つあくびをしたと思うとゆったりとした足取りでログハウスの中に入っていった。
これで一つ望みが繋がった。
「カインさん、ありがとうございます!」
「べつに大したことしてねーよ。俺も王家とか大っ嫌いだしよ。ま、とりあえず良かったな」
「はい!」
「空き部屋あるからとりあえずそこ使うといーぜ。あぁでも掃除しねーと使えないか」
「掃除なら自分でするので大丈夫です!」
手招きするカインの後についてイリアはログハウスの中に足を踏み入れた。
こうしてとりあえずディボの元に身を置くことができたがメリットを示さなくてはならない。
イリアは考えた。
前世では研究費をもらうためにその研究の有用性を示さなくてはならない。つまりこの研究がいかに大切で役立つものかを証明するのだ。
そこに新規性もあればなおよし。
つまり
・ディボに興味を持ってもらえるテーマ
・ディボが何かしらの有用性を感じるもの
・ディボが初めて接するもの
がポイントになる。
そこを探すべく、翌日からイリアはディボに張り付いてその行動および人となりを観察することにした。
まずは10日間、ディボの監視…もとい観察を行った。
「なぁ…お前、師匠にくっついてばっかだけど、約束の期限まであと4日だぜ?大丈夫なのか?」
ある日カインが心配そうにそう尋ねてきた。
だがイリアは「研究は観察・仮説・実証である」と考えている。
つまりディボという人間を観察し、そこからメリットでとなりえるだろう事柄について仮説し、最後にそれをプレゼンして納得してもらうという方法をとることにしたのだ。
11日目の夜に、イリアはこれまでのディボの行動を整理した。
ディボの生活は正直掴めない。普段は庭のサマーチェアに寝そべって本を読んでいたりうたたねしていることが大半だ。
かと思うと深夜まで部屋の明かりがついていることもある。
それに地下には大量の魔道具が置かれていて、開発途中の物や何か難しい設計図や数式に近いものが書いてあるのを見ると、ディボが開発しているのだと分かった。
(こ…これは…もしかして…ディボ様って私と同類では?)
そう、このディボの生活スタイルにイリアは既視感を持った。
なぜなら前世の自分と全く同じ生活だったからだ。やる気があるときには集中して研究。寝食を忘れることも多かったし、でもひと段落すると死んだように寝る。
(それにディボ様の口癖って、眠い・疲れた・しんどい…なのよね)
勝算はないが、期限が決まっている以上この仮説に賭けるしかない。
そこからイリアは急ピッチで作業を進めることにした。
「さて、今日が期限だけど僕へのメリットは示せそうかな?」
期限の日の朝、ディボがそう切り出したのでイリアは神妙にこくりと頷きながら言った。
「はい、ディボ様…裸になってください!」
「へ?」
「ほら、早くしてください!」
「え…ちょっと…裸って!?」
「いいですから!こっちにバスタオルを用意しているのでこれを腰に巻いてお風呂場まで来てくださいね」
イリアに押し切られるようにしてディボは部屋へと押しやられてしまい、何が何だか分からないまま指示された格好で浴室まで行った。
浴室の前でイリアは腕まくりをしてスカートもたくし上げた状態で待ち構えていた。ディボを見つけるとそのまま浴室の扉を開けて素早くディボを浴室へと押し込んだ。
「え!?あ、熱っ!!なにこれ?」
「サウナですよ」
「サウナ…?」
「はい。とりあえず、この中に入って汗をかいてください。あ、お水も用意しているので適宜飲んでくださいね」
そう言いながらイリアは熱した石に水をかける。
水は熱い水蒸気になって室内を更に熱くした。ディボと一緒にサウナに入ったイリアの体からも汗が噴き出してくる。
呼吸をすれば肺に熱い空気が入り、息苦しくもありながら心地よくもある。体の芯から温まり、筋肉がほぐれる感覚になってきた。
ロウリュに使う水には少しラベンダーの香油を混ぜてあるため、室内には独特の甘い香りが漂っている。
「熱い…でもなんか夏の暑苦しさとは違うね」
「ですよね。もう少し汗をかきましょうか?私はそろそろ出ますが死にそうにならない程度に体を温めてある程度汗が出たらここから出てきてくださいね」
「りょうかーい」
ディボは目を軽く閉じ少し微笑んでそう答えた。
それを見てイリアは浴室から出てると、次の準備を始めた。
イリアが準備を終えた十分後、ディボが暑いといいながら服を着てリビングへとやってきた。
ほかほかと湯気が体から出ている。
「はぁ…外の気温が涼しく感じる」
「ではディボ様、こちらをお飲みください」
トレイに乗せた飲み物を不思議そうな顔でディボは受け取ると、そのまま一口口に含んだ。
「…ん?これなに?しゅわしゅわする」
「サイダーです」
「サイダー…?」
「はい、では失礼しますね」
