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黒髪の少年

辺境にある最後の村を抜けてイリアは森の中の街道を歩いていた。

徐々に木々が鬱蒼と繁り、木漏れ日が少なくなっていく。普通のご令嬢なら心細く泣いてしまうかもしれない。

だが前世でこのような山道に日々接していたイリアにとってはなんのことはない。


「まだ道があるだけマシよねぇ…」


イリアが前世で在籍していた地学科では、気象学や環境科学、地球物理、古環境学…などなど研究室の研究内容は多岐にわたっていた。


だが一般教養的な共通授業として1〝巡検〟――つまりフィールドワークの実習が必修である。

そこでは地層を求めて草藪の中の道なき道を行き、重さ1㎏はある岩石を2~3個採取してリュックに入れて背負って歩き、時には腰まである川の中をざぶざぶと歩くということも割と普通だった。


「あ…この土地は砂岩層なのね。綺麗な地層だわ…」


等と言いながら半分ピクニックにでも行くように山道をずんずんと進んでいた。

もちろんピクニックに来ているわけではなく目的はただ一つ、辺境の森に住む魔法使いディボ・ストグルに会うためだ。


「魔法使い…どんな人かしらね?」

「きゅーん?」


イリアの傍らにいる青と銀の毛並みを持つ犬も思案気に鳴いた。

トリステン邸に迷い込んだあの犬はなぜか王都からついてくるので、イリアはマシュと名前をつけて共に旅をすることにしたのだ。


「人嫌いの魔法使いでものすごい年寄りというからやっぱり白いお髭に杖を持ってたりするのかしら?」

「きゅう…?」


イリアが首を捻るとマシュも首を捻る。

ここまで来る道すがら聞いたディボの話は要領を得ない情報ばかりだ。


人前にはほとんど顔を出さない謎の人物。

母曰くたぬきジジイ。

森の奥で人を喰って生きながらえているともその力を戦争利用されたくないから引き籠っているとも言われている。


ただ一つ、皆口をそろえて言うことがあった。

それは魔法使いディボに会うためにはディボを守護する凶暴な魔獣を倒さなくてはならないという物であった。

なんでもこの間冒険者が入り込んだところその魔獣にあってボロボロにやられたとのことだからかなり信ぴょう性の高い話だ。


「そんなのと戦うなんてできるかな…?」


この世界では属性についての知識が深ければ深いほど強い魔術を使えるらしい。

このことから推論ではあるが地球誕生から今日までの地球の自然についてを学んでいたイリアは色々な魔法が使えると考えられる。


ただ魔法が使えるからと言っていきなり肉弾戦になったらまともに戦える気はしない。

…多分。


「まぁ…今まで追いはぎとかにも勝ってきたし…何とかなるといいなぁ」

「わんわん!」

「そうね。マシュもいるからきっと大丈夫よね!」


山道もだいぶ登ってきた。

そろそろ足も痛くなってきたところでイリアは休憩を挟むことにした。


「喉が渇いたわね。マシュは?」

「わん!」

「そうよね。川があればいいけど」

「わん!」


