エリオット視点その3
エリオットは現在、王都から辺境の森への道を馬車に揺られて進んでいた。
再びとんずらしてしまった元婚約者へ、再び求婚するためだ。
窓の外から見える景色は、イリアとの旅を思い出させていた。
イリアとの旅は楽しくて、側に居れて幸せで、今でもエリオットの中で輝いている。
最愛の人。
なのに…
(僕は彼女を泣かせてしまった)
あの時見たイリアの涙はあまりにも切なくて、その原因が自分のせいだと思うだけで心が締め付けられるようだった。
全てはこの国とイリアを守るため。
そのためならエリオットはどんな犠牲をもいとわない覚悟だった。たとえ、人に失望され、愚鈍なものと嘲笑され、謗られようとも。
アリシアとカテリナを断罪するためには、どんな道化でも演じよう。
そう決めたのはアリシアが一つのマドレーヌを差し出してきた時だった。
※ ※ ※
世の中では謎の伝染病が流行していた。
伝染病の原因も、どうやってそれが流行するのかまったく見当がつかず、死者ばかりが増えていた。
エリオットも調査に乗り出したが一向に原因は分からない。
国の重鎮ともいえる貴族や政務官も次々病に倒れ、政務もままならない状況に陥っていた。
そんなとき聖女アリシアが現れた。
伝染病を癒す聖水を生みだすことができる唯一の存在。
エリオットも最初は聖女を丁重に扱っていたのだが、一つ問題が出てきた。
アリシアが何かをしようとする度にエリオットが駆り出されるのだ。
「私は貴族のマナーに不慣れなのです。貴族のお屋敷に伺うなど心細くて…エリオット殿下、一緒に行ってくださいませんか?」
ある時は
「エリオット殿下が一緒でなければ聖なる力が出ないのです。傍にいてください」
などとすり寄ってくることもあった。
確かにアリシアは守ってあげたくなるような、儚げで美しい雰囲気を持っているように一見見える。
事実、その容姿や態度に騙されている貴族共は多かった。
だが、アリシアから向けられる視線をエリオットは知っていた。
聖女というより女としてエリオットを狙う目だ。
これまでもエリオットを狙う女性は数多といた。エリオットの容姿や王太子という地位が魅力的に映っているようで、王太子妃の座を虎視眈々と狙っていた。
媚びへつらう態度をする者もいれば、女であることを武器に接触を計られたことも多い。
中には既成事実を作ろうとされたこともあった。
アリシアの視線もまたそういう女性と同じだった。
(はぁ…参った。ただでさえ政務に追われてイリアとの時間が少なくなっているのに、聖女に付き添うせいで更にイリアに会えない…)
思わずそんな愚痴を零してしまう。
だが実際には聖女の力なくしては伝染病を治す術がない。
なんとか策を講じているとき、それは起こった。
アリシアがマドレーヌを持ってきたのだ。
アリシアが自分で焼いたというマドレーヌを口にしたエリオットは明らかに魔力を帯びる何かが入っていることに気づいた。そしてそれが害をなすものだと瞬時に理解した。
「あ、イリア様も食べます?」
アリシアがそう言ってイリアに食べさせようとするのをエリオットは止めていた。
(これは…毒か?何のために?僕を殺そうとして?…ならばイリアには食べさせられない)
ただいきなりこれは毒だとは言えない。
ましてや証拠もないのに聖女に対して言いがかりをつけた挙句、機嫌を損ねて聖水を得られなければこの国は死への一途を辿ってしまう。
だからやんわりとそれを止めた。
(これはイリアの命も狙っているのか?)
エリオットは不安に駆られた。
アリシアがもし王太子妃の座を狙っているのであれば、それを排除するために確実にイリアが狙われるだろう。
この件をイリアに伝えようと思ったがアリシアは常に自分に付きまとい、話をすることはできなかった。
それに、アリシアの仲間がどの程度城にいるのかが分からない状態で、奇病にアリシアが関わっていることをイリアに伝えるのはリスクが高いと考えるようになった。
もし、そのことがアリシアの耳に入れば、イリアが害される可能性が高くるなからだ。
そうこうしているうちに、エリオットも病に倒れた。
(アリシアはこの奇病に関わっていることは確実だ。食事に混入されていた毒が原因か?僕だけに毒を盛るなら分かるが他の貴族にはどうやって病に感染させている?)