今度はディボをダイニングの椅子に座らせるとイリアは肩もみをし始めた。
熱した石を人肌まで冷まし、それをディボの肩こりにツボに当てて揉みこむ。そしてトリステン家で得た気功を使い筋肉のコリをほぐした。
「はぁ…気持ちいい…」
20分の施術をした後に、ディボは目を閉じたままため息交じりに言った。
今にも昇天しそうな、ほんわかリラックスした様子に、イリアは満足した。
「ディボ様。これが私の提示するメリットです」
イリアの実体験から導き出された解…それは、癒しだった。
自分も前世で研究をしているときには、疲労が蓄積して体が怠かった。
寝ても寝ても疲れが取れないこともあり、論文を見れば目が霞む。
そんなイリアがハマったのが入浴だったのだ。
一番は温泉。それがなかなか行けないときには近所のスーパー銭湯に行った。
今回、温泉を引くのも考えたし、理論上は理解しているのでログハウスの庭に温泉を用意することもできるのではとは考えたが、魔法制御が上手くいかないことや自分の魔術量が分からないことなどが懸念事項となり、手っ取り早いサウナにしたのだ。
「なるほどなるほど」
今までイリアに興味が無さそうだったディボの瞳に初めて興味というものが浮かんだのをイリアは見逃さなかった。
何が飛び出すのかという好奇心が顔を覗かせている。
「まず私が提示するテーマは癒しの提供が一つ。そしてもう一つは魔道具の改良案と活用法の提示です」
「改良案と活用法?」
「はい。先ほどのサウナですけど、原理はいたってシンプルです。熱した石に水をかけて水蒸気を発生させるというものです。ですがその熱を維持させるために、この熱を発生させる魔道具を利用させていただきました」
ディボが作った熱を発生させる魔道具は元は炎の魔法を用いた用具のようだった。
ただ弱い火力しか出せないらしく、使い道没として捨ててしまっていたのをイリアは見つけたのだ。
「それとこのサイダーですが、これは空気魔法を発生させる魔道具を利用させていただきました」
ディボの空気魔法を発生させる魔道具も圧力の調整が難しく没となった魔道具である。
サイダーは炭酸水にレモン汁などを加えて味をつけた飲み物である。
現代においては一般的に炭酸水は工場で作られるものではあるが、自然界では炭酸泉というミネラルウォーターに二酸化炭素が混ざったようなものが温泉として存在するのだ。
この原理を利用して水に二酸化炭素を入れればいいと思い、水に高圧力で二酸化炭素を溶かしいれたのだ。
「最後は私の気功の力を使いました。気功自体は魔法ではないですが、生体エネルギーを還元して魔道具に転嫁することが可能なのではないかと思うのです。以上のことから私を弟子にすることで魔道具の新たな可能性を提示することもできますし、そして最高の癒しの提供を毎日でも受けれます!」
イリアが一気に捲し立てると、その後に少しの静寂が訪れた。
やっぱり駄目だったのだろうかと不安がよぎる。
ディボのオッドアイがイリアを捉える。その視線を真っ向に受けるようにイリアは見据えた。
「うーん…最高の癒しは確かに僕にとってのメリットだ」
「じゃあ!」
「分かったよ。僕は教えるのが面倒だからいい師とは言えないと思うし、割と放任だと思うよ?それでもいい?」
「もちろんです!」
「じゃあ、明日もサウナとサイダーをよろしく。ふわぁ…僕、なんか眠くなっちゃったから外で寝てくるねー」
あくびをしながらディボはいつものサマーチェアに向かって行った。
それを見送るとカインが嬉しそうにイリアに声をかけてきた。
「良かったな!」
「ありがとうございます!これからよろしくお願いしますね!」
「おう!」
「わん!」
傍らにマシュがやってきてイリアにその体を摺り寄せる。
こうしてイリアは無事に魔法使いディボの弟子となりこの辺境の地で暮らすことになった。
(よし!これで断罪フラグ回避!本当良かった!)
安住の地を手に入れることができ、断罪フラグは完全に消し去ることができた。
これで断罪に怯えることもない。
「お前好きなものあるか?祝いになんか作ってやるよ!」
「本当ですか?じゃあとんかつが食べたいです」
「とん…かつ?」
「ふふふ…一緒に作ります!」
「あ、そうだ。もうお互い弟子同士なんだから敬語やめようぜ!俺のことはカインって呼べ」
「分かったわ!」
その時ディボは喜ぶ2人と一匹を窓越しに見て、ぽつりと呟いていた。
「それにしても…あれ…悪役令嬢イリアだよね?ちびキャラの顔そっくりだし。…うーん、妙なことになったなぁ」
だがその呟きはもちろんイリア達に届くことは無いのであった。
イリアの子供編はこれで終了です(次話に少し出てきますが)
次話からは17歳になったイリアの物語がスタートです。
星評価ありがとうございます!励みになりますので引き続きよろしくお願いします!