イリアの言葉にマシュはタッタと走り出し、イリアを先導してくれるように吠えた。

やがてマシュに付いて行った先には小川が流れている。


「あら?川だわ。ふふふ…マシュは偉いわね。水場に案内してくれたのね」

「わんわん!」


イリアが撫でてあげるとマシュは甘えた声で鳴きながらその身を擦り付けてきた。

柔らかい毛が気持ちよくて思わずわしゃわしゃしてしまう。

川の水を掬って一口飲む。乾いた喉が一気に潤った。

次に、イリアは一通りマシュを撫でると、カバンから包みを取り出した。


「マシュも食べる?」

「わん!」

「ほら、どうぞ」

「わん!」


最後の村で購入したサンドウィッチを頬張る。

具はシンプルにチーズとハムが挟んでいるものだ。


「おいしい。ピクルス入っていないのがいいわ!でも一番はカツサンドよね…あーとんかつ食べたい」

「きゅ?」

「あぁ、とんかつっていうのは豚のロースを卵と小麦粉とパン粉でまぶして揚げた食べ物なのよ。前世でも大好きでよくとんかつ屋巡りをしたわ」


そんな風に前世の思い出を振り返りつつ、その疲れを癒していると、イリアの隣に伏せしていたマシュが突然起き上がる。

耳をぴくぴくさせたかと思うと木の上を見て激しく吠えた。


「わんわんわん!グルルルル」

「な、なに!?」

「ちっ!気づかれたか」


木の上からそう呟きが聞こえてイリアがそちらに視線を向けると、マシュが睨んだ先に一人の少年が太い枝の上で腕組みをしてこちらを見降ろしていた。


「だ、誰?」


少年はイリアより少し年上だろう。

細身に見えるが決してなよなよとした印象は受けない。

黒い髪を後ろに束ねており、前髪から覗く瞳は好戦的にぎらぎらと光っていた。


何よりも不敵な笑みを浮かべて悠然とこちらを見ている。

少年は無言で枝から飛び降りるとイリアの問いには答えないまま一言言い放った。


「帰れ。ここから先には立ち入らせない」

「帰れって言われても…私はこの先の魔法使いディボに会う必要があって…」

「師匠に会いに来たのであればなおさらここを通すわけにはいかねー!このまま大人しく帰るのであれば見逃してやる!だが歯向かうのであれば、容赦はしない!」


そう言って少年は腰に佩いていた剣をするりと抜いてこちらへと向けてきた。


「ちょ…待って!私はどうしても魔法使いに会わなくちゃならないの!王都にも帰れないし!」

「王都…お前、王の使いか!…こんな子供を使いによこしやがって…。だが王の使いなら猶更通せないぜ!」

「じゃあ、どうしたらここを通してくれる?」

「俺を倒せれば通してやる」

「分かったわ…あなたを倒せばいいのね」

「まぁお前にはできないだろうけどな」


ふんと小馬鹿にしたように少年は言った。


「じゃあさっさと終わらせてやるぜ!たぁ!」


少年はそう言うやいなやイリアとの距離を詰めてきた。

手に握られた白刃が少年の武器であるならば、こちらが対抗するのは盾である。

ここの地層は砂岩だったことがイリアの脳裏に浮かぶと同時に魔術を展開した。


(砂に含まれる砂鉄!これをこうして…こうよ!!)