原因も感染を広める方法も掴めないエリオットはイリアを守るため、「王太子妃教育の必要がないので王宮にいる必要がない」と表向きの理由をつけてイリアを城から遠ざけたのだ。
伝染病のからくりが分からないまま時は流れていく。
伝染病は拡大の一途。聖女の作る聖水も数が少なく病に倒れたもの全てを救えるものではなかった。
一方で流されるイリアの悪行と呼ばれる噂。
悪役令嬢などという不名誉な名称がつけられるまでになってしまった。
(このままではアリシアに害される可能性が高い。それに…伝染病の原因が分からない限り、この国にいてはイリアも伝染病にかかる可能性もある…)
自分はイリアを失ったら生きてはいけない。
手放したくない。
幼い頃から恋焦がれ、ようやく手にした最愛の人を手放すことなどできない。
だが…彼女が死ぬよりはずっとマシだ。
だからエリオットはイリアと婚約破棄し、国外追放することに決めたのだった。
「イリア・トリステン、今日をもってお前との婚約を破棄する」
自分の声がまるで自分の声には思えないほど冷ややかな声になった。
イリアはそんなエリオットの声をただ黙って聞いていた。
エリオットは一呼吸して、震える声を誤魔化すように少しだけ低い声で判決を言い放つ。
「イリア・トリステンは国外追放とする。即刻この国から出ていけ。以上だ」
イリアは口元をぎゅと引き結んだ後、優雅に礼をすると凛と背筋を伸ばして広間を去っていった。
その背中に縋りついて、行くのを止めたい。
イリアへと足が動くのを何とか踏みとどまる。
(これで…良かったんだ…)
隣で腕にしがみつくアリシアの重みがやけに重く、エリオットの心にも伸し掛かった。
自室に戻って深く息をついた。
体が鉛のように重い。
魂の半身を失ったような喪失感と、生きる気力を失ったようだった。
明かりもつけずに窓の外を見れば、自分の気持ちとは裏腹に輝く月が見えた。
(イリアの髪のようだな)
キラキラと光る金糸のイリアの髪が思い出される。
明日になればイリアはこの国を出て行く。だがせめてもう一度だけでも会いたい。
我ながら未練がましいとは思いつつ、気づけばエリオットはマシュの姿になって駆け出していた。
イリアの屋敷に行くと、丁度イリアがテラスの椅子に座って物憂げに月を見上げている。
エリオットが傍に行くと、イリアはマシュを撫でてくれる。
いつもは生命力にあふれる瞳も、少しだけ曇っている気がした。
「思ったより…エリオットの言葉は堪えたのかもしれないわね」
そう言ってイリアはさめざめと泣いた。
声を押し殺して泣く姿は見ていても胸が張り裂けそうだった。
そしてその原因を作ったのは自分だ。
エリオットはイリアの頬を流れる涙を拭い、震える肩を抱きしめたい衝動に駆られた。だが、今の自分はマシュでありそれは叶わない。
(せめて…もう少しだけ、傍に居させてほしい)
自分にはそんな資格はないだろうが、今はイリアの守護精霊マシュなのだ。
そう自分に言い聞かせるようにしてイリアが泣き止み、そして朝に旅立つまでずっと見守り続けるのだった。
※ ※ ※
イリアを失ってからエリオットはそれを忘れるかの様に政務に取り組んだ。
一方でアリシアからのアピールは日ごと増していった。
アリシアが王太子妃になることは当然とばかりに、ボディタッチも多くなり、二人で過ごす時間も多くなった。
周囲にも相思相愛と捉えられていることはエリオットの耳にも入っている。
今日もバラ園で会っている様子は、他者から見ればひと時の逢瀬を楽しむ恋人そのものだろう。
「エリオット様…」
エリオットの胸に顔をうずめるアリシアは、今度はエリオットを見上げるように見つめてきた。
明らかにエリオットからのキスを待っているようだ。
ここで露骨に拒否をしてしまってはアリシアは臍を曲げてしまう。
そうでなくてもエリオットが自分の思い通りにならないと癇癪を起し、最後には聖水は作らないと駄々を捏ねるのだ。