どおんという音と土煙を巻き上げながら地面から大きな鉄の盾が生え、少年の攻撃を防いだ。


「は!?」

「まだまだぁ!…ていっ!」


攻撃を弾かれ驚く少年をよそに、イリアはこの地に堆積している砂岩層を思い浮かべ、その中の水分を一気に蒸発させ砂に還すイメージを浮かべる。

すると少年の足元が一気に崩れ、そのまま大きな穴を形成した。


「うわあああああ!?」


少年は重力にしたがって地面に空いた穴に悲鳴を上げながら落ちて行った。

イリアはふうと小さくため息をつくと、タタタと足早に落とし穴へ駆け寄り、その中を覗き込んだ。

穴の中には丸い瞳を大きく見開いて驚愕の表情を浮かべている少年が、転がった埴輪のようなポーズでイリアを見ていた。


「怪我はないかしら?」

「…。」

「怪我はないですかー?」


魔術に関しての加減が分からないイリアが開けた穴は3mほどの深さのものだ。

万が一怪我でもさせてしまったら…と思い声をかけたが返事がなく、イリアは不安に思って再度声をかけると少年ははっとしたように我に返った。


「…な、何が起きたんだ!?穴?いつの間に?はっ!もしかしてお前、俺をだまし打ちしたんだな!」

「だまし打ちはしてません」

「じゃあなんで落とし穴なんて!?」


少年は混乱しているようだった。

まぁ、突然自分の足元が崩れて気づいたら穴に落ちていたら混乱もするだろうが。

イリアは少年を穴から引っ張り上げてその姿を見たところ、土埃で服は汚れたものの大した怪我はしてないようだった。


「えっと…とりあえず私はあなたに勝ったってことでいいわよね?」


イリアが少年に尋ねると、少年はふいと顔をそむけた。

その顔を覗き込むようにすると、少年は今度は反対側に顔をそむけた。


「勝ったってことでいいですよね?」

「…」

「ね!!」

「くっ…」


苦渋に満ちた表情を浮かべた少年は絞り出すような声で言った。


「…くっ…、そうだな」

「なら魔法使いディボの元に案内してくれますか?」

「…」

「約束は守るべきですよ」

「…分かった…」


一文字に引き結んだ口をしていた少年はそれを小さく解いて震える声でそう答えた。

そして、次の瞬間がっくりとその場に膝をついた。


「まさか…俺が…負けるなんて…」

「ショックを受けるのは分かりますけど、とりあえず早く魔法使いの元に案内してください」

「分かった…約束は約束だからな…」


しょんぼりする少年の様子は若干痛々しくはあったが、約束は守ってもらわなければならない。

付いてくるようにイリアに言って少年は、未だ負けたショックから立ち上がれないのかふらふらと幽鬼のような足取りで森へと向かって行く。

そのあとをイリアとマシュは慌てて追いかけるのであった。


少年は名をカインと言うらしい。魔法使いディボの弟子で共に暮らしているとのことだ。


「どうしてあそこに穴があるのが分かったんだ?」

「え?穴があるっていうか私が開けたから」

「はっ?…まさか魔法使いでもあるまいし」

「うーん、魔法使いというか、魔法が使えるようになったというか」

「じゃああれは魔法か?」

「そう」

「…卑怯じゃないか?俺はちゃんと剣で戦おうとしたのに、なんでお前は魔法使うんだ?」

「それこそ不公平でしょ。私は剣が使えないから魔法を使ったまでよ」


年端もいかない幼気な少女に刃物を向けてきた上に卑怯者呼ばわりとは腹立たしい。

それにトリステン家家訓にもある。家訓その3、〝目的のために手段は選ばず〟だ。


「ねぇ、この先には魔獣がいるの?」


カインと共に山道を歩いていてふと思い出したのだ。

魔法使いディボを守護する凶暴な魔獣を倒す必要があることを。

それを言うとカインはまたずーんと暗い表情になった。


「魔獣はいない…」

「じゃああれは単なる噂だったのね」

「いや、噂ではないというか…魔獣はいないけど多分その〝凶暴な魔獣〟と呼ばれるのは俺だと思う」

「凶暴?だって冒険者もボロボロにやられたって…」

「だからそれだけ俺は強いんだよ!なんだよ、何か言いたいのか?」


もしやその冒険者が弱かっただけでは…と一瞬思ったのが伝わってしまったようでカインは眉間に皺を寄せ、語気を強めて言ってきた。


「あのな!お前が強すぎんの!魔法使うとかって聞いてないつーの」

「でも負けは負けだからね」

「うるせーな、分かってるよ!だから案内してやってんだろ!」


そんなこんなで山道を歩くこと一時間ほどしたところで徐々に道は獣道になっていく。

やがて木々を分け入ったところに一つのログハウスが現れた。


2階建てのログハウスは中央にドアがあり、右側にウッドデッキが作られていた。

そのウッドデッキに置かれた木製のサマーチェアに人が気持ちよさそうに寝ている。


「あ、着いたぜ。…師匠ただいまー」


カインの問いにディボと思われる人物がゆっくりと体を起こし、一つ伸びをしてこちらを見た。


「ふわああああ。…カイン、お帰り…って!?」


ディボはそのあとに驚愕の表情を浮かべてイリアを見て言った。


「ええええ!?悪役令嬢?」


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