チラリと傍に控えているアイザックを見れば、心得ているようでエリオットへ声を掛けてくれる。
「エリオット様、そろそろお時間です。報告する財務官が執務室で待っております」
「そうか、分かった。じゃあ…アリシア殿。私はもう行くよ」
酷く残念そうだという表情を浮かべながらエリオットが言えば、アリシアは不満そうにわざとらしく頬を膨らませて抗議する。
「エリオット殿下、もう行っちゃうんですか?」
「すまないね。貴女も儀式ですね。気を付けて」
「じゃあ、今度デートしてくださいね」
「…分かりました。外出にお付き合いしますよ」
「嬉しい!」
抱きつくアリシアの腕をやんわり離すと、エリオットは踵を返して執務室に向かう。
道すがらエリオットはアイザックにため息交じりに礼を言った。
「助かったよ、アイザック」
「いえ。ですがいつまでも誤魔化すのは難しいかと」
「分かっている」
アイザックは誓約によってイリア以外の女性に心変わりをしたり触れてしまえばエリオットが死ぬことを知っている。
だからこそいつもアリシアがキスをせがんだり、それ以上を求めそうになった際にはそれとなく助け船を出してくれている。
アリシアに触れれば死んでしまう。だがそれ以上にイリア以外に触れたいとも思わない。
アリシアに触れられることも不愉快で吐き気がする。
「それと教会からアリシア殿との婚約を進めるように強く要求されています」
「それも分かっている。一応確認だがトリステン家からの返信はどうだ?」
エリオットの言葉にアイザックは首を振った。
「そうか…やはり見限られてしまったか」
エリオットは自虐的な笑みを浮かべてそう言った。
現在、聖女の後見人となっている教会は政治への発言力を強め、事実上実権を握っている状態だ。
聖女を擁した教会は神の代行者となり、それに反目する者は神を冒涜するとされ、悉く処罰されている。
唯一、それを阻止できるほどの権力を有するトリステン家は、イリアの一件により政治から手を引き、領地に籠ってしまっていた。
暗に王家への反旗を翻した形である。
「時間がないな」
アリシアを傍に置く理由は二つ。
一つは聖水を作らせること。そしてもう一つは監視することだ。
今回の伝染病についてはアリシアが関わっていることは間違いないが、その証拠となるものが分かっていない。
アリシアの動向を探っていれば何らかの手がかりは掴めるだろう。
それを悟られないために、エリオットはアリシアと仲睦まじい演技をしているのだ。
「ご報告があります」
「聞こう」
「以前ご命令をいただきました、スタットでの人身売買の件とトロンテルでドニエ男爵が行っていた魔石の研究についてです。まずスタットでの人身売買についてですが、奴隷商人を追った結果全てトリアスに運ばれていることが判明しました」
「トリアス?そこが人身売買の根城か。取引記録を洗い出して、元締めを突き止めろ。人身売買など根絶する」
トリアスはガイザール王国でも遠い地方に位置する。
奴隷が売られるのであれば王都であると想定していたエリオットとしては、売り先がそのような一地方都市になっていることに違和感を覚えた。
「それともう一つ。ドニエ男爵の件ですが、魔石生成は誰かに依頼されていたようです」
「指示した者がいると言うのか。誰か判明しているのか?」
「それが顔は見ていない様子で」
「…なんでもいい。他に特徴がないか吐かせろ。手段は問わない」
「かしこまりました」
深々と腰を折ったアイザックを見た後、エリオットは執務机に溜まった書類に目を通し始めた。
それを見たアイザックは、少しばかりため息をついてエリオットに進言する。
「殿下、いくらなんでも働きすぎです。休憩をお取りになったほうが」
「いや。忙しい方が気がまぎれるからな」
「…イリア様がいらっしゃれば」
ぽつり呟くアイザックの言葉にエリオットの胸がチクリと痛む。
イリアがいれば、彼女に会うために時間を捻出してでも休息を取ったはずだ。
それをアイザックは言いたいのだろう。
目を閉じて浮かぶのはイリアの弾けんばかりの笑顔。同時に最後の夜に見た涙。
(この選択は正しかったはずだ。彼女が生きているのであればそれだけで我慢できる。ただ…)
彼女の傍には多分自分ではない人物――カインが居るのだろう。
エリオットよりもずっと長く、共にいてイリアを守ってきたカイン。
自分ではなくカインがイリアを幸せにしてくれるだろう。
(…自分が幸せにしたかったのに。…やはり辛いな)
エリオットは思考を整理する。
今回の伝染病は故意に作られたものだとしたら。アリシアはそれに関わっている。
それに気になったのは奴隷が売られている土地がトリアスだということ。
あれはアリシアの出身地だ。
こう考えるとこの二つの件は繋がっているのではないか。
(そして魔石を生み出す魔法陣の存在には人の生命が必要)
もしかとまさかが混在する。
だがまだ情報が断片すぎた。
(もう一歩で事件の全容が分かる気がするが…)
だが決定的な証拠は無いまま時間が過ぎ、そしてのらりくらりと躱していたアリシアとの婚約が決まった。
婚約式でアリシアが目の前に立っている。
白いウェディングドレスにも似た華やかなドレスに身を包むアリシアであったが、そのドレスや身を着飾る宝石にどれだけの税金が使われているのか本人は気にしていないだろう。
アリシアの贅沢に国庫は食い潰されている。
誓約が無かったとしてもこのような我儘で国民のことを考えないようなアリシアを王太子妃に迎えなかっただろう。
そして、誓いの儀が始まり、最後に誓いのキスをする段になった。
(もう駄目だ)
そう思った時、轟音と共に城の屋根が吹き飛んだ。
何が起こったのかと驚きながらそちらを凝視すれば、赤いドレスをふわりと揺らめかせた人物が降りたち、そして悠然と微笑んだ。
「さて…皆様、ごきげんよう」
それを見たエリオットの胸はイリアにもう一度会えた喜びだけが占めていた。
そして全てを忘れ微笑んでいた。
※ ※ ※
イリアはランディックを巻き込み、アリシアとカテリナの断罪を始めた。
これにより全てのピースが合致した。
だからエリオットはイリアの提示した証拠を補足するように断罪を続け、結果カテリナ・アリシアの企みを終わらせることができたのだ。
それはイリアによってこの国が救われた瞬間でもあった。
「なにを笑ってらっしゃるんですか?」
「あぁ、少しこの間のことを思い出しててね」
アイザックもあの断罪劇を思い出したようにエリオットに言った。
「流石に国を乗っ取るという発想には驚かされましたよ。それにランディックを味方に付けたのも感服です。どのような手段を使ったのですかね」
「さぁ。だけどイリアだからね」
「確かにそうですね」
そう言ってエリオットとアイザックは笑った。
馬車はもう少しでディボの住む森に着く頃だ。
「断罪劇は見事でしたね。ただ…最後のアレはどうかと思いますよ。いきなり結婚しようとだなんて。いいですか、殿下がご自身で婚約破棄したのですよ。そりゃイリア様だって断るでしょうに」
「だってまたイリアに会えると思わなかったから嬉しくてつい」
「ついじゃありませんよ…。だから貴方は極端なんです」
呆れ声のアイザックであったが、今までイリアとエリオットの事を心底心配していた。
だからその声には安堵の色が含まれていることをエリオットは感じていた。
求婚については確かに急な申しみだったかもしれない。だが一度は手放してしまった愛しい、唯一無二の存在。
その彼女ともう一度会えた。
(だからもう…手放す気はないよ)
今度はどうやって自分を好きになってもらうかと算段をしつつ、エリオットの馬車は辺境の森を進むのであった。
次話で最終話になります!
是非お付き合いくださいませ!
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